第24話:灰色の笑顔と、魂の聖域
風鳴きの山脈を踏破し、最強の「武器(聖剣)」と「目(解析のレンズ)」を手に入れた俺たちは、山脈の麓にある街「セレニテ」へと補給のために立ち寄った。
聖剣の守護者との死闘で消耗した体力は限界に近かったが、俺たちの心は、強大な「理」に対抗しうる武器を手に入れたことで、確かな希望に満ちていた。
「よし、今夜は久しぶりにふかふかのベッドで眠れそうだな!」
イグニスさんが、腰に差した聖剣の感触を確かめながら、楽しそうに笑う。 リリアさんも、その言葉に嬉しそうに頷いていた。
だが、街に近づくにつれて、俺は奇妙な違和感を覚え始めていた。 活気あるはずの商業都市が、不気味なほど整然としている。 門の上に見える衛兵の姿も、まるで精密な時計仕掛けの人形のように、一糸乱れぬ動きで巡回している。
「……なんだか、空気が張り詰めていませんか?」
俺の呟きに、ゼフィルさんも眉をひそめる。
馬車が街の門をくぐった瞬間、俺は息をのんだ。
街は、完璧な効率で「動いて」いた。 商人たちは、一分の隙もない、完璧な笑顔で商品を並べている。 子供たちは、完璧な笑顔で、整列して広場を歩いている。
だが、その光景には「音」がなかった。 笑い声も、怒鳴り声も、喧騒もない。ただ、衣擦れの音と足音だけが、規則的なリズムで響いている。
広場の真ん中で、一人の子供が転んだ。 膝を擦りむき、血が出ている。普通なら泣き叫ぶはずだ。 だが、その子は、涙を流しながらも、口元だけは三日月のような形に歪め、無理やり笑顔を作って立ち上がった。
「……ひどい」
リリアさんの声が、恐怖に震えていた。
「魂が……『無』です。個人の感情が塗りつぶされ、一つの巨大な意志によって強制的に動かされています……!」
「ああ」
ゼフィルさんも戦慄の表情を浮かべる。
「街全体が、一つの巨大な『術式』に支配されている。……これこそが、賢者様の言っていた『調律』か!」
「チッ、胸糞悪ぃ笑顔だぜ」
イグニスさんが、聖剣の柄に手をかけながら、低い声で呟いた。
「……俺の『目』で、確認してみます」
俺は、懐から手に入れたばかりの『解析のレンズ』を取り出した。 片眼鏡型のそれを右目に装着し、魔力を通す
といっても俺には魔力がないので、レンズ自体に込められた魔力が起動する。
カッ、と視界が白く明滅し、次の瞬間、世界が一変した。
「うっ……!」
俺は思わずよろめいた。情報量が多すぎる。 視界が、この世界の「理」そのものの設計図とも言える、無数の幾何学模様と魔力のラインで埋め尽くされたのだ。 街中の人々から、紫色の細いラインが伸びている。それは蜘蛛の巣のように空を覆い、街全体を支配している。
「アレン、大丈夫か?」
イグニスさんが支えてくれる。
「平気です。……見えます。街全体が、無数のラインで縛られています。『最適解の行動』を強制する、精神支配の術式です」
俺はレンズの焦点を絞り、そのラインの収束先を追った。 全ての糸が、街で最も高い大聖堂の鐘楼の一点に集まっている。
「皆さん、鐘楼です! あそこが、この街を支配する『術式』の中枢です!」
◇
鐘楼の内部。巨大な鐘の真下で、俺たちはついに敵の本体と対峙した。 だが、そこに人の姿はなかった。
そこに在ったのは、不気味な紫色の光を放つ、巨大な『魔法陣』そのものだった。 空中に固定された幾何学模様の光が、心臓のように明滅し、この街の「理」を書き換え続けている。
「こいつが元凶か!」
イグニスさんが聖剣を抜き放ち、その白銀の刃を、魔法陣の中心にある水晶へと振り下ろす。
ガァァァァァン!!
だが、刃が届く寸前、水晶を守るように展開された紫色の障壁に阻まれ、甲高い音を立てて弾き返された。
「ダメだ、アレン!」
ゼフィルさんの絶望的な分析が響く。
「我々の攻撃は、この世界の理の内側にある。だが、あの障壁は……理そのものを拒絶する『絶対防御』だ!」
いや……今度こそ、違う!
俺は、懐からもう一つのアイテムを取り出した。 聖剣の祭壇で手に入れた、『魔力攪乱の香炉』。
「ゼフィルさん、これを使ってください! 奴の『理』を乱して、隙を作ります!」
俺は香炉をゼフィルさんに投げ渡した。 ゼフィルさんはそれを受け取ると、中に込められた『星の涙』の香に、即座に魔力で着火した。
「……承知した! 『フィールド・ジャミング』!」
香炉から、ゆらりと紫色の煙が立ち上る。 その煙が広がった瞬間、空間が歪んで見えた。 まっすぐなはずの線が曲がり、色が反転する。 周囲の「魔力法則」そのものをランダムに書き換える煙が、敵の完璧な防御術式に干渉する。
『ギ……ギギ……』
魔法陣の明滅が乱れ、不協和音のようなノイズが走った。 完璧だった障壁の制御が、一瞬だけ揺らぐ。
「イグニスさん、今です!」
俺は『解析のレンズ』で、香炉によって揺らいだ敵の防御システムの、その中心核――ほんの一瞬だけ生まれた、魔力供給の「空白地帯」を睨みつけていた。
「核の中心から指三本分右! そこだけ防御が薄くなっています! 全力で突いてください!」
「うおおおおおおおおおおっ!」
イグニスさんが、俺の指示を信じ、その一点に向かって聖剣を突き込もうとする。
だが、その瞬間。 魔法陣が、俺たち「異物」の排除を最優先し、防衛プログラムを起動させた。
ブォン!
物理攻撃ではない。 「個の意志」そのものを消去し、街の住人と同じ「笑顔の人形」に変えようとする、おぞましい精神汚染の光が、俺たち全員を飲み込もうと広がった。
「ぐっ……頭が……!」
「意識が……塗りつぶされる……!」
イグニスさんとゼフィルさんが、苦悶の声を上げて膝をつく。 俺も、レンズ越しに見える情報の奔流に脳を焼かれそうになる。思考が白く染まり、楽になれと囁く声がする。
ダメだ……ここで意識を失ったら、全員終わる……!
その、絶望的な光景の中、リリアさんだけが、立っていた。
「――させません!」
彼女の体から、黄金の光が溢れ出す。 それは、イグニスさんを救うために魂を削ったことで得た、もはや信仰すら超えた「意志」の力。
「私たちの痛みも、迷いも、全部私たちが選んだものです!」
彼女は、迫りくる精神汚染の光を、その身一つで受け止めていた。 鏡の間で見せた、あの覚悟。 神に縋るのではなく、運命をねじ伏せてでも仲間を守るという、彼女自身の「エゴ」。
「神様にだって……あなたたちシステムにだって、絶対に奪わせない!」
彼女の魂の叫びが、黄金の盾となり、俺たちを精神汚染から完全に遮断した。 汚染の光が、黄金の盾に弾かれて霧散する。
……強い
俺は、震える足で踏みとどまりながら、彼女の背中を見た。 彼女はもう、守られるだけの存在じゃない。俺たちの中で誰よりも強く、気高い「戦士」だ。
「今だ、イグニスさん!」
俺の最後の絶叫が響く。
「うおおおおおおおおおおっ!」
リリアさんが守ってくれた、その一瞬の隙。 イグニスさんは、仲間たちの全ての想いを乗せた聖剣の突きを、寸分の狂いもなく、無防備になった『核』へと叩き込んだ。
パリィィィィィィィン!!
硬質な音が響き渡り、紫色の水晶が粉々に砕け散る。 魔法陣が断末魔のような光を放ち、霧散していく。
聖剣の「理を覆す力」が、アレンの「知恵(レンズと香炉)」と、リリアの「意志」によって導かれ、初めて「理」そのものに完全な勝利を収めた瞬間だった。
◇
魔法陣が消滅すると、鐘楼の外から、ざわめきが聞こえ始めた。
俺たちが外を見ると、止まっていた街の時間が、再び動き出していた。 人々を縛り付けていた「完璧な笑顔」が消え、彼らは一斉に「何が起きたんだ?」と混乱し、座り込み、あるいは理由もなく泣き出した。 転んだ子供が、ようやく大声で泣きじゃくり、母親がそれを抱きしめる。
無機質な効率の世界は終わり、人間らしい、温かい混沌が、街に戻ってきたのだ。
「……終わったな」
イグニスさんが、聖剣を鞘に納める。
「ああ。だが、これは始まりに過ぎない」
ゼフィルさんが、香炉の火を消しながら言った。
「我々は今、世界の『理』に対して、明確な反逆の狼煙を上げたのだから」
俺たちは、その光景を、言葉もなく見守っていた。 俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。
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