父の不倫
「なんなのよ、もおおおおおおう!」
夜、とある家。母親の怒声を聞いた息子は部屋を飛び出し、リビングへ急いだ。彼がそこで目にしたのは、正座する父親と、それを見下ろす母親の姿だった。母親は父親のスマートフォンを手に、顔を怒りで赤く染めていた。
「あの、母さん。どうしたの? 大きな声を出してさ……」
息子はおそるおそる尋ねた。
「お、お父さんが、不倫したのよ!」
「え、不倫!? それ本当なの、父さん……」
「……ああ、すまない」
「そんな……なんて言えばいいか……」
「最低よお! この人! もう死んじゃえばいいのよ!」
「母さん、それはさすがに言いすぎじゃないかな……」
「言いすぎなもんですか! ほんとにねえ、あんな女のどこがいいのよ!」
「母さん……」
息子は母親が怒るのも無理はないと思った。今はなだめても逆効果だろう。つらいがこの場は黙って見守るしかないと考え、下を向いた。
「何が副大統領よ! 死んじゃいなさいよ!」
「……ん?」
「家族を裏切って、許されるとでも思ってるの!? ふざけんじゃないわよ!」
「いや、え? あの、母さん。ちょっと待って」
「何よ! 口を挟まないで!」
「ごめん、いや、副大統領って何?」
「ふん、この人はねえ、アメリカの副大統領と不倫したのよ!」
「え、いや、え? 今のアメリカの副大統領は女性だけど、その人と?」
「決まってるでしょ! もおおおおう!」
「いや、は!? 副大統領と不倫!? そんなこと、できるの!?」
「ええ、できるんでしょうねえ! 家族よりも自分の欲望を優先させる人はねえ!」
「すまない……」
「いや、そういう意味じゃなくて、父さん、普通の会社員でしょ? どうやったら副大統領と不倫なんてできるのさ!?」
「さあ、なんか、向こうが街でお父さんを見かけて気に入ったんですって」
「街でって……ああ、確かにこの前日本に来てたみたいだけど、本当なの? 父さん」
「ああ、すまない……」
「この売国奴があ……」
「へー……まあ、いいんじゃない」
「はあ!? よくないわよ! あんた、お父さんをかばうつもり!? 男同士だからって、もおおおおう!」
「いや、だって副大統領だよ! すごくない? 会社の同僚とか、風俗とはわけが違うでしょ?」
「だからなんだって言うのよ! 絶対に許さないわあ、あの女……。会ったら、口が利けなくなるまで殴り倒してやる……」
「それ、国際問題だよ」
「すまない……」
「父さん、ずっと謝ってるね……。でも、どうしてバレたの? 一回きりじゃなかったの? 今はアメリカにいるだろうし、そう、しょっちゅう会えるわけでもないだろうに」
「ふん、お父さんのスマホのメッセージを見たのよ」
「へー、母さん、英語読めたんだ」
「日本語よ。『あなたは最高よ』だの『もうあなたのことしか考えられない』だの書いてあったの」
「父さんに夢中じゃないか。いや、本当にすごいな……」
「すごくないわよ! あの女ぁ……必ずぶっ潰してやるわ……」
「副大統領相手によくひるまないね……でも、許してあげたら? ほら、父さんも反省してるみたいだしさ」
「すまない……」
「ふん、どうだか。バレたから反省してるだけよ。バレてなかったら、今もしれっとしてるに決まっているわ」
「急にまともなこと言うね、母さん」
「それに、この人ね、他にも女がいたのよ」
「え、そうなの? いや、正直、父さんって普通のおじさんだよね。本当かな……」
「スマホの中に他の女とのやり取りが残ってたのよ。お父さんがお風呂に入っている間に、ぜーんぶ見させてもらったわ」
「母さんって、めちゃくちゃ人のスマホを見るんだね」
「この人、ここ最近、スマホをニヤニヤ眺めていて怪しかったもの。それで、何さんだったかしら? まあ、どうでもいいわ。私、ハリウッド女優なんて知らないし」
「ハリウッド女優!?」
「それと、グラミー賞? まあ、知らないけど、歌手の声はさぞかし色っぽかったんでしょうね!」
「グラミー賞受賞歌手!?」
「それから、ローマ法王はテクニシャンだったのかしらね!」
「ローマ法王!? いや、男も!?」
「あと、宇宙人は格別なのかしらね。冥王星人だっけ!?」
「冥王星じ、いや、ん?」
「あーあ、私も不倫しちゃおうかしら。俳優からメッセージが来てたし」
「俳優!? ……母さん、ちょっと父さんのスマホを貸して」
「ん、ほら、見てみなさいよ。証拠は十分でしょ」
「……いや、これ普通に詐欺のメッセージだよ。有名人のふりして電子マネー送らせるやつ」
「え? そうなの? じゃあ、不倫じゃないの?」
「そうだったのか……すまない……でも、やり取りを楽しんでいたのは事実だ……」
「誠実なのかよくわからないよ、父さん……」
「え、あ、じゃあ、あたしに来てたやつも詐欺だったのね。危なかったわあ……」
「いや、母さん、揺らいでたの? まあ、何事もなくてよかったね。あっ、でも父さん。まさか、こんな詐欺に引っかかって、お金を取られたわけじゃないよね……?」
「……すまない」
「父さん!」
「あなた! もー、うふふ」
「ふふ、父さんはしょうがないな。ははは!」
笑顔が戻ったリビングで、妻と息子の二人が笑う中、父親は小さく呟いた。
「木を隠すなら森だな」と……。