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追放された聖女、辺境でスローライフを始めたら寝不足になりました

作者: 星渡リン
掲載日:2026/01/28

 追放を言い渡された瞬間、泣くと思っていた。


 でも私の口から出たのは、なぜか笑いだった。


「……やっと、眠れますね」


 王宮の白い廊下で、そんなことを言った聖女は、たぶん私だけだと思う。


 目の前の男は書類から顔を上げて、目を瞬いた。

 私はそれ以上、何も言わずに踵を返した。


 白い壁。白い床。白い天井。

 誰かの靴音。誰かのため息。

 全部が遠い。


 外へ出ると、空はやけに青かった。腹が立つほど普通で、泣きたくなるほど綺麗だった。


 私は目を細める。


「……じゃあね、王都。私は寝るから」


 誰に向けた言葉でもない。

 でも、これだけは言っておきたかった。



 辺境の村は、王都より空が近い。

 雲が動くのも、風の匂いも、よく分かる。


 村外れ、森の手前。

 小さな木の家がぽつんと立っていた。空き家らしい。屋根はまだ丈夫で、窓も割れていない。運がいい。


「ここが……私の新しい家」


 荷物を置く。

 古いベッド、机と椅子。歪んだ鍋。

 生活に必要なものだけが、最低限そろっている。


 私は胸の前で手を握った。


「よし。スローライフ開始」


 目標は、ひとつ。


 ちゃんと寝る。


 王都での私は、夜が終わる前に朝を迎えていた。

 回復魔法の依頼。治療。祈り。報告。式典。

 寝る時間はいつも「残ったら」で、残ったことはない。


 だから決めた。

 ここでは睡眠優先。何よりも優先。世界より優先。


 まずは生活を整える。


 井戸水で顔を洗う。冷たい。気持ちいい。

 薪を割る。うまく割れない。笑ってしまう。

 鍋に水を入れて、お粥を炊く。火加減を見ながら、ぼーっとする。


 湯気が立った。


 その湯気だけで、胸の奥がじんとした。

 当たり前って、こんなに温かかったっけ。


「今日は……早寝する」


 私は自分に言い聞かせるように、何度も口にした。

 これは誓い。祈り。睡眠の祈り。



 夜。


 辺境は本当に静かだった。

 虫の声と風の音だけがある。


 私は布団に入った瞬間、肩の力が抜けた。


 ああ、これだ。

 これが欲しかった。


 瞼が重くなる。

 眠りが落ちてくる。


 ――そのとき。


 コン、コン。


 戸を叩く音。


 私は一度、聞こえなかったふりをした。

 人間はそういう防御ができる。できるはず。


 コン、コン、コン。


 音が増えた。遠慮をやめた。


「……」


 私は布団の中で拳を握る。

 お願いだから、今夜だけは。

 今夜だけは、村の誰か、代わりに……


 コン、コン、コン、コン。


 無理だった。


 私は起き上がり、外套を羽織って戸を開けた。


 そこにいたのは、村のおばちゃん。顔が真剣すぎる。


「リーネちゃん! 薬草煮たんだけど、苦すぎて飲めん!」


「……今ですか?」


「今じゃないと怖くて寝れん!」


 私は夜空を見上げた。

 星がきれいだ。

 星は私の睡眠を守ってくれない。


「……分かりました。少しだけ」


 おばちゃんは勝った顔で鍋を差し出した。


 私は台所で火を起こし、蜂蜜を少し。

 苦みを抑えるために、生姜もほんの少し。


「これでどうですか」


「おお……うまい! これなら飲める!」


 おばちゃんは鍋を抱えて帰っていった。


 戸を閉め、布団に戻る。


 よし。今度こそ。


 ――と思った。


 コン、コン。


「……」


 次は誰。


 戸の向こうにいたのは、鼻水を垂らした少年だった。


「ねえ、姉ちゃん。猫が……子猫が庭にいる」


「猫?」


「寒そうで……」


 私は目を閉じた。

 寝る。私は寝る。

 でも寒そうな子猫は、たぶん寝ない。


「……分かった。見に行こう」


 庭の隅に、小さな塊が震えていた。

 手のひらに乗るくらいの子猫。目がまだ青い。


「……君、どうしてここに」


 私はそっと抱き上げた。

 温かい。軽い。命の重さがある。


 家に戻り、布を敷いて箱を寝床にする。

 子猫は丸くなって、すぐ眠った。


 私は箱を見つめた。


「……私も寝たい」


 それは、ほとんど泣き言だった。



 次の日の朝。


 目の下が重い。

 鏡を見たら、聖女というより夜勤の人みたいだった。


 でも村は優しかった。


「新しく来た人だろ? 野菜、余った分」


「薪足りてる? うちから少し持ってきた」


 優しさが日向みたいに当たってくる。

 私は笑顔で受け取った。


 嬉しい。ありがたい。

 ただ、ひとつだけ言わせてほしい。


 夜に来るのは、やめてほしい。


 その夜も私は布団に入った。


 ――そして、来た。


 コン、コン。


 戸の向こうにいたのは腰を押さえたおじいさん。


「すまん。腰を……やった……」


「……今ですか?」


「今じゃないと明日動けん」


 私は笑顔を作る。笑顔は台所だけじゃなく、人生でも武器だ。


「分かりました。座ってください」


 回復魔法は便利だ。

 手を当てて、温かい光を流すだけで痛みが和らぐ。


「助かった……」


「よかったです」


 見送って戸を閉め、布団に戻る。


 ――そして。


 コン、コン。


「……」


 次は若い母親だった。赤子を抱えている。


「ごめんなさい。赤ちゃんが熱っぽくて……」


 私は息を吸う。

 寝不足の奥で、聖女の癖が動く。


「入って。見せてください」


 赤子の額に触れる。熱い。

 私は魔力を抑えながら、ゆっくり熱を下げた。


「……ありがとうございます」


「大丈夫。明日もう一度、様子を見ましょう」


 優しい声が出た。

 その声を出した瞬間、自分で分かった。


 私は結局、こうなる。

 困っている顔を見たら、放っておけない。


 眠りたいのに。

 眠りたいのに、手が動く。


 布団に戻った頃には、夜が半分終わっていた。


「……スローライフって、なんだっけ」


 天井に向かって呟く。


 返事はない。

 子猫だけが箱の中で気持ちよさそうに寝息を立てていた。



 三日目。

 私の目の下には、完全に居着いたものがあった。


 クマ。

 引っ越してきたのは私なのに、クマのほうが先に定住している。


 昼、村の子どもが私を見上げて言った。

 その子の名前はミナ。八歳くらいで、遠慮がない。


「ねえ、リーネさん」


「なに?」


「聖女さまって、寝ないの?」


 心にひびが入った。


「寝るよ。寝たい」


「じゃあなんで、いつも目が死んでるの?」


「……正直すぎるね」


 ミナはけろっと笑った。


「夜になると誰か来るじゃん。リーネさんの家、人気だよ」


 人気。

 ありがたい。

 でも私は睡眠人気投票で最下位だ。


 夕方、森の方からずしずし重い足音がした。


 村の見回り役の青年が現れた。肩に斧。

 ガルドという名前だ。ぶっきらぼうで、言葉が短い。


「……お前、顔色悪い」


 第一声がそれ。


「元気です」


「嘘だな」


「……元気、です」


 もう一度言ったけど、声が弱い。

 ガルドはため息をついた。


「スローライフって、もっと雑でいいんだぞ」


「雑にできたら苦労しないよ」


 私が言うと、彼は少しだけ眉を上げた。


「お前、優しすぎる。頼まれたら全部やる」


「だって困ってるんだもん」


「困ってない日を作れ」


「それ、どうやって?」


 ガルドは答えず、薪を置いた。


「夜、変なの出る。見回りついでに言いに来た」


「変なの?」


「牧場の子羊が眠れないって騒いでる。原因は夜霧のやつ」


「夜霧?」


「小さい。害は少ない。でも鳴き声がうるさい。子羊が怯えて眠れない」


 私は思わず言った。


「それは……困るね」


 ガルドが私を見る。


「寝るんじゃなかったのか」


「……寝たいけど、子羊も寝たい」


「お前は寝ろ」


「寝たいけど……!」


 私は外套を掴んだ。

 聖女の癖が勝つ。


 ガルドは頭を押さえた。


「ほらな」


 でも彼は見捨てなかった。斧を担ぎ直し、隣に立つ。


「行くなら俺も行く。倒れたら運ぶ」


「倒れないよ!」


「今の顔で言うな」


 私たちは夜の草原へ向かった。



 草原は暗い。

 月明かりは薄く、霧が地面に張りついている。


 遠くで子羊の鳴き声がする。怯えた声。眠れない声。


「いるな」


 ガルドが低く言った。


 霧の中に、ふわふわした影が揺れている。

 小さな丸い影が、泣いているみたいに鳴いていた。


 確かに、うるさい。

 耳の奥に残る声だ。


「追い払う?」


 私が聞くと、ガルドは首を振る。


「追い払っても戻る。寝かせた方が早い」


「……寝かせる」


 私は頷いた。

 今夜の目的は、戦うことじゃない。眠らせることだ。


 私は手を胸の前で組み、息を整える。

 王都で使っていたのは、痛みを消す魔法や、毒を抜く魔法。

 でも今夜は違う。


 私は静かな魔法を使いたかった。


「大丈夫。怖くないよ」


 霧の影に向けて言う。

 子羊に言っているのか、霧に言っているのか、分からない。


 私は両手を広げ、ゆっくり光を落とした。

 眩しい光じゃない。

 春の日向みたいな、薄い温かさ。


 霧の影の鳴き声が小さくなる。

 揺れがゆっくりになり、ふわりと地面に沈んだ。


 眠った。丸くなって。


「……すごいな」


 ガルドがぽつりと言う。


 私は息を吐く。


「王都では、こういう魔法は使わなかった。急いでばかりだったから」


 ガルドは斧を下ろしたまま、私を見る。


「追放されても、結局助けてる」


「だって……困ってる顔が、嫌いじゃない」


 言ってから少し恥ずかしくなった。

 でも嘘じゃない。


「王都では……必要とされ続けるのが、怖かったんだと思う」


 霧は静かで、遠くの村の灯りが小さい。


「私は聖女でいなきゃって、勝手に決めてて。

 休むのが下手で……眠るのも、罪みたいに感じてた」


 ガルドは短く言った。


「馬鹿だな」


「ひどい」


「でも、今は違うだろ」


 彼は霧の影を見た。


「助けたいなら助ければいい。

 ただ、寝ろ。倒れるまでやるな」


 私は笑ってしまった。


「寝るために来たのに、寝れてない」


「だから言った」


 ガルドの口元がほんの少し緩む。

 ぶっきらぼうなのに、ちゃんと優しい。


 牧場へ戻ると、子羊たちは眠っていた。

 夜が静かになる。


 ……これで帰って寝られる。


 私はそう思っていた。



 家に戻った瞬間だった。


 戸を閉め、外套を脱いで一歩進んで。


「……あ」


 足が止まる。

 糸がぷつんと切れたみたいに、膝が折れた。


 私は床に座り込んだ。


「……寝不足、積みすぎた」


 ガルドがすぐ寄ってきて肩を支える。


「ほらな。倒れた」


「倒れてない。座っただけ」


「座ったまま目が閉じそうだ」


 それは、そうだ。


「……家まで運ぶか?」


「ここ私の家……」


 私はぼんやり笑って、床に額をつけそうになった。


 そのまま朝になっていた。



 目が覚めたのは、戸が開く音だった。


「リーネさん! 生きてる!?」


 ミナの声。


 私は床から顔だけ上げた。


「生きてる……たぶん」


 ミナが目の下を覗き込む。


「目の下、魔王みたい」


「魔王様に謝って」


「魔王様に失礼なのはリーネさんだよ」


「もっとひどい」


 笑いながら、私はやっと立ち上がった。


 そこへ村の人たちが集まってくる。

 おばちゃんも、おじいさんも、母親も。みんな気まずそうだ。


「……悪かったな。夜に頼みすぎた」


「助けてもらうのが当たり前になってた」


「あなたが倒れるまでやらせるなんて……」


 私は慌てて手を振る。


「私が勝手にやっただけです。みんな悪くない」


 でもガルドが机の上に札を置いた。

 木の板に太い字。


『夜間受付終了

 緊急以外は朝』


 私は目を瞬いた。


「……ガルド?」


「お前の代わりに俺が窓口になる。夜は俺が聞く」


「でも」


「でもじゃない。寝ろ」


 短い。強い。反論を消す一言。


 村の人たちも頷いた。


「そうだね、夜は我慢する」


「緊急ならガルドに言う」


「朝に来るよ」


 私は言葉が出なかった。


 王都では、誰も私に「寝ろ」と言わなかった。

 言ってくれたとしても、お願いは止まらなかった。


 でもここでは、止めてくれる人がいる。


 胸が少し熱くなる。


「……ありがとう」


 おばちゃんが照れくさそうに咳払いする。


「礼はいらん。寝不足の聖女は怖い」


「それ、褒めてます?」


「脅威だ」


 ミナが笑う。


「聖女さま、寝ないと弱くなるんだね」


「弱くなるね」


 私は素直に言った。

 それが言えた自分に、一番驚いた。



 その夜。


 私は布団に入った。

 札が玄関にある。外は静か。


 コン、コン。


 ……聞こえない。


 正確に言えば、叩かれていない。


 叩かれていない夜が、こんなに安心できるなんて。


 私は息を吐いて目を閉じた。


 眠りが落ちてくる。

 あたたかい暗さが、やさしく降りてくる。


 明日も誰かを助ける。

 でも今日は眠る。


 私は久しぶりに、ちゃんと寝た。



 翌朝。


 朝日がカーテンの隙間から差し込んで、目が覚めた。

 身体が軽い。頭が澄んでいる。


「……生き返った」


 私は小さく呟いて台所へ向かった。


 机の上に湯気が立っていた。


 ミナが鍋をかき回している。

 ガルドが薪を割っている。

 玄関の札が堂々と立っている。


『夜間受付終了』


 私は笑った。


「スローライフって、こういうことかも」


 ミナが胸を張る。


「リーネさん、今日は寝たから顔が聖女っぽい!」


「聖女っぽいって、なに」


「優しそう!」


 鍋を覗く。お粥の匂い。火加減もいい。


「……上手。ミナ、天才」


「えへへ」


 その瞬間。


 コン、コン。


 玄関が叩かれた。


 私は固まる。

 条件反射で心臓が跳ねる。


 ガルドがすっと前へ出る。


「俺が出る」


 彼は札を指でトントン叩いてから、戸を開けた。


 外にいたのは村の男。申し訳なさそうに頭を下げる。


「すまん! 朝なんだが……昨日の夜に来るつもりだった!」


 ミナが吹き出し、私も口を押さえて笑った。


 ガルドが低い声で言う。


「夜に来るつもりだったなら、今は帰れ」


「いや、朝になっちまって……」


 私は笑いながら立ち上がる。


「朝なら、いいです」


 男がほっと息を吐いた。


「助かる……!」


 私は鍋の湯気を見て、少しだけ肩を落とす。

 でも嫌じゃなかった。


 今の私は眠れている。

 だから助けられる。


 私はエプロンをつけて言った。


「まず、手を洗ってくださいね。台所は清潔が基本です」


 男が慌てて頷く。

 ガルドが小さく笑う。


 ミナが得意げに言った。


「ほらね! 聖女っぽい!」


 私は湯気の向こうで笑った。


 追放された聖女のスローライフは、今日も忙しい。

 でも、ちゃんと眠れる日が増えていく。


 寝不足は、きっと減る。

 減らしていける。


 お粥の湯気は、やさしく上がっていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


この短編は、「スローライフ=暇」じゃなくて、むしろ“優しさの渋滞”かもしれないという発想から書きました。


リーネは「休みたい」「眠りたい」と思っているのに、

困っている人を見ると、つい手が動いてしまいます。

それは聖女の力というより、もう“癖”みたいなもの。


でも、癖って自分ひとりでは直せません。

だからこそガルドの「寝ろ」が効くし、村のみんなが止めてくれるのが救いになります。


読んでくださって本当にありがとうございました!

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