1 打ち明けた恋心
お待たせしました、改稿完了です。
二学期が始まって、はや一週間。風が涼しくなったのも束の間、再び夏のような暑さが続いていた。登校中の道端に咲くひまわりも、未だ一途に太陽を見上げている。空には秋らしい鰯雲と夏の入道雲が同居して、風も暖かかったり冷たかったり忙しそうだ。
そんな暑さの中、地学室で授業を受けている美桜は、放心状態で黒板を見つめていた。暑さで頭がぼうっとしているのか、授業のやる気がないのか。果たしてその理由はどれでもなく、視線の先にあるのも黒板ではなかった。
「美桜っ、ちょっと美桜ー」
「うわっ。び、びっくりした」
突然肩を叩かれて、美桜は授業中にも関わらず大きな声を出してしまう。一瞬だけクラスメイトの視線が集まり、美桜はしゅんと縮こまった。
「そこ、間違ってるよ。もう、ちゃんと授業聞いてるの? さっきから全然ノートとってないじゃん」
言われて美桜は自分のノートを見つめ、少し青ざめた。授業が始まって三十分も経つのに、ノートは未だ真っ白のままだったのだ。そういえば、今日の授業内容の少しも頭に入っていない。しまった――
美桜は悲痛な面持ちで、指摘してきた親友を見上げる。
「琴音……」
「もう。あとで写させてあげるよ。それより珍しいじゃない、美桜が授業を聞いてないなんて」
琴音に言われ、美桜はなんとなく視線をそらした。琴音が不思議そうに顔をのぞきこむ。そうしてしばらく、納得した様子で美桜に耳打ちした。
「美桜、水谷先生が好きなんでしょ」
「…………!?」
はっとして琴音を見る美桜。その表情を見て、琴音は確信した。
水谷先生は地学の先生で、たった今美桜たちがしている会話も知らずに、美桜の目の前で授業を続けている。黒板に並べられた生真面目な文字は、水谷先生の生真面目な性格をよく表していた。
あわあわと意味もなく周囲を見回しながら、美桜は視線を泳がせた。ぎゅっと握ったこぶしが汗ばんで、スカートに染みをつくる。
まさか、知られてしまうなんて。
高校二年生になって半年間、先生に芽生えた恋心は、ずっと胸の奥に隠してきた。自分に自信もなかったし、第一生徒が先生に恋するなんて、漫画でしか許されないものだと思っていたからだ。だから親友の琴音にさえも告げず、ただただ想うだけの日々。叶えばいいな、と思っていたけど、叶えてやろう、なんて大それたことは思っていなかった。
けれど最近、美桜の中で水谷先生に対する想いが変わってきた。
ただ見ているだけじゃなくて、その隣に行ってみたいと思うようになったのだ。
修学旅行前の今、同級生が皆、彼氏が彼女がと浮かれているせいかもしれない。周りの青春に無意識に感化され、突然こんなことを思うようになったのかもしれない。とにかく美桜はここ最近、先生と会う度に胸が弾んで、心臓の奥のほうがきゅんとするのだ。
授業はもうまとめに入ろうとしていた。水谷先生が赤のチョークに持ち替えて、大事な部分を箇条書きしていく。
「お願い琴音、誰にも言わないで」
美桜は隣に座る琴音に向かって頭を下げた。皆が黒板を見つめる中、一人だけ頭を下げている姿は滑稽なのだが、本人はそれとは気付かない。最初から誰にも言うつもりはない琴音もうんと頷いて、やっと美桜の表情が和らいだ。
「実はさ、私も美桜に言おうと思ってたことがあるの」
地学室から教室に戻る途中、琴音がふいにそう言った。まだ頬を上気させたままの美桜は、きょとんと首をかしげる。
――琴音がこんな表情するなんて、珍しいな。
琴音は一瞬迷ったように俯いて、それから意を決したように口を開いた。
「私、北山くんのことが好きなんだよね」
「…………!!」
ええっ、と叫びそうになった美桜の口は瞬時に塞がれ、見開いた目だけが驚きを訴える。ようやく叫び声を飲み込んで、琴音の手がはずれた。
と同時に、美桜の口から驚きの言葉がこぼれ出る。
「ねえ、北山くんって、あの北山くんだよね! バスケ部のエースの……うわあ、琴音、すごい、すごい。初めて知ったよぉ」
やっと言葉を紡げた美桜は、琴音の制服の袖をつかんでぴょんと飛び跳ねた。小声ながらも興奮した様子で、驚きを目一杯表す美桜。琴音が誰かを好きだと打ち明けてくれたことはこれが初めてだったのだ。そんな様子の美桜に、琴音はふふっと頬を緩めた。
「だって今初めて言ったもん。でも結構前から好きだったんだよ、北山くんのこと」
少し照れたように笑う琴音は色っぽくて、美桜は目をしばたいてしまう。
「へええ……! すごい、すごい! 琴音、応援するからね!」
「うん。ありがとう。私も美桜の恋、応援するよ」
美桜の恋、と言われて、ようやく引いてきた頬の赤みが再び戻る。美桜は両手で顔を抑え、恥ずかしそうに俯いた。琴音はそれをにこにこ笑いながらはずそうとする。こら、顔見せなって。嫌だぁ、恥ずかしい。あはは、美桜ってば茹でだこみたい。
二人は教室に戻るまで、ふざけ合いながら歩いた。爽やかな笑い声に、遠くで鳴くからすが呼応する。飛び跳ねながら歩く二人のそばで、廊下の窓から見える木が、ざああっと風に鳴った。