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序章:灰色の空とレコードの針

 

 窓の外に広がる冬の海は、鈍色の重りを引き摺るように、岸壁に砕けては消えていく。

 この漁村に引き取られて半年。私の世界からは、あらゆる色彩と音が剥離していた。

 祖母の営む喫茶店「潮騒」は、潮風に晒されて煤けた看板を掲げ、あるじを失

 くした静寂だけを店内に溜め込んでいる。

 私は、窓際の隅の席で、ただ灰色の水平線を眺めていた。

 手元の出席簿や健康保険証に記された、私の名前――「星輝愛きらあ」。

 父と母が、一番星のように輝き、誰からも愛されるようにと願いを込めた名。

 けれど、家族全員が死に絶え、私だけが生き残ってしまった今となっては、その響き

 は呪いのように私の鼓膜を突き刺す。

 星は消え、愛は失われた。

 事故の瞬間の、あの金属がひしゃげる凄絶な音を最後に、私の喉は閉ざされた。

 言葉を吐き出そうとすれば、肺の奥からせり上がる罪悪感が、鉄の楔となって言葉を

 押し戻すのだ。

 生き残ったことに、正当な理由などない。

 ただ、運命の気まぐれが、私一人をこの冷たい現実へと放り出しただけだった。



 店内に、古ぼけたスピーカーから、さだまさしの『檸檬』が流れ始めた。

 祖母が選ぶフォークソングは、どれも今の私の心に、鋭い痛みと共に染み渡る。


「……食べかけの檸檬、聖橋から放る……か」


 歌詞の中の情景が、かつて暮らした東京の御茶ノ水の風景と重なる。

 あの頃の私は、キラキラした名前を誇らしく思い、弟と笑い合いながら、陽だまりの

中を歩いていた。

 放られた檸檬が、白いしぶきを上げて砕け散る。

 その鮮やかな黄色は、今の私が決して触れることのできない、遠い日の残像だ。

 祖母は、カウンターの奥で黙って珈琲を淹れている。

 彼女は、私が喋らなくなったことを問い詰めない。

 ただ、この琥珀色の液体のように、苦くて深い沈黙を共有してくれる。

 カウベルが鳴り、一人の客が入ってきた。

 潮の匂いを纏った、同じ高校の制服を着た男子生徒だ。

 彼は私の視線に気づくと、一瞬だけ足を止め、困ったような、けれど柔らかな微笑み

を浮かべて、私の向かいの席に座った。



 彼は何も注文せず、ただテーブルに突っ伏した。

 そして、流れている音楽に耳を澄ませるように、ゆっくりと目を閉じる。

 私は、彼が「星輝愛」という私の名を知っているのかどうか、不安になった。

 学校では、私は「不気味な無口の転校生」であり、誰もその名で呼ぼうとはしない。

 けれど、彼はふいに顔を上げると、窓の外の海を指差した。


「……群青だね」


 その一言と共に、店内の音楽が谷村新司の『群青』へと切り替わった。

 重厚なピアノの旋律が、押し寄せる波のように私の足元を浚っていく。


「空をゆく、青雲の輝き……」


 命の終わりと、残された者の孤独を歌い上げるその旋律が、私の閉ざされた心象風景

を暴き立てる。

 私は思わず、彼の顔を見た。

 彼は悲しげな瞳を海に向けたまま、静かに言葉を続けた。


「死んだやつらは、あの海に溶けたのかな。……それとも、空に昇ったのかな」


 私の喉が、熱く震えた。

 何かを言いかけて、けれど空気だけが抜けていく。

 彼は私を急かすことなく、ただ『群青』の最期の一音まで、私と一緒に沈黙の底へ

と潜ってくれた。

 冬の海辺、古い喫茶店。

 私たちは、失われた者たちの不在を共有しながら、静かに息を吸い込んだ。



 学校という場所は、私にとって剥き出しの断頭台に等しかった。

 教室の隅、誰とも視線を合わせず机に伏せている私の背中に、無遠慮な囁き声が突き

刺さる。転校初日、教師が黒板に書いた私の名前を見たクラスメイトたちは、一瞬の沈

黙のあと、嘲笑を含んだ溜息を漏らした。


星輝愛きらあ

そのあまりに不釣り合いな煌めきが、今の私の死んだような瞳と対比され、格好の標的となったのだ。


「名前負けにも程があるよね」


「死神みたいな顔してキラキラネームかよ」


 彼らに悪意があるのか、それとも単なる無知ゆえの残酷さなのか、私には判別がつか

ない。ただ、名前を呼ばれるたびに、家族が笑っていたあのリビングの陽だまりが、

黒く濁った泥の中に沈んでいくのを感じるだけだ。

 放課後、逃げるように学校を後にした私は、いつものように祖母の喫茶店「潮騒」へ

と足を向けた。重い扉を開けると、そこには潮の香りと、焙煎された豆の芳香、そして

私の心を唯一慰めてくれる、古いスピーカーの唸りが待っていた。

 今日、店内に流れていたのは、NSPの『夕暮れ時はさびしそう』だった。

 素朴なメロディと、どこか物悲しいハーモニカの調べ。

 夕闇が迫る海辺の街で、一人で生き残ってしまった自分の存在を、その歌は「それで

いいんだよ」と、そっと宥めてくれているような気がした。




 カウンターの片隅で、私は祖母の手伝いとして、使い込まれたグラスを磨いていた。

 キュッ、キュッ、という乾いた音が、音楽の隙間を埋めていく。

 ふいにカウベルが鳴り、潮風を連れて彼――昨日、私の前に座った少年が入ってきた。

 彼は私の視線に短く頷くと、昨日と同じ窓際の席に座り、祖母に「いつもの」とだけ

告げた。祖母が無言で出したのは、湯気の立つミルクティーだった。


「星輝愛、さん。……変な名前だな、って思ってる?」


 彼はミルクティーを一口飲み、窓の外に広がる、朱色に染まり始めた海を見ながら

言った。私は磨いていた手を止め、彼を睨むように見つめた。

 名前を揶揄されることには慣れている。けれど、彼にだけは、その場所を土足で踏み

荒らされたくないという、矛盾した感情が胸の奥で疼いた。

 彼は私の怒りを受け流すように、ふっと小さく笑った。


「俺の名前は、海斗かいと。親父が漁師でさ、海に生きる男になれって付けられた

んだけど。皮肉だよな。俺、カナヅチでさ。海に入るのが怖くて仕方ないんだ」


 海斗は、カップを包む自分の手をじっと見つめた。

 その指先が、微かに震えている。

 「海を恐れる海斗」と、「輝きを失った星輝愛」。

 私たちは、親からもらったはずの期待という名の看板を、不器用に引き摺りながら

生きている共犯者のように見えた。



 海斗は、カバンの中から古びたカセットプレイヤーを取り出し、カウンターの上の

私に差し出した。


「これ、俺の親父が昔聴いてたやつなんだけど。……貸してあげる。店にあるやつ以外

にも、いい曲いっぱいあるから」


 私は戸惑いながらも、その温かな機械を受け取った。

 カセットのラベルには、色褪せたマジックの文字で『かぐや姫・ベスト』と書かれて

いる。私はそれを握りしめ、喉の奥から小さな、掠れた音を漏らした。

 それは言葉にはならなかったけれど、私の内側にある、錆びついた歯車が一つだけ

動いたような、確かな振動だった。

 店内に流れていた『夕暮れ時はさびしそう』が、最後の和音を奏でて消えていく。

 沈黙が訪れた店内で、海斗は優しく、歌うように言った。


「その名前、いいと思うよ。……お前が笑えば、きっと本当の星みたいに見えるから」


 私は俯き、溢れそうになる熱い何かを隠すように、またグラスを磨き始めた。

 窓の外、群青色に染まっていく海には、一番星が静かに瞬き始めている。

 家族を奪った海を憎み、自分を責め続けてきた私の日々に、

 海斗という名の少年が、新しい旋律の種を蒔いていった。

 私はカセットプレイヤーの冷たいプラスチックの感触を、

 壊さないように、大切に掌の中に閉じ込めた。



この作品はAI40%、筆者60%で書きました。

原案100%筆者。

指摘や感想とか頂ければ励みになります。

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