第12話:喪失と夜明け、司令塔の苦悩
鉛のように重い瞼を、ゆっくりと押し上げる。 最初に視界に映ったのは、見慣れない木製の天井だった。消毒薬のような薬草の香りと、陽の光を吸ったシーツの匂い。 体を起こそうとしたが、全身がひどく怠く、指一本動かすのにも億劫さを感じる。
「……う……」
かすれた声が、喉から漏れた。 その音に、すぐ傍らで椅子に座り、うたた寝をしていた人物が、はっと顔を上げた。
「アレンさん!」
涙で潤んだ、大きな瞳。 ずっと俺のそばについていてくれたのだろう、リリアさんの顔があった。
「よかった……! 目が覚めたんですね……! よかった……!」
彼女は俺の手をぎゅっと握りしめ、ぽろろと大粒の涙をこぼした。 その涙が、俺の手の甲に落ちて、熱い。俺は、自分が生きているのだと、その温もりでようやく実感した。
「リリア、さん……。俺は……」
「三日間、ずっと眠っていたんですよ。魔力枯渇と過労で、もう目が覚めないんじゃないかって……私……」
三日間。あの戦いから、そんなに時間が経っていたのか。 俺の記憶は、仲間たちの背中を見つめながら、意識が闇に飲まれていく、あの瞬間で途切れている。
「あの巨人は……街は、どうなったんですか?」 「大丈夫です。街は……守られました。皆さんが、守ってくれたんです」
その言葉に、俺は心の底から安堵のため息を漏らした。 よかった。俺の最後の賭けは、無駄にはならなかったんだ。
視線を巡らせると、部屋の隅のテーブルに、俺の装備が置かれているのが見えた。 ひしゃげて使い物にならなくなった革の胸当て。 そして、表面の金属が削れ飛び、無数の亀裂が入った古代の小盾。 あの巨人の一撃の余波や瓦礫から、最後まで俺の身を守ってくれた相棒の成れの果てだ。
そして、俺は自分の内側に意識を向けた。 確認しなければならない。
……ない
何もない。 これまで、体の芯に、魂の奥底に、常に存在していた「5回」という数字の感覚。あの得体の知れない力の気配が、綺麗さっぱり消え失せている。 それは、ずっと背負ってきた重い荷物を下ろしたような解放感であると同時に、心臓の半分をごっそりと抉り取られたかのような、絶対的な喪失感(空洞)だった。
俺はもう、「特別」ではない。ただの、非力な人間に戻った。 その事実が、ずしりと重く、俺の心にのしかかってくる。
コンコン、と控えめなノックの音がして、扉が開いた。 イグニスさんとゼフィルさんだ。 イグニスさんは自慢の鎧を失い、簡素な麻のシャツ姿だ。二人とも包帯だらけで痛々しいが、その足取りはしっかりとしている。
「アレン! 目が覚めたか!」
「……心配、かけました」
「馬鹿野郎。心配させたのはこっちだ」
イグニスさんは、照れ隠しのように鼻をこすると、ベッドの傍らに腰を下ろした。 だが、その動きが一瞬、ぎこちなく止まる。彼は無意識に、自分の胸のあたりをさすった。
「……どうしました? イグニスさん」
「あん? ああ、いや……。なんか、変な感じがしてな」
彼は首を傾げた。
「傷は塞がってるはずなんだが、なんとなく……中身がスカスカするというか、妙に寒いんだよ」
その言葉に、ゼフィルさんが鋭い視線をイグニスさんに向けた。
「……後で詳しく診察させろ。アレンが起こした『現象』の影響かもしれん」
「現象……ですか」
「ああ」
ゼフィルさんが、静かに口を開いた。
「守護者との戦いで、君が放った最後の干渉。あれは明らかに、それまでの規模を逸脱していた。代償として、君のその能力(回路)そのものが焼き切れたと考えるのが妥当だろうな」
「はい。……これでもう、俺は皆さんを『不思議な力』で助けることはできません。ただの、無力な足手まといです」
自嘲気味に笑った俺の頭に、ゴツン、と拳が落ちた。
「痛っ!?」
「寝ぼけてんじゃねえぞ、アレン」
イグニスさんが、呆れたように俺を見下ろしていた。
「お前がいつ、その『不思議な力』だけで俺たちを助けたってんだ? 崖の抜け道を見つけたのも、冷たい水を作ったのも、あの守護者の弱点を見抜いたのも……全部、お前の『頭』だろ」
「イグニスの言う通りだ」
ゼフィルさんが、片眼鏡の位置を直しながら続く。
「君の価値は、その異質な力にあるのではない。君の『視点』と『発想』……すなわち『知恵』にこそある。力が消えた程度で、君の価値が損なわれることはない」
「お二人とも……」
「そうです、アレンさん」
リリアさんが、俺の手を両手で包み込む。
「アレンさんは、私たちの司令塔ですから」
彼らの言葉が、空っぽになった俺の心に、温かい何かを満たしていく。 俺は、この世界に来て初めて、自分の全てをさらけ出す覚悟を決めた。 もう、隠し事はしたくない。
「……聞いてください。俺の、本当のことを」
俺は、自分がこの世界の人間ではないこと。 「日本」という異世界で、ただ謝り続けるだけの人生を送っていたこと。 そして死んで、気づいたらあの森にいたことを、静かに語った。
全てを話し終えると、部屋には長い沈黙が流れた。 最初に口を開いたのは、やはりイグニスさんだった。
「……ふーん」
彼は、心底どうでもよさそうにアクビをした。
「で?」
「え?」
「お前がどこの生まれだろうが、元サラリーマン(?)だろうが、関係ねえだろ。お前はアレンだ。俺たちの仲間だ。それ以外に何か重要な情報があるか?」
あまりにあっけらかんとした反応に、俺は拍子抜けしてしまった。
「……合理的だ」
ゼフィルさんが、納得したように頷く。
「君の持つ特異な知識体系、魔法法則に縛られない発想……全て合点がいく。異世界人だとすれば、君という存在の不可解さが全て説明できるな」
「そんな……。知らない世界で、たった一人で……どれだけ心細かったことでしょう……」
リリアさんだけが、俺が抱えていた孤独に涙してくれた。
受け入れられた。 その事実に、俺の目頭が熱くなる。
「……さて、湿っぽい話はここまでだ」
イグニスさんが立ち上がり、表情を引き締めた。
「アレン、お前が眠ってる間に、ギルドマスターと話をつけてきた。……やはり、俺たちはとんでもねえものをこの世に解き放っちまったらしい」
イグニスさんは、一枚の古い地図をテーブルの上に広げた。
「俺の故郷の村……『ヴァルム村』だ。この西の山脈の麓にあるんだが、最近、連絡が途絶えた。さらに、西の空に奇妙な光が見えるという報告もある」
「影喰らい、グレゴールの残滓、そして守護者……。一連の事件は、西の山脈にある『古代遺跡』へと繋がっている可能性が高い」
ゼフィルさんが、地図の一点を指差す。
「次の脅威は、守護者のような物理的なものとは限らん。より高次の、精神や『理』そのものに干渉する何かが待ち受けている可能性がある」
イグニスさんが、俺を見た。
「俺たちは、行くつもりだ。故郷を……そしてこの世界を、これ以上メチャクチャにされる前に、元凶を叩く。……アレン、お前はどうする?」
それは、確認だった。 力を失った俺に、それでもついてくる覚悟があるか、と。
俺は、ベッドから降りようとして、ふらついた。足に力が入らない。 すぐにリリアさんが支えてくれる。
「行きます」
俺は、イグニスさんの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「力はなくなりました。足手まといになるかもしれません。でも……俺の『目』と『知恵』が必要なら、最後まで付きわせてください」
俺の言葉に、イグニスさんはニカっと笑い、バシッと俺の背中を叩いた。
「言われなくても連れて行くつもりだったぜ。お前がいなきゃ、誰が作戦を立てるんだ?」
「フン……。世話の焼ける司令塔だ」
ゼフィルさんも、口元を緩める。
「はい。一緒に行きましょう、アレンさん」
リリアさんが、強く頷く。
俺たちの旅は、終わらない。 アークライトを救った「英雄」としてではなく、世界の謎に挑む「仲間」として。 俺たちは、次なる目的地、西の「ヴァルム村」へと向かう準備を始めた。
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