第5話:力の代償と、選んだ道
アークライトでの生活にも少し慣れ、冒険者としての第一歩を踏み出した俺は、ギルドの掲示板の前に立っていた。 隣では、イグニスさんたちが俺の選択を見守ってくれている。Gランクの配達依頼を無事に終え、俺の中には小さな自信が芽生えていた。
「次は、これに挑戦してみようと思います」
俺が指さしたのは、一枚の古びた羊皮紙だった。 『Cランク:『安らぎ草』の採取』。街の近くの森に自生する薬草を10本採取。報酬は銅貨30枚。
「Cランク、か」
イグニスさんが顎を撫でる。
「新人には少し早えかもしれねえが……ま、採取自体は難しくねえ。問題は森の中ってことだが」
「大丈夫です」
俺は依頼書を強く握りしめ、二人の顔を交互に見た。 「実践訓練も兼ねたいですし、薬草の知識も身につけたいですから。それに、皆さんがいてくれるなら」 自然と声に力がこもる。
俺の言葉に、イグニスさんは「違いねえ」とニカっと笑った。 だが、ゼフィルさんは冷静に釘を刺す。
「油断は禁物だ。Cランクからは魔物との遭遇率が格段に上がる。常に警戒を怠るな」
リリアさんは、俺の成長を喜んでくれているようだったが、その眉尻はわずかに下がっていた。
カウンターで依頼書を提出すると、赤毛の受付嬢は俺を見てニヤリと笑った。
「ほう、もうCランクかい。威勢がいいね、新人。……まあ、せいぜい頑張りな。失敗したら、あんたのギルドカードの信用に、でっかいバツが付くからね」
彼女の皮肉めいた激励を受け、俺たちは再び森へと向かった。
◇
森の中は、様々な植物の匂いで満ちていた。 リリアさんが、俺に『安らぎ草』の見本を見せながら、それとよく似た毒草『偽り草』との見分け方を丁寧に教えてくれる。
「いいですか、アレンさん。葉の形はほとんど同じですが、裏側の斑点を見てください」
彼女は二つの草を並べて見せてくれた。
「『安らぎ草』の斑点は鮮やかな赤色で、輪郭がくっきりしています。でも、こちらの『偽り草』は……」
「少し、滲んだように広がっていますね。色はどす黒い赤だ」
「はい、正解です! アレンさん、すごいですね。一度言っただけで覚えちゃうなんて」
リリアさんが嬉しそうに微笑む。
「いや、まあ……」
俺は頬を指でかきながら、曖昧に頷いた。サラリーマン時代に培った、膨大な商品カタログを丸暗記するスキルがこんなところで役立つとは言えない。
和やかな雰囲気の中にも、森の奥からは時折、不気味な獣の声が聞こえてくる。 ゼフィルさんがピクリと眉を動かし、「……魔力の流れが、少し乱れているな」と杖を握り直す場面もあった。
やがて俺たちは、安らぎ草が群生しているという、少し開けた場所にたどり着いた。
「お、あったぞ! これだな!」
イグニスさんが、木の根元に生えている薬草を指さす。葉の裏には、リリアさんに教わった通りの、くっきりとした赤い斑点があった。
なんだ、意外と楽な仕事かもな。 そう安堵したのが、間違いだった。
俺たちが採取を始めた、その矢先。
「グルルルル……」
低い唸り声と共に、茂みから一体の魔物が姿を現した。二本足で歩く、狼のような頭部を持つ魔物――コボルトだ。 Dランク相当の魔物で、一体ならイグニスさんたちにとっては敵ではない。
「アレン、後ろに下がってろ!」
イグニスさんが前に出て、大剣を構える。 だが、不運なことに、コボルトは一匹ではなかった。次々と仲間を呼び、瞬く間に五体のコボルトが俺たちを取り囲んだ。
「チッ、群れか! ゼフィル、援護を頼む!」
「了解した!」
戦闘が始まった。 イグニスさんが二体を引きつけ、ゼフィルさんが放った火球が一体を焼き尽くす。リリアさんは杖を構え、いつでも回復魔法が使えるように備えている。
その中で、俺だけが何もできずに立ち尽くしていた。 手にあるのは、ギルドから借りた安物のショートソードだけ。 握りしめる手は震えが止まらず、脂汗が目に入る。足がすくんで動かない。 これが、本物の殺し合い……!
だが、頭だけは必死に回転していた。 敵は五体。イグニスさんが二体、ゼフィルさんが一体処理。残り二体……一体が俺に、もう一体はリリアさんを狙っている!?
「リリアさん、右です! 一体がそちらへ向かっています!」
俺の声に、リリアさんはハッとして杖を構え直し、突進してくるコボルトを光魔法で牽制しながら後退した。 その反応を見て、ゼフィルさんが俺に鋭い視線を向けた気がした。
「アレン! ぼさっとするな! お前の相手はそいつだ!」
イグニスさんの怒声にハッと我に返る。 見れば、一体のコボルトが、涎を垂らしながら俺を目がけて突進してくるところだった。 やらなきゃ……! 俺だって、仲間なんだ!
イグニスさんとの訓練を思い出し、必死に剣を構える。だが、実際に魔物を前にすると、体が鉛のように重い。 コボルトが棍棒を振り上げる。
避けろ! いや、違う! イグニスさんは言ってた。「ただ避けるな、受け流せ!」
脳裏に、汗まみれで木剣を振るった日々の記憶が蘇る。 俺は、恐怖で硬直しかけた体を無理やりねじ込み、振り下ろされる棍棒の軌道を見極めようとした。 だが、速い。反応しきれない。 (死ぬ……!)
その瞬間。 脳の奥で、ジジジッという、何かが焼き切れるような音がした。 世界が歪み、体の奥底にあった灯火が、一つ消えるような喪失感。
「グェッ!?」
突進してきたコボルトが、何もない地面で不自然につんのめった。 まるで、見えない手がその足を掴んだかのように。
その偶然によって、振り下ろされた棍棒の軌道がわずかにズレる。 俺の剣は、それを狙ったわけでもないのに、偶然にも棍棒の側面に当たり――ガキン! という音と共に、攻撃を受け流す形になった。
「はぁ……はぁ……!?」
俺は、衝撃で尻餅をつきながら、自分の手を見た。 今のは……俺が受け流したのか? いや、違う。あいつが勝手に転んだんだ。 まただ。あの森でゴブリンと戦った時と同じ、得体の知れない「都合の良さ」。
「お、やるじゃねえかアレン! 運も実力のうちだぜ!」
イグニスさんが叫ぶ。 だが、コボルトはまだ生きている。泥まみれで起き上がった魔物は、恥をかかされた怒りに満ちた目で俺を睨みつけ、今度こそ殺そうと襲いかかってきた。
俺はパニックになり、稽古で習った型も何もかも忘れ、ただがむしゃらに剣を突き出した。 素人の、力任せの一撃。コボルトはそれを容易く弾き、棍棒で俺の剣を叩き折った。
パキーンッ!
乾いた音が響き、俺の手には折れた剣の柄だけが残された。
「しまっ――!」
武器を失い、無防備になった俺に、コボルトの鋭い爪が迫る。 膝から力が抜け、地面にへたり込みそうになる。喉の奥がヒュッと鳴り、酸素がうまく吸えない。 もう奇跡は起きない。次は本当に死ぬ!
死を覚悟した俺の耳に、ゼフィルさんの詠唱が聞こえた。 「風よ……!」 後方から、風の刃が飛んでくるのが分かる。だが、その軌道はコボルトの胴体に向かっている。この距離じゃ間に合わない! 爪が、俺の喉笛を掻き切る方が先だ!
くそっ……! このまま、終わってたまるか! コボルトの弱点は……? リリアさんが言っていた。鼻が利く分、強い刺激臭に弱いと……。 そうだ、あれだ!
諦めかけた思考の片隅で、さっきリリアさんに教わった毒草『偽り草』の知識が閃いた。 安らぎ草と間違えやすいが、潰すと強烈な刺激臭を放つ。
俺は、最後の抵抗として、腰につけていた薬草袋から咄嗟に『偽り草』を鷲掴みにすると、迫りくるコボルトの顔面めがけて、力いっぱい投げつけた!
「グギィッ!?」
潰れた草から放たれた強烈な刺激臭が、鼻の利くコボルトを直撃する。 魔物が顔をしかめ、動きが一瞬だけ、ほんの一瞬だけ止まった。
その、コンマ数秒にも満たない時間が、勝敗を分けた。
ヒュンッ、という鋭い風切り音と共に、ゼフィルさんが放った風の刃が、怯んだコボルトの首筋を正確に捉え、その頭部を断ち切った。
数分後、全てのコボルトを倒し、森には再び静寂が戻った。
「アレンさん、大丈夫ですか!?」
駆け寄ってきたリリアさんが、治癒魔法で俺の切り傷を癒してくれる。
「……すみません。俺、何もできなくて……剣まで折ってしまって……」
「気にするな。……いや、最後のはお前の機転がなけりゃ危なかった。咄嗟の判断、悪くなかったぞ」
ゼフィルさんが、珍しく俺の行動を評価してくれた。 だが、俺の心は鉛のように重かった。 結局、俺自身の力で敵を倒したわけじゃない。奇跡的な「転倒」と、仲間の魔法に助けられただけだ。
街への帰り道、ゼフィルさんが不意に俺の横に並び、小声で呟いた。
「アレン。あの目眩ましがなければ死んでいた。……だが、その前の『転倒』だ」
ゼフィルさんの鋭い視線が、片眼鏡の奥から俺を射抜く。
「あれは不自然だった。地面には根も石もなかった。まるで、世界そのものが君を助けようとしたかのような……。もし、この世界に『管理者』がいるとしたら、君のような予測不能な存在を、決して許さないだろうな」
彼の分析に、俺の心臓が早鐘を打った。 「管理者」……。その言葉に言い知れぬ不安を感じ、俺はただ、唇を噛み締めて俯いた。
ここまでお読みいただきありがとうございます! 本作は【全28話完結済み】です。毎日更新していきますので、安心してお楽しみください。
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