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第16話:魂の祭壇と、賢者への道

 ヴァルム村を後にし、山脈の奥深くへと続く敵の痕跡を追うこと、丸一日。 俺たちは、ついにヴァルム遺跡の入り口、滝の裏側に隠された巨大な石造りの扉の前に立っていた。


「ここか……」


 イグニスさんが、大剣の柄を強く握りしめる。 扉の隙間からは、肌を刺すような冷たく淀んだ魔力が漏れ出していた。村人たちの安否が気にかかる。


「開けるぞ」


 彼が扉に手をかけようとしたのを、ゼフィルさんが杖で制した。


「待て。高位の封印魔術が施されている。物理的には開かんし、無理にこじ開ければ警報が鳴る」


 ゼフィルさんが、扉に刻まれた複雑な術式を読み解こうと目を凝らす。だが、その眉間の皺は深くなるばかりだ。


「……ダメだ。構造が複雑すぎる。解読するには時間が……数時間はかかるぞ」


「そんな時間、あるわけねえだろ!」


 イグニスさんが焦りを露わにする。


「ゼフィルさん」


 俺は、扉の術式をじっと見つめながら、彼の言葉を遮った。


「この部分の魔力の流れ……不自然に滞留しています。まるで、わざと流れを堰き止めているみたいだ」


 俺の「目」が捉えたのは、術式の中心からわずかに外れた、小さな紋様の歪みだった。 美しい幾何学模様の中で、そこだけが計算が合わないように見える。


「そこを『鍵穴』として、魔力を逆流させられませんか?」


 俺の提案に、ゼフィルさんは目を見開いた。


「……なるほど。術式の整合性を保つための『遊び』の部分か。そこなら、強制的に干渉できるかもしれん」


 ゼフィルさんが、俺の指示した一点にのみ、針のように鋭い魔力を注ぎ込む。


 ゴゴゴゴゴ……ッ!


 地響きと共に、数千年の間閉ざされていた石の扉が、ゆっくりと、音もなくスライドして開いていった。


「……君のその目は、本当に規格外だな」


 ゼフィルさんが、額の汗を拭いながら感嘆の息を漏らす。


 ◇


 遺跡の内部は、巨大な儀式場へと続く、一本の長い回廊だった。 だが、その道は、底が見えない奈落によって分断されていた。橋がない。


「チッ、今度はこれかよ!」


 イグニスさんが舌打ちをして、足元の小石を蹴り落とす。小石は音もなく闇に飲まれた。


「待ってください」


 俺は、何もないはずの虚空を指さした。


「あそこだけ、空気の流れが不自然に揺らいでいます。……見えない道があるはずです」


 ゼフィルさんが、俺の言葉を信じ、探知魔法の粉を撒く。 すると、俺が指した場所に、青白い燐光が吸着し、一本の細い石橋が空中に浮かび上がった。


「……認識阻害のさらに上、存在隠蔽の術式か」


 俺たちは、息を殺して橋を渡る。 橋を渡りきった先の小さな回廊で、俺は壁に寄りかかるようにして白骨化した、一体の遺体を発見した。 装備の古さからして、数十年、あるいは百年以上前の冒険者だろうか。


「……この方も、何かを求めてここまで来たのでしょうか」


 リリアさんが静かに祈りを捧げる。


 その遺体の傍らに、古びた革袋が転がっていた。中身を確認したゼフィルさんが、驚きの声を上げる。


「……これは。かなりの業物わざものだぞ」


 中に入っていたのは、三つの魔道具だった。 足音を完全に消す『消音の靴』。 一度だけ強烈な閃光を放ち、視界を奪う『閃光石』。 そして、一度だけ致死級の物理衝撃を無効化し、身代わりとなって砕ける『衝撃吸収の腕輪』。


「どれも、潜入と脱出に特化した道具だ。……だが、これほどの装備を持っても、ここで行き倒れたというのか」


 イグニスさんが、その遺品を俺に手渡した。


「アレン、お前が持て。今の俺たちのパーティーで、一番死にやすいのはお前だ。それに、お前の知恵なら使いこなせる」


「……わかりました。ありがたく、使わせてもらいます」


 俺は、先人の遺志を継ぐように、靴を履き替え、腕輪を左手首にはめた。閃光石はポケットにしまう。 これらが、俺の命を繋ぐ最後の綱になる予感がした。


 やがて、回廊を抜けた先。 俺たちは、息をのんだ。


 そこは、ドーム状の巨大な地下神殿だった。 中央には、ゼフィルさんが仮説を立てた通りの、巨大な『転移門ゲート』の魔法陣が、不気味な紫色の光を放っている。


 そして、その周囲には、数十人の村人たちが、まるで生気を失った人形のように倒れていた。 彼らの体から、淡い光――生命力(魂)そのもの――が、目に見える奔流となって魔法陣へと吸い上げられ、魔法陣の中央、宙に浮かぶ巨大な水晶へと集束していく。


「そんな……村の、皆さん……!」


 リリアさんの、か細い声が震える。


「いや……」


 俺は、歯を食いしばって目を凝らした。


「光はまだ繋がっています。まだ、生きています。魂が完全に吸い尽くされる、直前だ!」


 その儀式を執り行っていたのは、五人の黒いローブの術師。 そして、その中心。祭壇の上で、一人の男が、まるで指揮者のように両手を広げ、恍惚の表情でその光景を眺めていた。


「素晴らしい。実に純度の高いエネルギーだ」


 男は、俺たちに目もくれず、ただ目の前の光景に酔いしれていた。 その背中には、一切の隙がない。


「お前は……!」


 ゼフィルさんの声が、怒りに震えた。


 男は、その声に初めて気づいたかのように、ゆっくりとこちらを振り返った。 整った顔立ちだが、その瞳には何の感情も宿っていない。ただ、深い知性だけが冷たく光っていた。


「ああ、招かれざる客がいたか。……自己紹介がまだだったか。我は『古きことわりの探求者』、マルバス。この神聖なる儀式の主宰者だ」


 マルバスと名乗った男は、俺たちを、まるで道端の石ころでも見るかのように一瞥した。


「“不協和音ノイズ”を撒き散らす哀れな者どもよ。この純粋な魂の奔流を『理』に捧げ、我らが主は、この世界の歪みを正す。お前たちのような『異分子』ごと、綺麗に浄化してやろう」


「ふざけるなぁっ!」


 最初に動いたのは、イグニスさんだった。 彼の怒りは、限界を超えていた。 「てめえらの勝手な理屈で、俺の故郷を……みんなの魂を、これ以上弄ぶんじゃねえ!」


 咆哮と共に、彼は大剣を手にマルバスへと斬りかかる。 その速度は、過去最高だった。瞬きの間に間合いを詰め、渾身の一撃を叩き込む。


 ガィィィィン!!


 硬質な音が響き渡り、イグニスさんの大剣が弾かれた。 マルバスの周囲に、薄い紫色のガラスのような障壁が展開されていた。


「無駄だ」


 マルバスは、指一本動かしていない。


「お前たちの“音”は、我々には届かんよ。次元が違うのだ」


「ゼフィルさん!」


 俺の叫びに、ゼフィルさんも動く。


「氷塊よ、貫け! 『アイス・ジャベリン』!」


 イグニスさんの作った隙を突き、ゼフィルさんの放った氷の槍が障壁の継ぎ目を襲う。 だが、その槍は、障壁に触れた瞬間、パリンと音を立てて光の粒子に還元された。


「なっ……!? 魔術が無効化された……!?」


 ゼフィルさんの顔から、血の気が失せていく。


「言語が違うのだ」


 マルバスは、ため息をつくように言った。


「こちらの『理』において、お前たちの攻撃は『存在しない』と定義されている。……観測は終わった。消えろ」


 マルバスが、静かに手をかざす。 それだけで、俺たちの足元の空間が、まるで柔らかい布のように捻じ切れた。


「なっ……!?」


「くそっ、足場が!」


 イグニスさんとゼフィルさんが、咄嗟に後方へ跳んで亀裂を避ける。 だが、マルバスの攻撃はそれだけではなかった。 空間そのものが波打ち、不可視の衝撃波となって俺たちを襲う。


「リリアさん、下がって!」


 俺は、とっさにリリアさんを庇うように前に出て、左腕の古代の小盾バックラーを構えた。 イグニスさんとの特訓で覚えた、衝撃を「逸らす」角度で。


 ガギンッ!!


「ぐうぅっ……!」


 凄まじい衝撃が左腕を襲う。 バックラーの表面が削れ、嫌な音がして亀裂が走る。 完全に防ぐことはできない。だが、直撃だけは避けた。


「アレンさん!」


「俺は平気です! それより、散開して!」


 俺の指示で全員が散開する。 だが、マルバスは余裕の表情を崩さない。 彼が指を振るうたびに、空間が裂け、壁が歪み、俺たちを追い詰めていく。


 イグニスさんが何度斬りかかっても、障壁は揺らぎもしない。 ゼフィルさんの魔法も通じない。 リリアさんの祈りも、この冒涜的な空間では弱々しい光にしかならない。


「……終わりだ」


 マルバスが、つまらなそうに告げた。 彼の手元に、どす黒い魔力の球体が収束する。 これまでの攻撃とは桁が違う。あれを食らえば、全員消滅する。


「……させるか!」


 俺は、駆け出した。 攻撃手段はない。バックラーももう限界だ。 だが、俺にはまだ、あの遺体から託された「切り札」がある。


「アレン、よせ!」


 イグニスさんの叫び。


 俺は、マルバスの懐に向かって全力で走った。 マルバスが、憐れむような目で俺を見る。 「愚かな。自ら消えに来たか」


 彼が魔力の球体を放つ。 回避は不可能。


 俺は、ポケットから**『閃光石』**を取り出し、足元に叩きつけた。


 カッ!!!


 視界全てを焼き尽くすような強烈な閃光が、地下神殿を満たす。


「ぬっ……!?」


 マルバスが初めて顔をしかめ、一瞬だけ目を閉じた。


 その一瞬の隙。 俺はさらに踏み込み、マルバスの展開する儀式魔法陣の一部――魔力の供給ラインが集中している箇所に、折れたショートソードを突き立てようとした。 そこを乱せば、儀式は止まるはずだ!


 だが。


「……小賢しい」


 目は見えていなくても、彼の感知能力は俺の動きを捉えていた。 マルバスの周囲の空間が、鋭利な刃となって俺を切り裂こうと迫る。


 避けられない……!


 俺は、左腕を――**『衝撃吸収の腕輪』**をつけた左腕を、空間の刃の前に突き出した。


 パァァァンッ!


 甲高い破砕音が響く。 腕輪が砕け散り、その魔力が展開されて、俺への致死ダメージを肩代わりして霧散させた。 同時に、その衝撃の余波で、俺の体は後方へと大きく吹き飛ばされる。


「がはっ……!」


 壁に叩きつけられ、肺の空気が強制的に吐き出される。 左腕のバックラーは砕け散り、破片となって床に落ちた。 だが、俺は生きている。


 そして、俺の捨て身の特攻は、無駄ではなかった。 俺が踏み込んだことで儀式の魔力供給が乱れ、空間が不安定に揺らいだのだ。


「チッ……! 忌々しい異分子ノイズめ……!」


 マルバスが舌打ちをし、儀式の制御を立て直そうとする。 その隙を、イグニスさんは見逃さなかった。


「アレンが作った隙だ! 無駄にするかよぉぉぉッ!」


 イグニスさんが、障壁の揺らぎ――俺が乱した一点――に向かって、全身全霊の大剣を突き入れた。


 ガシャアアアアンッ!


 障壁がガラスのように砕け散る。 だが、マルバスは咄嗟に身を翻し、直撃を避けた。 それでも、剣圧が彼のローブを切り裂き、儀式の祭壇の一部を破壊する。


 ゴゴゴゴゴゴ……!


 制御を失った儀式魔法陣が暴走を始める。


「……これ以上はリスクか。潮時だな」


 マルバスは、冷徹に判断を下した。 彼は懐から転移水晶を取り出すと、憎悪のこもった目で俺たちを一瞥した。


「……覚えておこう。ことわりに抗う愚か者どもよ。次は、慈悲なく消去してやる」


 光と共に、マルバスと配下の術師たちが姿を消す。 後に残されたのは、崩壊を始めた遺跡と、意識を取り戻し始めた村人たち。


「くそっ、逃げられたか!」


 イグニスさんが悔しげに叫ぶ。


「イグニス、崩れるぞ! 村人を連れて脱出だ!」


 ゼフィルさんが叫ぶ。


 俺たちは、まだ状況が飲み込めていない村人たちを誘導し、あるいは背負い、崩れゆく遺跡からの脱出を開始した。


 マルバスには勝てなかった。 だが、村人たちの命は――魂は、守り抜いた。 ボロボロになった俺の体には、痛みと共に、確かな「生」の実感が刻まれていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます! 本作は【全28話完結済み】です。毎日更新していきますので、安心してお楽しみください。


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