黒いワンピースが欲しい。
黒いワンピースが欲しい。
きっかけは、YouTubeで流れていたアーティストのアニメPVだった。ヒラヒラと無表情で踊る女の子が着ている黒のワンピース。アンニュイで、どこかオシャレで。わたしにはそれがどうしようもなく可愛く映った。
わたしはまだ小さい、子供の身分だ。小学校高学年でおこづかいが上がったとはいえ、一万円以上するブランドのきれいなワンピースを買うには何ヶ月も先になる。安いものをとりあえず買うか? いや、可愛くない。年の離れたお姉ちゃんが同じブランドの服を持っているのをすぐ近くで見ているわたしにとっては、憧れのブランドだ。わたしもあのブランドのワンピースが欲しい。
わたしの持っている服は、どれも可愛くない。憧れの服に比べてしまうと、どれもときめかない。
そんなこともあって、黒のワンピースを早く手に入れるためなら、とわたしはできる限り頑張った。
食器の配膳や後片付け、食器洗いの手伝いをした。わたしは布巾で濡れたお皿を拭いていた。
そんな風に頑張っていると、お風呂掃除も任されることとなった。
手伝いをすると、お駄賃が貰える。
お手伝いに精を出す日々が、しばらく続いた。
そんな時、わたしがお駄賃目当てで洗濯物を干す手伝いをしていると、お父さんから提案があった。
「お手伝いもいいが、勉強も大事だぞ。今度の算数のテストの出来が良かったら、千円をやろう」
お父さんの願ってもない提案に、わたしは張り切った。苦手な算数でも、黒のワンピースのためならと、わたしは頑張った。
結果は、30点アップした。もともと大の苦手な算数であったが、クラスのお友達が勉強を見てくれた。お礼に焼き菓子を焼いてご馳走してあげたら、大層喜ばれた。
それからというもの、わたしはガリ勉と化した。
クラスメイトも協力してくれた。
頑張りが認められて、塾にも通わせてもらうことになった。
その結果、勉強は苦手だったが、テストの点はクラスで三番目にまで良くなった。
この結果に家族みんなから褒められた。お姉ちゃんからは「鼻が高い」と言われた。わたしの鼻は普通ぐらいだと思っていたが、調べたら褒め言葉らしい。
わたしには詳しく調べる癖があって、「鼻が高い」は誤用とか誤用じゃないとか出てきて、よくわからなかった。でもどこか、お姉ちゃんらしいな、と思った。
テストの成績は上がり、コツコツ続けた甲斐あって、なんとかお金も貯まった。貯金箱を開けて数えてみると、ちゃんとワンピースの値段に届いていて、とても嬉しかった。
子供が大金なんて、と言われたこともあったが、新しいゲームが欲しいので自分で貯めたいと言い、誤魔化した。それもそうだ。高いブランドのワンピースが欲しいなんて言ったら反対されるに決まっているからだ。
いざ目的のブランド店へ! と足を運んだ。しかし、わたしは恥ずかしがり屋の気質があるらしくなかなかお店に入れなかった。
ドアを開ける勇気が出ない。
キラキラした憧れの服とは反対に、ガラスのショーウィンドウに映る地味な自分の姿になんだか泣きそうになった。
黒いワンピースの世界は、ガラスの向こう側にあった。映った自分は、そこに入る資格がないみたいで、胸がぎゅっとした。
店員さんが「なんだろう?」とこっちを見た気がする。わたしは目を合わせられない。
もし誰かに会ったらどうしよう。
もしお母さんに見つかったらなんて誤魔化そう。
不安がモヤモヤと膨らんだ。
しばらくお店の前をウロウロしていたら、五往復ぐらいした時に見慣れた顔に捕まった。お姉ちゃんだ。
同じ街、同じ遊び場、そして好きなブランドも同じなのだから、お店の前で見つかるのも当たり前だと後で思った。
「あれ……? カオルじゃん。どうしたの?」
カオルというのは、わたしの名前だ。わたしはこの名前を気に入っている。
「なんて顔してんの。お昼は? まだ? そりゃ元気出ないわ。ハンバーガーでいい?」
泣きはらした顔をしながら、わたしはお姉ちゃんの後をついていった。
「いいから食べなよ。ハッピーセット安いし。アタシの奢り。んで、どうしたの?」
「実は……」
わたしは人に聞かれるのが恥ずかしくて、お姉ちゃんに耳打ちした。ううん、それだけじゃない。
「なるほど……いきなり高いブランドのワンピースを買ったなんて言ったら、お母さんビックリしちゃうからね」
お姉ちゃんはしばらく悩んだかと思ったら、決心した様子で、わたしに言った。
「……よし! 買い物にアタシも付き添ってあげる! 買ったワンピもアタシのクローゼットにしまっときなよ。なあに、お姉ちゃんに全部任せなさい!」
「え……、どうしてそこまで。だってわたし……。じゃなくて……」
じゃなくて、の続きは言えなかった。言ったら、自分が地味な存在であると認めてしまう気がしたからだ。
わたしが言いよどんでいると、お姉ちゃんは言った。
「いいのいいの! 欲しいものは手に入れなきゃ。カオルが頑張ってお金貯めたものをカオルが好きに使わなくてどうするの?」
「ありがとう! お姉ちゃん大好き」
二人で一緒にドアを開いた。
お姉ちゃんと一緒だとわたしは誇らしい気持ちになった。さっきまで怖かった店員さんは、案外優しかった。
お姉ちゃんと同じブランドの一番小さいサイズ。お姉ちゃんとお揃いの服を初めて着られたことも、なんだか嬉しかった。
ワンピースの裾がふわりと舞った。
嬉しそうに買ったばかりの黒いワンピースを着た「わたし」を見て、お姉ちゃんは言った。
実は、わたしにはお母さんにおねだりして買ってもらえない理由があった。値段のせいだけじゃない、本当の、一番の理由。
「そのまま着て帰るの……? 本当に良いの? だってあなた、男の子でしょ?」
今思うと、あの問いはわたしが傷つかないための配慮でもあり、お母さんをビックリさせないための言葉でもあったと思う。
お姉ちゃんも言いにくかったと思う。でも、わたしは少し悲しかった。
いつもの服に戻った後に、お姉ちゃんはまたわたしをハンバーガー店に連れて行った。
帰りに買ってもらったストロベリーシェイクは、お姉ちゃんなりのごめんねの味がした。
ごめんねの返事に、焼き菓子を焼いてあげよう、と思った。




