①悪夢は幸運のサインと言うがもう苦しんでるので±0
眠っていても思わず踊り出したくなるような、テンションの弾け飛んだBGMが部屋中に鳴り響く。
「ねむー…い」
何だかとてつもない悪夢を見ていたような気がする。掛け布団が床に全てずり落ちているというのに、身に着けたTシャツが汗でびっしょり濡れている上、心臓の鼓動がやけに早い。
ひとまず、濡れているのがズボンでなくて良かった。この歳でやらかしていたなら、そのズボンと思い出を墓場まで持って行かなくてはならなくなるところだった。
一体どんな悪夢だったのか。眠い目を擦りながら、思い返してみる。
そう、夢の内容はこうだ。俺は学校で過ごしていて、丁度昼休みに入ったところだった。そこで一緒に昼メシでも食べないかと隣の席の元カノ、向崎恋花を誘うんだ。
『恋花、今日は中庭で一緒にメシでも食べないか?』
『清継君と二人で食べるくらいなら、トイレで孤独に食べた方がマシ』
便所飯の方がマシとは。あまりに危篤な精神状態だ。
いや恐らく、この時の恋花の尿意は既に限界を迎えていて、2人で食事をするどころでは無かったということだろう。それでは無理に誘う訳にはいかない。
俺は諦めて友人の圭吾と五里の3人で昼を過ごす。
放課後は週に一度の委員会活動があった。丁度戸締まりをしたタイミングで、恋花の所属する陸上部も終了したようなので、俺は軽やかな足取りで近付いて声を掛けるんだ。
『恋花、今上がりだろ。途中まで一緒に帰らないか?』
『うわ…』
恋花は苦虫どころかゴキブリを噛み潰したような顔をして見せるが、俺達の家の方向は途中まで同じ。誘いに返事は無かったが、何とか肩を並べて歩き出す事が出来た。
『それで水上の奴がな、から揚げには塩でもレモンでもなく、シーザードレッシングが合うって言うんだよ』
俺は委員会の中で話した話題を恋花にも聞かせていた。
反応がないので退屈な話題だったかと、色々なジャンルに方向を変えて会話を試みる。虚しくも結果は同じだった。
それから暫くして、互いの帰路が別れる道に差し掛かかる所で、ようやく恋花がこっちに顔を向けて来る。
茶色がかった長い髪を耳にかき上げ、そこにあるイヤホンを外した。大音量で曲を聴いていたのか、音漏れしているではないか。
恋花が小首を傾げる。
『あれ、清継君。なんか話してた?』
何て恐ろしい悪夢だろうか。
もはや本当に恐ろしいのは、これだけの時間応答が無いのに一人で喋り続けていた俺自身である。
これではTシャツがびしょ濡れになるのも納得だ。
夢だったら良かったのに。
これは間違いなく昨日の俺の体験談だった。
眠っていても思わず踊り出したくなるような、テンションの弾け飛んだBGMが再び部屋中に鳴り響く。
スマホのアラームがスヌーズ機能で俺の背を叩いてくれた。
「やべ」
さすがに慌てなくてはいけない時刻だ。
俺はベッドから飛び起きて、部屋を出る。古い木造の階段に悲鳴を上げさせながら1階の台所まで駆け下りると、冷凍庫から予め凍らせていた茶碗一杯分の白飯を取り出してレンジに突っ込む。
解凍している内に、今度は冷蔵庫から大容量袋の『ボイルで簡単!ソーセージ』を出す。賞味期限は大体1週間くらいは切れていた。
消費期限で無ければまだ問題無いだろう。
4本程度出して、今度は白飯とコートチェンジだ。レンジに突っ込む。
その間に、顔を洗って制服に着替える。
「リモコン…リモコン…」
テレビを付けようと思ったが、時間が無いのでやめた。
「いただきます」
今日も変わらぬ献立。我が家はソーセージ定食専門店なのだ。もう少し早く起きれたなら、インスタント味噌汁くらいは付けられただろう。
全ては謎の悪夢のせい。
それから歯磨きして、髪を整え、鞄を持って、靴を履く。
「行って来ます」
俺は誰がいるわけでも無いその家に挨拶を告げ、玄関を開けた。
小走りしなくては。