第8話:光の檻
「――西の鉱山」
俺とゼフィルさんが弾かれたように顔を見合わせた、その直後。 ギルドの掲示板に、緊急の依頼書が叩きつけるように張り出された。
『Bランク緊急依頼:西の鉱山街道の調査および、失踪したキャラバンの捜索』
ゼフィルさんが、依頼書を読み上げる。Bランク。それは、俺たちがこれまで受けてきた依頼とは、明らかに格が違う。失敗すれば、命の保証はない。
「……どうする、イグニス」
ゼフィルさんが静かに問う。 イグニスさんは、腕を組み、しばらく黙って依頼書を睨みつけていた。
俺は、意を決して口を開いた。
「……行きましょう。図書館での調査が正しければ……これは、この街全体に関わる『前兆』です。放っておけば、取り返しのつかないことになる」
俺の言葉に、イグニスさんは頷き、カウンターで依頼書を受け取った。
「Bランク、か」
対応した赤毛の受付嬢は、依頼書と俺たちの顔を交互に見ると、忌々しげに舌打ちした。
「……あのバカ(鉄の戦斧団リーダー)とは、腐れ縁でね。まさか、あいつまで……」
彼女は、自嘲するように呟くと、俺たちに依頼書を突きつけ、低い声で言った。
「……あんたたち、死ぬんじゃないよ」
その声は、いつもの皮肉とは違う、本気の忠告だった。
◇
俺たちは、ギルドの資料室に寄る時間さえ惜しみ、まず「最後にキャラバンが目撃された」という街道の現場へと直行した。 そこには、乗り捨てられた荷馬車が、不気味な静けさの中で転がっていた。
「……血の跡が、ない」
イグニスさんが、警戒しながら大剣を構えて周囲を見回す。
俺は、荷馬車の積荷を調べ、一つの違和感に気づいた。
「イグニスさん、この荷馬車の破壊跡……外から攻撃されたんじゃありません。まるで、内側から何かが爆発したみたいにめくれ上がっています」
俺の発見に、ゼフィルさんも荷台に残された魔力の残滓を調べ、その顔を険しく歪めた。
「……間違いない。これは単なる魔物の仕業ではない。この魔力の残滓は、通常のエレメント属性に属さない異質なものだ。古代文明の『理』の歪みそのものかもしれん」
ゼフィルさんの仮説に、背筋が凍る。敵は、俺が思っている以上に、この世界に深く関わっている。
俺たちは、調査を基に鉱山の前線基地へとたどり着いた。 だが、そこにいるはずの鉱夫たちの姿はなく、ただ不気味な静寂が広がっているだけだった。
食堂のテーブルには、まだ温かい食事が手つかずのまま残されている。 まるで、人々が食事の途中で、忽然と姿を消してしまったかのようだ。 兵舎の一室で、俺は一冊の日記を見つけた。
『影が薄くなった』 『あれは、俺たちの影を喰いにくる』
日記が手から滑り落ちた、その時だった。
キィィィィィン……
鉱山の奥深くから、耳鳴りのような不快な高周波音と、地の底を這うようなおぞましい咆哮が響き渡った。 闇の中から「それ」は姿を現した。 不定形で、見る角度によって姿を変える、真っ黒な影の人型。
「うおおおっ!」
イグニスさんが、恐怖を振り払うように大剣で斬りかかる。 だが、その刃は、何の手応えもなく影の体をすり抜けた。
「物理攻撃が効かねえだと!?」
「炎よ!」
ゼフィルさんの放った火球もまた、その体を虚しく通り抜ける。
「……馬鹿な。物理も魔法もすり抜けた……!? まさか、伝承通りだというのか……」
ゼフィルさんの声が震えた。
「こいつは……『影喰らい』だ! 実体を持たず、影を介して魂を喰らう亡霊だ!」
その隙を突き、影喰らいはイグニスさんの足元の影に、その不定形の手を伸ばした。 影が影を掴む。
「ぐっ……うあああああっ!」
イグニスさんが、苦悶の声を上げてその場に膝をついた。影を捕まれただけなのに、彼の生命力そのものが急速に吸い取られていく。顔色が瞬く間に土気色に変わる。
「イグニスさん!」
「くそっ、離せ!」
イグニスさんが剣を振るうが、自分の影を斬ることはできない。 このままでは死ぬ。
「やめろおおおっ!」
俺は、パニックの中で、ただ叫んでいた。
その瞬間。 脳の奥で、ジジジッという、焼き切れるような異音が鳴り響いた。 あの感覚だ。世界が歪み、俺の命が削れる音。
3回目だ……!
ゼフィルさんが、イグニスさんを援護するために放った、あらぬ方向へ飛んでいたはずの『ファイアボール』が、ありえない直角の軌道を描いた。 火球は、影喰らいの真横にある岩壁に直撃し、激しい閃光を放った。
『ギィィィィィィッ!』
強烈な「光」に焼かれた影喰らいが、苦しげな悲鳴を上げて後ずさる。 同時に、イグニスさんへの束縛が解けた。
「……っ!」
俺はその場にうずくまった。 頭を、内側から熱した鉄杭で殴られたかのような激痛。視界が白く点滅し、立っていられないほどの眩暈に襲われる。 そして、体の奥底にあった灯火が、また一つ消える喪失感。
ゴブリンの時、コボルトの時。そして今。 俺が「助けたい」と願った時、世界が歪み、代償が払われる。 俺の直感が告げている。この力は無限じゃない。 最初に感じた「5」という数字。それが確かなら、残りはあと……2回。
「光だ! あいつは光に弱い!」
俺は、激しい頭痛に耐えながら叫んだ。
「アレン、どうした! 顔色が悪いぞ!」
「……いえ、何でもありません。それより、奴を倒す方法を考えないと」
俺は、仲間を救えた安堵よりも、得体の知れない力に再び頼ってしまった罪悪感と、残り2回しかないという明確なカウントダウンへの恐怖で、震えが止まらなかった。
◇
「……この魔力の残滓、夜になれば新たな個体が再生する可能性が高い」
ゼフィルさんの非情な分析に、俺は基地の備品倉庫を指した。
「ゼフィルさん、奴を倒す方法があります!」
「何!?」
「基地に、鉱夫たちが使っていた磨かれた鉄板がいくつかありました! あれを鏡の代わりに使います! それと、大量のランプオイルも!」
冗長な作戦会議をしている時間はない。俺は、頭痛をこらえながら叫んだ。
「光の檻です! 坑道の広い場所に鉄板を設置して、ゼフィルさんの光魔法を反射させ、檻を作る! 退路はオイルの炎で塞ぐ! 奴の弱点が光なら、光そのもので閉じ込めて浄化します!」
俺の、これまでにない決断力と行動力に、仲間たちは一瞬だけ面食らったようだったが、すぐに頷いた。
「面白い! やってやる!」
「だが、どうやって奴を都合よく誘い込む?」
「俺がやります」
俺の言葉に、三人の空気が凍りついた。
「だめです、アレンさん! ただでさえ、さっきから様子がおかしいのに……!」
リリアさんが悲痛な声を上げる。
「リリアさん、ありがとう」
俺は、彼女を真っ直ぐに見つめ返した。
この作戦が失敗すれば、俺は、仲間を守るために、"残り2回"のあの力を使うことになる。それだけは、絶対に嫌だ。だから、この作戦は、俺の"知恵"だけで、完璧に成功させる!
「俺だからこそ、最高の囮になれるんです。バックラーもあります。……お願いします」
俺は左腕の**古代の小盾**を構えて見せた。 影喰らいの攻撃は物理無効だが、瓦礫や衝撃波くらいなら防げるはずだ。
俺の、決死の覚悟を察したゼフィルさんが、静かに口を開いた。
「……いいだろう。君がさっきの“アレ”を使わずに済むというのなら、その異世界の理屈に乗ってやる。しくじるなよ、アレン」
「……分かった。だが、アレン。もし、万が一のことがあったら、俺が無理やりにでも助け出す。それだけは忘れんな」
イグニスさんの言葉に、俺は強く頷いた。
◇
作戦の準備は、電光石火で行われた。俺の指示で、仲間たちが動く。
「イグニスさん、鉄板の角度、あと5度右へ!」
「リリアさん、オイルは影が一番濃い場所に集中して!」
準備が整った時、坑道内を満たす淀んだ魔力が、再び濃密になる。奴が、再生した。 俺は一人、左手にバックラー、右手に松明を持ち、坑道の闇の奥へと足を踏み入れた。
「こっちだ、化け物!」
松明を振ると、闇の奥から影が滑るような気配が迫る。 背筋が凍るような殺気。俺は、作戦地点である大空洞に向かって全力で疾走した。
「今です、皆さん!」
俺が大空洞に転がり込むのと、背後でイグニスさんがオイルに着火し、炎の壁を作るのは、ほぼ同時だった。
「逃がさん!」
ゼフィルさんが、杖を高く掲げる。彼の杖から放たれたレーザーのような光線が、配置した鉄板に次々と反射していく。
「アレン、指示を!」
「奴はただの光じゃない! 光が持つ特定の『波長』を嫌っているはずです! ゼフィルさん、光をあの鉄板の角度で乱反射させ、波長を増幅させてください!」
「増幅……共鳴か! 理解した!」
俺の「司令塔」としての、異質な指示。ゼフィルさんは一瞬だけ驚いたが、即座に魔術的に解釈し、実行した。 光線が複雑に屈折し、増幅され、影喰らいを光の檻に閉じ込めた。
『ギィィィィィィィィッ!』
檻の中で影喰らいが苦しげに悲鳴を上げる。
「リリアさん!」
「はいっ!」
リリアさんが、最後の死角となる岩陰に、浄化の光を放つ。
「完全に閉じ込めました! ゼフィルさん、今です! やってください!」
俺の叫びに応え、ゼフィルさんが最大火力の『ホーリーライト』を放つ。 光の奔流が、影喰らいを直撃した。 視界が真っ白に染まり、耳をつんざくような絶叫が木霊する。
光が収まった時、そこにはもう、何もいなかった。
「……やったんだ、俺たちで!」
イグニスさんの雄叫びが響く。リリアさんは安堵のあまり、その場に膝をつき、祈るようにそっと胸に手を当てた。
俺は、震えが止まった自分の掌を、強く、強く握りしめた。 奇跡じゃない。俺の、俺たちの知恵と連携で勝ち取った、本物の勝利だった。 頭の痛みはまだ残っている。だが、今はその痛みさえ、生きている証のように感じられた。
「……さて、と。いつまでも浸ってるわけにはいかねえな」
イグニスさんが、安堵の表情を浮かべるリリアさんの頭を優しく撫で、壁に寄りかかるゼフィルさんに肩を貸した。
「まだ、やるべきことが残ってる。忘れたわけじゃねえだろ?」
そうだ。俺たちの本来の目的は、失踪したキャラバンの人々を救出することだ。 俺たちは、松明を手に、鉱山のさらに奥深くへと足を踏み入れた。
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