3 気付かぬ思い
「今日は個人練かぁ」
放課後、美桜と琴音は吹奏楽部の部室で、楽器を準備しつつおしゃべりに花を咲かせていた。視線の先には、部の連絡事項が書いてあるホワイトボードがある。そこに書かれた『本日個人練』という文字を見て、美桜と琴音はふふ、と笑った。
二人は中学の頃から吹奏楽部に所属しており、二人が友達になったきっかけも実はここにあったりする。中学一年生のときはクラスが違ったけれど、それから高校二年生になるまでの四年間はずっと同じクラス。そんなわけで美桜たちは自然に親しくなり、互いを親友と認知するようになったのだ。
九月の半ば、それも夕方とはいえ、外はまだ暑い。楽器を持ってグラウンドに出た美桜たちも、暑い太陽の光に目を細めた。そうしてグラウンドで活動する他の部活動生を眺めながら、美桜は譜面台に楽譜を置く。
美桜の学校の吹奏楽部では、個人練はどこででもやっていいことになっている。もちろん他の部活動に迷惑をかけるのは禁止だが、校内のあらゆる箇所に散らばって好きなように演奏できるのだ。楽器が違う者同士で集まるのもよし、ひとりで演奏するもよし。そんなわけで個人練の日はいつも、美桜と琴音の二人で練習する。もちろん楽器は違うのだが。
今回は練習場所をグラウンドの端に選んだ。風が強く、なかなか譜面台が安定しなかったが、こうしてみるとなかなかいい場所だ。リフティングをするサッカー部や、必死に走る陸上部。心地よい音でボールを打ち返す野球部に、ランニングの掛け声。ここには何かを一生懸命頑張る人たちがいっぱいいて、自分も頑張らなければ、という心地よい焦燥感に駆られるのだ。
ここで自分ができることは、楽器を吹くこと。少しでも今目の前にいる頑張ってる人たちへのエールになればいいな、と思いながら、美桜は楽器を構える。そして密やかに、自分の出すこの音楽が、地学室まで届きますように、と願う。
「よーし琴音っ、頑張るぞー!」
常になくやる気の美桜を見つめて、琴音がふふっと頬を緩める。
「美桜、今先生のこと考えてたでしょ」
「ええっ。何で分かったの?」
びくっと肩を震わせて顔を赤らめる美桜に、琴音はますます笑いをこらえきれない。その様子に美桜の眉が八の字になるのもおかしくて、琴音はしばらく笑ったままだった。
「だって美桜、今明らかに地学室の方見てたし」
「え、うそっ、見てないよっ」
「見てた見てた。しかも結構長い間ね」
「うっ……」
元来、顔に出てしまう性質なのだ。美桜は恥ずかしくなって、両手で顔を覆った。
ファイッ、オー、ファイッ、オー!
清北~ファイッ! オー!
揚々とした掛け声と共に、美桜たちの方へ足音が近づいてくる。ざっざっざっざっ。清北~ファイッ。顔をあげた美桜は、すぐそばまで迫ったランニング集団のために慌てて譜面台をよけた。ざっざっざっざっ。その顔ぶれを見て、琴音がハッと息をのむ。ざっざっざっざっ。清北~……
「古川に栗原じゃん。お前らも頑張れよ!」
声の主は北山だった。バスケットボール部の練習着を着た彼は、いつもよりもずっと、かっこいい。ざっざっざっざっ。一番前を走るキャプテン北村に続き、その後ろを走っていた村田が手を振る。
「やっほー! 二人ともファイトー!」
ざっざっざっざっ。軽快な足音の余韻を残して、バスケ部の集団が去って行く。あまりにも一瞬の出来事で、二人とも「う、うん」だとか「ファイトー」としか答えられなかった。
美桜は去って行く背中たちを見つめながら、ぴょんぴょん跳ねる。
「琴音、やったね。北山くんが頑張れだって。よかったねぇ!」
嬉しそうな美桜とは反対に、しかし琴音の表情は冴えない。同じように去りゆく背中を見つめながらも、どこか複雑な表情を浮かべている。が、美桜はそれとは気付かない。
「放課後も北山くんに会えるなんて、グラウンドに来て正解だったね」
「うん、……そうだね」
その声のトーンを聞いて、美桜ははたと動きを止めた。そうしてまじまじと友の顔を覗き込む。それに気付いた琴音は明るく笑って、楽器を構えなおす。
「さあ美桜、練習練習! 北山くんに応援されたんだから、頑張らないと!」
じっと琴音の顔を見ていた美桜も、琴音の常のような表情を見て明るく笑う。
「そうだよっ。琴音の音色を、北山くんに届けよう!」
「おおっ。じゃあ美桜は水谷先生ね。よぉし」
ふっと息を吸って、構えた楽器に音を吹き込む。息を吸ったときに、もうすぐやってくる秋の空気が肺に入ってきて、美桜は嬉しくなる。秋が来れば冬が来る。そうすれば、待ちに待った修学旅行だ。早く早く、早く来ないかなぁ。
今はとても小さくて拙い音だけれど、いつかきっと、願う場所へ届くはずの音。
美桜も琴音も、それぞれの願う場所に向かって、尽くす限りの音を奏でた。