第4話:城壁都市と冒険者ギルド
平原を抜けると、遥か先に巨大な石造りの壁が見えてきた。 目的地である城壁都市「アークライト」だ。
「うおー……でっけえ……」
思わず、感嘆の声が漏れる。 高さ20メートルはあるだろうか。圧倒的な威圧感を放つ城壁が、地平線を遮るようにそびえ立っている。門の前には長蛇の列ができ、様々な種族が行き交っている。
「アレンさん、口が開いていますよ」
リリアさんがくすりと笑う。
「感動するのはいいですが、懐を探られないように気をつけてくださいね。人の多い場所では、スリも多いですから」
だが、感動も束の間、俺は現実的な問題に直面した。
「身分を証明するものはあるか?」
門番の兵士に、槍を突きつけられるようにして尋ねられた。 イグニスさんたちは、金属製のプレート――冒険者ギルドの身分証を提示して顔パスで通過したが、俺にはそんなものはない。
「こいつは俺たちの連れだ。森で拾った」
「素性の知れない者を街に入れるわけにはいかん。最近は『西』の動きもきな臭いんでな」
兵士は取り付く島もない。 結局、イグニスさんが身元保証人になり、さらにワイロ……もとい「通行税」を少し多めに払うことで、なんとか一時的な滞在許可証を発行してもらうことができた。
「……痛い出費だぜ。通行税まで取られるとはな」
「すみません、イグニスさん……。必ず、働いて返します」
俺が頭を下げると、イグニスさんはニカっと笑って俺の背中を叩いた。
「おう、期待してるぜ。出世払いでいいからな」
街の中は、強烈な活気と、少し鼻につくような匂い――香辛料と獣臭が混ざったような――で満ちていた。 レンガ造りの建物がひしめき合い、露店では見たこともない紫色の果実や、得体の知れない肉が焼かれている。
「まずはアレンの服だな。その格好じゃ目立ちすぎる」
イグニスさんの言葉通り、ボロボロのスーツ姿の俺を、通行人たちが奇異な目で見ている。 俺たちは古着屋で、イグニスさんのお下がりに似た麻のシャツと丈夫なズボンを購入した。代金はもちろん、イグニスさんの立て替えだ。 着替えてみると、肌触りはゴワゴワするが、妙にしっくりきた。 鏡に映る自分は、もうくたびれたサラリーマンではない。この世界の住人、駆け出しの冒険者の顔をしていた。
「よし、それじゃあ本命の冒険者ギルドに行くぞ」
イグニスさんが歩き出しながら、俺に向き直った。
「いいかアレン。ギルドってのは、ただ仕事を紹介してもらうだけの場所じゃねえ。冒険者にとっちゃ、そこが家であり、身分証明の全てだ」
「身分証明、ですか」
「ああ。この世界には、国が民全員を管理するような便利な台帳など存在しないからな」
隣を歩くゼフィルさんが、冷静に補足する。
「ギルドカードがなければ、まともな宿にも泊まれないし、他の街への移動も制限される。逆に言えば、カードさえあれば、世界中どこでも『冒険者』として最低限の権利が保証されるということだ」
「なるほど……。じゃあ、登録すれば俺も一人前になれるんですね」
「そう甘くはないぞ」
イグニスさんが真面目な顔で釘を刺す。
「ギルドには『ランク』がある。下はGから、上はSまでな。新人はGランクからスタートだ。地道に依頼をこなして信用を積み上げなけりゃ、いつまで経っても雑用係のままだぞ」
話している間に、街の中心部にある一際大きな建物の前に到着した。 重厚な両開きの扉を開けると、熱気と喧騒が波のように押し寄せてきた。 壁一面に貼られた羊皮紙の依頼書。そしてカウンターで淡々と業務をこなす職員たち。
「よし、アレン。手続きだ。俺たちがついててやるから安心しろ」
俺たちが向かったのは、一番端の新規登録カウンターだった。 対応してくれたのは、少し吊り目の、気の強そうな赤毛の女性職員だった。
「新規登録ね。名前は?」
「アレン、です」
「はい、アレンね。……連れの二人から聞いてるかい? ここがどういう場所かは」
「はい。実力と信用が全ての場所だと聞いています」
俺が答えると、彼女は少し意外そうに眉を上げた後、ニヤリと笑った。
「へえ、分かってるじゃないか。なら話が早い」
彼女は羽根ペンを走らせながら続ける。
「ここには貴族様みたいな階級制度はない。あるのは『結果』だけだ。どんなに剣が強かろうが、魔法が凄かろうが、簡単な依頼をすっぽかすような奴に信用はない。逆に、力はなくとも確実に仕事をこなす奴は評価される。単純明快だろ?」
「はい」
俺は頷いた。前世の会社より、よほど健全かもしれない。
手続きの最後に、水晶玉に手をかざすように言われた。 魔力や適性を測るための儀式らしい。心のどこかで、何か特別な力が宿っているかもしれない、なんて淡い期待を抱きながら、俺は手をかざした。
その瞬間。 水晶玉の内部に、複雑な幾何学模様の魔法陣が浮かび上がり、静かに回転を始めた。 美しい、というよりは、どこか冷徹で、分析的な光だった。俺の手のひらから何かを吸い出し、分類し、決定していくような感覚。
やがて光は収束し、手元の石版に文字が浮かび上がった。
「……魔力反応、極小。適性クラス……なし、か」
受付嬢は石版を読み上げ、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「……がっかりしたかい、新人。あんたみたいな『無能』なんて、ここには掃いて捨てるほどいる」
彼女の言葉は容赦がなかった。周囲の冒険者たちからも、
「なんだ、ただの荷物持ちか」
「期待外れだな」
という嘲笑が漏れる。 俺は俯き、唇を噛んだ。やはり、俺には何の力もないのか。
「気にするな、アレン」
イグニスさんが俺の肩を叩く。
「魔力がなけりゃ剣を使えばいい。剣がダメなら頭を使えばいい。生き残る方法はいくらでもある」
「……そうだよ。あんたが持ってるその『極小』の魔力は、武器にはならない。だが、絶望するほどのハンデでもない」
受付嬢が、完成したギルドカードをカウンターに置いた。
「スタートラインが一番下ってだけさ。そこから這い上がるかどうかは、あんた次第だ」
「はい!」
俺は力強く頷き、カードを受け取った。 銅製の冷たい感触。そこに刻まれた俺の名前。これが俺のスタートラインだ。
「ちょうどいい依頼がある。薬師ギルドまで、この『月光草』を届けてほしい。Gランクだ」
受付嬢から渡されたのは、小さな革袋だった。
「初仕事だな。付き合ってやるよ」
イグニスさんたちの同行の元、俺は薬師ギルドへと向かった。
職人街へと続く道は、多くの人々でごった返していた。 その時、前方で怒声が響いた。 大きな荷馬車が道を完全に塞ぎ、通行人の流れを止めていたのだ。御者台の男が、目の前の露天商と激しく言い争っている。
「おい、邪魔だ! 馬車をどけろ!」
イグニスさんが声をかけるが、御者はふてぶてしく言い返した。
「うるせえ! こっちは急いでんだ! この野菜を市場に卸さなきゃならねえんだよ!」
「だからって道を塞いでいいわけねえだろ!」
一触即発の空気。ゼフィルさんが止めに入ろうとするが、俺は御者の積荷――山積みにされた葉野菜に目を留めた。 炎天下の中、覆いもなく積まれた野菜は、強烈な日差しに晒されている。
……あれじゃあ、市場に着く前にしなびるぞ
俺は、イグニスさんを制して前に出た。
「あの、すみません。そのお野菜、市場へ運ぶうんですよね? とても新鮮で立派な葉野菜ですね」
「ああん? 当たり前だ、朝採れだぞ」
「ですが、この日差しです。ここで口論して時間を食っている間に、商品価値がどんどん下がってしまいますよ」
俺の言葉に、御者の顔色が少し変わった。
「なっ……」
「市場の東門をご存知ですか? あそこには建物の影になった荷下ろし場があります。ここを通るより少し遠回りですが、直射日光を避けられますし、今なら空いているはずです。このままここで揉めて野菜を腐らせるより、急いで東門へ回った方が、結果的に高く売れるんじゃないですか?」
損得勘定。それも、相手にとっての「損失」を回避し、「利益」を得るための具体的な提案。 御者はハッとして積荷の野菜を見ると、悔しそうに、だが納得したように舌打ちをした。
「……チッ、確かに兄ちゃんの言う通りだ。野菜をダメにしちゃ元も子もねえ」
御者は手綱を引くと、大声で叫んだ。
「どいてくれ! 東門へ回る!」
馬車が動き出し、塞がれていた道が開く。 渋滞していた人々から、安堵のため息が漏れた。
「……へえ」
イグニスさんが、目を丸くして俺を見ている。
「喧嘩もせずに、口先だけで解決しやがった。お前、意外と度胸あるな」
「……状況を観察し、相手の最も気にする利益を提示して行動を誘導した、か」
ゼフィルさんが、感心したように、分析するように呟いた。
「合理的な判断だ。評価しよう」
その後、無事に依頼を達成し、ギルドへ戻った俺たち。 受付嬢は報告書を確認すると、俺のギルドカードをカウンターの上の小さな魔導板に乗せた。
一瞬、魔導板が淡く光り、カードの表面に新たな刻印が焼き付けられる。
「よし、確認した。これであんたの実績が一つ刻まれた」
彼女はカードを返しながら、事務的に言った。
「たかが配達、されど配達だ。こういう小さな積み重ねが、いつか大きな信用になる。……ま、サボらずやりな」
「はい、ありがとうございます」
カードを受け取ると、そこには複雑な紋章のような刻印が一つ増えていた。 達成感はある。だが、俺は同時に、この世界のシステムの「冷徹さ」のようなものも感じていた。 情けや言い訳は通用しない。刻まれた結果だけが、俺という人間の価値を決める。 その厳しさは、元の世界とは違う種類のものだが、どこか似ている気もした。
「……アレンさん? どうしましたか、怖い顔をして」
リリアさんが心配そうに顔を覗き込む。
「いえ、なんでもないです。……さあ、次に行きましょう!」
俺は努めて明るく笑った。 この世界の厳しさも、不気味さも、まだ漠然とした予感に過ぎない。今はただ、仲間と共に一歩を踏み出せたことを喜ぼう。
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