ちえりの相談①
「誰かにずっと見られてる気がするんです」
教室前の廊下で下級生から相談を受けたのが一昨日の事だった。
真剣な顔で相談されたものなので、俺も至極真面目な顔をして答える。
「自意識過剰なんじゃないか?」
瞬間、凄まじい勢いで拳が脳天に振るい落とされた。隣で一緒に相談を受けていた元彼女の向崎恋花である。
正直脳みそが飛び出たかと思った。
「痛で!」
多くの生徒が行き交う中、思わず蛙が潰れたような声を出してしまったので、幾人かの生徒が振り返った。
こういった注目の集め方は本当に苦手なので、いっそのこと気絶してしまった方が良かったかもしれない。
恋花はそんな人目を一切気にしない様子だ。
「汐森君、あなたにだけは言われたくないセリフよね?」
「な、何故だ…」
「自意識過剰のナルシストはあなたでしょう」
女子に暴力を振るわれたのは割と初めての経験かも知れない。付き合っていた頃は蚊も殺せないような顔をしていたのに、今では満面の笑みで俺を手に掛ける事が出来るバイオレンスマシーンだ。一体誰がこんな兵器に作り変えてしまったのだろう。
「汐森先輩、大丈夫ですか!?」
「大丈夫、いつもの事だ。薬が切れてしまうと恋花はこうなってしまうんだよ」
「どんな薬服用してるんですか!?」
して相談元というのがこの一年生のちえり。苗字は知らない。覚えてないというのが正しい。
親しい後輩、水上の友人で中学時代に俺はこの子から告白されたそうなのだが、全く記憶にない。別に俺は物覚えが悪い筈じゃ無いので、周りが一種の集団催眠に遭っているのではないかと思っている。
昼休みに入って少しした頃、このちえりが俺達の教室を訪れて来た。
最初は俺でなく、同じ陸上部の先輩である恋花を訪ねて来たそうだが、隣の席にいた見知った俺の姿を見て、ついでに廊下に呼び出されたという次第だ。
それで相談内容というのが『誰かにずっと見られている気がするんです』と。
恋花はまるで何も無かったかのような平静さで
「汐森君の事は気にしないで。それで、誰かにずっと見られてるっていうのはいつから?」
「三日くらい前からです。最初は部活が終わったくらいの時間からでした。何処からか視線を感じていたので、帰りは早足で帰りました。でも、ずっと誰かが付けて来ているような足音も聞こえていたんです」
「部活が終わった後からなら友達だったんじゃないのか」
俺が何の気無しに問うと、ちえりは頭を振った。
「学校にいた時に視線を感じていたら私もそう思うんですが、校門を丁度出たくらいからなんです」
「待ち伏せされてたかも知れない、と」
言ってはみたが、冗談半分に聞いている。待ち伏せなんて、そんなアイドルの出待ちみたいな事。たかが普通の高校生にありえるのか?
ちえりは普通ではない口調のまま
「それからこまめに道角を曲がって帰っていたんでけど、何度距離を離そうとしても付いてきて…」
「それは、不気味な話だな」
なんだかきな臭いんだがね。
続けて恋花が問う。
「振り向きはしたの?」
「怖くて出来なかったんですよお!だって、知らない人がいて目があったりしたら…」
ちえりは声を震わせていた。
その様子に俺は驚いた。正直な話、自分で言えたタチでは無いが思い込みが生んだ存在しない視線なのだと思っていた。ちえりは男子受けが良さそうだし、告白された経験なんて少なくないだろう。そうであれば少しくらい自惚れる筈だ。
誰かに見られてるかも知れないと思い込む可能性は十分にある。だが、この怯えよう、実際に誰かに付けられているなら大問題だし、思い込みであったとしてもなんとかしてやらねばならないだろう。
俺は声の調子を整える。
「この話、他の誰かには相談したのか?」
「瑞希ちゃんにだけ。家族には心配させてしまいそうで」
水上か。ちえりと仲が良いのだから自然と言える。家族や先生にも話してないとすれば、なるべく大事にしたくないのだろう。
「ストーカー、かも知れないな。気のせいで済めば良い話だが、何かあってからじゃ遅いよな。部活帰りは恋花に送ってもらうのが良いだろう。な、恋花」
「勝手に話進めないでよ。言われなくてもそうするつもりだったし。まるであなたに言われてそうするみたいで嫌なんだけど」
それは悪うござんした。しかし、それはこの後付け加えたい事があるからそうしたんだっての。
ちえりは安心というより申し訳なさそうにして
「い、良いんですか?」
「俺もバイトがない日はちえりを家まで送るよ」
恋花だけでは負担が大きいし、ちえりも気後れしてしまうだろう。かと言って俺が率先して名乗りを挙げればそれはそれで気持ちが悪いし、恋花の立場もない。これが穏便で良い。
ちえりの顔色も随分明るくなった。
「恋花先輩、汐森先輩ありがとうございます!」
「気にしないで。汐森君は人助けが趣味みたいな人だから」
そんな趣味はない。
俺の顔がアンパンで出来てると思われるような言い方をやめろ。
「ちえりとは同じ中学のよしみだ。何かあれば助けるさ。誰かと一緒なら付ける奴もいなくなるだろ」
そう言うと、ちえりは深々と頭を下げて、自分の教室へと戻っていく。その足取りは迷いが晴れたように軽やかで、少しは支えになれるようで俺も嬉しい。
俺も教室に戻るとしよう。
「汐森君、いつからあんなにちえりちゃんと仲良くなった訳?」
「仲良くだって?そう見えたか?」
「見えるも何も、あの汐森君がちえりだなんて呼び捨てにしてるんだもの」
あ。これは何て釈明するのが正解なんだろう。
中学の後輩だから?最近親しくなったから?なんて、あれこれ考えるよりも前に恋花には誤解されたくないので、正直に答えてしまっていた。
「違う違う。名前を忘れてたからさりげなく水上に教えてもらって、それで話の成り行き的に」
「ドン引きなんですけど。ちえりちゃん、あなたに気があるって知っててそういうことしてる訳?女たらし」
「それは昔の話なんだろう?今はただの良い先輩だと思って頼ってくれてるんだろ」
「女の子はチャンスがあれば攻めたくなる生き物なの。汐森君だって、あわよくばを狙って家まで送るって言ったんじゃないの」
「なわけあるか!相談された手前、ちえりに何かあれば俺は後悔するし、それに本当におかしな奴に付けられてたら、その時面倒見てるお前まで巻き込まれるかも知れないだろ?俺はそんなの、嫌だ」
それは本心だった。勿論ちえりも気掛かりなのも確かだが、どちらかと言えば交流の少ないちえりという女子よりも、恋花の身に何か起きることの方が嫌だ。
拾える物は拾いたい。結果的に二人の助けになるのだから、俺はこの件に協力したい。
恋花は目を丸める。
「あなた、本当に人が良いのね」
「それが俺のモットーだからな。知ってるだろ」
「うん、変わらないね」
「しょうもないと思ってるだろ」
「うん」
そこは『そんなことないよ』って言って欲しかったな。
全く、つらいぜ…。
「そんなんだから俺はお前に振られるんだろうけどさ、俺はな恋花」
こんな事を今言うつもりは微塵も無かったんだけど、新成人並みのノリと勢いだけで口が勝手に動いてしまっていたのだから仕方がない。
もしも時間が巻き戻せるのならご先祖様方、どうかこの時の俺を一族総出でぶん殴ってやって下さい。
「俺はお前とやり直したいと思ってる。離れてから、心が痛い」
何が心が痛いだ。痛いのはてめえの発言だわ、間抜けえええ!
やってしまった。生き急ぎ過ぎた。清継復縁プロジェクトを立ち上げたばかりだというのに、なんの活動も成果も無く俺の一年は幕を閉じるだろう。
自分で作った砂の城を自分で破壊するようで滑稽だ。笑えよ、圭吾、水上。俺はお前ら以上のピエロ野郎だったぜ。
突然ブレーキの効かない暴走車となってしまった事で、俺の心臓の心拍数が異常に跳ね上がる。ついでに冷や汗が泉のように湧いて出る。
「…。」
俺は自身の言葉ですっかり自失してしまっていた。
恋花はまるで信じられないような物を見るような目をしている。
だがその頬はほんの僅かに紅潮しているようにも見えた。
唇を噛む。
「わ、私は…、私は互いに相応しい相手だと思わない。清継君にも、私にも!そういうこと平気で言えちゃう所も嫌いなのよ。一度振られてるのに頭おかしいんじゃないの!」
うん、俺も頭おかしいと思う。
好感度が低い相手に告白するなんて、好奇心でバッドエンドが見たいギャルゲープレイヤーだけだ。
恋花はそれから教室に戻るなり、俺から机をなるべく離した。以降その日は釈明しようにも一度たりとも口を利いてくれず、顔を向けてくれることさえ無かった。
恋花が俺の事を名前で呼んだのは、久しぶりな気がする。
ただあまりに、気まずい。
広告の下にあるポイント評価欄【☆☆☆☆☆】から評価とイイネを頂けると作者のモチベーションがとても上がります。
宜しくお願いします!
また、小説投稿サイト「カクヨム」でも公開しておりますのでそちらもフォロー頂ければ嬉しいです。