第30話:【番外編】星降る夜の告白と、最後の晩餐
(※本エピソードは、第26話と第27話の間、「破滅の枢軸」へ向かう最後の夜を描いた番外編です)
標高が上がるにつれ、風の音が変わった。 以前のような耳をつんざく悲鳴ではない。刃物のように鋭く、冷たい音が、岩肌を撫でていく。 「破滅の枢軸」の麓。明日には、世界の管理者との最終決戦が始まる。
俺たちは、風を避けられる岩陰で、最後の野営を行っていた。
乾いた薪がパチリと爆ぜる音だけが、凍てつく闇の中で響いている。 いつもなら、イグニスさんが肉の焼け具合に文句を言い、ゼフィルさんが火加減を魔術で調整し、リリアさんがそれを笑って見ている。そんな、ありふれた夕食の風景は、今夜はどこにもなかった。 誰もが、器の中のスープを見つめたまま、押し黙っていた。
「……震えてんのか、アレン」
不意に、イグニスさんが低い声で言った。 彼は、手入れを終えた聖剣を布で拭いている。その手つきは、いつになく慎重で、優しかった。
「……はい。正直、足が止まりそうです」
俺は、強がるのをやめた。吐き出した息が、白く濁って消える。
「ははっ。違いねえ」
イグニスさんが、自嘲気味に口元を歪めた。
「俺もだ。……昔は、死ぬことなんて怖くなかった。復讐さえ果たせれば、いつ野垂れ死んでもいいと思ってた。だがな……」
彼は、聖剣の刀身に映る、焚き火の炎と、その向こうでスープを配るリリアさんの姿を見つめた。
「今は、怖え。失うのが、怖くてたまらねえよ」
その言葉は、俺たちの胸の内にあった澱を、少しだけ溶かした気がした。
「非合理的ですね」
ゼフィルさんが、読みかけの魔導書を閉じた。
「恐怖は思考を鈍らせる。生存確率を下げるだけのノイズだ。……だが」
彼は眼鏡を外し、疲れ切った目を指で押さえた。
「今回ばかりは、計算式がまとまらない。……君たちがいない世界で、私一人が真理に到達したとして、その『解』に何の意味があるのか。そんなエラーばかりが、思考を埋め尽くす」
最強の戦士と、天才魔術師。 いつも俺の前を歩いてくれた二人が見せた、人間らしい弱音。 リリアさんは何も言わずに、ただ温かいスープを俺たちの器に注ぎ足してくれた。その手もまた、微かに震えているのを、俺は見逃さなかった。
重苦しい沈黙が、再び降りようとする。 このままでは、恐怖に心を食い尽くされてしまう。 俺は、冷え切った空気を変えるために、努めて明るい声を張り上げた。
「……終わったら、何を食べましょうか」
三人の視線が、一斉に俺に向く。 「あ?」イグニスさんがきょとんとする。
「俺の故郷には、『コンビニ』っていう、24時間いつでも温かいご飯が買える不思議な店があるんです。そこの『ツナマヨおにぎり』が、最高に美味くて」
「なんだそりゃ。24時間? どんな魔術師が管理してやがる」
「魔術師はいませんよ。ただの店員さんです。……あと、手のひらサイズの板で、世界中の誰とでも話せる『スマホ』って道具もあって……」
俺が語る、平和で、魔法のない、しかし便利な世界の話。 最初は「嘘だろ」と笑っていた三人が、次第に身を乗り出してくる。
「ボタン一つで火がつく? ふん、初歩的な火魔法の応用か?」
「いいえ、ガスです」
「世界中の音楽が聴ける箱……? まるで精霊の歌声を閉じ込めたようですね……!」
焚き火を囲んで、ありもしない(俺にとってはあった)世界の与太話で盛り上がる。 笑い声が、岩陰に反響する。 その時だけは、明日の決戦も、世界の管理者も、冷たい風の音も忘れて、ただの冒険者に戻れた気がした。
「へえ……。お前の世界、面白そうじゃねえか」
イグニスさんが、ニッと笑った。いつもの、不敵な笑みだ。
「よし、決めた。全てが終わったら、俺たちもそこへ連れて行け。その『コンビニ』の飯とやらを食い尽くしてやる」
「私も、興味があります。その世界の『理』を、ぜひ解析してみたい」
ゼフィルさんが、眼鏡を光らせる。
「私も……アレンさんが育った世界、見てみたいです」
リリアさんが、穏やかに微笑む。
「……はい。必ず、案内します」
俺は、笑顔で答えた。 どうやって元の世界に戻るのか、そもそも俺たちが彼らを連れて行けるのか、方法はまだ分からない。 だけど、もし俺たちが明日を生き延びて、あの「理」を覆すことができたなら。 そんな未来だって、あるいは。
俺は、仲間たちと見るその未来を、強く思い描いた。
「約束だぞ、アレン!」
イグニスさんが、俺の肩をバンと叩く。 その痛みさえも、今は愛おしい。
夜が更け、三人が寝静まった後。 俺は一人、満天の星空を見上げていた。
(みんな、ありがとう。……絶対に、生き残ろう)
俺は、懐から『空間歪曲の杭』を取り出し、強く握りしめた。冷たい金属の感触が、俺の熱くなった頭を冷やす。 明日は、俺が「鍵穴」を見つける日だ。 そして、イグニスさんが「鍵」を回し、ゼフィルさんとリリアさんが支える。 誰一人欠けても、扉は開かない。
「……おやすみ、アレン」 「……ああ、寝ろよ」 「……明日、頼りにしてます」
背後で、寝たふりをしていた三人の、微かな呟きが聞こえた気がした。 彼らもまた、俺の強がりに気づいていて、それでも乗ってくれたのだ。
互いに互いを守ろうとする、優しくも不器用な嘘と決意が、星降る夜の静寂に溶けていく。 これが、俺たち四人で囲む、最後の晩餐だった。
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番外編は全部で4話ありますので、引き続きお楽しみください。
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