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「リザ! リザ! 目を開けてくれ! 医師を、医師を早く!」
カーティス王子は、婚約者である血に塗れた令嬢を腕に抱き叫んだ。
リザベルは、カーティスを庇い自らを盾にしたのだ。
カーティスの腕に抱かれたリザベルは、満足そうな表情をしていた。
ファネスト王国には、古くから行われている風習がある。
世継ぎの王子が七歳になると婚約者を決めるというものだった。
しかも、その婚約者はある一族から決められるのである。
それでは、王家の血が濃くなりすぎる恐れがあるのだが、実際には、幼い頃の婚約者と結婚することは稀であった。
様式美のようなもので、王子が王立学院を卒業する折に婚約者は挿げ替えられる。
王子は、自身が決めた女性と結婚するのである。
なぜ、このようなまどろっこしい事をするかといえば、周辺国につけ込まれないようにするため、自国の貴族同士の諍いを顕在化させないためと云われている。
幼い世継ぎの王子に婚約者がいないと、周辺国は自分の国の王女や高位貴族令嬢をごり押ししてでも婚約させたい。
国内でも、高位貴族同士が王子の婚約者の座を巡り諍いが起きる。
そのため、一計を案じ幼い頃に王子を婚約させることにより諍いを未然に防ぐのだ。
そうすれば、国内外からの婚約者に関する騒動は抑えることができる。
王子のそばに控える婚約者の女性は、毒味役やいざという時の盾の役割を担う。
女性自身も他国の暗殺者に狙われることも、自国の令嬢達にやっかまれ嫌がらせされることも度々だ。
だが、婚約者を置くことで王子への被害は格段に減る。
昔、反発した王太子が婚約者を持たなかったが、彼は成人することが叶わなかった。
婚約者になる女性も命を落とす事もあり、まさに命懸けの役目だ。
しかも時期がくれば婚約は破棄される。
婚約破棄された女性は、一族の長であるランバルト公爵家が本人の希望を聞き嫁ぎ先を世話したり、就職を紹介したりした。
また、婚約者でいる間は報奨金が支給される。
ランバルト公爵家は婚約者の女性を一族から出すことにより、要職に就いていた。
一部貴族には影の宰相などと揶揄された。
公爵家自体は、一族の少女を生贄のように差し出すことを良しとはしていないのだが、慣例なので止む無しといったところだ。
その代わり、少女の家には手厚い報奨金と成功報酬、万が一の際には高額の口止め料を出していた。
ランバルト一族の家系の娘であっても、その中で上位の発言力のある家の娘は辞退が許される。
というより、その親が将来本当の王太子の婚約者として挿げ替えるために令嬢を磨くのだ。
婚約者に選ばれるのは、伯爵家の中流以下の家庭の娘だった。
カーティス王子の婚約者に選ばれたのはリザベル。
ジェスカード伯爵家の令嬢だった。
リザベルの両親は亡くなっており、家督は兄のジェイド ジェスカードが継いだ。
弟のルイス ジェスカードは、幼子。
ジェスカード伯爵家は爵位こそ伯爵だがその家計は火の車だった。
リザベルは、この婚約を断固として断ろうとする兄に対し毅然と言い放つ。
「お兄様、私このお話を受けます。
伯爵家の立て直し資金と、爵位を継げないルイスのための教育資金を用意したいんです。
私は王立学院には行けませんが、王太子妃教育を受けさせてもらえることによって礼儀作法や幅広い知識を身につけることができます。
この学びは将来、家庭教師として職業婦人となる私自身が、生きていくための糧になるのです」
令嬢らしからぬ興奮した様子で、拳を握り力説する。
この婚約を利用しまくる気満々のリザベルである。
「しかし・・・」
「大丈夫です。お兄様、私は用心深いんです。信頼してください」
「・・・わかった」
ジェイドもわかっていた。ジェスカード家の家格では断れないことを。
生活苦のため大人びてしまったリザベルは、自分がこの話に乗ることでお金の苦労からは解放されるのだとわかっているため断る選択肢は無かった。
リザベルは城に上がるため、まずはランバルト公爵家へ準備のために向かった。
公爵家で身支度を整えられ、鏡に向かうと絵本に出てくるお姫様のような姿の自分がそこにあった。
初めて会うランバルト公爵は、憐れむようにリザベルを見た。
「身支度は問題ないだろう。月々の報奨金は家族に届ける。王子をお守りするように」
それだけ言うと、城から迎えに来ていた王子付きの侍従にリザベルを託した。
初めて訪れる城は、圧巻の一言だった。
世の中にこんなに美しい場所があるなんて・・・そんなことを思いながら侍従に案内されついて行く。
王子は、薔薇咲き誇る庭の東屋にいた。
リザベルを見ると、社交辞令的な微笑みを見せた。
侍従が紹介してくれる。
「カーティス王子殿下、リザベル ジェスカード伯爵令嬢をお連れしました」
その声を受けてカーティスが言葉を掛ける。
「初めまして、ジェスカード伯爵令嬢。
貴女と婚約できて嬉しく思います。
僕のことはカーティスと呼んで下さい。
貴女のことはリザベル嬢とお呼びしても?」
リザベルもカーティスに微笑み返して、口を開く。
「初めまして、リザベル ジェスカードと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。
私のことはリザベルでかまいません。
カーティス王子殿下」
お互い、にこやかな表情と言葉。
幼い子供達の会話であるにも関わらず大人の交わすビジネス会話のお手本のような雰囲気だった。
初対面は、周囲から見れば上々のようだった。
リザベルは、城中に部屋を賜りそこで暮らすこととなる。
伯爵家へ戻ることはできない。
なぜなら、彼女は王子の毒味役も兼ねているのだから。
カーティスが国王夫妻と食事の際には国王の毒味役が毒味をするが、それ以外では、リザベルがカーティスと同席して行うことになっている。
リザベルは、嗅覚と味覚が非常に優れていた。
伯爵家では食事の材料に傷みがあるかないか、匂いを嗅いだり少量口に含み確認していたのだ。
騎士団で働くジェイドとまだ幼いルイス、彼らの健康を守りたい一心で食材の良し悪しを判断してきたのだ。それが多少なりとも毒味で役に立つとは。
「これは、匂いがおかしいです。
素材の匂いや調味料とは別の何かが入っています」
彼女がそう言うと、毒物の解析にまわされる。
数日後、やはり毒物が検出された。
こんなことは日常茶飯事だ。
たまに鼻が効かない時は少量口に含み倒れた事もある。
リザベルは、毒に関する書物も読み込み慎重に毒味をこなしていった。
「ねぇ、リザ、毒味は君じゃなくても・・・」
カーティスは全幅の信頼を置くようになったリザベルを、二人だけの時のみ愛称で呼ぶようになった。
カーティスのことも殿下呼びはやめてほしいとのことで、様をつけることで落ち着いた。
「いいえ、カーティス様。
私の役目の中にこの毒味も含まれているのです。
我が伯爵家は私がカーティス様の婚約者の務めを果たすことにより報奨金をいただいています。
なので、他の人に代わることはできないのです」
心配してくれるカーティスには申し訳ないが、報奨金が減額されては敵わない。
リザベルに万が一のことがあれば、伯爵家は口止め料も含め多額の慰謝料を受け取ることになる。
彼女はそれならそれでいいと思っているのだ。
まぁ、できれば婚約破棄まで生き延びてお役御免になりたいが。
そんな、自分のために命を張るリザベルにカーティスが好意を寄せるようになるのは自然なことだった。
二人は机を並べて勉強することも多く、わからないところは互いに教えあったりと幼いながらに切磋琢磨し良好な関係を築いていった。