第25話:魂の寄生と、司令塔の切断
セレニテの街に「人間的な混沌」を取り戻した俺たち。 だが、その勝利は、同時に俺たち「異分子」が、あの「理」にとって、より厄介な脅威として認識されたことを意味していた。
旅の道中、俺たちのパーティーの空気は、日に日に重くなっていった。 きっかけは、些細なことだった。
「アレン、本当にこの道で合っているのか」
御者台で地図を睨みつけながら、イグニスさんが不機嫌な声で呟いた。 眉間に深い皺が刻まれ、貧乏ゆすりが止まらない。
「はい。昨日ゼフィルさんと確認した、賢者の森への最短ルートのはずですが……」
「……チッ。だが、俺の『勘』が、こっちは危険だと告げている。お前の指示に従うと、どうも背中がむず痒いんだよ」
以前の彼なら、俺の「目」を信じ、「任せる」と言ってくれたはずだ。 だが、今の彼の瞳には、俺の知恵に対する、明らかな「疑念」と「生理的な嫌悪」の色が浮かんでいた。
「イグニス、アレンの分析を疑うのか。非合理的だ」
ゼフィルさんが、馬車の荷台から冷静に口を挟む。 だが、その言葉にも棘がある。
「だが、アレン。君の計画は少し『慎重すぎる』きらいがあるな。もっと効率的に、リスクを取ってでも進むべきではないか? 最近の君は、臆病風に吹かれているように見える」
「……慎重さは必要です。敵の戦力が未知数なんですから」
「フン……。その『未知数』を解明するのが君の役割だろう。怠慢ではないか?」
ゼフィルさんの冷ややかな視線。 リリアさんも、二人の仲裁に入るでもなく、どこか上の空で聖印を握りしめている。
おかしい……
俺は、その光景に強烈な違和感を覚えていた。 まるで、街道での初陣の前に戻ってしまったかのような、ぎこちない不協和音。 あれほど固く結ばれたはずの俺たちの「絆」が、目に見えないヘドロのようなもので、内側から静かに汚染されているかのようだ。
その、パーティーの連携が最も乱れ、空気が最悪になった瞬間を狙いすましたかのように。
「――来るぞ!」
ゼフィルさんの警告と同時に、街道の脇の森から、複数の魔物が姿を現した。 それは、以前遭遇した統率された狼たちと、それを率いる黒いローブの魔術師たち。 だが、数が違う。倍以上の規模だ。
「チッ、どいつもこいつも……イライラさせやがって!」
イグニスさんが、苛立ちを隠さずに聖剣を抜き放つ。
「イグニスさん、待って! 敵の狙いは後衛のリリアさんです! まず陣形を固めて……」
俺は「司令塔」として叫ぶ。
だが、俺の指示は、届かなかった。
「うるさい! 指図すんな!」
イグニスさんは、俺の指示を無視し、単独で敵陣へと突撃していく。
「俺のやり方でやる! 邪魔だ!」
「イグニスさん!」
リリアさんの悲痛な叫び。だが、彼女の反応も遅い。
「アレン、構うな! イグニスを援護するぞ!」
ゼフィルさんが、イグニスさんの開けた穴を塞ぐように、広範囲魔法の詠唱を始める。
「ダメです、ゼフィルさん! 敵の魔術師があなたを狙っている! まずは回避を!」
「黙れ! 君のその『臆病な理屈』には付き合いきれん! 攻撃こそ最大の防御だ!」
ゼフィルさんまで……!?
俺の指示を無視したゼフィルさんの魔法は、敵の魔術師が展開した対抗呪文によって相殺され、爆風となって彼自身を吹き飛ばした。
連携は、完全に崩壊した。
イグニスさんは、突出したせいで魔物の群れに囲まれて孤立。 ゼフィルさんは、カウンターを食らって体勢を崩す。 リリアさんは、その二人を守ろうとパニックになり、無駄に魔力を消費している。
「くそっ……!」
その混乱の中、俺も魔物の一体の側面攻撃を避けきれず、無理な体勢で着地してしまう。
ボキッ。
「ぐっ……!」
嫌な音と共に、右足首に激痛が走った。 骨がいったか、靭帯をやったか。脂汗が噴き出し、立てない。
そして、その俺の負傷を見逃すはずもなく、敵の魔術師の冷徹な杖先が、最も無防備なアレン――俺に向けられた。
「死ね、司令塔」
漆黒の雷が放たれる。 回避不能。防御手段なし。
ここまで、か……!
俺が死を覚悟し、目を閉じたその瞬間。
ガキンッ!
金属が弾ける音が響き、衝撃波が俺の髪を揺らした。 目を開けると、そこには、息も絶え絶えのイグニスさんが、聖剣で雷を受け止め、俺を庇うように立ちはだかっていた。
「……イグニス、さん……!」
「……へっ。勘違いすんなよ……」
彼は、肩で息をしながら、苦しげに顔を歪めた。
「体が……勝手に動いただけだ。……チッ、頭が割れそうだ……!」
彼の瞳の中で、何かがせめぎ合っている。 俺への「拒絶」と、芯にある「信頼」。 二つの感情が激しく衝突し、彼を苦しめている。
そうだ。彼らの心は、壊れてなんていない。 何かが、彼らの「絆」を、外から強制的に書き換えているんだ!
俺は、懐から『解析のレンズ』を取り出すと、震える手で目に装着した。 足の激痛をこらえ、戦場全体を俯瞰する。
「……見えろ!」
レンズ越しに見た世界は、おぞましいものだった。
イグニスさん、リリアさん、ゼフィルさん。 三人の首筋から、まるで悪意に満ちたマリオネットの糸のように、禍々しい紫色の魔力のラインが伸びている。 その糸は、空の彼方――雲の上に隠れているであろう、敵の本体へと接続されていた。
これか……! 奴らの『精神汚染』……!
奴は、俺たちの精神を直接破壊するのではなく、俺たちの「絆」や「信頼」を司る感情回路に「寄生」し、疑念や嫉妬といったノイズを送り込むことで、連携を機能不全にさせていたのだ。
そして、俺だけが、この世界の「理」の外にいる「異世界人(異分子)」だから、この精神干渉を免れている!
「皆さん、聞いてください! 敵は目の前の魔物じゃない! あなたたちに繋がれた『糸』です!」
俺は、司令塔として、最後の指示を絶叫した。
「イグニスさん! 俺を信じて、動かないでください! その『ノイズ』を断ち切ります!」
「あぁ……? 何を……」
俺は、腰のベルトから『空間歪曲の杭』を一本引き抜いた。 この杭は、空間を固定し、因果を断ち切る。 これなら、あの魔力の糸を物理的に切断できるはずだ。
だが、そのためには、イグニスさんの首筋ギリギリに、この杭を突き立てなければならない。 信頼関係が崩れかけた状態で、そんなことができるか? もし彼が俺を敵と認識して暴れれば、俺は斬り殺される。
やるしかない……! 信じろ、俺たちの絆を!
俺は、激痛の走る右足を引きずり、イグニスさんの背後に飛び込んだ。
「うおおおおおっ!」
気合と共に、杭を振りかぶる。 イグニスさんが、殺気を感じて振り返る。その目には、敵意の光が宿りかけている。
「アレン、てめえ……!」
大剣が動き出す。俺の首を飛ばす軌道だ。 それでも、俺は止まらない。
ドスッ!
俺が杭を突き立てたのは、彼の首そのものではなく、その数センチ横――紫色の糸が接続されている「空間」だった。
キィィィン!!
杭が空間に固定された瞬間、見えない糸が切断され、ガラスが割れるような音が響いた。
「ぐっ……!?」
イグニスさんの動きが止まる。 振り上げられた大剣が、俺の鼻先でピタリと停止した。 彼の瞳から、濁った光が消え、いつもの澄んだ、力強い光が戻ってくる。
「……アレン? 俺は、何を……」
「説明は後です! ゼフィルさんとリリアさんも、操られています!」
俺は、固定された杭を引き抜いた。
「……なるほどな。胸糞悪ぃ真似をしやがる」
状況を瞬時に理解したイグニスさんが、聖剣を構え直す。その顔には、自分を操ろうとした敵への激しい怒りが浮かんでいた。
「アレン、俺の背中に乗れ! お前の足じゃ追いつけねえ!」
「はい!」
俺はイグニスさんの背中に飛び乗った。
「ゼフィルさんの右側です! そこに糸があります!」
イグニスさんが疾走する。 魔物の群れを聖剣で蹴散らし、ゼフィルさんの元へ。
「離れろ! 近づくな!」
ゼフィルさんが攻撃魔法を向けようとする。
「目を覚ませ、インテリ野郎!」
イグニスさんが、魔法の射線を強引にかいくぐり、俺をゼフィルさんの背後へと放り投げる。 俺は空中で体勢を整え、ゼフィルさんの首元の空間に、杭を突き立てた。
パリンッ!
「がはっ……!?」
ゼフィルさんが膝をつく。糸が切れた。
「……くっ、私は……思考を誘導されていたのか……!」
残るはリリアさんだ。 彼女は、魔物に囲まれ、恐怖で縮こまっている。その背中には、太い糸が繋がっている。
「イグニスさん、ゼフィルさん! 道を開けてください!」
「任せろ!」
「借りはこの場で返す!」
イグニスさんの剛剣と、ゼフィルさんの氷結魔法が、リリアさんへの道をこじ開ける。 俺は、痛む足で地面を蹴り、リリアさんの元へと滑り込んだ。
「リリアさん、じっとして!」
「いや……来ないで……!」
拒絶する彼女の悲鳴を無視し、俺は三度、杭を突き立てた。
パリンッ!
糸が切れ、リリアさんが崩れ落ちる。俺がそれを抱き止めた。
「……アレン、さん……?」
彼女の瞳から、怯えの色が消える。
「……ふぅ。全員、正気に戻りましたね」
俺は、その場にへたり込んだ。足が限界だ。
「……さて、と」
ゼフィルさんが、忌々しげに眼鏡の位置を直しながら、空を見上げた。
「私の知性に、無粋なノイズを混ぜてくれた礼だ。……きっちり、支払わせてもらおう」
「アレン!」
イグニスさんが、聖剣を掲げて笑う。
「指示をくれ! 今の俺たちなら、神様だってぶった斬れる気分だ!」
「はい!」
俺は叫んだ。
「全員、反撃開始! 空の上の『操り手』ごと、敵を一掃してください!」
絆を取り戻した――いや、試練を越えてより強固になった俺たちの「四位一体」の猛攻は、凄まじかった。 魔物の群れは瞬く間に殲滅され、空に潜んでいた術者も、ゼフィルさんの極大魔法で撃ち落とされた。
戦闘後。 俺の腫れ上がった足首を、リリアさんが涙目で治療してくれている。
「ごめんなさい……私、アレンさんに酷いことを……」
「気にするな。俺だって斬りかかろうとしたんだ」
イグニスさんが、バツが悪そうに頭をかく。
「……だが、これで分かった」
ゼフィルさんが、俺たちを見回して言った。
「奴らは、我々の『連携』を最も恐れている。だからこそ、そこを狙ってきたのだ」
俺たちは頷き合った。 「システム」の脅威は、物理的なものだけではない。心すら標的にされる。 だが、俺たちの絆は、その理不尽な干渉さえも乗り越えられることを証明したのだ。
俺たちは、西の山脈を見据える。 そこには、全ての元凶が待っている。
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