私の5人の婚約者候補
…これは、嫌な予感しかしない。
レイラは目の前に広がるものを見て、思わず頭を抱えたくなった。
出身、経歴、絵姿 ——どう見ても釣書にしか見えないものが、テーブルいっぱいにずらりと並らんでいた。
「ええと、お父様、これは・・・」
レイラがテーブルの向かいに座る父親のほうをちらりと見ると、彼は口元に笑みを浮かべながらうんうんと頷く。
「可愛いレイラのために、お父様が選りすぐりの候補者を五人も選んできたよ。さあ、好きなのを選びなさい。」
朝食の後に珍しく呼び出しを受けたと思ったら…
さあさあ、と進めてくる父に対し、レイラは額を押さえて嘆息した。
(好きなものを選べって、アクセサリーを選ぶみたいに簡単に言わないで欲しいわ…)
「お父様、以前からずっと申し上げているとおり、私はどうしても恋愛結婚がしたいのです……」
「うんうん、いつもそう言ってるねえ。」
「もちろん、貴族の娘として失格だということは承知しています。しかし、既にお姉様たちが良家に嫁いで我が家との縁を繋いでくれていますし、私が敢えて家のための結婚をする必要はないと思っています。違いますか?」
「まあ、そうなんだけどね。」
「ではこちらの釣書は下げて頂いて結構です。自分に相応しい相手は自分で見つけて見せます。」
話は終わったと立ち上がろうとしたところ、「待ちなさい。」と咄嗟に手を掴まれ、再度椅子へと引き戻される。
「?なんですか?」
「そう言っておまえのデビュタントからどれだけ経った?」
「ん"?」
思わず変な声が出てしまった。不意打ちで痛いところを付いてこないで欲しい。
「二年だよ、デビュタントから既に二年。社交の場でおまえは特にめぼしい相手を見つけるでもなく、家で本ばかり読んでいる。レイラが自分でお相手を探すことが難しいのなら、このお父様が一肌脱いでやろうじゃないかと思ってだな。」
「それは・・・」
お父様の言ってることは全て図星だ。恋愛結婚がしたいと言ってるわりに、自分がこれだと思うようなお相手はなかなか見つからず、自分の理想は小説にあると本の世界に逃げてしまっていた。そうこうしている内に、気づけば二年が経過していたというわけである。
「まあ、そう頑なにならないで、入り口がお見合いというだけで、そのうちそれが恋愛に発展することもある。それはレイラ次第だと思うよ。おまえの姉たちがいい例だ。」
「それはそうなのですが・・・」
お見合いから恋愛へ…。お姉様たちは、堅い政略結婚であったにもかかわらず、夫君と良好な関係を築き、いまでは円満な家庭を築いている。私だってお父様が言うことも十分理解している。
だが、しかし。
私が求めているのは誰かに作られたものではなく、自然な出会いでの恋愛だった。
大好きな小説で、私が一番胸が高鳴る設定といえば、ごくごく自然に出会って恋に落ちるというものだった。決して政略結婚のように、誰かに決められたようなものではない。
私、レイラ・アルマーノは若い女子の間で流行っている恋愛小説が大大大好きな17歳である。
きっかけは一冊の恋愛小説。幼い頃、年の離れたお姉様たちから与えられたその本は、それまでの私の世界をガラリと変えた。それはシリーズものになっていて、巻数によって主人公が変わる。話の中で、主人公たちは様々なタイプの男性と出会い、恋に落ちていく。舞台設定も学園ものから始まり、姫君と騎士、平民と貴族、勇者とその姫であったり、異世界に転生するなんていうものもあって、読者を飽きさせないように、このシリーズにはありとあらゆる世界観が網羅されていた。
そして漏れなくみんなハッピーエンド。これは大変に重要な要素だと個人的に思っている。
話を読み進めながら主人公と同じようにドキドキしたり、胸が締め付けられたり、今回は当て馬役の方がタイプだな、など色々共感と考察を繰り返し、気づけばどっぷりとその本の世界にはまってしまった。
さらに言えば、この小説シリーズが好き過ぎて、自然な流れで、素敵な男性と恋に落ちることが、いつしか自分の将来の夢と成り代わっていたのである。
例えば、目と目が合った瞬間互いに恋に落ちたり、偶然手が触れあってドキッとしたり、パンを咥えて走っていたら角でお互いぶつかって、後日再会して運命を感じるとか…
ちなみに最後のは貴族女性としてあり得ないことは自分でもわかっている。こんな状況、平民の間でも中々ないのではないだろうか。知らないけど。
「恋に恋焦がれ過ぎて、そろそろ痛々しいですお嬢様」と侍女のサナからはよく注意されるのだが、こればっかりは仕方がない。小説のような恋をするのが、私の夢なのだから。
黙り込む私に対し、「レイラ。とにかく、時間をあげるから少し考えてみなさい。」と、お父様はそう言い残し五人の釣書を残したまま談話室から立ち去ってしまった。
*
残ったのは私と侍女のサナの二人きり。
まったくもって乗り気ではないが、テーブルに置かれた釣書を眺めてみる。眺めているだけで、内容は全然頭に入ってこない。
興味がない私と反対に、サナは一生懸命すべての釣書の内容に目を通して、詳細を確認している。
「お嬢さま、しっかり見てください。これは中々いいかもしれません。」
「ん、なあに?」
「よくよく見ると、旦那様は本当に選りすぐりの金の粒ばかりご用意なされたみたいですよ。」
「そうなの?」
選りすぐりの金の粒とはいかほどなのか。
完全に無だった状態から、わずかばかりの興味が湧き、一番近くにあった釣書に手を伸ばす。
「どれどれ・・・」
まず一人目。
レガリア伯爵家の嫡男アガレス様。黒い長めの髪に、青い瞳の涼やかな顔をした青年だ。現在19歳で私より二つ年上である。寄宿学校を卒業し、現在は父上の事業の手伝いをしているという。ちなみに事業というのは貿易関係である。
「もし結婚するとなれば、私もこの事業を手伝うことになるのかしら?」
「その可能性はありますね。でも一般的に考えるのであれば、旦那様は仕事、妻は家を、という可能性の方が高いのではないかと。」
正直そこはどちらでもよい。私は侯爵家の令嬢ともあり、それなりの教育を一式受けている。事業の手伝いでも、屋敷を取り仕切るでも、なんでもこなせる自信はある。
これも一重に私の聖書である小説第三巻に出てくる主人公、”旦那様から溺愛される良き妻”を目指した結果である。ありがとう恋愛小説、私の人としてのスペックを引き上げてくれて。
「事業も安定していて、領地も同じように安定しているっぽいわね…特に派閥に属することもなく、お人柄もよさそう。ただ、特筆すべきことも無いし、可もなく不可もなくと言ったところかしら。」
「そうですね。アガレス様は“無難”、ということで。では次も見てください。」
二人目。
こちらはハディス伯爵家の次男のルカリオ様。赤毛に緑の瞳の20歳。わりと整った顔立ちをしている印象。姿絵は盛られている可能性があるので、100%は信頼しないことにしている。
次男であるため伯爵家は彼の兄が跡を継ぐらしいが、お父上の余っている子爵位を将来的に譲り受けるらしい。ハディス伯爵家と言えば、銀鉱山を所有しており、国内でも有数の富豪の家として有名である。
「お金持ちみたいですね。」
「結婚したら、将来お金には困らないのかしら?」
「鉱山が枯れない限りは安泰ではないですか?」
「そうねえ。」
「ルカリオ様の特徴は“お金”、と。では三人目に参りましょう。」
三人目。
うちのアルマーノ侯爵家と同格であるキリバス侯爵家の嫡男であるリュシアン様。短い金髪に茶色の瞳をした甘い顔立ちの御年21歳。城使えをしており、外交の仕事に携わっているらしい。ちなみにリュシアン様とは夜会で一度会話を交わしたことがある。あまりはっきりと覚えてないが、その際、自分が求めているようなドキドキ感は彼には生まれなかったと思う。
ちなみにうちよりも古い歴史を持つキリバス侯爵家は、数代前に王女様が降家されたことがある名家でもある。
「よくこれまで婚約者もなく売れ残ってくれていたわね。」
「何かしらの欠点があるんですかね。」
「夜会のときはそんな風には見えなかったけど。」
「じゃあリュシアン様は“名門のボンボン(売れ残り)”にしときましょ。さあさ次に行きますよー!」
四人目。
シーヴァル子爵家の三男レクター様。鋼色の短髪に黒い瞳のワイルド系イケメンである。御年23歳で5人の中では最年長。若年ながら騎士団の一部隊の部隊長を務めている。
「家格は落ちますが、この年で部隊長ということは、将来は出世間違いなしですね。」
「部隊長ということは、お忙しいのかしら?」
「まあ旦那留守で元気がいいとも言いますし、自由にできるんじゃないですか。」
「それもそうね。」
これも私にとっては旦那様が留守であろうがなかろうがどちらでもいい。私が気にする一番のポイントは、恋に落ちること、この一点のみである。恋に落ちさえすれば、その後の結婚生活が寂しかろうと、関係ない。旦那様を恋しく思う健気な私、というシチュエーションで寂しさを乗り切れる自信がある。これはあの小説の四巻に出てきた主人公と同じパターンだ。
「じゃあレクター様は“多忙?”で。次で最後ですね。」
最後の五人目。
「あれ、これってロアンじゃない、なんで候補に入ってるのよ。」
最後の釣書には、私の幼馴染である公爵家嫡男のロアン・グレッグマンの名前があった。
「ロアン様は、実はこの中の最有力候補なのでは?」
「げ、やめてよ。私の聖書をことごとくダメ出しする奴となんて、とてもじゃないけど恋愛対象にならないわ。」
私と同い年のロアンは現在寄宿学校に通っており、卒業後は宰相をなさっているお父上を目指し、文官の仕事に就く予定である。
互いの領地が隣同士で親同士も仲が良く、幼い頃はよく一緒に遊んでいた。
けれども、いつしか私が恋愛小説の話をするたび、「なんでこんな状況が成立するの?」とか「ここで一目ぼれとかありえるのか?」とか「この主人公もはや痴女じゃん。」とか、フィクションに対し現実をぶつけまくってくることに腹が立ち、次第に彼とは疎遠になっていった。彼が寄宿学校へ入学した後は、全く連絡をとっていない。
「了解です、じゃあロアン様は“対象外”で。」
「さっきからそれ何なの?」
「二つ名をつけとけば、覚えやすいではないですか。」
「あなた割とヒドいこと言ってるから、本人に会ったときに口を滑らせないでよ。」
「勿論でございますとも!」
サナはうっかりやらかす時があるので、彼女の返事はあまり信用できないが、まあいい。おかげで私も誰が誰だか覚えることができた。
「しっかりすべての釣書の内容を確認したけど、やっぱりこれだけじゃ選べないわ。」
「やはり一度皆様とお会いされてから、婚約者となる方を選ばれるのがベストでございますね。」
「そうね…でも全く乗り気になれないのよ。サナ、何かいい案はない?」
「その言葉をお待ちしておりました。」
「え、あるの?思いつくの早くない?」
「お嬢様の大好きな小説のワンシーンを彼らに試してみて、少しでも心がときめいた方がいらっしゃれば、そちらの方を選ばれるというのはどうでしょう?」
恋愛小説のワンシーンを試す…ということは…
あの憧れの、目と目があって、とか、偶然手が触れあって、とか、パンを咥えて走っていたら角でお互いぶつかって、なんてことを、実際にお見合い相手の皆様とやってしまうってこと!?
な、なんて画期的なアイデアなのかしら!もしときめき過ぎて私の心臓が止まってしまったらどうしましょ!
「サナ、あなたは天才よ。」
「ほほほ、お嬢様、もっと言って下さい。そしてボーナス下さい。」
こうして私はサナから金の粒たちと言われた“無難”、“お金”、“名門のボンボン(売れ残り)"、“多忙?”、"対象外”のそれぞれと、小説ワンシーン大作戦を隠れテーマとしたお見合いをすることになった。
◇
「・・・あの、私の顔に何かついていますでしょうか。」
「え、いえ、そういうわけでは」
今日は“無難”アガレス・レガリア伯爵令息とのお見合い日である。今回は手馴しに、ということで、"ふとした瞬間に目と目があって、恋に落ちてしまった"という小説第二巻に出てくるシチュエーションを実践中である。
ちなみに第二巻の主人公たちの関係は夜会で出会った貴族同士ということで、現在真昼間の我が家の部屋の中と状況は違うが、貴族というところだけは一致している。
しかし、このシチュエーション、どうにも上手くいかない。
私が見つめれば、何か顔についてるのかと向こうは訝しむし、こちらが目を逸らして、再度偶然目が合うという状況を作りだそうとしてはお花を摘みに行きたいならどうぞ(意:早よトイレ行け)と言われる始末。
正直に言うと、ふとした瞬間目が合う、という状況を自然に作り出すというのは至難の業だった。
いったん作戦を中止し、会話に集中するが、さすが無難さん。無難に会話ははずみ、無難に場が和む。終始無難な盛り上がりをみせ、彼との逢瀬は無難に終わった。
*
「お父様、申し訳ないのですが、アガレス様にはお断りを入れて頂けませんか。」
「おや、お気に召さなかったのかい?」
「ええ…とても無難で良い方だったのですが、きっとこれからも無難に家庭を築くことになると思うと、どうしても刺激を求めたくなってしまったのです。私が将来足を踏み外さないようにするためにも、彼と結婚をするべきではない、と考えました。」
「そうかい、自分が刺激を求めて何か不祥事を起こすかもしれないと予測したのだな。私のレイラはきちんと先のことまで見据えることできている、さすが私の娘だ。では先方には無難にお断りの文句を伝えておくよ。」
「ありがとうございます。」
さようなら、無難さん。あなたにもっと良い人が無難に見つかりますように…
◇
「ああ失礼。レイラ様が食べてください。」
「いいえ、ルカリオ様がお先に手をつけられましたもの。ルカリオ様がお食べくださいませ。」
「ありがとう。では遠慮なく。」
無難にアガレス様へお断りの連絡をした数日後、私はハディス伯爵家のルカリオ様とともに我が家の応接室にてお茶をしていた。
ただいま小説第三巻の主人公が恋に落ちたエピソードである"意識して無かった方と突然手と手が触れ合ってしまって"を試している最中なのだが、いまだ、全くもってときめくことがない。
なんなら、うわ、気まずっ、という気持ちである。
しかし、最初の触れ方が悪かったのかもと思い直し、再度偶然の触れ合いを試みる。
彼が食べようとしたものに尽かさず手を伸ばす、ぶつかる、互いに遠慮する、手を伸ばす、ぶつかる、互いに遠慮する…途中から何がしたいのか自分でも分からなくなってきた。
けれどもお金様…ルカリオ様は気を悪くした風もなく、「レイラ様は面白いお方なんですね。」とおっしゃってくれて、今回の顔合わせは幕を閉じた。
*
「お父様、残念ながら、お金さ…ゲフンゲフン、ルカリオ様とはご縁がありませんでした。」
「おや、ルカリオくんもダメだったか。ちなみにどこがいけなかったんだい?」
「金銭感覚、でしょうね。私、あの方のように全てにおいて最高品をという考えは合わないかもしれないと感じたのです。」
「おお、それは大事な感覚だね。レイラの価値観をねじ曲げずに済んで良かったよ。」
お金様は本当におおらかな方で、人柄よし、お金も持ってるという、結婚するには一見最高な方だった。
金持ちなだけあって、服装は全身一級品を身に纏っていらしたし、差し入れで頂いたクッキーは一見さんお断りの最高級スイーツ店のもの。
姿絵はお金を積んだのであろう、やはり実物のほうは絵に比べて普メンであった。全てナチュラルにお金を使っており、ここの感覚のズレは一生埋められないと感覚で悟ったのである。
お金様、あなたと結婚したら、いちいち物の値段を気にして過ごすことになってしまいそうと思ってしまった私をお許しください。そしてどうかこれからもその金払いでこの国の経済を回していってください…
◇
「絡まっちゃったね。」
「はい、あの、どうか解いて頂けませんか。」
本日は三人目の候補者となるアルマーノ侯爵家のリュシアン様との顔合わせの日である。
我が家の庭園を一緒に歩き、小説第六巻に出てきた“私の髪が木の枝に引っかかり、それを彼に優しく解いて貰ってキュンとする”を実行している。
わざわざ長い髪をハーフアップにして下ろし、道の端ギリギリを歩いてわざと枝に絡めとらせるという力技を持ってこの状況を作りだしたのだ。
さあ、私の髪に触れるがいい。そして私にキュンを下さい!
ブチンッ
「ぎゃ」
「ほら、取れたよ。」
甘いマスクのリュシアン様は、私の髪をブツンと引っこ抜き、彼も力技を行使して絡まった髪を枝から取ってくれた。
「あ、もしかして、ハサミで切ったほうがよかった?」
「…大丈夫です、ありがとうございます。」
思い出した、この“名門のボンボン(売れ残り)”は、デリカシーと言うものが皆無だった。
以前夜会で会った時も、彼の残念な発言(確か「今日のドレスの色味は目玉焼きのようですね」と言われた)により、恋に落ちるどころか無になったのを覚えている。この出来事は記憶から抹消しようとこの時固く誓ったため、釣書を見たときに咄嗟に思い出せなかったのだ。
この後、なんとか平静を装っていたけれども多々ある彼の失言により、都合をつけて時間より早めにお帰り頂いた。
*
「ご立腹のようだね。」
「彼だけはあり得ないです。」
「心根が素直なだけだと思うんだけどね。」
「貴族としてはダメでしょうに。」
「面白いと思ったんだけどなぁ。」
「今度からお父様とは口を聞きません。」
「ごめんごめん、向こうにはお断りの連絡を入れておくよ。」
「即、お願いします!」
名門のボンボン(売れ残り)様、外交の仕事をしてると言っていたけど、あなたの失言で我が国の評判を落とさないことを祈るわ!
◇
ドン!!!
私が後ろに尻もちをつく。咥えていたパンが口から落ちた。
“多忙?”ことレクター様も、私とぶつかった衝撃でよろめく。
「すまない、レイラ嬢。これは何が正解なんだろうか…」
「すいません、私にもわかりません…」
今回のお見合い相手であるシーヴァル子爵家のレクター様は、騎士様ということもあって、走り込みには慣れているであろうと踏んだ。
そして、実現不可能と思われた、小説第一巻の主人公がお相手の男性と初めて出会うエピソードとなる“パンを咥えて走っていたら角でお互いぶつかって”を実行してみることにしたのである。
レクター様に屋敷の壁際からスタートダッシュしてもらい、私はその角を曲がったところでパンを咥えて走る。
そして互いにぶつかってみたものの、痛いだけでこの行動の落としどころがわからない。
ただただ困惑するだけのレクター様。お尻の痛みで歩き方がひょっこりしている私。
なんだか微妙な空気のまま、レクター様は帰っていった。
*
「レイラ、おまえは一体何をしたんだい?あちらさんから辞退の連絡が来たよ。」
「申し訳ございません、出来心で、としか…」
レクター様ごめんなさい。私がぶつかったことで、あなたの翌日の業務に支障がでませんように。
◇
「それで、これは一体どういう状況なんだ。」
「閉じ込められてしまったようね。」
「…」
幼馴染であるロアンには実に数年ぶりに会った。
以前会ったときよりも背が伸びており、顔つきも記憶の中の彼よりも随分と大人っぽくなっていた。くすんだ金髪は今日の見合いのためか整えられており、澄んだ空色の瞳だけは変わらずあの時のままだった。
“対象外”であるロアンには、てっきりこの小説のワンシーン大作戦は実行しないと思っていたのだが、サナが思いっきりやらかしてくれた。
おそらく、小説の第七巻の主人公たちが恋に落ちるきっかけとなった“二人きりで密室に閉じ込められちゃってお互いに意識してしまう”を試したのであろう。
サナから二人の懐かしい思い出の品が地下にあるからと、やや強引に地下まで案内されたところ、地上へ繋がる扉を外から閉められてしまった。二人がかりでなんとか扉を開けようとしたが、何か重い物でも置かれているのか、びくともしなかった。
サナ、あなたも知ってるとおり、一応この人公爵家の御曹司で、うちより位が高いんだからね?あなたの首が飛んでも文句は言えないのよ?
「サナが誤って扉を閉めてしまったみたい。」
「誤って、ねえ。」
明らかに疑っている様子のロアン。激しく気まずい。
元々お互いに久しぶりに会ってどうすればいいかわからなかったのに、こんな状況でさらにどうすればいいかわからず、私の脳内はプチパニック状態である。
「ごめんなさい、多分すぐに閉じ込めたことに気がつくと思うから、それまで待ちましょう?」
おそらくではあるが、小一時間もすると戻ってくるはずだ。
「ああ…まあいいけど。」
「…」
「…」
本当に久しぶり過ぎて、何から話せばいいのかわからない。
「ロアンと会うのはいつぶりだっけ?」
「んー俺が寄宿学校に行く前だから、三年以上は会って無かったかもな。」
「そっか。元気だった?」
「おかげさまで。レイラは?」
「うん、変わらず元気よ。」
ポツポツと互いに話出す。
「今回のお見合いさ、」
ロアンがお見合いの話について触れてきたので、何を言われるのかと一瞬身構える。
「うん」
「びっくりした。」
「ええ、なんで?」
「レイラはとっくに誰かのものになってると思ってた。」
「それは無いでしょ。ロアンは私が小説のような恋がしたいって言い続けてたの知ってたでしょう。」
「だからこそだよ。小説のような恋に落ちて、とっくに恋人ができてるのだと思ってた。」
それが出来たら良かったのだが、結局今回のお見合いまで自ら動こうとはせず、憧れの恋人が出来るようなこともなかった。
「私も、ロアンは誰か可愛いい人でも見つけて、王都で楽しくやってるのかと思ってたわ。」
「それこそ無いな。寄宿学校は男子制だし。規律も厳しくて街にも繰り出せない半軟禁生活だったし。」
あらま、そんな枯れた生活を送っていたのね。
「公爵家に今回のお見合いの話が来て、びっくりしたと同時にめちゃくちゃ嬉しかった。」
ロアンは私の方を見ず、何も無いところを見つめながら話を続ける。
「婚約者になったら、レイラが少しは俺のことをそういう対象で見てくれるかもって。」
「どういう意味?」
「俺は君のことがずっと好きだった。どこまでも純粋で真っ直ぐな君が。」
「え?」
さっきまで視線を逸らしてたはずなのに、こちらに向き合って私のことを熱のこもった眼差しで見つめてくる。
「恋愛小説のような特別な恋を君にさせることは出来ないと思う。けど、幼馴染の恋人って言うのも、素敵な小説の物語になり得ると思うんだけど。」
ロアンは自分で言った告白が照れくささかったのか、口元に手をやって口を隠す。
…全然気が付かなかった。だって、私の大好きな小説の内容をことごとくダメ出しして意地悪してきたのに。
「え、と、」
どうしよう、返事に詰まる。と、
「お嬢様ーお迎えに上がりましたよー」
扉が開く音と共に、サナの呼ぶ声がした。動揺したまま、扉にいるサナのところまで駆け寄る。
「…お迎えのタイミングがバッチリね。」
「何のことでしょう?ほらほら、旦那様がお待ちですよ、ところで懐かしの品は見つかりましたか?」
サナは含みある顔で私たちに向けて微笑んだ。
…ボーナスは、あげてもいいかもしれない。私は彼への返事を保留したまま地下室を出た。
◇
「それで、どうするの?君ら。」
微妙な顔をした私とは対照的に、何かを決意したような顔のロアンを見てお父様が尋ねる。
「ぜひ、レイラとの婚約を結ばせてください。ついでに、侯爵様のことをこれからはお義父上とお呼びしても宜しいでしょうか。」
「おお、いいね。息子も娘もお父様呼びだから新鮮だ。」
「良くないでしょ・・・それに私はまだ何も返事をしてないんだけど。」
昔から、お父様はロアンのことを気に入っていた。息子にするならロアン君がいいな~なんて冗談で言っていたものだったが、実は割と本気だったのかもしれない。
ロアンもロアンだ。私は一方的に告白をされただけで、良いともダメとも言ってない。
「お嬢様、よく考えてみてください。ロアン様となら、大好きな小説のシチュエーションのアレコレに、文句を言いつつも付き合ってくれますよ。きっと。」
薄々気が付いていたが、実はサナもロアン押しである。
「まあ、許せる範囲でなら付き合ってあげるよ。だから、俺にしときなよ。」
「ええ…?」
少し心が揺れる。なぜかと言うと、"俺にしときなよ。"は私が好きな小説第十一巻の登場人物が主人公に迫るときに使ったセリフそのまんまだったからだ。
「…私が小説の話をしても、からかったりしないと約束してくれるなら、いい…かも。」
私の返答に、ロアンは大きく頷き「もちろんだ。」と言って、それから私を強く抱きしめた。突然の抱擁に顔が赤くなる。現実世界の男性に全く免疫のない私からしたら、今の状況は刺激が強すぎた。
――突然の幼馴染からの抱擁、このシーンは小説シリーズには出てこなかったけど、十分に私の胸をときめかせている。
嬉しそうなロアンに、戸惑いながらも受け入れてる私。この様子を見ていたお父様とサナは、私たちにこころからの祝福の声をかけてくれた。
こうしてこの日、私はロアンと婚約者となった。
◇
「ねえ、ロアン。今日は"君を愛することはない"、これをやってみたいのだけど。」
「ええ?今日は冗談でもやだな…」
「なんで?」
あれから私たちは、ロアンが在学中の間は婚約期間を過ごし、卒業と同時に式を挙げた。
実は、なんとこれから初夜なのである。
「目の前にこんな可愛い奥さんがいるのに、そのセリフ吐く奴って男としてどうよ?」
「でも、そこから色々あって、冷酷な人だったのが溺愛系の旦那様に変わっていくのよ。素敵じゃない?」
「…」
小説第二十一巻の主人公の結婚相手とのその後の展開を説明するも、ロアンの目が死んだ魚の目に変わった。この目になったときは、私も引き際だと学んでいる。
ちなみに第ニ十一巻は以前までそこまで好きでは無かった政略結婚もの。しかし、食わず嫌いだったかと思ってしまうくらい、主人公と結婚相手が段々とお互いを思い合っていく展開が私のツボをついた。
…とまあ、こんな感じで、私は自分のペースでロアンと過ごしており、ロアンもなんだかんだで私に付き合ってくれている。
小説にでてくるような身を焦がすような熱い思いといったものは無いけれど、こんな私を好きでいてくれるロアンが私は好きだ。きっと、彼となら小説にでてくる以上のもっと素敵な家庭が築ける気がする。
「じゃあ、代わりに"これは白い結婚だ!"と高らかに宣言するのをお願い。」
「勘弁してよ!」
おわり
元々逆ハーものを書きたくて作った話だったんですが、全然違う感じになりました。