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「黄色いゴミ箱を持って消えろ」と追放した王国が、一年後に俺を呼び戻すまでの話  作者: 藍愛某


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2/2

黄金の粒子と、断たれた白身

 琥珀色の味付け卵に魂を奪われた翌朝。元聖女エルナは、寝起きのままシュウの焚き火の前でそわそわと落ち着かない様子を見せていた。


「シュウ様、おはようございます。……あの、今朝の卵は、どのような魔法を? 昨晩の琥珀色の奇跡を思い出すだけで、私、生ツバが止まらなくて……」


 かつて清廉潔白の象徴だった聖女の姿は、そこにはない。彼女の瞳は、未知の快楽を求める探求者のような熱を帯びていた。


「おはようございます、エルナさん。今朝は魔法も、一晩の放置も必要ありません。これを使います」


 シュウが鞄から取り出したのは、白い道具だった。それは細い棒の先に、波打つような曲線を描く不思議な「穴の開いたリング」が備わった、一見すると用途不明の奇妙な形をしていた。


「……それは、なんですの? 昨日の『四つの穴が空いた容器』に比べれば、あまりにも頼りない……その、失礼ながら、ただの細工棒に見えますけれど」


「エルナさん。これは【たまご溶き名人】です。道具の価値は見た目ではなく、どれだけ『目的』に対して純粋であるかで決まります。この奇妙なリングのカーブには、王宮の魔導師たちが一生をかけても辿り着けない、緻密な計算が宿っているのです」


 シュウは、炊きたての白米を器に盛り、もう一つの別の器に新鮮な生卵を落とした。エルナの表情が、わずかに、しかし明確に曇った。


「あの……シュウ様。わたくし、生卵の、あの『ドロリ』とした白身の塊が、どうしても苦手でして。不敬な物言いかもしれませんが、飲み込む時に喉にズルリと障るあの感触が、どうにも食欲を削いでしまうのです。王宮の晩餐会でも、生卵だけは避けて通って参りましたわ」


「分かります。あの不快感の正体は、白身を構成する強固な結合組織……いわば白身の『コシ』です。普通の箸でどれだけかき混ぜても、奴らは巧みに逃げ回り、決して消えることはありません。だからこそ、この道具の出番なんです。見ていてください」


 シュウは迷いなく、器の中で白いリングを動かし始めた。

 普通の箸ではない。リングの絶妙なカーブが器の底に密着し、逃げ場をなくす。そしてリングの内側に設けられたエッジが、白身の強力な結合――カラザや濃厚卵白と呼ばれる強固なタンパク質の鎖を、すれ違いざまに物理的に断ち切っていくのだ。


 シュウの腕が描く規則的な運動に合わせて、白身の不透明な塊が、黄身の鮮やかな色彩の中にみるみる溶け込んでいった。


「……えっ!? 白身の塊が……逃げる隙もなく、穴を通り抜けるたびに断ち切られて……一つの滑らかな液体に……?」


「わずか十秒。……この食べ方、この国にはないんですよ。生卵をご飯にかけて食べるという発想が、そもそも存在しない」


 器の中には、ムラ一つない、完璧に均一な黄金の流体が出現していた。シュウはその黄金の液体を、湯気の立ち上る白米の上へと、滝のように注いだ。箸で軽く混ぜ合わせると、米一粒一粒が卵の膜で均一にコーティングされ、器の中が朝日を浴びた金粉のように眩い輝きを放った。


 そこに醤油をひと回し。


「さあ、食べてみてください。究極のTKG……卵かけご飯です」


 エルナは半信半疑のまま、黄金に輝く米を掬い上げ、口に運んだ。


「…………っっっ!!!!」


 彼女の華奢な肩が、落雷に打たれたかのように激しく震えた。


「な、なんなんですの、この『滑らかさ』は……! 喉に引っかかるあの忌々しい不快感が、欠片もありませんわ! まるで、卵の旨味を凝縮した最高級のシルクを飲み込んでいるようですわ……っ! お米が、卵という名の慈愛に満ちた海に溶けて、噛まなくても喉を滑り落ちていきます……!」


 エルナは、もはや淑女の礼儀も、聖女の誇りも全てかなぐり捨て、無我夢中で器を掻き込んだ。シュウも自分の分を口にする。


「…………くっ!? 知識では『物理的に結合を断つ』ことが味を均一にすると分かっていたが……これほどか。白身の余分な雑味が消えて、黄身のコクがダイレクトに脳に突き刺さる……っ!」


 生卵をご飯にかけて食べる。それだけのことだ。だがこの国には、その発想がない。卵は焼くか茹でるか、魔力で加熱するか。生のまま口に入れるなど、王宮の料理長が聞けば眉をひそめるだろう。……だからこそ、誰も気づいていない。白身を完全に均一にした生卵が、米と合わさった時に何が起きるかを。


「シュウ様……おかわり……おかわりをくださいませんか?! この黄金の喉越しを知ってしまったら、私、もう昨日までの自分には戻れませんわ! 明日も、明後日も、私の喉をこの白いリングで導いてください……っ!」


 エルナの瞳は潤み、頬は高揚で赤く染まっていた。それは祈りを捧げる聖女の顔ではなく、完全に卵の機能美に屈服した者の顔だった。


 その反応を見ながらフッと笑みを浮かべ、静かに、そして確信を込めてつぶやいた。


(……この世界の住人には、これが銅貨十枚――100円で買えるものだとは、想像もつかないだろうな)


「この国はまだ知らない。100円の本当の価値を」

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