真の気遣いとはそれを悟られぬままでいること
待ち合わせの指定時刻というのは誰との約束か、それから何処で等、時と場合によって変動するものである。
例えばアルバイトの面接なんかであれば、最低でも指定時刻10分前には現地に到着しておきたいし、気心の知れた友人と遊びに行くのであれば指定時刻なんて物はおおよその目安くらい曖昧な物に変わってしまうだろう。
では、恋心を抱く相手と出かける時の妥当な到着時刻というのはいつなのか。
早すぎても後から来た相手に内心『どんだけ楽しみにしてたの張り切っちゃってキモ』
と思われるかも知れないし、かと言って相手より遅めに着いたなら格好がつかない上、時間にルーズな男だと思われてしまうかも知れない。
全国のマナー講師の皆様は、『取引中に出されたお茶を飲むのはマナー違反』など、言いがかりに等しい違反メーカーになるより先に、デートの正しい到着時刻のマニュアルを作って広めて頂きたい。
小さなバス停前、俺の背後から声が掛けられた。
「ごめん、汐森君ちょっと遅くなった」
「おはよ恋花、俺も今さっき着いたところだ」
俺は手始めに爽やかな大嘘をジャブとして入れる。
さっき着いたところ?ご冗談を。
待ち合わせ時刻3時間前から既に待機していた気の狂った俺の天職は探偵、或いはストーカーに違いない。
恋花は小走りで来たのか、息を整えながら
「そっか。じゃあこんなに急がなくても良かったのね」
「ああ。もはや3時間行けたら4時間も大差はないよ」
「それどういう意味?」
危ない。ここで下手なユーモアを加えて笑いを誘おうとしたつもりでも、異常者であることが露呈するだけだ。
俺は言葉に強烈なドリフトを掛けて軌道修正する。
「恋花だったら何時間でも待てるって意味だよ。それより今日も可愛いな」
「それは…、ありがとう。いくら汐森君が一緒でも身なりには気を遣わなきゃと思って」
「身なりより先に、俺に心を遣ってくれよ」
「ごめん、つい本音が」
恋花はわざとらしく口を手のひらで覆って誤魔化す。
そんな仕草にも愛嬌を感じて、許してしまおうとする俺は幸せを見つけるスペシャリストだ。救いようがない。
実際目の前にいる私服姿の恋花はお世辞でなく可愛いのだ。
恋花らしく派手さを抑えた白系でトーンが揃えられていて、Aラインのシャツワンピースにベルトをウエストマークしたスタイルの良さが強調されている服装。
俺は平静を装った涼しい顔をしているが内心、心臓発作で泡でも吹いて倒れるのではないかと心配になるほどドキドキしていた。
「汐森君なんか顔色悪くない?昨日ちゃんと眠れた?」
「そんな顔だったか?まあどういうプランで五里とちえりを仲良くさせるか考え込んでてな。あまり眠れなかったと言えばそうだが」
ごめん恋花、これも嘘なんだ。
昨日の夜、ちえりとダブルデートの約束を取り付けられたか確認する為に恋花に電話を掛けた。
別れて以来久しぶりに電話が出来たものなので、馬鹿みたいに舞い上がってしまって遠足前日の幼稚園児みたく眠れなくなってしまっていただけだ。
その間に五里達の事を考えていたのは本当だが。
結局寝付けず、早めに準備をした事でマナー講師もびっくりの3時間前行動に至ったという訳だ。
「あんまり頑張らなくても良いと思うけどなあ」
「何故だ」
「ここだけの話だけど、私五里君とちえりちゃんは上手くいかないと思ってるの。だってちえりちゃん、あなたに気があるでしょ?そんなすぐに五里君に気持ち切り替えられるかなって」
「そんなの分からないだろう。五里は悪い奴じゃないし、遊びのつもりじゃなくちゃんとちえりの事を思ってる。それに女心は山の天気みたいなものだろう?今日1日で何か変わるかも知れない」
「そういうものかしらね」
「実際お前は俺の事、好きじゃなくなった訳だしな」
「それもそうね」
こいつ…。どんだけ遠慮なくなってやがるんだ。だが今はそれでも良い。
俺はたった今女心は山の天気のようと言った。俺自身が自分の言葉を信じなくてどうする。
今回は主に五里とちえりを仲良くさせようとしている訳だが、チャンスは俺にだってある。今日1日で恋花の気持ちを手繰り寄せることだって出来る筈なんだ。
それはそうとして、
「でも恋花、特別頑張ろうとしなくても良いとは思うけど、五里は俺達に頭を下げるくらい真剣なんだ。出来る限りのアシストはしてやろうな」
「わ、分かってるわよ。もう、清継君、他人にお願いされると断れないの良くないと思うよ」
「お前俺の事たまに前みたいに名前呼びするけど統一しないのか」
「うぇ!?私名前で呼んでる!?嘘でしょ」
「自覚ないのかよ」
「ごめん…」
恋花は顔を耳まで赤くして目を伏せる。どうやら本当に無意識だったらしい。であれば普段は意識して『汐森くん』なんて呼び方をしている事になる。
恋花は一体何を考え、俺の事をどう思っているのだろう。
そんな事をぼんやりと考えていると、遠目にバスが見えてきた。
俺と恋花が先に待ち合わせをしていたのは互いの家が近いからだ。それに今回の作戦の擦り合わせが事前に出来る。
五里とちえりは家が少し離れていることもあって、臨海パークに現地集合になっているのだ。
排気ガスを吐いて、客の少ないバスの扉が開く。
「恋花、行こうか」
「うん」
本当は手を差し出して、バスの段差を気に掛けてやりたい所なのだが、今の俺にそんな事をしてやれる権利はない。
ICカードをかざして、俺達は奥の席に並んで座った。
窓際に座らせた恋花が、立て付けの悪そうな窓をほんの僅かに開ける。
「どれくらいで到着したかしら」
「40分くらいだったろ、ほれ」
俺は斜め掛けのボディバックのサイドポケットから酔い止めを取り出した。
今日待ち合わせ前に買っておいた物だ。
「水の要らないタイプだ、噛んで飲むだけ。着いてからふらふらじゃ格好付かないだろ?早めに対処しとこうぜ」
「あ、ありがとう。もしかして覚えてた?」
「途中思い出したんだよ。乗り物酔いしやすい癖に何でいつも準備しとかないんだ。俺の部屋使い差しの酔い止めまだ何個かあるんだぞ。そのうちドラッグストアになっちまうよ」
「私だって清継君の為に買ってたハンドクリーム家にまだいっぱいあるんだからお互い様でしょ」
「え、あれ俺の為に買ってたの?趣味で集めてるって言ってなかったか」
「んなっ…」
恋花は目を見開いて、再び顔を耳まで赤く染め上げる。
その様子に心底驚いて俺も首から顔まで熱くなってきた。
今だけはこの距離感が苦しく思える。
俺の手は元々乾燥しやすくて、バイトなんかで食器洗いをする事から赤切れを頻繁に起こしていた。
その様子を見た恋花は都度ハンドクリームを渡してくれて助かっていた事がある。その時彼女はいつもこう言っていた筈だ。
『いい匂いの物見つけるとつい買っちゃうの。趣味で集めてるのだから使い切れないし、清継君が消費してよ』
だから俺は自分でハンドクリームを買うことなんて無かったし、あれが俺に気を遣わせない為の言葉だったとは。
今まで気付け無かった。
恋花は頬を紅潮させたまま、窓を睨み付ける。
「もう昔の事なんだからいいでしょ。清継君の部屋なんか酔い止め専門店になっちゃえば良いのよ」
「じゃあお前の部屋も元カレの為のハンドクリ…痛でででで!」
恋花に脇腹を力いっぱいつねられる。車内なのでなるべく声を抑えたつもりだが、少ない乗客の視線が集まった。
前にもどこかで言ったような気がするが、この手の目立ち方は本当に苦手だ。
「恋花、やめろっての。周りから見れば今の俺達は元恋人じゃなく、人目も気にせずじゃれ合うバカップルになってるぞ」
「…っ!」
そう言うと恋花は、頭から煙を上げて故障した機械のようにおとなしくなって俺から手を話した。
この調子では、臨海パークに着くまでに心身共に疲弊してしまいそうだ。
そうなる前に本題に移そう。
「まだ、到着まで暫く時間はある。今の内に今日の計画を打ち合わせしておきたい」
「もう、帰りたい…」
「お前が今帰るなら俺もバイトに切り替えるぞ。そしてちえりには五里を一人押し付けた悪魔のような先輩二人として卒業まで語られるだろうな」
「清継君今日バイトだったの」
「まあな。俺の出勤率は急遽休む人の代わりも含めて100%を越えている。打率だけで言えばメジャーリーガーだな。それだけの貢献度だから、前日に休みたいことを伝えても快く許しを貰えたよ」
「働き過ぎじゃない?なんでそんなに…、いや、何でもない」
言いかけて恋花は頭を振った。
何だ?変なやつめ。
「とにかくだ。ちえりは五里も含めて遊びに行くことを承諾したんだろう?」
「承諾したというか、ほとんど清継君が一緒だから渋々って感じだったと思うけど」
「なんそれ初耳なんだけど」
「昨日電話でもちゃんと話したでしょ。昨日のあなたずーっとヘラヘラしてて話聞いてるのかどうか分からなかったんだけど、ホントに聞いて無かったのね」
そうだったのか。昨日の俺と言えば、電話で声を聴いて『恋花たん可愛い』くらいの脳みそ溶けた感想しか持てなくなっていたからな。
正直何を話したかもあまり覚えてない。これが俗に言うあれか、偉い人が責任問題に問われた時に引き抜く脇差し。名刀、『記憶にございません』
ふざけている場合ではない。
昨日の話を整理しなければ。
「すまん、昨日睡眠不足であまり覚えてないんだ。最初から話してくれないか」
「絶対聞いてなかっただけでしょ。もう、仕方ないなあ…」
俺と恋花はバスに揺られて目的地の臨海パークを目指す。
まずは到着までにちえりの様子を知っておきたい。間違ってでも、ストーカーから守るための偽装彼氏の役割が俺になってはいけない。
ちえりの相談を解決させ、五里の恋愛を応援し、俺が恋花と距離を縮めるこのイベント。絶対に成功させてやるんだ。
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