[chapter:Ⅲ-ⅰ 神名木サイド]
ここT県のN村の夜は都会と異なり、暗い。都会の暗いとは異なるほど闇が深く、最早漆黒と呼んで良い。そもそも夜中起きている人など居ない。電車も十時には走っておらず、ここが都会と異なるところか。三〇〇〇メートル級の山々に囲まれていることもあり、冬には大雪が降り、春先の今の時期でさえ、残雪地帯も少なくない。
今年は春が早く来て、暖かいと言われるが、都会という名の温室育ちからすると、大自然からの洗礼とても生きた心地がしない。
「はぁ・・・俺は、いつから僧侶になったんだ・・・」
自嘲気味にそう呟く。
都会から出張で来た吉田誠司二十七歳独身にとっては、東京のネオンが恋しくて堪らない。
ここ数年都内で夜遊びばかりしていた彼だが、スマートフォンの新しい回線工事の北陸担当として仕事できたのだが、人間、今まで勤しんでいた夜の本業に対しての心の垢が抜けるところが無い。コンビニが閉店時間でシャッターが下りている所を見るのも彼には新鮮すぎた。
「ホントは一杯やりたいんだが、そんな店も無いしなぁ。」
深夜作業が終わって現場から外に出た頃には既に辺りは漆黒そのもの。車のところまで懐中電灯片手に戻る。
「いやーニーちゃん、若いのに、よー夜遅くまでありがとうね。」
一緒に作業を手伝ってくれた、このN村の電気屋の田中さんである。
もう四十を裕に超える年齢なのに、よくもまぁ、深夜の作業に手伝ってくれたものだ。
「いえいえ、とんでもないです。無事作業終わってホッとしてます。」
「そーけ、じゃ、俺はけーるけど、ニーちゃんは帰れるけ?」
「あ、はい。泊まってる民宿までここから30分くらいなんで。」
「そうけ、じゃ、明日も宜しく頼むね」
といって、田中さんは吉田の隣に停めてあった自分のバンに乗り込む。走り去る
お辞儀をして、依頼者を見送り、こちらから車を確認できなくなったのを見計らって、吉田は胸ポケットからジッポを取り出し、そっとメンソールの煙草に火をつける。
「フゥーッ、生き返る。」
フッと一息、白い煙が出る。
仕事から解放された後の一発目の煙草は美味い。周りに誰も居ないなら尚更だ。世間に蔓延る嫌煙ムードからも開放され、誰からも何も言われること無く吸える。そして少なくともの始業時間までは誰の目も気にする必要が無い。そのような時の煙草が不味い訳が無い。
煙草の先端がチリチリと燃え上がり、煙だけがゆらゆらと昇っていく。その先端の煙は何の柵も無く、風も強く吹いていないせいか何者にも遮られることなく昇っていく。
「それにしても・・・・」
すげぇとこだよなぁ・・・。産まれも育ちも東京の吉田からすると新鮮味を感じてしまう。
この現場まで来る道には、針葉樹が舗装もされていない道路にはみ出して植えてある。というより、元々森林地帯であった場所を人が住めるように開拓して、道路がひかれているというのが正解であろう。それに、植えてあると言うよりも、ここは元々大自然の天下であり、道路自体が異物なのであろう。異物に対し容赦なく排除にかかろうと、木々の根や枝が侵食してきていると言う方が正しいように思える。
やはり、都会とは異なる。
都会にこんなに木が植えてあるところは無い。木々が植えてあるといっても、どちらかというと公園や街道に植えてある観賞、ファッションとしての樹林。それに対してこちらは、森林、山岳の主としての樹林。都会の見てくれ重視のもやし樹林と一緒にしてくれるな、と木々の方から文句が出そうである。
「化け物とか、出たりしてな。」
あぁ、おっかないおっかない。と冗談交じりで自分の発想に笑みを浮かべる。
「出るわ。今日は特に。」
自分しか回りにいないのに、女性の声が聞こえた。彼は不意を突かれ、辺りを見回す。単なる独り言に対して返事をすることでさえ、物好きがやる事なのであるが、そんな物好きは彼の友人と彼女位なものである。辺りに誰も居ない。
「そんな、ビクつかなくても。御免なさい。驚かせてしまったわね。」
後ろからチョンチョンと背中を叩かれ、急いで振り向くと、眼鏡を掛けた少女が大きなスーツケースに腰掛け、手を振りながら立っていた。
「こんばんは、お兄さん。こんな所で深夜に何やってるのかな?」
「おぉぉ、ビックリさすなよなぁ。で、どなた様で?」
「私のことなんてどうだっていいから、早く、ここから立ち去ってくれると嬉しいかな?」
と、にこやかに初対面の人間に対してドキツい発言を吐く娘。
「おいおい、そりゃお互い様だろ?深夜にウロウロしてるってのは。俺は仕事終りでやっとこさ煙草が吸えたんだ。最近の喫煙者撲滅運動のお陰で、作業中吸えなかったんだからさ、少し位吸っていたって神様は罰を与えんだろ?」
と、シッシッと手を振り、咥えた二本目の煙草に火を着ける。
「まぁ、いつもだったら、それでいいんじゃないかしら、でも、今日だけはダメ。喫煙の神様とか関係なしに危ないから。」
「はいはい、一本吸った後ね。」
「はぁ…仕方ないわね…。状況からして、この状態で準備仕上げるしかないか。」
と、軽くため息を吐きつつ、少女は今まで座っていた、スーツケースを広げる。スーツケースの中身はセンサー計器類でビッシリ詰まった、よく解らない精密機器で埋め尽くされていた。
(なんだなんだ?人の持ち物を凝視するのは割と好かないが、ありゃ、なんかの機材か?)
職業柄、通信機器を触る機会が多い吉田にとって、精密機器関連に関しては特に興味をそそるものがある。無論、他人の持ち物であるという点まで考慮すると、あまり足を突っ込みたくないという社会人的なものもあるのだが。
少女はその計器類をテキパキと操作しつつ、髪をかき上げ、右耳に着けていたブルートゥースのイヤホンマイクに手をかける。
「こちら、コードシエアラ。目標座標に到達。現地にて住民一名と接触。しかし作戦には影響ない模様。事象発生時刻二三〇〇まで待機を続ける。」
『コードタンゴ、了解。こちらも所定位置についた。』
『コードロメオ、了解。こちらも粗方準備完了よ。』
「では、発生五分前にまた連絡する。以上」
「フォネティックコードかぁ、なんだなんだ?サバゲーでもするのか?」
「あら、詳しいのね。」
タバコを吸いながら吉田は興味本位で尋ねてみる。
「まぁね、職業柄、聞き間違い防止でちょいとね。マイクのMとかノーベンバーのNとかだろ?でも、ま、普段だとサバゲー位しか使い道ないだろ?」
「えぇ、そうね。まぁサバゲーで終わってくれたらスペシャルなんじゃないかな?」
へいへい、厨二病が抜けないお子様だこと、この平和な日本で深夜に何があるんだっての。
ビィィィィィィィ
突然だった。喧ましいアラーム音が彼女の持っていたトランク内の機械から辺り一面に鳴り響く。そのアラーム音に対し、少女は少し苛立ちをあらわにする。
「あーっもう。向こうさんが待ってくれないのは解ってるけどさぁ、もう後一〇分位待ってくれてもいいじゃない。コーヒー飲む時間なくなっちゃったじゃない。」
「なんかあったのか?」
「ん?あー、言ってもわかんないかも知れないけど、いつまでも待ってくれないから何があっても私から離れない。約束してね、お兄さん。」
「言わなきゃモット解らんぜ?ネェちゃん。」
「あ、少し説明不足だったわね、いつまでが来るから、私のそば、離れないでね。」
「いつまでが来る?なんだ?期日かなんかか?」
アラームが鳴り響く中、吉田は少女を茶化すように質問する。が、彼女はその質問を余所に右耳に手を当てて鬼気迫った表情で連絡を取り合っている。
「こちら、コードシエアラ。事象発生時刻が三〇早まった。次元センサにレッドライン反応。もうすぐ次元トンネルが開かれる模様。繰り返す事象発生時刻が三〇早まった。次元センサにレッドライン反応。もうすぐ次元トンネルが開かれる模様。」
『こちらコードタンゴ、了解。』
『こちらコードロメオ、了解。』
「次元トンネル?なんだそりゃ?」
「人の仕事内容に聞き耳立てるのってマナー違反じゃない?」
「そりゃそうだが、離れてはいけない何かがあるんだろ?説明くらいしてもらっても罰はないんじゃないか?」
「『いつまで』がくるのよ」
「いつまで?なんだそりゃ。締め切りが来るって訳じゃないんだろ?それだといつも俺は追われてるしな。」
「以津真天。『いつまでん』ても言うんだけど、大きさは4~6m位。大きいものだと10m位の馬鹿デカい鳥よ。」
「俺も20年以上生きてるけど、そんな鳥見たことないが」
冗談言うなとでもいうように、失笑を隠しながら言う吉田に対し、少女からの返答は更に呆れて卒倒するが如く意外なものだった。
「そりゃそうでしょ。妖怪だもん」