グレンの街
多くの街では街の門は夜明けから日暮れまで開かれる。夜は魔獣や狼たちが跋扈するので町の門は非常時を除いて開けられないのである。
僕がグレンの街に着いたのは夜明けの少し前である。まだ開門までに時間ほどあるので近くの泉で水浴びすることにした。どこかで眠って寝過ごすのも嫌である。
初めての街に入るのにゴブリンの返り血が髪の毛や顔についていたらさすがに驚かれるかもしれない。そういうのも嫌である。
こうして水浴びを終える頃にはあたりも明るくなってきて、やっと開門になった。
門の側に近づくと、番兵がいて入市税として銀貨一枚を要求した。それを払うと、番兵が「兄ちゃんここで逗留するつもりなのか?」と聞いてきた。
「いや、まだ決めていないがそうなるかもしれない」と答えると、番兵は「それなら冒険者ギルドに登録した方がいいぞ」冒険者ギルド証があれば入市税は免除されるからな」という。
冒険者ギルドも日の出から日の入りまで開いているようなので、その場所を聞いておいた。
♢♢♢♢♢♢
街に入るとまだ日の出から間もないというのに通りには人通りが少なくない。
(結構賑わっている都市なんだな)と歩いていると、前に歩いていた白いマントの男の腰につけているポーチを小柄な子供といえる男がさっと切り開いて中の財布を取り出したのである。
音がしないように中身を取り出したその子供みたいな男はすぐに現場から離れようとする。
(どうしよう、無視しておく方が無難かな?)とは思ったもののつい腕を出してその小男の首根っこを掴み上げた。
「や、やい、何しやがんだよう!」と叫ぶ男に構わず、「その手に持っているものは何だ」と聞いてみる。そうすると、その小男も観念したのか黙り込んだ。
さすがの騒ぎでその白マントの男も後ろを振り返った。そして、サイドポーチが切られていることに気がつき、美しい声で「もしかして私が被害者ということか」と言った。
「あ、あんた女騎士さんだったのか。いずれにせよ自分の財布がスられていることに気が付いていないようでは大したことないな」
「すまぬ」
という会話をしていると、首根っこを摘まれている小男が「いい加減に下ろしてくれ。財布は返すから!」と騒ぐ。
「うるさいなあ。お前は何かいう立場じゃないんだよ。捕まった以上はおとなしく裁きを受けるがいい。とにかくその財布はよこせ」と財布を取り上げると、
白マントの女騎士は「ありがとう、感謝する」と私にお礼を言ってくれた。その拍子にバタバタ暴れて私の拘束から逃れた小男は「じゃあな、あばよ!」と一声くれると人混みの中に溶け込んで消えてしまった。
「彼の運命が神の裁きに向かわぬように祈っておこう」
(おいっ、お前聖騎士か?)
「聖騎士様なら神殿の方に向かうのか?」
「いや、まずは冒険者ギルドに向かおうと思う。私はヤシンタというのだ。よろしく」
「あ、ああ。僕はクラッドだよ」
(万事休す。僕もあのコソ泥みたいに逃げればよかった)
トボトボと歩いている僕の横を彼女は「あー、今日も神の善を感じられて素晴らしい気分だ!」と意気揚々と歩いている。金髪の髪と海のような青い瞳が吸い込まれそうで眩しい。
♢♢♢♢♢♢
そうして冒険者ギルドに到着すると、ドアを開けて中に入ると、何組かのパーティやぶらぶらしている人たちがいる。
奥の方に進んでゆくと、受け付けがあり、既に何名かの人たちが順番を待っていた。
「クラッドはこういう冒険者ギルドの登録は初めてか?」
「まあな。ヤシンタはどうなんだ?」
「私もここが初めてだよ。ちょっとワクワクしている」
そんな話をしているうちに順番がきた。
「じゃあレディファーストでヤシンタからどうぞ」
ヤシンタはスラスラとサインして魔力測定でも美しい白い光を示した。
「あなたは初心者レベルの十級からでいいかしら。それとも?」
「ああ、それでいいですとも。じゃあ次はクラッドね」
同じようにサインして魔力測定では淡い白い光が出たが、その時、受付のシンシアは「あら、ここに奴隷の焼印があるわね。ちょっと待ってね」と言って台帳をくり始めたが、「うん、今のところ逃亡奴隷の問い合わせはないようね。でもこのことについては別室で事情を聞いてもいいかしら」という。まあ、断るわけにも行かないのだろう。
ヤシンタは「差し支えなければ私も事情を聞かせてもらって良いだろうか」という。
まあ、今更それを拒否してあらぬ噂を立てられるのも嫌である。「ああいいよ」と答えざるを得ない。
シンシアは別室に僕たちを案内して少し待つように伝えた。
ヤシンタは「私などこの5年間はひたすら従者として仕えていただけだからなあ。君のように逃亡奴隷なんて波瀾万丈の人生だよ」と妙なところで感心していた。
少し経ってシンシアが「すみません、今日はギルド長が不在でしたのでギルド長代理のロベルト・フォノッティ閣下に来ていただきました!」と言って部屋に入ってきた。
シンシアの後に続いて「ロベルトです」と言って微笑みを浮かべているが目は笑っていない男が入ってきた。
(これは警備隊長と言っても通る男だな。)
「で、何をお聞きになりたいのですか?」
「君がクラッド君かね。いや、ピクト族の国ではない自由都市のグレンであるからたとえ逃亡奴隷であっても保護されるよ。けれども、もし向こうから問い合わせがあった場合には事情がわからないと対応できないからね」
「ええ、そうですね」と僕は奴隷市でピクト人の豪族らしい人に買われて山の木を切り、それを筏にする仕事に従事したこと、その後、道を作り、川から運河を掘って盆地にやってきたことを話した。
「それで君のその素晴らしい体が出来上がったということか」
「いえ、それほどでもないです」
盆地では区画整備の仕事をやっていたが、昨日、仕事から帰ってくると村がゴブリンに襲われていて、仲間はゴブリンに切り殺されたので自分はゴブリンから武器を奪ってゴブリンを皆殺しにしたこと、もう生存者がいないことを確認して、隣の家の女の子と両親を埋葬していたら狼の遠吠えが聞こえたのでその場を離れてグレンに逃げ込んだことを話した。
「ほほう、そんなにゴブリンを殺せる人が初心者レベルなんてはずはないよね」ってロベルトは言ったけれど曖昧に笑っているしかなかった。
ヤシンタは「この人は私の財布をスろうとした泥棒を捕まえてくださった人です。なので、右も左も分からない素人ではないことは確かでしょう」とロベルトに言った。
ロベルトは「いや、あくまでもピクト人が難癖つけてこなければどうでもいい話なんだ。もし君のいうことが本当ならば君は奴隷たちの仇討ちをした英雄だから君を奴隷身分から解放すべきであって文句を言ってくる筋合いではないだろう。いや、時間を取らせたね」と言って部屋の外に出て行った。
シンシアも「愛玩用の奴隷ならば草の根を分けても探す人はいますが、肉体労働用の奴隷なら探すコストの方が高くなるでしょうからね。この冒険者ギルドにも逃亡奴隷なんてたくさんいますが皆見て見ぬ振りですよ」という。
シンシアには長期滞在できる安めの賄い付きの宿を教えてもらってヤシンタと2人で冒険者ギルドを出た。
♢♢♢♢♢♢
ヤシンタはランチを一緒に食べようという。
近くにあったレストランに適当に入ってテーブルについて注文をした後、ヤシンタは早速話しかけてきた。
「その埋葬した女の子ってあなたのいい人だったの?」
僕は飲みかけていた水を吹きそうになりながら必死で平静を保とうとする。
「えっ?どうなんだろう。ライラっていつも仲良く遊んでいただけだからまだ仲のいいお友達っていう関係だったのかな」
「そうなんだ。じゃあ特に恋人とかいないんだね」
「もう何年も木を切って運んでいただけだからね。彼女なんてそもそも山の上には女の子なんていなかったよ。周りはオッサンだけだったし」
「も、もしかしてオッサン趣味とかそっちの趣味があるの?」
「まさか。今まで周囲には女の子なんていなかったってことだよ」
「ふ、ふーん。そ、それならあなたは非モテでいいじゃない。そんな女の子はいらないでしょう」
「え?それはひどいんじゃ」
「き、今日はあなたがあのスリを捕まえてくれたお礼なのよ」
「その、話が見えないんですけれど」
「だから、明日も一緒にギルドで冒険の募集を探しましょう」
「は、はいっ」
「さあ料理が来たみたいだわ。おいしく食べましょうね」
「はっはいっ」
もう「はい」しか言えなくなった。
聖騎士様はおいしそうに食事を食べている。
「でも、ゴブリンをそんなに大量に仕留めたなんて本当?他の奴隷はみんな殺されたのでしょう?」
「ああ、奴隷になる前に剣の使い方は学んだんですよ」
「けれども木剣の練習だけじゃ生きたゴブリンは仕留められないわよ」
「まあ、お師匠は私をゴブリンの巣の上とか酷いところに落っことして自力で帰ってこいとか無茶苦茶やってましたからね。
「まあ、それってマーリンみたいな奴ね」
(ギクっ、しまった、言いすぎたかな)
「そういえば何年か前、滅多に弟子を取らないマーリンが弟子を取ったけれど、その子をジェレイントおじさんが養子に欲しいと言ったのを断ったって話を聞いたことがあるわ。確かその子は黒髪で黒い瞳の子だって聞いたことがある」
「ああ、この魚、美味しいですね。名物料理なのかな…」
♢♢♢♢♢♢
食事の後、ヤシンタは僕の宿の前まで来て、宿の女主人に「聖騎士の私が太鼓判を押しますから安心しできる人ですよ」とか何とか言っていた。
宿の手続きが終わると「明日は迎えに来ますから寝坊しちゃダメですよ」というので僕も「は、はい」というしかない。
彼女は神殿の宿舎を使うとのことでやっと帰って行ったのだけれど、もう僕は何日分の疲れを感じたんだろうというくらい疲れた感じである。
宿の女主人は「あんた、あの聖騎士様の従者か何かかい?」と聞いてきたけれどどう答えて良いかもわからない。こちらは承諾した覚えもないのだけれど、勝手に任命されたのだろうか。
女主人は「まあ、ここは大神殿のある神聖都市だから聖騎士様の従者って名誉なことってことになるからね」
「い、いやまあ」
(従者なんてことになればヤシンタにオモチャにされかねん)
「そういう冗談を言って聖騎士様のご機嫌を損ねるのは嫌なのでそんなことは決して言わないでくださいね!」
「はいはい、そういうことにしておくよ、じゃあ今から夕飯の準備をするからね」
そうして僕は部屋に案内されて、やっと人心地ついたのであった。
夕刻になって夕食の準備ができたということで呼ばれたが女主人とコックの他に3〜4人の滞在者がいるようだった。食事の後で他の滞在者を紹介してもらった。年齢不詳のエルフの女性は冒険はせずに、ここで魔法の研究をしているらしかった。エルフたちは長命で不老なのでそもそも年齢を明らかにしたがらない。
あとの三人は冒険者ギルドからここを紹介してもらった初心者冒険者らしい。
彼らはグレンの町の周辺にあるいくつかの農村出身で、冒険者として技能を高めた後は村に帰って自警団として働いて村を魔獣の攻撃から守りたいということらしかった。
彼らによると、初心者レベルから一級上がるためには「初心者ダンジョン」を攻略しなければならないということのようで、そこを攻略できない初心者が大勢いるらしい。
初心者冒険者たちは「数は力なんです。僕たちは一人一人の力は弱いけれどみんなで集まれば大きな力になる。さあ、みんなで力を合わせて『初心者ダンジョン』を攻略しましょう!」と言っていたが、女主人が「ダメダメ、クラッドさんは女聖騎士様の従者みたいだからね。明日も聖騎士様が迎えに来るとか言ってたからね」と言わないで欲しいと言っていたのに平然と従者扱いされてしまう。
「あ、いや、従者ではないんですけれどね。単なる知り合いってだけで」とか言い訳して「明日は早いので早めに休みます」と部屋に戻って来てしまった。
ヤシンタって悪い子じゃないのはわかるけれど、あんなガチガチなのはどうしてなんだろう。僕もジェレイントの養子になって騎士になっていたらあんなにガチガチになっていたのだろうか。それを考えるとマーリンが断ってくれたのはよかったことなのかもしれない。
そんなことを考えているといつの間にか眠ってしまっていた。