4 第一の失恋?
部活が終わり、駅で琴音と別れて家に帰ると、リビングでは姉と母が喧嘩の真っ最中だった。
「だからぁ、大丈夫だって言ってるでしょ。この前の模試だって合格圏だったんだから」
「そうやって油断してたらすぐ追い越されるよ! お母さんあんたが私立行くとか言っても認めないからね」
「はぁ? 元からあたし国立しか行く気ないから」
どうやらまた姉の受験勉強を巡っての喧嘩らしく、美桜には取り付く島もない。
美桜と同じ高校に通う一歳上の姉、咲希は、受験生だというのに全く勉強する気を見せず、今日もリビングでだらだら携帯電話をいじっている。それが母の燗に触るらしく、ここのところ二人の喧嘩は絶えないのだった。
咲希は美桜と違って、小さい頃からなんでも器用にこなしていた。こつこつと努力する美桜の隣で、いつも平然と数歩前を行く咲希を、うらやましく思わないでもない。運動にしろ勉強にしろ、努力は美桜の方が勝るのに、結果は咲希についてくるのだ。これはもう、根本的な才能の差だと思うしかない。そんなわけで、美桜は咲希に対する羨ましさなどとうに忘れている。
「あ、美桜おかえり~」
おそるおそるリビングに顔を出した美桜に、咲希はのん気に手をひらひらさせる。そして美桜がただいまと答える前に、咲希は美桜に話しかけてきた。どうやら母との喧嘩を終わらせるために、美桜を利用するつもりらしい。
「そういえば美桜たちもうすぐ修学旅行でしょ? もう班とか決まったの?」
「うん、今日行動班を決めたよ。琴音と一緒になった」
「へえ、楽しそう。部屋班はまだなの? そこ重要なのに。修学旅行と言ったら夜の恋バナでしょ。そんで夜中に抜け出して告白~みたいな。あ、もちろんお土産も忘れずにね」
咲希にしては美桜の話に興味津々で、携帯電話も放り出して聞いている。聞いてるっていうか、ほとんどしゃべってるけど。母はそんな咲希の様子に呆れて、風呂を入れに行ってしまった。
「部屋班かぁ、そっちも琴音と一緒がいいなぁ」
「名簿順とかだったら最悪だね」
他人事みたいに笑う咲希に、美桜は眉を下げるしかない。お姉ちゃんならどこででも上手くやれそうなんだけど、とは言えなかった。
艶やかなストレートのロングヘアーを何気なく触る咲希を見ながら、我が姉ながら色っぽい、と思った。姉妹でここまで違うのかと問いたくなるほど、咲希は美人だった。そうして咲希を見ていると、つい琴音を思い出してしまう。琴音もまた、咲希に劣らず美しい顔を持っていた。
琴音といえば、と美桜の思考は再びワープする。
今日の部活のときに、琴音に言われたことを思い出した。村田くん、絶対咲希さん目当てで美桜に近づいたよね。どうやら村田が咲希を想っていることは、美桜だけでなく同じ班になる人全員に知れ渡っているようだ。
そういえば、村田のことは咲希に言うべきだろうか。
言わないほうがいいよね、と美桜は思案顔になる。頼まれてもないのに勝手に想いを告げるなんて、ルール違反な気がした。ていうか村田くんは、どこでお姉ちゃんと会ったんだろう。人の縁って不思議だな、と美桜はひとりごちた。
夜寝る前、美桜はベッドの下の段に向かって言った。
「お姉ちゃん、あんまり携帯いじっちゃ駄目だよ。お母さん心配なんだよ、お姉ちゃんが浪人でもしたらって」
二段ベッドの配置は、美桜が上で咲希が下である。もっとも最初は咲希が上の段だったのだが、咲希が中学生になるくらいから、わざわざ上に上るのがめんどくさいという理由で美桜と交代した。
咲希は下から美桜に応じる。
「あたしが浪人なんてするわけないでしょ。お母さんも美桜も心配しすぎ。だいたいあたしが試験に失敗したことなんてあった? ないでしょ。てことは、今度も大丈夫」
「自信満々だねぇ……」
「まあね。ていうかほら、携帯ないと彼氏と連絡取れないし」
そっかぁ、彼氏ね、と言いかけて、美桜はがばりと体を起こした。
「彼氏!? お姉ちゃん彼氏いるの!?」
「あら、知らなかった? 結構前からいるわよ~」
むしろいなかった時期なんてあったかしら、とすっとぼける咲希に、美桜はわざわざベッドを下りて詰め寄る。
「知らなかったよ! 昔からモテるのは知ってたけど!」
言いながら、美桜はほっと胸を撫で下ろす。村田くんのこと、本当に言わなくてよかった……。でも村田くん、失恋決定だ。それはそれで今後どう対応したらいいのか、まるで検討がつかない。
咲希は枕元の携帯電話を取り上げて、美桜に見せた。
「うわぁ……」
画面には、彼氏から送られてきたと思われるメールが表示されている。差出人は稔と書いてあるから、これはおそらく彼氏の名前だ。
「『明日の放課後は会えそうです。いつもの場所で』、だって! いつもの場所ってどこなの~?」
「秘密よ、秘密」
そう言って咲希は携帯電話を取り上げる。美桜が手を伸ばしてもう一度見ようとするが、上手くかわされる。
「稔さんっていうんだ~。なんかすごく真面目そうな人だね!」
「そうね~真面目ね。生真面目って言った方が正しいかも」
「へぇ~!」
わくわくと続きを促す美桜に、咲希はまんざらでもなさそうに続ける。
「今日も放課後会ったんだけどさ、それはもう奥手なんだよね」
「お、奥手」
「そうそう、全然手ぇ出してこないし」
「…………」
「だからいっつもあたしから攻めて刺激してあげないと……」
「うわああああ、ストップ! お姉ちゃんストップ!」
すらすらととんでもないことを口にする姉を、美桜はあわあわと制した。顔が熱い、と頬を押さえる。
それを見て咲希は可笑しそうに笑う。
「今のは冗談。美桜真っ赤だよ?」
「冗談に聞こえないよ!」
もう、と自分のベッドに戻りながら、美桜は村田のことを考えて肩を落とした。
修学旅行、どうしよう。
それから先生と自分がメールをしているところを想像して、再び赤面した。
もう、お姉ちゃんがあんなこと言うから……。変なこと考えないように、と思えば思うほど、頭の中はピンク色の妄想で埋まって行くのだった。