第19話:魂の天秤と、第三の選択
鏡の回廊を突破した俺たちは、仲間との絆を再確認し、次なる試練の扉へとその一歩を踏み出した。 回廊の最奥で俺たちを待っていたのは、静かに佇む巨大な両開きの扉だった。 これまでの試練とは異なり、何の術式も、謎かけも刻まれていない。ただ、圧倒的な威圧感だけがある。
「……行きますよ」
俺が扉に手をかけると、それは何の抵抗もなく、重々しい音を立ててゆっくりと開いていった。
その先に広がっていたのは、星空のように天井が高い、荘厳な円形の神殿だった。 壁に埋め込まれた青白い鉱石が、冷たい光を投げかけている。 そして中央には、人の背丈を遥かに超える巨大な天秤が、絶対的な存在感を放って鎮座していた。
俺たちが息をのんで足を踏み入れた、その瞬間だった。
天秤の左の皿に、魔法の光が集束し、イグニスさんの幻影を形作った。 幻影の彼は目を閉じて横たわり、その胸には砂時計のような光が浮かび、砂が刻一刻と落ちている。
『――賢者を求める者よ。汝らが背負うその命の重さ、我が天秤で量らせてもらう』
どこからともなく、荘厳で、感情のない声が神殿全体に響き渡った。 それは、この空間を支配する「理」そのもののようだった。
『彼を救いたくば、その命と釣り合うだけの『代償』を、右の皿に捧げよ。さもなくば、その資格なしとして、汝らの魂ごとここで消去する』
声が止むと、天秤の前に、二つの祭壇が音もなく出現した。
第一の祭壇には、黒ずんだ水晶が置かれている。 中には、苦悶の表情を浮かべるゴブリンやオークといった、魔物の魂が無数に封じ込められていた。 『百の魂』という、簡潔な札が添えられている。
第二の祭壇には、空の杯が三つだけ、静かに置かれている。 『三つの未来』という札。 それが俺たち三人の寿命や魔力、あるいは才能といった、未来そのものを捧げるためのものであることは、魔術師でなくとも直感できた。
究極の選択。 世界の理が突きつけてきた、魂の「等価交換」。 俺たちの間に、重い、重い沈黙が落ちる。
「……う……ぐっ……」
背負っていた本物のイグニスさんが、苦しげな呻き声を上げた。 彼の体温は、もう死体のように冷たい。 タイムリミットは、刻一刻と迫っている。
「――迷う必要はない」
最初に動いたのは、ゼフィルさんだった。 彼の表情は、鋼のように冷たく、硬質だった。 非情であっても、今は合理的に判断すべきだ。彼はそう結論付け、第一の祭壇――『百の魂』の水晶へと、迷いなく手を伸ばした。
パシンッ!
甲高い音が、神殿に響き渡った。 リリアさんが、涙を流しながら、ゼフィルさんのその手を叩き落としていた。
「いけません!」
彼女は、叫ぶように彼の前に立ちはだかった。 その瞳には、神官としての揺るぎない意志の光が宿っていた。
「戦いの中でやむを得ず命を奪うことと、こうして無抵抗な魂を『生贄』に捧げることは全く違います! これは、ただの虐殺です! そんな汚れた儀式で得られた命を、イグニスさんが喜ぶはずがありません!」
「感傷に浸るのは、彼が助かってからだ!」
ゼフィルさんも、珍しく声を荒げる。
「我々は、彼を救うためにここまで来た! その目的を前に、手段の清濁など些事だ! どけ、リリア!」
「嫌です! どきません!」
二人が激しく睨み合う。 合理性と倫理観。どちらも正しい。だからこそ、答えが出ない。
その、絶望的な光景を前に、俺はふと、第二の祭壇を見た。 『三つの未来』。俺たちの未来を差し出せば、誰も傷つけずに済む。
俺の未来なんて、たかが知れている。元の世界でも空っぽだったんだ。ここで使い切れるなら……
俺の足が、無意識に第二の祭壇へと向かいかけた時。 リリアさんが、俺よりも早く、その杯に手を伸ばそうとしていた。
「……だったら、私が……!」
「ダメだ、リリアさん!」
俺とゼフィルさんは、慌てて彼女の腕を掴んで引き戻した。
「離してください! 誰か一人を犠牲にして進むくらいなら……私の未来くらい、いくらでも!」
「馬鹿なことを言うな! 君一人の犠牲で済む保証などない!」
三者三様の正義。三者三様の、仲間を想う心。 その全てがぶつかり合い、議論は完全に平行線をたどる。
その、焦燥と不協和音が頂点に達した、その瞬間だった。
『……愚かな。選べぬ者には、死あるのみ』
天秤の声が響き、神殿の空気が重くなる。 処刑の時間が迫っていた。
違う……! 何かがおかしい……!
仲間を失うという絶対的な恐怖を前に、俺は感情で突っ走るのをやめた。 深呼吸をし、冷たい空気を肺に入れる。 俺は司令塔だ。この状況を、この悪趣味な「試練」の本質を、分析しろ。
俺は、天秤そのものを構成する術式の流れを、じっと凝視した。 天秤は揺れていない。最初から、イグニスさんの幻影が乗った左側が下がったままだ。
おかしい……!
俺の脳が、警鐘を鳴らす。 もしこれが「等価交換」なら、提示された代償を乗せれば釣り合うはずだ。 だが、術式の魔力回路は、どちらの祭壇を選んでも、最終的に「破滅」の回路へと繋がっているように見える。
第一の祭壇を選べば、大量の怨念がイグニスさんの魂を汚染する。 第二の祭壇を選べば、俺たちは力を失い、ここから出ることもできずに野垂れ死ぬ。
これは、天秤じゃない
俺は確信した。 この試練の本当の目的は、「正しい選択」をさせることじゃない。 これは、俺たちに「どちらかの犠牲を選ぶ」という行為そのものを強制させ、俺たちの『心』を理不尽なシステムに屈服させること自体が目的の、悪質な「呪いの装置」だ!
「二人とも、待ってください! どちらの祭壇も選んではいけない。これは罠です!」
俺の、静かな、しかし確信に満ちた声に、二人が顔を上げる。
「罠だと?」
「はい。分析しました。この天秤は、重さを量っていません。俺たちが『犠牲』を選び、心を折られるのを待っているだけです」
俺は、二人の前に立つと、きっぱりと告げた。
「俺たちが選ぶべきは、第三の選択肢です」
「第三の……?」
「……いかなる犠牲も払わず、仲間を救い切るのだという、俺たち自身の『意志』を、この理不尽な天秤に叩きつけることです!」
俺の言葉に、ゼフィルさんとリリアさんは、目を見開いた。 だが、次の瞬間、二人の表情から迷いが消えた。
「……なるほど。理不尽な問いには、理不尽な答えで返すか。君らしい」
ゼフィルさんが、杖を下ろして笑う。
「はい。行きましょう、アレンさん」
リリアさんが、俺の隣に並ぶ。
俺たちは、右側の空の皿の前に立つ。 供物は、ない。 俺たちは顔を見合わせ、強く頷き合うと、三つの手を重ねて、空の皿にそっと置いた。 そして、強く念じた。
俺たちは、選ばない! 仲間も、未来も、全て掴み取る!
俺たちが捧げたのは、魔物の魂でも、自分たちの未来でもない。 世界の理が提示した理不尽な二択を拒否し、「仲間を救う」という、ただ一点の曇りもない、俺たちの「意志」そのものだった。
『……何事か』
天秤の声が、初めて動揺を含んだ。 皿には何も乗っていない。物理的な重さはゼロだ。 だが、天秤は、まるで計算外の質量に戸惑うかのように、激しくガタガタと揺れ始めた。
『計測不能。計測不能。この重さは、ナンダ――』
俺たちの「意志」の重さが、術式の許容量を超えたのだ。 ギギギ、と軋む音を立てて、天秤がゆっくりと、しかし大きく右に傾き始める。 そして、イグニスさんの幻影が乗った左の皿を、高く、高く持ち上げた。
ガシャアアアアンッ!
耐えきれなくなった天秤が、中央から真っ二つに砕け散る。 幻影が霧散し、神殿の奥の壁が、光と共に静かに開いていく。
その先に続くのは、緑豊かな、穏やかな光に満ちた小道だった。
「……道が、開いた」
ゼフィルさんが、信じられないものを見る目で呟く。
「行きましょう。今度こそ、賢者様のもとへ」
リリアさんが、イグニスさんの体を背負い直す俺たちを支えてくれる。 試練は終わった。 俺たちは、互いの心の強さを信じ、賢者の元へと続く最後の道を歩き出した。
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