第1話: 乙女は燃える - Otome burns.
初めまして!
Gato pretoと申します。
初のラブコメ作品で前々からこのジャンルを書きたかったので嬉しいです。
楽しんでいただけると嬉しいです!!
突然ですが、皆さんは恋をしたこと……ありますか?
ーーピンク色の淡く可愛らしい恋。
そんな恋もあれば、焦がれるように熱い恋なんてのもあります。
私はそういった恋には一生無縁かと思っていました。
そう……
ーーあの時までは……。
私は焔川里香、23歳。
いきなりだが、生まれてこのかた、恋愛に関して23年間「未経験」という、プロの独身だ。
控えめで人見知りな性格が災いして、昔から男子と話をしようとすると緊張で変顔をしてしまうほどだった。
15歳の高校生時代、「自分を変えたい!」と一念発起。メイクを猛勉強し、自分なりに綺麗になって「高校デビュー」を飾った……はずだった。
が……
……結果は失敗。
間違えて女子校に入学。
なぜか演劇部で王子様役を演じるハメになり、男子ではなく女子にモテまくって青春が終わった。
それからは恋と呼べる経験もないまま上京し、今は就職先である出版社の少女漫画誌編集部で働いている。
「はぁ……何でこんなことに」
私は修正中の現在担当している原稿を読んでいた。
『第23話:雨も弾く良いマッチョ』
ーーそれは、土砂降りの日の放課後。
主人公:「あれ、どうしたの田中さん?」
山田:「あ、実は傘を忘れてしまって...」
傘を忘れた主人公の前に、学校一のマッチョである山田くんが現れる。
山田:「そうなのかい? それなら...」
山田くんは自身の肉体を誇示するように制服を破り捨てた。その肉体は太陽の光にも負けない、光沢のある筋肉だった。
山田:「…ちょうどいい、僕の広背筋の下に入りなよ。…あぁ、心配は無用さ。さっきオイルを塗ったばかりだから、雨粒なんてすべて弾き飛ばす。君の髪一本、濡らせやしないさ! ハハッ!!」
主人公:「あ…ありがとう、マッチョ君…じゃなくて山田くん。あなたの背中、傘よりも広くて…あったかい…っ(キュン!!)」
目の前のページには、主人公が恋するマッチョ男子との相合傘(?)での下校シーンが描かれていた。
(いつか、私にもカッコいい王子様が現れるのだろうか……)
とため息とともにその原稿を閉じる。
すると...
「おい」
と背後から冷徹な声が響いた。
その声に体が瞬時に凍りつき、「振り向くな!」と拒否反応を起こしていた。
だが、それを無視することはできないので、私はゆっくりと振り向いた。
「焔川。お前また妄想にふけってんじゃねぇよ」
そこには今にも噛み付きそうな虎の形相の男性が立っていた。
「げ」
「げ、じゃねぇよ。昼の資料できてんのか?」
「こ、小鳥遊さんに頼まれた資料ならここに」
厚めのファイルを手渡すと、彼はすぐさま手に取り、鬼をも喰らう虎の形相で確認し始めた。
体中の冷や汗が滝のように出るのを感じ、私は作り笑いを彼に向けていた。
ーー数秒が数時間に感じた…。
「…分かった。これで行こう」
それだけ言うと、私の顔芸…じゃなかった、顔も見ずにそのままファイルを持っていってしまった。
(何なのよ...お礼くらい言いなさいよ!)
この人は……私の上司、小鳥遊 虎鷹。
口は悪い。
性格も悪い。
顔は……まぁ、悔しいけれどカッコいい。
社内では「氷の男」と恐れられている。
部署内外でも有名な傲慢編集者でありながら、数々の有名な少女漫画を世に出しており、アニメ化も実写化も数知れず……。
最近、超人気の少女漫画「君の上腕二頭筋に恋してる」も彼の担当であり、私はその編集アシスタントである。
……。
あれ、名作をご存じない?
面白いから後で調べてみて。
......................
「もう、こんな時間か」
時計の針が12時を回った頃、私は(もう、そろそろかな)と考えていた。
ーーその瞬間。
「きゃぁあああああ!!!」
社内にいた女性社員たちの黄色い悲鳴が響き渡った。
その視線の先にいるのは、編集部の副部長である東藤結城さんだ。
彼はまさに、少女漫画に登場するイケメンキャラが現実に飛び出してきたような人間だ。
立てば美形、座れば神絵。歩く姿は表紙一面。
彼がただ資料を持って廊下を歩くだけで、周囲の女性社員(時には男性社員までも)が彼のオーラに吸い寄せられていく。
(いつ見ても凄いな)
漫画でしか見ないような光景を遠くから見ていると、ふいに私と東藤さんの目が合い、彼は何故か笑顔で私の元へと近づいてきた。
(な、何々?)
と動揺する私は自身の指を鳴らし、「時を止める能力」を発動し、窓から飛んで逃げた...
...かったのだが、当たり前にそんな力はあるわけないので内心バクバクで必死に平静を装った。
「焔川さん、お疲れ様」
「東藤さんもお疲れ様でぃす」
あ、やべ噛んだ。
東藤さんは不意に私のデスクに手をつき、微笑みかける。至近距離で見る彼の顔は、毛穴一つ見当たらない陶器のような美しさだ。
「このの資料、部長がすごく褒めてたよ」
彼が手に持っていたのは、朝に小鳥遊部長に渡したファイルだった。
「あ、ありがとうございます……東藤さん」
「そんなに怖い顔して緊張しなくていいのに...ほら、コーヒーの差し入れだよ」
ーーこれでも精一杯のヒロインスマイルのつもりだったのだが、井戸からでも出てきたような表情なのだろう。
東藤結城。
ーー彼は本当に完璧だ。
仕事も速ければ、気配りも神がかっていて、おまけに嫌味が全くない。
私のような「緊張すると変顔になる女」にも、分け隔てなく爽やかな聖なる光を振りまいてくれる。
私はその光を、ささやかながら心の中で五体投地で拝んだ。
「部長は言葉が足りないからね。でも、中身は案外…」
そう言って、少し考えると白い歯を見せて笑った。
「ふふ、繊細で面白い人なんだ。今度、ゆっくり話せるといいね」
「ははは。そうですね」
(そんな日が来ませんように)
と心の中で五体投地で拝んだ。
そう言って彼は、長い指でトントンと私のデスクを叩き、優雅に去っていった。その背中を見送りながら、
ーー私は思う。
彼こそが、この編集部の「王子様」なのだと。
.....................
その夜、私は行きつけの居酒屋「赤提灯」で、高校からの友人である湯川ミナと世間話を肴に飲んでいた。
「まーた、先輩の愚痴?」
「だって、あの氷男。いつも無愛想だし、口悪いしさ~」
彼女は高校からの友人である、湯川ミナ。
今はファッション企業に勤めている。
「そんなことより、恋愛話の1つや2つないの?」
「いや……仕事忙しいし……そういうミナはどうなのよ」
私は話題を避けるように質問した。
「え~~私は……」
そう言うと、ミナはゆっくりと机の下に隠れていた左手を露にした。
「え」
私は箸で取った唐揚げを落としてしまった。
(あ、お皿の上にね)
「んふふふ♥️」
「え!!?」
「んふふ♥️」
「えぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇ!!!!????」
「ちょっ、うるさいうるさい」
居酒屋の雑音が数秒、私の声でかき消された。
周りの視線が私に集中する。
「す、すみません」
周りに謝っていると、知っている顔が私の背後に座っていた。
「と、東藤さん!?」
「あれ、焔川さん?」
「それに……げ」
「げ、じゃねぇよ」
そこにはこの世の均衡を崩しかねないほど対照的な二人の男が座っていた。
「ちっ、やっぱりお前か」
「やぁ、また会ったね焔川さん」
厳しい表情でビールを煽る「氷の男」小鳥遊部長と、その隣で涼しい顔をしてハイボールを嗜む東藤さんだ。
(というか、こんなに近くに居て気付かなかったのか、私)
「あ、もしかして里香の会社の方ですか? 良かったら、一緒に飲みません?」
婚約中の友人がイケメン二人を軟派していた。
(何言ってんだ、この女)
「あ? 何言ってんだ、この女」
いや、それは私のセリフだから! と思いながら、部長はいつにもまして険悪な表情を...
...なぜか私に向けていた!
「いやいやいや、お二人に迷惑でしょ……」
「でも、里香の会社での仕事振りも聞きたいし……」
お願いだから!
二日酔いの後に!
怒られるのは!
私だから!!!!!
と心の中で強く願った。
「あ、ちょっ……!」
ミナを止めようと勢いよく振り返った、その瞬間。
私の腕が真後ろにいた東藤さんに激突。
彼が持っていたハイボールが綺麗に宙を舞い、あろうことかその前に座っていた小鳥遊部長の顔面に液体がかかってしまった。
(あっ、やっべえぇ……)
濡れた前髪の隙間から覗く黒い瞳は、まさに「氷の男」。彼の背後には吹雪が見えるようだった。
見事なシンクロニシティの状況に小鳥遊部長は表情一つ変えず、濡れた顔で私を睨んだ。
「すすす、すみません!!! 大張夫ですか!?」
「……大丈夫に見えるのか?」
小鳥遊部長の声は、低く、冷たく、居酒屋の喧騒をナイフで切り裂くように響いた。
「は、はい! じゃなかった!見えません!!」
恐怖のあまり、私の口角は変な方向に引きつり、鼻の穴は膨らみ、目はあらぬ方向を向く。23歳の女子として終わっているレベルの「ひょっとこ変顔」だ。
私はパニックになりながら、自身のカバンからハンカチを取り出し、部長の元へと駆け寄った。
「すすすぐに拭きますね!!!」
「いや、いい……って、おいっ!!」
私の指先が、部長が椅子に置いていたカバンの金具に引っかかり、カバンの中身が床に散乱した。
その衝撃で、奥に隠されていた「それ」が飛び出し、床に転げ落ちた。
「ポヨン」
と、かわいらしい効果音と共に「それ」は近くで飲んでいた客の席にコロコロと転がっていった。
それは手のひらサイズの、ピンク色をしたふわふわのウサギのキーホルダー。つぶらな瞳に、首元にはパステルカラーのリボン。
「…………」
「…………」
沈黙が居酒屋の一角を支配した。
冷酷非道、悪顔形相、少女漫画界の鬼と恐れられる小鳥遊部長の顔が、一瞬で真っ青になった。
「なぁんだぁあ? これはぁあ……?」
そこに、追い打ちをかけるような声が響いた。
隣のテーブルで飲んでいたのはガラの悪いヤンキーみたいな若い酔っ払いたちだ。
その内の一人はウサギのキーホルダーを拾い上げてジロジロ見つめると、ニヤリと部長を見て笑った。
「ヒャハハハ! まじかよ? あのインテリ兄ちゃん、『烈火!うさぴょん』のキーホルダーなんて持ってやんの!」
「キモっ! いい年してピンクのウサギとか、どんな趣味してんだよ。少女漫画の読みすぎじゃねぇのかぁ?」
ゲラゲラという下品な笑い声。
その瞬間、私の中で「何か」の沸点を超えた。
ーー怒り?
分からないが、私は無性に腹が立っていた。
まぁ、元はと言えば私のせいだが……。
「……あんた達、あのね!!」
ヤンキーに言い返そうとする私の肩を、東藤さんは自身の手を置いて制し、小声で言った。
「僕に任せて」
と小声で私にウインクすると、くそムカつく酔っぱらい野郎共の席まで行った。
「あはは、皆さん、そんなに笑わないであげてください」
凍りついた空気を切り裂いたのは、東藤さんの透き通るような声だった。
「それ、彼の4歳になる娘さんが、『パパ、お仕事頑張って!』ってプレゼントしてくれたものなんですよ」
「…は?」
部長が目を見開く。
東藤さんは続けて、
「部長、いつも言ってるじゃないですか。このうさぴょんが、僕の一番の宝物なんだーって。だからいつも仕事頑張れるんだーって…ね?」
その瞬間、私の頭の中は真っ白になった。
(えっ……娘さん……!? 4歳……!?)
ショックだった。独身だと思っていた部長に、そんなに大きな子供がいるなんて。
けれど、それ以上に…。
(あの冷徹な部長が…4歳の娘からもらったピンクのうさぎを、あんなに大切そうに持ち歩いて…馬鹿にされて、あんなに顔を赤くし震えてる…)
か、可愛い。
私は不覚にもそう思ってしまった。
ドクン…。
その時、私の心臓が激しく脈打つのを感じた。
仕事中はあんなに厳しい氷の男が、家では娘にデレデレのパパ。その証拠をカバンの奥に忍ばせて毎日頑張っているのだ。
(……何その設定。最高すぎて、神回じゃないですか!)
「……4歳の、娘さん……」
その時、近くにいた他の席の一人のサラリーマンが、ビールジョッキを持つ手を止めて呟いた。
「4歳かぁ……うちの娘も、あの頃は『パパと結婚する』って言ってくれたっけなぁ……」
すると、他のおじさんサラリーマンも、
「4歳児がくれたピンクのうさぎ……。それを大切に持ち歩いてるなんて……兄ちゃん! あんた、最高の親父だよ!!」
「おーい、店員さん! この兄ちゃんに一番いい酒持ってきてくれ! 俺が奢る!」
いつの間にかその場は温かい空気に包まれていた。
「ということなので、そのキーホルダー返して貰えませんかね?」
「...ちっ! 分かったよ!」
「…あと、バカにして悪かったな...」
そう言うとヤンキーは、うさぴょんのキーホルダーを返した。
そして、その場にいたおじさんたちの目が、温かい目で部長に拍手を送り始めた。なぜかヤンキーたちも拍手している。
「…あ、ああ。…ありがとう」
未だに状況を理解しきれていない部長は、困惑した顔で礼をしていた。
...................
「じゃあね里香、また明日! 結婚式、絶対来てよね!」
「もちろん! また飲もうね」
ミナが上機嫌でタクシーに乗り込み、居酒屋前には私と部長、そして東藤さんの三人が残された。
「東藤さん。今日は本当にありがとうございました!」
私は深々とお辞儀すると、東藤さんは少し困った様子で、
「そんな! 僕は特に何もしてないよ! あのヤンキーたちも悪い子たちじゃなかったし」
(何て良い人なんだ……!!)
と私は再度、彼を拝んだ。
「僕はこっちだから」
「はい! 今日はありがとうございました!」
「あと、女性一人で夜道は危ないから、部長に送ってもらって」
「はい!……え?」
そして、残されたのは私と、ついさっき顔にハイボールを被ったばかりの「氷の男」。
「行くぞ」
「わ、分かりました」
...数分歩くと街灯がポツンと照らす暗い道へと歩いていた。
...沈黙、沈黙、ただ沈黙。
...気まずい沈黙の中、私は地面を見つめたまま蚊の鳴くような声で呟いた。
「あの…部長。さっきは本当にすみませんでした。スーツのクリーニング代は出しますので…」
すると、それまで無口だった部長が口を開いた。
「…いい。それより」
部長が不意に、私の至近距離まで歩み寄ってきた。
「部長?」
顔を上げると、街灯の逆光で部長の表情が陰になって見える。だが、少しだけ視線を逸らした彼の耳の先端が、ほんのりと赤くなっているのが分かった。
「…あの『烈火、うさぴょん』。お前、誰にも言うなよ…言ったら、明日…」
「明日…何ですか?」
「…それは明日考えるわ」
「何ですかそれ、部長!」
ーーその時、部長は笑った。
初めて見る笑顔だった。
一瞬だけ私に向けた、悪戯っぽくて…そして純粋な笑顔だ。
氷が溶けるような、不器用で温かい微笑み。
ーードクン。
心臓が跳ねた。
それは今まで感じたことのない、体の芯から熱が沸き上がるような感覚だった。
「ぶ……部長、すみません。ここから家が近いので大丈夫です」
「ん? そうか……じゃあまた明日な」
部長はいつも通りの冷たい表情の仮面を身に纏い、それだけ言うと、すぐさま夜の影に消えていった。
本当は近いなんて嘘だ。
部長と別れ、一人きりになった帰り道。
(部長……あんな顔して笑うんだ!……あんなに可愛いの、反則です……っ!)
こんな感情は初めてだ。
(これが……恋をすることなの?)
でも妻子がいると知ってしまった手前、好きになる前に距離を置かないと……。
だけど、脳内で「笑顔の部長」と「うさぴょん」が無限ループされ、私の体温はぐんぐんと上昇していく。
ドクン、ドクンと音を立てていた心臓が身体中を駆け巡り、まるで沸騰しているやかんのような感覚だ。
「あれ~、お嬢ちゃん一人…?」
知らない声に後ろを振り返ると知らん酔っぱらいおじさんがいた。
(うわ、 関わらないでおこう...)
私は足を早歩きに設定して、逃げるようにその場を離れた。
そして、ドキドキ(断じてこのおじさんにではない!)する気持ちを押さえつつ街灯の少ない夜道を歩くと、
「ちょっと~無視すんなよ~」
と、かなり数メートルあったはずの距離なのに、いつの間にかおじさんの手が私の肩に乗っかっていた。
(まさか時を止める能力者か!?)
と思っていたが、ただ単に自分がノロい事を思い出した。
あと、なんかおじさんの手は少し湿っているというかヌメっていて、申し訳ないが、ゴキ●リが許可無しで肩に乗っかるあの悪寒を感じた。
ごめんよ、ゴキブリ。
「やめてください」
その手を振りほどくように、私はおじさんの手を離そうとした。
すると腕を引っ張られ、手を…手をいきなり触られた。
「あ~、若い女の子は手ぇスベスベだねぇ…グヘヘ」
...この変態ジジイは、女だということを良いことに私の手をベタベタ触ってきた。
「…だろ…」
「何、お嬢ちゃぁん? もしかして…他にも触って欲しい所あるのかなぁ??」
「止めろって…」
私の心臓が激しく揺れた。
「言ってんだろうがぁぁぁぁぁああああ!!」
私の叫びが夜の静寂を切り裂いた瞬間、ドクン、と心臓がひときわ大きく跳ね上がった。
ーー熱い。
身体の奥底、心臓のあたりでパチパチと弾けるように爆発したような感覚。
私の手をベタベタと触っていたおじさんの指先が、突然、パチパチと火花を散らし始めた。
「あだっ!? な、なんだ、静電気か!?」
おじさんは驚いて手を引っ込めた。
私の怒りとパニックに呼応するように、体温が物理的な限界を超えて上昇していく。
ボッ!!!!!
凄まじい音と共に、私の頭のテッペンから足の付け根まで紅蓮の炎が噴き出した。
「ぎゃああああああ!? 燃えてる! お嬢ちゃん、燃えてるぞおお!!?」
おじさんは腰を抜かし、尻もちをつきながら後ずさる。炎に包まれた私の姿は、夜道で煌々と輝く人間松明そのものだった。
(な、なにこれ…!? 夢!? 私、死ぬの!? 燃えてる、私自身が燃えてるーーー!!)
自分の体から火が出ているという異常事態に、パニックがパニックを呼ぶ。
私にも何が起きているのか全く理解できない。
ただ、脳裏にはさっきの部長の笑顔がフラッシュバックし、そのたびに火力が勢いを増していく。
「化け物だ! 誰かぁ!!」
腰が抜けたおじさんの悲鳴を背に、私は本能的に走り出した。
火だるまのまま夜の住宅街を疾走する。
足が地面を蹴るたびに火の粉が夜空へ舞い上がり、あまりの熱さに涙が出てくる。
(嫌だ、誰にも見られたくない! 恥ずかしい! 怖い ぃぃぃ!!)
「熱い、熱い熱い!!」と叫びながら、私は火だるまとなって自分のアパートへと滑り込んだ。
階段を一気に駆け上がり、震える手で鍵を開け、玄関に転がり込む。
そのまま浴室へ直行し、服も脱がずにシャワーの蛇口を限界までひねった。
ジュウウウウウウウ……ッ!!!!!
激しい水蒸気が狭い浴室内に充満し、視界が真っ白に染まる。
冷水が私の体を叩くたび、立ち上る煙と共にようやく「炎」が鎮まっていった。
「はぁ、はぁ……っ、なんなの……これ……」
冷たい水に打たれながら、私は鏡に映る自分を恐る恐る見上げた。ブラウスの背中は無残に焼け焦げ、肌が露出している。
そう、綺麗なまでのすっぽんぽんだ。
けれど、不思議なことにあんなに熱かったのに、火傷ひとつ負っていない。どころか、内側から発光しているかのように、肌も髪も異様なほどツヤツヤと輝いていた。
「……病気? それとも、私、人間じゃなくなったの……?」
よく、燃えるような恋がしたいとは思っていたが、まさか物理的に燃えるなんて思いもよらないじゃないか!
ただ一つ分かっているのは、妻子持ちの部長を思い出すたびに、また体がジリジリと熱を帯び始めるということだけ。
ーー私は、何かヤバい変態にでも成り上がったのだろうか。
「……明日、どんな顔して出社すればいいのよ……」
シャワーの音にかき消されるように、私は浴室で一人、最高に情けない変顔のまま、立ち尽くすことしかできなかった。




