第3話:知恵の一手と、最初の役割
夜の森は、昼間とは全く違う顔を見せていた。 得体の知れない獣の遠吠えが響き、木々のざわめきが人の話し声のように聞こえてくる。
俺は支給された毛布にくるまりながら、燃え盛る焚き火の炎をただじっと見つめていた。 破れたスーツはリリアさんが魔法で繕ってくれたが、慣れない野営の寒さと緊張で、体は小さく震え続けていた。
「おい、アレン。見張り、代わるぞ」
不意に声をかけてきたのはイグニスさんだった。彼は俺の隣にどかりと腰を下ろし、小枝を火の中に放り込む。
「すみません、ありがとうございます」
「いいってことよ。それより、お前……明日からは覚悟しとけよ」
イグニスさんは、傍らに置いてあった予備のショートソードを手に取り、俺に突きつけた。
「明日から、こいつの振り方を叩き込んでやる。文句は言わせねえぞ」
「……俺に、できるでしょうか」
「やるんだよ。できるかできねえかじゃねえ。この森で生き残りてえならな」
彼の言葉はぶっきらぼうだったが、不思議な説得力があった。 俺は黙って頷き、震える手で剣を受け取った。ひやりとした鉄の感触と、想像以上の重み。 これが、人を、そして魔物を殺すための道具。その事実が、この世界の現実を物語っているようだった。
◇
翌朝から、地獄の特訓が始まった。
「踏み込みが甘い! 体全体を使え!」
というイグニスさんの指導は厳しく、現代人の俺の体はすぐ悲鳴を上げた。 そんな中、リリアさんが
「筋肉が驚いているんですね」
と優しく治癒魔法をかけてくれたり、遠くで本を読むゼフィルさんも
「右足の角度をあと5度内側に入れれば、重心が安定するだろう」
と、本から目を離さずに的確な助言をくれたりした。 彼らの不器用な優しさに、俺は自分の無力さを噛み締めた。
旅が始まって五日目、俺たちの水袋が、いよいよ心許なくなってきた。
「くそ、水がもう切れかけか。どこかに川でもあればいいんだが……」
イグニスさんがぼやいた、その矢先。まるで俺たちの願いを聞いていたかのように、せせらぎの音が聞こえてきた。
「おお、あったぞ! これで一安心だ!」
イグニスさんが駆け寄ろうとするのを、ゼフィルさんが鋭く制した。
「待て、イグニス。様子がおかしい」
見ると、その小川の周辺だけ、不自然に静まり返っていた。鳥の声も、虫の羽音すら聞こえない。川の水は透き通っているように見えるが、よく見ると水面が微かに、七色に揺らめいているようだった。
「魔法汚染か……。下手に飲めば、内側から体を蝕まれるぞ。水を浄化しなければ」
イグニスさんの顔に焦りの色が浮かぶ。このままでは、脱水症状で動けなくなるのも時間の問題だ。
俺は、足元の苔に目を留めた。 手のひらサイズの石を転がしてみると、苔は石が触れた瞬間に青白い光を放ち、周囲から麻痺性の胞子を微かに放出した。
「ゼフィルさん、風魔法は厳禁です」
俺は立ち上がり、二人に告げた。
「この苔、外部からの刺激に反応して胞子を撒くタイプです。風で吹き飛ばそうとすれば、谷全体が毒ガスで充満します」
「……『瞬き苔』か」
ゼフィルさんが忌々しげに頷く。
「厄介だな。煮沸して毒素を抜こうにも、熱を加えること自体が刺激になりかねん」
「ならどうする! 水がないままでは、戦闘どころではないぞ!」
イグニスさんが苛立ちを隠せずに地面を蹴る。
「……ゼフィルさん、氷結魔法は使えますか?」
俺の問いに、ゼフィルさんは眉をひそめた。
「使えるが……水を凍らせてどうする? 氷にしたところで、毒素が消えるわけではないぞ」
「いえ、消えます」 俺は断言した。
「はあ? お前、頭湧いたか?」イグニスさんが呆れた声を出す。
「いいえ。ゼフィルさん、海の水が凍って流れてくる氷……流氷をご存知ですか?」
「……知識としてはな。北方の海にあるという」
「その流氷を溶かすと、しょっぱいと思いますか?」
ゼフィルさんは少し考え込み、ハッとした表情で俺を見た。
「……いや、真水になると聞いたことがある。まさか……」
「そうです。水は、ゆっくり凍る時、余計な成分――つまり毒素や塩分を外へ押し出しながら、純粋な水だけで固まろうとする性質があります」
俺は現代の科学知識を、彼らが理解できる現象に例えて説明した。
「苔を刺激しないよう、水流をゆっくりと凍らせれば、毒素を含まない純粋な氷だけを取り出せるはずです」
ゼフィルさんは、片眼鏡の奥の瞳を細めた。
「……なるほど。魔術的な浄化ではなく、物質の性質そのものを利用するとはな……。非合理的極まりない発想だが、理論上は筋が通っている」
「やる価値はあるな」
イグニスさんがニヤリと笑う。
「アレン、お前の知恵に賭けるぜ」
作戦は成功した。 ゼフィルさんの繊細な魔力操作で凍らせた氷を、イグニスさんが慎重に切り出し、リリアさんが溶かして水を確保する。 冷たい水が喉を潤す感覚は、まさに生き返る心地だった。
「アレン、お前すげえな! 俺なら力任せに苔を焼いて、毒ガスまみれになってたぜ」
イグニスさんがガシガシと俺の頭を撫でる。
「君の着眼点は、我々にはないものだ。評価しよう」
ゼフィルさんの言葉に、俺は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
だが、安堵も束の間。その日の午後、さらなる絶望が目の前に立ちはだかった。 巨大な崖だ。左右に果てしなく続き、上は見上げるほど高い。
「ちっ、今度はこれかよ……」
イグニスさんが舌打ちする。
「迂回するには、少なくとも三日はかかるぞ」
「登攀は不可能だ」
ゼフィルさんが断言する。
「岩盤が脆すぎるし、魔力が濃い。『理の歪み』がある場所特有の気配だ。迂回するしかない」
三日。リリアさんの体力は限界に近い。迂回すれば、彼女が倒れてしまうかもしれない。 俺は諦めきれずに崖を見渡した。 その時、俺の視界の隅に、奇妙なものが映った。
崖の岩肌の一部、そこだけ色がわずかに違い、まるで不自然に風景に溶け込ませたような「円形の穴」がぽっかりと口を開けていたのだ。
「あそこに、洞窟があります。あそこを通れば……」
俺が指さすと、三人は怪訝な顔をした。
「洞窟? どこだ?」
イグニスさんが目を凝らす。
「ただの岩壁じゃねえか」
「え?」
俺は驚いて、もう一度指さした。
「あそこですよ。あの大きな岩の影、色が少し違う……」
「……アレン」
ゼフィルさんが、鋭い視線を俺に向けた。
「私には、そこには何もないように見える。魔力探知にも反応はない。……だが、君には『穴』が見えていると言うのか?」
「はい、はっきりと……」
ゼフィルさんは、半信半疑といった様子で杖を構え、俺が指さした場所へ向けて、初級の風魔法『ウィンドカッター』を放った。 風の刃が岩壁に直撃する――はずだった。 刃は、岩壁に当たる直前で、まるで水面に吸い込まれるように「岩の中」へと消えていった。
「なっ!?」
イグニスさんとリリアさんが驚愕の声を上げる。
「……認識阻害の結界か」
ゼフィルさんの表情が、驚きから戦慄へと変わる。
「それも、魔力を持たない生物には作用しない、あるいは『魔力そのものを認識させない』高度な術式だ。……だから、魔力探知もすり抜けたのか」
ゼフィルさんは、俺をまじまじと見つめた。
「我々魔術師の目を欺く結界を、君は素の目で見破った。……君の目は、一体どうなっている?」
「た、ただ見えただけで……」
「まあいい。おかげで道は見つかった」
イグニスさんが豪快に笑い飛ばしてくれたおかげで、俺への追求は終わったが、ゼフィルさんの視線には、探究心のような熱が宿っていた。
洞窟の中は、古代の通路のようだった。 俺たちは、認識阻害の結界を抜けて洞窟を進み、半日もかからずに崖の向こう側へと抜けることができた。
出口から差し込む太陽の光を浴びた時、俺は心から安堵のため息を漏らした。
「アレン、お前すげえな! 水のことも、この洞窟のことも! お前がいなきゃ詰んでたぜ!」
イグニスさんが俺の背中を叩く。その衝撃でむせ返ったが、嫌ではなかった。
「なるほどな。力とは、なにも剣や魔法だけを指すわけではない、か」
ゼフィルさんが独り言のように呟く。
「その異質な『視点』と『発想』……評価に値する」
この日、俺は初めて自分の力で仲間の役に立つことができた。 それは、理不尽な奇跡ではなく、俺自身の知識と観察力がもたらした結果だった。 胸の中に、温かい達成感がじんわりと広がっていくのを感じながら、俺たちは開けた平原へと足を踏み出した。
遥か彼方、地平線の先に、巨大な城壁都市のシルエットが浮かび上がっていた。
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