第28話:俺たちの奇跡
俺の体が、光の粒子となって崩れていく。 痛みはない。あるのは、自分が拡張されていくような、不思議な感覚だけ。
俺という「異物」を触媒にして、リリアさんの黄金の光(意志)、ゼフィルさんの構築した術式(知恵)、そしてイグニスさんの聖剣の輝き(力)が、完全に一つに溶け合っていく。
それは、管理者の放つ「冷たい完璧さ」とは対極にある、熱くて、泥臭くて、そして何よりも温かい「混沌」の奔流だった。
『――ERROR. ERROR. 規格外ノ論理ヲ、検知』
管理者の無機質な思考に、ノイズが走る。 拒絶しようとしても、できない。 俺という「異物」が、システムの内側に入り込み、管理者の定義する「不要な感情」を「必要な構成要素」へと書き換えていくからだ。
『理解、不能。コノ感情、コノ光ハ、ナンダ――』
「……教えてやるよ」
肉体を失った俺の意識が、直接システムに語りかける。
「これは『絆』だ。効率も、計算も超えて……ただ、誰かを想うだけで生まれる、最強のバグだ」
『……絆……』
管理者の無機質な体が、その形を保てずに光の粒子となって霧散していく。 天を突いていた『調律』の光の柱もまた、その禍々しい輝きを失い、崩壊していた足場が、静かに元の広大な水晶の平原へと再構成されていく。
世界の悲鳴が止む。 後には、ただ温かい黄金の光と、神聖なまでの静寂だけが残された。
光の中で、俺は最後に、仲間たち一人ひとりに声をかけた。 言葉ではない。魂から魂へ、直接響く想いの波。
『イグニスさん』
俺の呼びかけに、呆然と空を見上げる赤髪の戦士が反応する。
『あなたは、もう過去の亡霊に縛られる必要はありません。あなたの剣は、誰も傷つけず、みんなを守り抜きました。……俺にとって、あなたは最強の英雄です』
『ゼフィルさん』
膝をつき、震えている魔術師へ。
『あなたの知識がなければ、俺たちはここまで来れませんでした。冷徹なんかじゃない。あなたは誰よりも熱い探究心で、俺たちの道を照らしてくれました。……あなたの知恵は、俺の誇りです』
『リリアさん』
涙を流し、祈るように手を組む少女へ。
『あなたの祈りは、神頼みなんかじゃなかった。運命さえもねじ伏せる、強い意志でした。その強さが、俺の心を救ってくれました。……俺に、人の温もりを教えてくれて、ありがとう』
そして、最後に。 三人の心に、同時に、俺の声を届ける。 涙声にはしたくない。 この世界に来て、この最高のパーティーに出会えたことへの、心からの感謝を込めて。
『みんなと会えて、本当に……幸せだった』
その言葉を最後に、俺の意識は世界という巨大なシステムの中に溶け――そして、個としての輪郭を失った。
◇
世界を包んでいた黄金の光が、まるで夜明けの霧のように、ゆっくりと晴れていく。 水晶の平原は、元の穏やかな山頂の姿を取り戻し、砕け散った虚空には、温かい夜明けの光が、地平線の彼方から差し込み始めていた。
だが、そこにアレンの姿は、どこにもなかった。
「……アレン」
最初に静寂を破ったのは、イグニスだった。 彼は、その場に崩れ落ちそうになる膝を叱咤し、聖剣を杖にして立ち上がった。
「……あいつ、最後まで……格好つけやがって……!」
彼は、空っぽになった空間を睨みつけ、そして、獣のように咆哮した。
「うおおおおおおおおおおおおっ!!」
世界を救った英雄の、あまりに人間臭い、悲痛な慟哭がこだまする。 その隣で、ゼフィルが、魔術師のプライドも、怜悧な理論もかなぐり捨てて、地面を拳で殴りつけた。
「……馬鹿者が……! 私の計算を超えていくな……! 一人で、勝手な解を出すな……!」
リリアは、その場に泣き崩れ、アレンが最後に立っていた場所の空気を、抱きしめるように掴んだ。 世界は救われた。 だが、彼らにとっての世界の中心は、今、失われてしまったのだ。
アレンが最後に立っていた場所。 そこには、リリアがセレニテの鐘楼で彼に結んだ、あのカザニアの花のお守りが、ぽつんと落ちていた。 まるで、彼がここにいた最後の証拠のように。
どれくらいの時間が、経っただろうか。 昇り始めた朝日が、生まれ変わった世界を、黄金色に染め上げていく。
最初に顔を上げたのは、やはりイグニスだった。 彼は、涙で濡れた頬を乱暴に拭うと、落ちていたお守りを拾い上げ、大切に胸のポケットにしまった。
そして、アレンが遺した聖剣を、その両手で、まるで祈るかのように、ゆっくりと引き抜いた。
「……行くぞ」
彼の声は、静かだったが、夜明けの空に響き渡る、揺るぎない決意に満ちていた。
「アレンが守ったこの世界には、まだ『調律』の傷跡が残ってる。放っておけば、また誰かが泣くことになる」
「……そうだな」
ゼフィルが、眼鏡の位置を直し、立ち上がる。その目は赤かったが、光は失われていなかった。
「あいつなら、きっとこう言う。『システムに残ったバグを、デバッグ(修正)して回りましょう』と」
「……はい」
リリアも、涙を拭って立ち上がる。
「アレンさんが愛したこの世界を……私たちが、守り続けなきゃいけません」
三人は、顔を見合わせた。 そこにはもう、迷いはない。 アレンはいなくなったのではない。この世界の「理」そのものに溶け込み、今もどこかで俺たちを見ている。 ならば、下を向いてはいられない。
「終わらせるぞ。あいつが、いつか安心して『ただいま』って言えるようにな」
その言葉に、ゼフィルとリリアも、力強く頷いた。 三人は、アレンの意志を継ぎ、世界に残った歪みを正すための、新たな旅路へと足を踏み出した。
◇ ◇ ◇
数ヶ月後。 季節は巡り、世界は少しずつ、だが着実に平穏を取り戻しつつあった。 イグニス、ゼフィル、リリアの三人は、今も旅を続けている。
とある寂れた村。かつて『灰色の笑顔』によって全ての感情を奪われた人々が、後遺症に苦しむ場所。 三人は、村の中央で作業にあたっていた。
「ゼフィル、配置についたぞ!」
「了解した。……座標固定、位相ズレ修正!」
ゼフィルが、地面に突き立てた『空間歪曲の杭』を起点に、複雑な術式を展開する。 それは、かつてアレンが即興で見せた、「理の穴」を突く独自の理論を、ゼフィルが体系化した新たな魔術だった。
「リリア!」
「はい! ……癒やしよ、彼らの心に!」
リリアが、術式の核に祈りを捧げる。 彼女の祈りは、以前のような「神への嘆願」ではない。人々の心の傷を、自らの意志で縫い合わせる「魂の外科手術」だ。
最後に、イグニスが聖剣を天に掲げる。
「戻りやがれぇぇぇっ!」
聖剣の光が、術式を通して村全体に拡散する。 すると、人々の瞳に光が戻り、止まっていた感情が、涙と共に溢れ出した。
破壊ではなく、再生と癒やし。 三位一体のその力は、アレンが遺した希望そのものだった。
作業を終え、村の酒場で休息を取っていた時のことだった。 隣の席で、遠い街から来たという旅の商人が、興奮気味に噂話をしていた。
「いやあ、最近、東の方で不思議な噂があってな。黒髪の奇妙な服を着た旅人が現れるって話だ」
その言葉に、三人の動きが、ぴたりと止まった。
「なんでも、枯れ木に花を咲かせたり、汚れた水を一瞬で浄化したりするらしいんだが……魔法を使ってる気配がねえんだと。『ちょっとした化学反応ですよ』なんて、訳の分からねえ理屈を言って、去っていくらしい」
「……化学、反応……」
ゼフィルが、カップを取り落としそうになる。
「黒髪の、旅人……」
リリアの手が震える。
イグニスが、ニヤリと笑った。 その顔は、泣きそうなくらいくしゃくしゃだったが、最高に嬉しそうだった。
「……へっ。まったく、世話の焼ける野郎だ」
声には出さない。 だが、三人の心は、完全に一つだった。
(((迎えに行こう)))
彼らの、世界を癒す旅に、新たな、そして最大の目的が加わった瞬間だった。
三人は、代金を置いて席を立った。 外に出ると、満天の星が輝いている。 その星空の向こう、世界のどこかで、あの懐かしい声が「やれやれ」と笑っている気がした。
「競走だ。遅れた奴は、あいつに奢りだからな!」
「望むところだ。私の探索魔法からは逃げられんぞ」
「私も負けません! アレンさんの気配なら、誰よりも早く見つけられます!」
三人は、新たな希望へと続く夜明け前の街道を、力強く駆け出した。 かつてないほど軽やかな足取りで。 いつか訪れる、最高の再会を信じて。
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