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第31話:【番外編】アレンのいない地図と、継承される意志

(※本エピソードは、第28話のエピローグより少し前、アレンの生存情報を掴む前の旅路を描いた番外編です)


 乾いた土を踏みしめる車輪の音が、やけに大きく響いていた。 御者台に座っているのは、イグニス一人。 かつてその隣には、地図を広げ、星を読み、次に行くべき道を指し示してくれる「司令塔」がいた。 今は、風が通り抜けるだけだ。


「……風が変わったな」 荷台で魔導書を広げていたゼフィルが、ふと顔を上げる。


「ああ。湿気を含んでやがる。ひと雨来るかもしれねえ」


 イグニスが空を仰ぐ。その横顔は、どこか遠くを見ているようだった。


 三人は、アレンが命を賭して守ったこの世界を、宛てもなく旅していた。 目的は、世界各地に残る「調律」の傷跡を癒すこと。そして、口には出さないが、万が一の可能性――アレンの痕跡を探すこと。


「次は、あの丘を越えたところにある宿場町ですね」


 リリアが、穏やかな声で告げる。彼女の手にあるのは、アレンが愛用していたボロボロの地図。隅々にまで彼の手書きのメモが残るその紙束は、今や彼らにとって聖典のような重みを持っていた。


 丘を越えると、眼下に小さな街が広がった。 そこは、かつて彼らが旅の初期に通りかかった時は、泥濘ぬかるみに沈む寂れた寒村だった場所だ。 だが、今の景色は違っていた。


「……なんだ、ありゃ」


 イグニスが目を丸くする。 死に体だったはずの村が、驚くほど活気づいていた。街道は整備され、多くの商人が行き交い、広場には色とりどりのテントが並んでいる。 そして何より目を引いたのは、村を血管のように巡る、奇妙な形の水路だった。


「あの構造……」


 ゼフィルが、片眼鏡(解析のレンズ)の位置を直しながら、馬車を飛び降りる勢いで身を乗り出す。


「川の水を村全体に循環させているのか? いや、ただ流しているだけではない。所々に沈殿槽を設け、勾配を緻密に計算して流速を制御している……。待て、あの層はなんだ?」


 彼は水路の一角に駆け寄ると、積まれた石の隙間を食い入るように観察し始めた。


「砂利、木炭、そして目の細かい砂……。なるほど、物理的な『濾過装置』か! 魔術的な浄化陣を使わず、自然の素材だけで汚染物質を取り除いている。……信じられん。これは、魔法による力技ではない。純粋な『物理法則』と『知恵』による治水だ」


 ゼフィルの瞳が、少年のように輝いていた。それは、かつて賢者の森でアレンと議論を交わしていた時の顔だった。


 一行は村に入り、広場の井戸端で水を汲んでいた老人に声をかけた。


「じいさん、この村、ずいぶん変わったな。あの水路は一体何だ?」


 老人は、自慢げに髭を撫でた。


「おお、旅の方か。驚いたろう? あれはな、数ヶ月前に通りかかった、ある冒険者の知恵なんじゃよ」


 三人の動きが、ぴたりと止まる。 心臓が早鐘を打つ音が、互いに聞こえるようだった。


「冒険者……ですか?」


 リリアが、祈るように胸元で手を組み、震える声で尋ねる。


「ああ。黒髪で、ひょろっとしててな。剣も魔法もからきしダメそうじゃったが、とにかく頭の切れる若造じゃったよ」


 間違いなかった。アレンだ。 彼らが「影喰らい」の調査で別行動をとっていた時か、あるいは彼らが寝ている間にこっそりと助言をしていたのか。 その姿が、ありありと目に浮かぶようだった。


「この村は、ずっと泥水による疫病に悩まされておってな。だがあの若造は、村の地形を見るなり、難しい顔でこう言ったんじゃ。『上流の水を引くだけじゃダメです。排水と生活用水を完全に分離(システム化)しないと、バグ……いや、病気はなくなりません』ってな」


 老人は、懐かしそうに遠くを見た。


「あいつは、泥だらけになるのも厭わずに、村の若者たちと一緒に地面を掘り返してな。木の枝で地面に絵を描いて説明しおった。水路の角度、濾過のための砂利の層、汚水を処理する場所の配置……。まるで、街全体を一つの機械みたいに組み立てていきおったわ」


「……システム化、か。あいつらしい」 ゼフィルが、ふっと笑う。その目元は、少しだけ赤かった。


「おかげで、村から病気は消えた。作物の実りも良くなって、今じゃこの通りの交易の街じゃ。あいつの名前は聞かんかったが……村の皆は、あの水路を『知恵の水道』と呼んで感謝しておるよ」


 老人の話を聞きながら、三人は、村を巡る水路を眺めた。 清らかな水が、淀みなく流れている。 その水面には、きらきらと太陽の光が反射し、子供たちがその周りで笑い声を上げている。 アレンが遺した「知恵」が、この土地に根付き、人々の命を、笑顔を、今も守り続けている。


「……あいつは、生きてるな」


 イグニスが、ポツリと言った。


「え?」


「いや、肉体があるとかねえとか、そういう話じゃねえ。あいつの魂が、あいつのやってきたことが、こうして形になって残ってる。……世界中のあちこちにな」


 彼は、水路の石積みにゴツゴツした手を置いた。ひんやりとした石の感触の奥に、確かな温もりを感じるようだった。


「あいつは、空っぽなんかじゃなかった。俺たちが出会った時からずっと、あいつは、この世界に何かを与え続けてたんだ」


「はい……。本当に」


 リリアが、涙を指先で拭って微笑む。


「アレンさんの優しさが、種となって、こうして花開いているんですね」


 ゼフィルは、手帳を取り出し、水路の構造をスケッチし始めた。ペンの走る音が、心地よく響く。


「記録しておこう。彼の『異世界の理屈』が、実社会でどう機能したか。……私が彼の知恵を継承し、さらに発展させる。それが、友としての義務だろう」


 喪失感は、消えない。 御者台の隣が空いている寂しさは、きっと一生埋まらない。 だけど、彼らはもう、下を向いて歩いたりはしない。


 この世界には、アレンが遺した「希望の種」が、まだたくさん眠っているはずだ。 それを見つけ出し、守り、育てていくこと。 それが、残された彼らの、新たな旅の目的であり、彼への弔い――いや、彼への「恩返し」なのだ。


「行くぞ」


 イグニスが、馬車に戻る。その足取りは、ここに来た時よりも力強かった。


「次の街へ。……きっとそこでも、あいつの痕跡が俺たちを待ってるはずだ」


「はい! あ、待ってください」


 馬車に乗り込もうとしたリリアが、地図の一点を指さして声を上げた。


「この地図の端っこ……アレンさんの字で、何か書いてあります」


 イグニスとゼフィルが覗き込む。 古びた地図の、次の街の近くに、走り書きのような小さな文字があった。


『ここの宿屋の“蜂蜜パン”は絶品。ただし、店主の親父さんの話が長いので要注意(笑)』


 三人は顔を見合わせ、そして同時に吹き出した。


「ぶっ……! あいつ、こんなことまでメモしてやがったのか!」


 イグニスが腹を抱えて笑う。


「くくっ……戦略に関係のない情報はノイズだと言ったはずだが……。まったく、彼らしい」


 ゼフィルも肩を震わせる。


「ふふふ。じゃあ、そのパンを食べて、親父さんの長話を聞くのが、次のミッションですね」


 リリアが、涙を浮かべながら、本当に楽しそうに笑った。


「やれやれ、退屈しない旅になりそうだ」


 馬車が動き出す。 西の空には、美しい夕焼けが広がっていた。 その空の向こうで、あいつが「遅いですよ」と笑って待っているような気がした。


 彼らは、アレンのいない地図の上を、アレンの意志と共に進んでいく。 いつか訪れる、再会の時まで。


番外編第3弾、お楽しみいただけていますでしょうか?

次話でいよいよ、累計10万文字に到達し、本当の完結となります。


そして――。

**本日 18:10、新作を投下します。**


『司令塔』の読者様ならきっとニヤリとする、

「不遇からの逆転」と「最強のパートナー」を描く物語です。


夕方の公開をお楽しみに!


▼現在連載中のSF長編はこちら

「アウトシステム―幸福な家畜として生きる君へ―」

https://ncode.syosetu.com/n0574ln/

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