第7話:最初の課題と、司令塔の萌芽
夜明け前の、まだインクを溶かしたような深い青に包まれた時間。 宿屋の自室で、俺は机の上に置かれた一本の『月光草』を、食い入るように観察していた。
ゼフィルさんから昨日、半ば挑発するように、そして半ば期待するように渡された
「最初の課題」。
「君の言う『独特の理屈』とやらで、この草がなぜ夜に光るのか、解き明かしてみせろ」
彼の言葉が、耳の奥で反響する。 机の端には、昨日手に入れたばかりの無骨なショートソードと、錆びついた古代の小盾、そしてオイルの匂いが残る革の胸当てが置かれている。 強くなる。賢くなる。仲間を守るために。
魔法的な知識は不要。俺の『独特の理屈』で、か……
俺はノートを開き、ペンを走らせ始めた。 この世界の常識はまだ知らない。だが、俺がいた世界には、ホタルや深海魚のような「生物発光」や、物質が反応して光る「化学発光」があった。 俺は草の葉脈を指でなぞり、その構造をスケッチしていく。
葉の裏に小さな気孔が集中している……。夜に光るということは、光合成とは逆? いや、あるいは夜間の空気中に増える特定の魔素を取り込み、体内の酵素と反応させているのか?
「酸化反応」に近いプロセスかもしれない。だとすれば、この光は熱を持たない「冷光」のはずだ。 仮説が次々と浮かび、ノートが黒い文字で埋まっていく。 瞼は重いが、ペンの動きは止まらなかった。気がつけば、窓の外が白み始めていた。
◇
朝日が宿屋の窓から差し込むと同時に、俺はイグニスさんに叩き起こされた。 向かうのは、いつもの宿屋裏の広場だ。 だが、今日の俺は今までとは違う。新しい装備――革の胸当てを締め、左腕にはあの古代の小盾を装着している。
「構えろ! 今日からは、ただ耐えるだけじゃねえぞ!」
イグニスさんの指導は、より実戦的で、容赦のないものへと変わっていた。 彼の振るう木剣が、豪風を纏って襲いかかる。
「剣で受けるな! 折れるぞ!」
「盾だ! 盾の『丸み』を使え! 正面から受け止めず、滑らせて逸らすんだ!」
イグニスさんの怒号が飛ぶ。 俺は必死にバックラーを掲げた。
ガツンッ!
重い衝撃が左腕を貫き、俺は無様に地面に転がった。 タイミングは合っていたはずだが、筋力と体幹が衝撃に耐えきれない。
「遅え! 目で追うな、気配で動け!」
「ぐっ……はい!」
泥だらけになりながら立ち上がる。 十回打ち込まれて、まともに逸らせるのは一回あるかないか。 それでも、剣だけで受けていた時よりは、「死なない」可能性が見えている気がした。 錆びついた小さな盾だが、その曲面は絶妙で、上手く角度さえ合えば、俺のような非力な人間でも相手の力を利用できる。
「……ッ、せい!」
何十回目かの打ち込み。 俺は、バックラーの縁で木剣を擦り上げるように逸らした。 衝撃が腕を抜けて外側へと逃げていく。
「おっ」
イグニスさんが、ニヤリと笑いながら追撃の蹴りを放つ。 俺は反応しきれず、再び地面に転がった。
一時間ほどの打ち合いの後、イグニスさんは木剣を下ろすと、乱暴に汗を拭った。
「……よし、今日はここまでだ」
彼は倒れている俺を見下ろし、鼻を鳴らした。
「ま、昨日に比べりゃマシになったな。それなら、即死は免れるかもしれねえ」
「……腕がパンパンですよ」
俺が苦笑いしながら泥を払うと、イグニスさんは「へっ、軟弱もんが」とだけ言って背を向けた。 褒め言葉はない。だが、その背中は昨日よりも少しだけ、仲間としての期待を含んでいるように見えた。
「アレンさん、大丈夫ですか? 打撲の手当てをしますね」
リリアさんが駆け寄り、俺の赤く腫れた左腕にそっと手をかざした。ひんやりとした治癒の光が、熱を持った筋肉に染み渡っていく。
「ありがとうございます、リリアさん。……毎日すみません」
「いえ、神官としての務めですから。それに、前衛の方が無事でいてくれないと、私が困ります」
彼女は困ったように微笑むと、手際よく治療を終えた。
「まだ痛みは残ると思います。無理はしないでくださいね」
過度な甘さはない。あくまでパーティーメンバーとしての気遣いだ。 それでも、その信頼に応えたいと強く思った。
◇
訓練で泥まみれになった体を洗い流し、俺はゼフィルさんと共にアークライトの図書館へと向かった。 巨大な書架が立ち並び、古い紙とインクの匂いが漂う静謐な空間。そこは、今の俺にとって、戦場と同じくらい重要な場所だった。
俺は、レポート用紙代わりの羊皮紙をゼフィルさんに提出した。 そこには、昨夜考えた「月光草の発光原理」――魔素と酵素の化学反応説――がびっしりと書かれている。
ゼフィルさんはそれを読み込み、片眼鏡の奥の目を細めた。
「……『酸化反応』に『酵素』……か。聞いたことのない概念だが、論理的な整合性は取れている。魔力を『燃料』ではなく『触媒』として定義する発想か」
彼は顔を上げ、冷徹な観察者の目で俺を見た。 「魔法学の定説では、発光は『魔力の放出』とされる。君の仮説が正しいかは検証が必要だが……視点としては悪くない」
「……合格、でしょうか?」
「不合格ではない、と言っておこう。少なくとも、私の知らない理屈で物事を捉えていることは証明された」
彼は羊皮紙を懐にしまうと、俺に背を向けた。
「約束通り、私の知識へのアクセス権は認めよう。……だがその前に、君が見つけたこの『異常発光』の正体について、もう少し掘り下げる必要があるな」
俺たちは書架に向かい、過去の記録を調べ始めた。 『アークライト周辺地域 異常現象報告年鑑』。分厚い古書を紐解くと、数年前にも西の鉱山付近で似たような発光現象が記録されていた。 だが、不自然なことに、その原因や結末が記されているはずのページが、インクで塗りつぶされていたり、破り取られたりしているのだ。
数年前にも……? 偶然か? いや、これだけ複数の文献で情報が欠落しているのは……
誰かが、意図的に隠蔽している。 背筋に冷たいものが走る。この異常発光現象は、単なる自然現象ではない。何者かが、この街の近くで何かを企んでいる……?
その時、ふと視線を感じて顔を上げた。 書架の向こう側。深々とフードを目深にかぶった人物が、こちらの様子を伺っていた。 俺と目が合った瞬間、その人物は音もなく背を向け、影のように書架の奥へと消えていった。
「……今の奴」
俺は反射的に追いかけようとしたが、ゼフィルさんが片手で制した。
「追うな、アレン。ここは図書館だ。それに……」
ゼフィルさんの表情も険しい。
「奴からは、奇妙な魔力の『歪み』を感じた。我々の感知できない術式を纏っている可能性がある。下手に接触すれば、こちらの尻尾を掴まれるぞ」
俺たちは顔を見合わせる。 ただの薬草採取から始まったこの件は、俺たちが想像している以上に深く、暗い闇に繋がっているのかもしれない。
◇
その夜、宿屋の食堂は、一日の疲れを癒やす冒険者たちの熱気で満ちていた。
「アレン、お前もう少し食え。そんな体じゃバックラーの衝撃に耐えられねえぞ」
イグニスさんが、俺の皿に硬いパンを追加する。 相変わらずの不器用な気遣いだ。俺は苦笑しながら、それをスープに浸した。
「ありがとうございます。……でも、イグニスさんの打ち込み、重すぎですよ」
「ハッ、あれでも手加減してやってんだよ。実戦じゃ魔物は待ってくれねえからな」
ゼフィルさんは、黙って食事をしながらも、時折、俺の仮説を書いた羊皮紙を見返しては、何かを考え込んでいるようだった。リリアさんも、静かに食事を進めている。
まだ、俺たちは「最高の仲間」じゃない。 ただの寄せ集めが、少しずつ形になってきた段階だ。 それでも、この温かい場所を守りたいという思いは、俺の中で確かなものになりつつあった。
俺は、図書館での不穏な発見――破られたページや謎の人物のことを、今ここで話すべきか一瞬迷った。だが、せっかくのこの平穏な空気を壊してしまうことを恐れ、言葉を飲み込む。
……いや、明日でいい。明日の朝、改めて作戦会議を開こう
俺がそう決意し、スープに口をつけようとした、その瞬間だった。
ガタンッ!
激しい音を立てて、酒場の扉が勢いよく開いた。 冷たい夜風と共に、血相を変えた男が転がり込んでくる。
「た、大変だ! 依頼を、依頼をお願いしたい!」
商人風の男だった。その顔は恐怖で青ざめ、脂汗にまみれている。
「西の鉱山だ! うちのキャラバンが、西の鉱山に向かう途中で消息を絶ったんだ! 護衛の冒険者たちとも連絡がつかない!」
「――西の鉱山」
その言葉に、俺とゼフィルさんは、弾かれたように顔を見合わせた。 図書館で見た、あの塗りつぶされた記録。そして、フードの人物。 嫌な予感が、最悪の形で現実になろうとしていた。
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