No.7
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目を覚ますと見慣れない天井だった。
絵梨香はベッドから体を起こす。時計を見ると午後3時過ぎだった。
「あ、絵梨香ちゃん。体は大丈夫ですか?」
声がした方を見ると、雪下若菜が部屋に入ってきた。
どうやらここはA棟の医務室らしい。雪下の他には誰もいなかった。
絵梨香にはイマイチ記憶が曖昧になっていた。爆発で吹き飛ばされた後から、よく覚えていない。
自分の体の感覚を確認。大した怪我はない。
何を察したのか雪下は
「あ、怪我は私が治しましたから」
前髪を横に払って微笑む。
それを聞いて絵梨香は怪訝な顔。この子は医者ではないわよね?
あ、と合点した様な顔で口を開いた。
「私の能力は【回復】ですから。ある程度の怪我は治せるんです。ランクは低いんですけどね。ってか少しは話して下さいよ〜」
絵梨香はそう言われて気付く。
あたしまだ一言も話してない。
というよりも、雪下が絵梨香の心をいちいち読むので、口を開く必要がなかった。
「……ありがと」
「いえいえ」
絵梨香は雪下の方を見ずにそう言った。
そのまま口を開く。
「雪下さんだったわよね?」
「若菜でいいですよ?」
絵梨香はそれに対して反応せずに続ける。
「あたしが爆発で吹き飛ばされた後、……どうなったの?」
雪下は少し口ごもる。
「えっと……その……」
体の前で組んでいる手を忙しなく動かしている。
「何があったのよ? はっきり言って」
絵梨香はつい強い口調を発した。
それに雪下は肩をビクッと震わせる。
雪下はどこか観念したかのように息を吐いた。
「……あの不良3人は、拘束。今頃は助け舟と後方支援部の人達による、事情聴取が行われているはずです」
「あの2人は?」
絵梨香としては、あいつらの容体を気にするのは不本意だった。
しかし、自分のミスでああなったからには、不本意であっても聞かなければならない。
「2人とも軽傷です。今は治療を受けています」
それを聞いて、絵梨香は少しだけ安堵した。
「それから……」
雪下は視線を落とした。
「なによ?」
先を促す。
「私がここに来た理由は、その……絵梨香さんが起きた事を確かめるためで。私が5分経っても戻らなかったら……部隊統括長が話を聞きに来る、だそうです」
だんだんと小さくなる声でそう言った。
「で、なんでそんな嫌そうなのよ?」
「……だって、部隊統括長ですよ!?」
顔をガバッと上げて、信じられないという様な顔を雪下は見せた。
「今からでももう嫌なのに……」
頭を抱えてわーわー喚く雪下。
その声に絵梨香は顔をしかめた。それと頭の中に、何か問わなければならない事があったのに忘れてしまった。
仕方が無いので話を続ける。
「どんな人なの?」
「会った事がないんですね!? なんていうか、一言でいうなら非情……っ!」
雪下は口をつぐんで、医務室の入口を食い入る様に見つめた。
「なに? どうしたの?」
絵梨香はそう問い掛けるが、上の空で雪下は身構える。
そして、医務室のドアが開かれた。
────
ドアを開けた男は、絵梨香が起きているのを確認するとベッドに近づいて来た。
「橘絵梨香だな?」
低い、そして無感情な声でそう問う。
「……そうですけど。何ですか?」
「初めまして。茜が丘部隊統括長、篠永徹だ」
屈強な体で絵梨香の前に立ち、冷徹な目で見下ろした。日に焼けていて40歳ほどか。頭には白髪がちらほらと垣間見えた。
「はぁ。どうも」
絵梨香は軽く会釈した。
雪下は伏目がちに佇んでいた。
篠永は腕時計をチラリと確認する。
「さっそく本題に入らせてもらう。時間に余裕もないのでな」
やはり無感情な声でそう切り出した。絵梨香は佇まいを直す。
「先程起きた事件についてだ。わかっているとは思うが、お前ら2人は全く役に立たなかった」
いきなりの糾弾に絵梨香は眉をひそめた。
なにこいつ?
「橘は周りが見えていない。先行しすぎて他の奴らの話を聞けなくなる」
さらに糾弾が続く。
「お前が気を失う意味もわからない。水崎に怪我を負わせたのはお前のミスだろう。だったら自分で取り返せ」
絵梨香はその言葉に憤慨するが、何も言い返せなかった。
爆発で吹き飛ばされた後の記憶がないのは気を失ったからで、気を失った理由は自分にもわからなかった。軽傷だし、何より頭は打ってない。
「雪下は、どうして事件現場で2人を治療しなかった?」
いきなりの質問に足元を見つめる雪下。
絵梨香にはその質問の意味がわからずに雪下を見つめる。
「それは……。その……」
答えられない雪下を見て、篠永は呆れた様にため息をついた。
「まぁいい。2人とも次は同じ様なミスをするな。今日はもう休め」
雹の様に男は医務室から出て行った。
絵梨香の両手はきつく結ばれていた。
「何よあいつ」
憤りを感じさせる声で絵梨香は呟いた。
「あの人が茜が丘本部付属の3部隊をまとめる部隊統括長、篠永隊長です」
雪下は蚊の鳴くような声でそう言った。
絵梨香は雪下の方に体を向ける。
「そんな偉いの? そいつ」
「役職のランクだけでいえば、総司君より1つ上なだけなんですけど。TSA創立時からの人で、いつも遠出ばかりです」
どおりで指摘するだけして、直ぐにまたどこかに行くわけだ。
それよりも絵梨香にはもっと気になる事があった。
「雪下さん。どうしてあなたは現場で【回復】を使わなかったの?」
その言葉を聞いて雪下は目を見開いた。
「い……色々あったんですよ」
そして絵梨香は先程忘れていた、問わなければならない事を思い出した。
「ねぇ。篠永が来る前に話していた時、あたしが爆発で吹き飛ばされた後の事を聞いたわよね?」
雪下の視線はだんだんと下に向かった。
「けれどあなたは、事件の終わった後の事しか答えていない。どうして?」
「っ……!」
数秒間沈黙を続けていた雪下は、やがて意を決したかの様に頭を上げた。
「ごめんなさい! 実は私もあの時の記憶があやふやで……。だから本当にごめんなさい!」
絵梨香は大きな溜息を1つ吐いた。
「どうしてそんな嘘をついたのかだけ聞いていい?」
雪下は何度も逡巡したかの様に、あたふたしていた。
そして泣きそうな声で
「やり返しです」
とざっくんばらんに言い放った。
「はぁ? 何のよ?」
絵梨香にはイマイチ心当たりがなかった。
「私の能力についてめちゃくちゃ嫌な事を言われたので……。つい……」
それを聞いて絵梨香は苦虫を噛んだ様な表情を浮かべた。
あれのことか。
「あれは……その、悪かったわね」
雪下は首を振る。
「いえ、もういいです。私も意地が悪かったです」
大して悪い事もされていないのに反省されて、絵梨香は居心地が悪くなった。明らかに自業自得だったが。
そして、もう1つだけ気になる事があった。
「もう1ついいかしら?」
雪下は泡を食った様に
「私何もしてないですよ! 確かに昨日、総司君のプリン勝手に食べましたけど、それは絵梨香ちゃんは知らないはずです!」
と、言い放った。
絵梨香は苦笑いした。
確かに今知ったわよ。
絵梨香には、人の部屋にまで入ってプリンを食べようとする雪下がわからなかった。
絵梨香は頭の中でかぶりを振る。
「そうじゃなくて。この街における能力者の位置付けってどんな感じなの?」
絵梨香が聞きたかったのはそこだ。
水崎は迫害と言った。能力者をだ。一体どういう事なのか……。
雪下はうーん、と少し唸ってから口を開いた。
「絵梨香ちゃんは、前までどこで暮らしていましたか?」
絵梨香は自分の住んでいた街の名前を言った。
すると、雪下はどこか合点した様に頷く。
「という事は、絵梨香ちゃんはずっとそこに住んでいましたよね?」
「なんでわかったの?」
実際、絵梨香は引越しを経験した事がない。
「それと絵梨香ちゃんは能力者学校の生徒でしたよね?」
質問を違う質問で返されて、少し苛立ったが次の質問に答える。
「ええ。あたしは元能力者学校の生徒よ」
能力者学校とはその名前の通り、能力者が通う学校だ。普通の学校とは違い、カリキュラムの中に能力向上が含まれている。
すると、雪下は腑に落ちた様に小刻みに頷いた。
「たぶん、絵梨香ちゃんの暮らしていた街と一般的な街では、能力者の認識に大きなズレがあるんだと思います」
絵梨香にはその言葉の意味がわからなかった。
そのまま雪下は続ける。
「能力者が表の世界に現れてまだ半世紀も経ってません。その中でやはり、能力者に対する偏見は厳しいものがあったのは知っていますよね?」
それまで全く表沙汰には出てこなかった能力者たち。
そこから能力者はどんどん増えていったのは、能力が遺伝的に作用する事を裏付けている。
「知っているわよ。けど、それは過去の話じゃないの?」
首を静かに振る雪下。
「今でもその迫害は残っています。進学や就職、結婚、スポーツでもそうです。絵梨香ちゃんが暮らしていた街は、能力研究が盛んなので迫害は少なく、むしろ無能力者の方が厳しい立場にあったと思います。けれど、ここ茜が丘に限らず、一般的には未だ根強くあるんです」
それは少なからず絵梨香にはショックだった。
だとすると。
「……だからTSAの巡回時の服装は私服なのね?」
神木が言った理由は、相手の能力者に能力者だという事を悟らせないようにするためだった。あくまで、それはTSAが出した公的な理由だ。
しかし実際はそうではなく、一般人に能力者だとわからせないようにするためだったのだ。
「その通りです」
雪下はさも当然かの様に言った。
ということは、そんな理由を信じる神木は馬鹿なのか。それとも……。
「雪下さんは……能力者学校に行っているの?」
絵梨香は雪下を見据えてそう言った。
「いいえ、私は普通の女子高に通っています」
雪下は少し寂しそうな笑顔浮かべる。
「えっ? でも、それじゃあ?」
「大丈夫ですよ。私の高校は能力者に対して寛容な所がありますから。私よりきついのは総司君かな」
絵梨香は眉を寄せる。
「普通の高校に通っているのね?」
「はい。能力者である事は隠しているみたいですけど」
「どうしてか知ってるかしら?」
雪下は頭の上にハテナが見える様な表情を浮かべた。
「知らないですよ」
「そう……。ありがと」
少しばかりの沈黙。
それを破ったのは雪下だった。
「何かお腹が痛くなってきたので、これで失礼します」
渋い顔をして雪下は部屋から出て行った。
その後も絵梨香は医務室のベッドの上に居座り続けた。
────
A棟の3階にある会議室に俺は湊と待機していた。
無駄に広い部屋に2人というのは、中々空しい。
ここにいるのは招集、簡単に言えば呼び出しを食らったのだ。
どんな内容かは、見当が既についていた。
先程起こった事件についての報告と、指摘がされるのだろう。
まだ始まってもいないのに、俺は渋い顔になっていた。
「なんだいその不景気ヅラは?」
湊が咎める様な口調で言って、俺を見下ろす。
「だって篠永統括長だろう? 俺まだあの人苦手で」
「凍李さんとどっちが苦手なんだ?」
湊は俺の方を向かずに明後日の方を見ていた。
「そんなもん比較になるかよ。圧倒的に篠永統括長。氷澤なんて可愛いもんだよ」
「なーに俺のことを呼び捨てにしてくれてんの?」
ヒッという奇妙な声が何処からともなく出た。
振り返ると、やはりそこにはいらっしゃられた。
「それに俺の方が可愛いって? 神木。またしごいてやるからな」
どす黒い笑顔でそう嘯いた。
そして俺にヘッドロックを食らわす。
俺が半泣きになった頃、ようやく篠永隊長が入ってきた。
「さて。お前ら3人の耳に入れておく事がある」
篠永統括長は難しい顔をする。
「先程の事件を起こした連中の内、爆発系の能力を持つ男。奴は元無能力者という事が判明した」
「どういう事ですか?」
即座に、氷澤さんが少し目を見張った様子で口を挟んだ。
「まだわからん。……が、上層部は何かあると見て、調査の依頼が来ている。主に助け舟と若人にだ」
そう言って篠永統括長は俺と湊を順番に目をやった。
俺と湊は横目で目を合わせた。
そして、俺は真剣な面持ちで視線を篠永隊長に移す。
「わかりました。……けれど明後日から学校が始まるんですけど……」
そう、一番の問題点はそこだった。俺の場合、さらに悪い事に春休みの課題が終わっていない。
篠永統括長は眉を曇らした。
「……わかった。この事は助け舟に主導になってもらう。一応若人の部隊員にも伝えておいてくれ」
わかりました、と俺は返答した。
湊は少し周りを見渡し
「仁里さんがいないみたいですけど」
と申告した。
篠永統括長は、あぁと頷く。
「あいつは今日非番だから俺が伝えておく。それじゃあ解散していいぞ。……神木残れ」
それを聞いて俺はがっくりと肩を落とした。
お疲れっ、と部屋を出て行きながら氷澤さんが俺の肩を叩く。
氷澤さん……満面の笑みだったな畜生。
篠永統括長にはそれを見せないのが、余計に質が悪い。
2人が出て行ってから篠永統括長は切り出した。
「橘絵梨香はどうだ?」
単刀直入かつ漠然とした質問だった。そして、俺が自分の意見を話させる質問でもあった。
「まだいまいちわかりませんが……。協調性に欠ける所が少し。あと、人を見下す所もあります」
それは今朝からの行動から判断したものだった。
篠永統括長は片頬でニヤリとした。
「昔のお前みたいじゃないか」
それに俺は苦笑した。まかり間違っていないのが痛い所だ。
篠永統括長は真顔になる。
「とりあえず今日の事件だが……。何があろうと他の奴らが怪我したのは神木の責任でもあるんだ。特に雪下は戦闘経験もほぼない。神木と水崎で引っ張っていくんだぞ」
「はい」
「それと、橘が独断専行した時はお前が抑えるんだぞ」
俺は渋い顔になる。
「俺なんかに……できますかね?」
篠永統括長は力強い顔で口を開く。
「神木ならできる。少なくとも俺はそう思っている。……あいつをこんかぎり御してくれ」
その言葉に俺は気恥ずかしい思いをしたが、できる限り真顔で頷いた。
篠永統括長がもういいぞと言ったので、俺は一礼してから部屋を後にした。
そこからC棟の自室に着くまで、ほぼ無意識になっていた。
自分の部屋に戻り、ベッドの上に寝転ぶ。
篠永統括長の言葉を頭の中で反芻した。
自分に出来るのかかなり不安だったが、それで少し紛れた気がした。
それから少しして、ハッとする。
俺は部屋に置いてある冷蔵庫を開けた。
中身はほとんど空なのだが。
──プリンがない。
どこを探してもなかった。
「……最悪だな」
それを食べた人は。
一言呟く。
──そのプリンは消費期限が切れてたのに。