奴隷市
目が覚めると檻の中である。
まだ薬の成分が残っているのか頭が痛い。けれども、少し我慢していると、頭の痛みも薄れ、周りがよく見えるようになってきた。
周りには自分と同年代からもう少し上の、けれども少年と言えるくらいの男たちが同じ檻の中に囚われていた。別の檻には成人した男性が囚われているものもあった。男たちは皆下帯一つの半裸である。
おそらく、自分が持っていたあのゴブリンの魔法の剣なども全て取り上げられてしまったということだろう。
少し向こうの檻には女性たちが同じように囚われており、女性たちは簡単な貫頭衣のような衣服が着せられている。
檻の周りには焚き火が焚かれており、そこには見張りなのだろう、男たちが座っているが、どうやら眠っている様子である。
そろそろと檻の鉄格子のところまで移動し、鉄の格子を曲げられないかと力を込めたが、さすがに鉄格子を曲げるのは無理そうであった。鍵穴はあるが、鍵は見張りが持っているだろうし、手がそこまで届くはずもない。
おそらくは深夜なのであろう。他に動くものはない。
体を調べると特に傷らしいものはなかった。さすがに奴隷商人である。商品である奴隷に傷をつけないように最新の注意を払ったらしい。
魔法については下手に魔力を使えば警報が鳴り響く魔道具もあるということはマーリンから聞いていたこともあるので、いざという時までは使用を控えて隠しておいた方が良いかもしれない。
そうなれば体力の温存である。ということで夜明けまで仮眠をとることにした。
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夜が明けると奴隷商人たちは手際よく奴隷たちに粗末な食事を配り、それが終わると奴隷たちに香油を塗り始めた。隣の奴隷に「何でこんなことをするんだ」と聞くと、「そりゃ俺たちは商品だぜ。商品の価値を上げて一銭でも高く売ろうとするのは商人の性じゃないか」という返事が返ってきた。
「お前の名は?」と更に問うと「奴隷に名などない」という答えがあってそれからは沈黙した。
奴隷市が始まると順番に檻から出され、手クビに番号札をつけられてステージの上に立たされる。壮年男性は主に肉体労働の担い手として買われるが、少年や少女の場合、肉体労働ではなく、金持ち貴族や商人の愛玩の対象になることもある。
僕の場合はすぐに値がついて落札されることになった。落札したのは代理人だったので誰が落札したのかよくわからなかったが、商人たちの話を聞くとどうやら北のピクト族の豪族らしい。他に落札された人は壮年の男性が多かった。
奴隷になると奴隷種の所有であることを示す印が入れられる。
僕も他の奴隷と同様に腕に焼きごてで印が入れられた。
そのあとは縄で両手を縛られて奴隷主の元に向かう。僕は他の壮年男性の奴隷と同じように山の中の大きな建物に連れてゆかれた。そこでは何本かの木が切り倒されており、奴隷はその木を切ったり運ばされたりしていた。新しく来た奴隷には建物で食事がふるまわれたが、食事を食べるとすぐに働くように言われた。
仕事は大きく分けて木を切る班とそれを川沿いまで運ぶ班に分けられた。僕は最初は運ぶ班だった。大人に比べて力も弱かった僕は最初は木を運ぶ補助の役目をしていたが、何カ月か経つうちに次第に小さな木なら一人で集積所まで運べるようになった。
そうなると木を切る方の班に入れられた。木を切る方は斧を扱う技能が必要で、奴隷の中でもそれがうまくできないものは怪我するものが多かったのである。
怪我をした者たちは特に治療を受けることもないままで、何も働けないものはそのまま死を待つより他なかった。
僕は斧の扱いにもすぐ慣れたので結構上手に木を切れたのである。自分が怪我した時にはこっそりと治癒魔法を使うこともできた。治癒魔法を使えることは他のものには内緒にしておいた。奴隷主に自分が魔法を使えることを知られたらどこでどんな仕事を命じられるかわからなかったからである。
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さらに一年ほどして、ある程度木を切り終わると今度は切った木を筏にして川を下らせるという作業を命じられた。その頃には結構筋力がついてきていたのが自分でもわかってきていたので、どんどん率先して筏を組むことになった。できた筏は操船の上手いものが下流へと運んで行った。それから半年ほどは川から運河を掘り、また、その運河に沿って道路を作った。
道路の先には石ころだらけの盆地があった。どうやら奴隷主は水もない不毛の荒地に川から運河を引っ張ってきてそこを農地にする計画らしかった。
その荒地には村というべき住宅があり、奴隷か農奴の家族が住んでおり、毎日一生懸命石ころを取り除いて畑にしようとしていた。
僕たちの宿舎として割り当てられた宿舎の隣にもそういう家族が住んでいた。その家族には10歳くらいの娘さんがいて、時々僕に摘んでいた花をくれたりした。
山で木を切っていた頃は奴隷同士挨拶などもせず、ほとんど干渉せずに生きていたのだけれど、この娘さんは朝、僕がおはようというと、ニコッとしてお辞儀をしてくれたのである。彼女はライラという名前である。
それからは目が合うとニコってしてくれるようになって、僕もどうしていいかわからなくて、ちょっとお辞儀をするようになった。多分顔はちょっと赤くなっていたと思う。
彼女は僕が仕事のない時には一面に白詰草の花や蓮華草の花が咲いているところに僕を連れて行ってくれるようになった。そこで彼女は花を摘んで花冠を作ってくれるのである。花冠が出来上がると僕の頭に乗せてくれてニコッと笑ってくれる。
僕が「ん…、ありがと」というと彼女は嬉しそうに笑ってあたりを踊るように駆け回っていることもある。時には並んで座っていると彼女が僕の肩に頭を寄せてきてピタッと体重をかけて来ることもある。そんな時には僕の半身にまともに彼女の体温を感じて、どうして良いかわからなくて動けなくなることもある。
多分、その時はもう心臓がドキドキしていて顔は真っ赤になっていたのかもしれない。
夕方になるとどちらからともなくお互いに手を繋いで家の方に向かう。家に近づくと彼女は手を離してニッコリとして手を振ってくれる。それで僕も手を振って「また明日ね」と言う。そうすると彼女は満足したように彼女の家に駆け込んでゆくのである。
僕が宿舎に戻るとオッサンたちが「隅におけないねえ、この色男が」と言ったり「モテモテだねえ」と言ったりしてくる。僕はどう返事をしていいかわからないので俯くだけである。
こういう時にはもう黙って夕食を食べて眠るだけである。下手に口ごたえをするとオッサンどもはさらに喜んでからかってくるのである。
で、夜が明けて朝になると仕事に向かう準備をする。宿舎を出ると彼女も外に出ていて、「おはようライラ」と挨拶すると彼女も「おはよう、クラッド。今日も頑張ってね」と手を振ってくれる。
その時はオッサンたちはマジメ腐って前を向いて行進している。そして彼女が見えなくなると「よう、今日もアツアツだねえ」とか言って僕を小突いてきたりするのである。
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もう初冬と言ってよい寒い日、いつものように夕方になって宿舎に戻ってくると雰囲気がいつもと違う。空気に血の匂いが混じっている。
建物の周囲に見慣れない生き物の姿が見えて、オッサンたちは「ゴブリンだ!逃げろ!」と叫んで元来た方に逃げ出した。ゴブリンたちはこちらに気づくと数匹が走ってこちらに向かってきた。
僕はそのうちの一匹に体当たりをして、ゴブリンが怯んだ隙にその横をすり抜けてライラの家に向かった。
血の匂いが立ち込めるライラの家に飛び込むと、ライラの父と母は血まみれになって倒れていた。そしてライラに覆い被さっていたゴブリンが顔を上げてこちらを見た。
そのゴブリンは刀を抜いてこちらに向かってきた。
僕はゴブリンの腕を掴んでねじり上げると痛みに顔を歪めたゴブリンは刀を取り落とした。その刀を素早く取り上げた僕は全力でそのゴブリンの首を刎ねた。
僕の心の冷静な部分は(そういえばゴブリンの剣を奪い取ったことって昔もあったよな)って取り止めもなく考えていた。
そのゴブリンはライラを食おうとしていたらしく、刀傷で骨まで見えていた。もう事切れていて、白魔術を使って治癒魔法をかけたが何の効果もなかった。彼女の両親も同じように既に命はなかった。
呆然とした僕はフラフラと建物の外に出た。外には数匹のゴブリンが抜き身を下げて立っていて、こちらに気づくと刀を振り上げてこちらに走ってきた。彼らのいたあたりには何人もの人が倒れていて、もうぴくりとも動いていないようだった。
自分の宿舎に入るとそこも死体だらけだった。武器を持たない奴隷たちはゴブリンたちの刀の前に抵抗することもできずに殺されたということだろう。
外に出て道に倒れていた人たちを調べたが、こちらももう既にとどめを刺されていた。
村の反対側には奴隷監督官の宿舎がある。そちらの方に向かうと更に十匹以上のゴブリンたちがいた。問答無用でゴブリンたちを攻撃したが、ゴブリンの剣は粗雑で、数匹のゴブリンを叩き殺すともう剣の方も壊れてしまう。そのため、斃れたゴブリンから武器を奪いつつゴブリンを打ちのめすしかなかった。
そうして奴隷監督官の宿舎に入ったが、こちらも血だらけの中に死体が倒れているだけだった。
奴隷監督官はさすがに剣を持っているものもおり、それを抜いているものもいたのだが、ゴブリンの奇襲には対応できなかったということかもしれない。
ゴブリンの粗雑な武器よりも人間の持つ武器のほうがマシだろうということで奴隷監督官の武器を借りることにした。
奴隷監督官の宿舎は他の宿舎とは違い三階建てである。奥にはまだゴブリンが潜んでいるかもしれない。それで、三階まで上って確認することにしたのである。二階も下と同じく奴隷監督官の死体だけであった。そのまま三階に行くと、大きなテーブルの向こうにある椅子に座ったまま、ちょっと偉そうな男が袈裟懸けに切られており、その横で他のゴブリンより体格の大きなゴブリンがどうやら金庫を開けたので喜んでいるのだろう。金庫の前で飛び跳ねていた。
そのゴブリンは僕が上がってきたことに気がついて、「何奴!」と誰何してきた。僕が黙っていると、そのゴブリンは「ふん、いずれにせよ臭い人間どもに慈悲をかけても仕方がない」と言って剣を抜くといきなり突いてきた。
僕が受け流して剣を払うとそのゴブリンは剣を上段から振り下ろしてきた。他のゴブリンとは異なりその一撃は重い。何とかその一撃を受け止めた僕はカウンターで剣を繰り出すが、その斬撃は相手に軽々と受け止められてしまう。お互いに決定打を与えられないままもう十合を超えて切り結んでいる。だんだんと疲労が蓄積して腕が重い。相手のゴブリンはそれほど疲労しているようにも見えない。恐らくはゴブリンはこちらを疲労させて体力の差で勝とうとしているのかもしれない。
そこで僕はライトの呪文を唱えた。
「うぎゃっ!眩しい!」とゴブリンは剣を取り落として目を抑えた。そう、ゴブリンの目に対してライトの呪文を掛けたのである。
パニックになっているゴブリンに僕は彼のみぞおちのあたりからグッと奥に剣を突き刺した。彼の心臓は鼓動を止め、目は虚になってゴブリンは地面に倒れ込んだ。僕は金庫の中を覗き込んだ。中には皮袋があって、金貨が何十枚か入っている袋や宝石が入っている袋、空に銀貨や銅貨が入っている袋があった。
僕はそれを取ってポーチに入れ、階段を下りて外に出た。もう外には生きているものの姿はなかったが、他の建物にもしかすると生き残っている人がいるかもしれない。けれども、もうどの建物にも生きている人もゴブリンの姿もなかった。
「生きている人たちが無事に逃げ出してくれていればいいんだが」
そう祈って、再びライラの家に向かう。もう動くもののない家の中には三体の死体だけが転がっている。
自分の宿舎から道具を取り出すと、花畑に向かい、そこで三つの穴を掘った。そして荷車に三つの遺体を載せるとその花畑に向かって運んで行った。
遺体をその穴に埋葬して土をかけ、目印として十字にした木の枝を差し込むともうあたりは真っ暗である。
普段は聞いたこともない狼の遠吠えが聞こえる。
「血の匂いを嗅ぎつけて狼たちが狙っているのかもしれない」
返り血を浴びた衣服は宿舎で脱ぎ、新しい服に着替え、コートを羽織ると金庫から奪った皮袋をパックパックに移し替えると、急いで村を後にした。少し行くと街道が見えてきた。南にゆくとピクト人の居住地である。北に行けばハイベルニアの国になるし、そこには自由都市があるはず。自由都市であれば奴隷であっても自由を拘束されない可能性もある。
けれども、ここで捕まれば逃亡奴隷として罰せられる可能性がある。
僕は疲れた体を引きずりながら一刻も早くピクト人の領域を出ようともう当たりが白く霜が降りた街道を夜を徹して歩き続けたのである。