乗り越えられなかったもの
「メアリー・ドーヴァー侯爵令嬢、貴女との婚約を破棄する!」
王立学園の卒業パーティー、その盛り上がりの最中に婚約者であるエドワード王子から突然の婚約破棄宣言がわたしに突き付けられました。思い返せば確かに最近はエドワード様にお会いできない日々が続き、婚約者だというのにこの卒業パーティーのエスコートもして頂けませんでした。ああ、なぜこんなことに……わたしは、わたしは確かに原作を乗り越えて、エドワード様との婚約にまで辿り着いたはずなのに!どうして原作には存在しない婚約破棄イベントが起きてしまったのでしょうか……。
すべては八年前、わたしが十歳の時に始まりました。
朝、いつものように自分のベッドで目を覚ましたつもりが、わたしは見知らぬ豪華なベッドの中で寝ていて、小学生くらいの女の子になっていた。部屋にあった鏡で顔を確かめてみると、その女の子は綺麗な金髪の、ちょっと目がきつめな印象を受ける顔で、どこかで見たことがある気がしてしばらく考えていたら、ふと気付いた。あ、これ、最近遊んでいた乙女ゲームに出てくる悪役令嬢にそっくりなんだ!正確にはその悪役令嬢を幼くすればこうなるんだと思う。
ゲームのタイトルは『ユニコーンの指輪』。シナリオ量や声優陣が豪華なのは当然として、昔のイギリスをモデルにしているとかで、ビクトリー朝?風のアレンジ衣装や場面背景といったビジュアル面の力の入れ具合がすごい、という評判だった。主人公は祖母の願いでこのブリテン王国の名門学園に新大陸のアメリア合衆国から留学にやってきた少女で、そこで王子や軍人の息子、芸術家の卵といった様々な攻略対象者と出会い、三年間の学園生活を通して交流を積み重ね、愛を育むのだ。攻略対象のルート毎にライバルキャラがいて、第二王子のエドワードルートでライバルになるのが婚約者候補筆頭で推定将来のわたしであるメアリー・ドーヴァー侯爵令嬢だった。メアリーは実家が名門貴族だということを鼻にかけていて、平民の主人公に取り巻きともども嫌がらせをしてくる、金髪縦ロールの典型的な悪役令嬢っていうキャラだった。悪役令嬢は王子様の婚約者っていうパターンが多いけど、婚約者がいるのに他の女に夢中になるヒーローはどうよ、ってことで婚約者候補という設定になったらしい。あと、このゲームは一年目は共通ルートで二年目からルート分岐してそれぞれのライバルとの対決、三年目は攻略対象者と深く向き合う、という構成になっていて、ライバルは中ボス的な扱いなのも婚約者候補止まりの理由の一つだったはず。だからメアリーもクライマックスで婚約破棄されて退場するとかじゃなくて、二年生の終わりにいじめを王子に目撃されて叱責されて婚約者候補から外され、おまけに長期休みの間に不祥事で実家が没落したとかで気付くとそれ以降登場しなくなるって形だった。他のルートだと最初はライバルだったけど良い友人関係になって色々と協力してくれるというキャラもいたみたいで、そういう意味ではメアリーというのはちょっと不遇なライバルキャラだったかも。なんて色々語ったけど、実はわたし、エドワードルートしかクリアしてないのよね。ジャケ絵の金髪碧眼のいかにもな王子様ってビジュアルのエドワード様がカッコよすぎたから最初にそのルートをクリアして、明日から他のルートをやろうと思って寝たはずなんだけど……。
とりあえずそこまで思い出したところで、わたしは今後の方針を考えはじめた。これって多分あれよね、悪役令嬢転生ってやつ。破滅回避のために婚約から逃れようとしても大抵は逃げられなくて、でも色々と真面目にやっていくうちに婚約者の心を掴むことができて、世界をちゃんと理解できていない転生ヒロインがざまぁされるっていう。つまり、しっかり勉強して、できれば何か転生チートで一儲けして実家が妙なことをして没落しないようにすればわたしは推しのエドワード様と結ばれるってことで良いのよね。よし、わたしはやってみせる!立派な悪役令嬢物の主人公になってみせるわ!
目標を決めたわたしは、その日以降、貴族としての勉強を頑張り、貴族風の言い回しを学んで平民っぽい口調を改め、父母が勧めてくれた同世代の貴族子弟たちと交流し、お話でよく見る立派な貴族令嬢になるべく努力した……もとい、していきましたわ。一般人レベルの前世の知識でも十歳児の学習には十分助けになりましたし、他にも料理やお菓子のレシピは、美食の国フランク出身のお抱えシェフ・ピエールの腕が大変に素晴らしいのもあって、貴族の方々との交流をとても助けてくれました。新しい料理を味わおうと、多くの方々が我が家のお茶会やパーティーに競うようにやってきた上に、トマトやジャガイモといった新大陸の野菜を使った新料理の流行は新大陸産の素材の需要を生み出し、その交易に一枚噛むことで実家の景気も上向きとなってくれました。原作での不祥事が何だったのかはわかりませんが、不祥事と言えばお金絡みのことが多いですから、お父様は貴族としてしっかりした考えをお持ちの方ですし、まとまった収入さえあれば怪しい取引に手を出すこともないでしょう。
そして十二歳の時、いよいよエドワード様の婚約者の選定がはじまりました。原作では候補の中から誰を選ぶか決めあぐねて三年間の学園生活の間に決めることになるのですが、本当はどうしてエドワード様が誰も選ばなかったのか、ルートをクリアしたわたしは知っています。エドワード様は第二王子であり、五歳上の兄君としてリチャード王子がいらっしゃるのですが、このリチャード王子は幼い頃から暴君として悪名高く、エドワード様は兄の嫌がらせを憂慮して婚約者を未定のままにするのです。原作ではエドワード王子とヒロインの仲が深まるとリチャード王子が嫌がらせのためにヒロインを誘拐するイベントが発生し、それを機にエドワード様はヒロインへの恋心の自覚とリチャード王子の打倒を決心する、という流れとなっていましたのでエドワード様の懸念は当たっていたと言えます。そこでわたしは原作知識を利用してエドワード様の密かな趣味である天体鑑賞の話題で興味を惹き、エドワード様がどのような道を選ばれようともエドワード様を信じ、お傍でお支えする覚悟を訴え続けることにしました。最初のうちは他の婚約者候補と同じ地位目当ての女と思われていたようですが、交流を重ねるうちにだんだんと心を開いて下さり、お茶会でお会いするだけでなく、あちこちに一緒にお出かけする仲となることができました。そして原作と同様にリチャード王子がちょっかいをかけてきたのをきっかけに、エドワード様から愛の告白をいただき、学園入学前には晴れて婚約者となることができました。あの星空の下での告白をわたしは一生忘れることはないでしょう。
こうして、原作と違ってエドワード様とわたしは婚約者同士として学園に入学しました。原作ヒロインの存在はとても不安でしたが、試しに道に迷うところからはじまるイベントに対しては道案内役を立てたり、教室に忘れ物をしたところからはじまるイベントがあれば忘れ物をしないように直前に呼び掛けてもらうなど、お友達にも協力してもらいながらいくつか対策を立ててみたところ、あっさりと成功して何もイベントが起きませんでした。ゲームと同じ設定の世界であっても、ゲームの強制力のようなものが働くことはないようですし、ヒロインもゲーム知識をもった転生者などではないようです。ダメ押しで機会を見つけてヒロインにそれとなく平民の分を守るように促したところ、大人しく従ってくれてエドワード様ルートへの分岐点の一つであるヒロインの生徒会への入会も行われることもありませんでした。
おかげでわたしは安心してエドワード様と一緒に学園生活を送ることができました。二人で生徒会に入り、学校行事を共に楽しみ、ある時はお忍びで街を歩くなどの原作イベントと同じようなことをするだけでなく、一緒に勉強会を開いたり、王城での舞踏会に参加したあとに王城の塔から二人だけで星空を眺めて過ごすなど、原作以上の時間を一緒に過ごしてきました。
そして、あとは学園を卒業しさえすれば晴れてエドワード様と結ばれる……はずだったのに。どうして、いま、わたしは婚約破棄の宣言を受けているのでしょうか?エドワード様の周りを見ると、側近を務めている他の攻略候補たちのほかに、眼鏡をかけた見覚えのない青年と桃色髪の原作ヒロインがいます。ひょっとしてわたしの知らないところでヒロインが何かを……?何としてでも理由をお聞きしなくてはなりません。突然の出来事に折れそうになる心を奮い起こして、エドワード様に尋ねることにしました。
「殿下、このような場で突然そんなことを言いだすとは、いったい何をお考えですか!?わたくしたちの婚約は家同士の契約、簡単に破棄できるものではないということはよくお分かりのはずです。どうか理由をお教えください!」
「それは……」
エドワード様は見知らぬ青年の横にいるヒロインの方をちらっと見た後、青年に首を横に振られると言葉を詰まらせました。
「はっきり言えないとは、何か後ろめたいことでもあるのですか?それとも、どこかの誰かに何か吹き込まれたのでしょうか?」
「……詳細は話せぬ。しかしこれは陛下も既に承知していること。決して覆せぬ話である」
「そんな、あまりにも一方的すぎます!あの日、星空の下で誓って下さった言葉は偽りだったのですか!?」
「そうではない、そうではないんだ……」
わたしが何を言ってもエドワード様からはっきりとしたお答えを頂けません。
「メアリー様がお可哀そうですわ」
「殿下はメアリー様にお応えなさるべきです」
あまりにも煮え切らないエドワード様の態度に周囲にいたお友達の皆さまも声をあげてくださいました。
「そういえば殿下のお傍にいる見慣れない方はどなたかしら?」
「女性の方は同級生の方ですね。その隣の男性も確かどこかで見たことがあるような……」
そしてヒロインの存在に気付く人も出てきたようです。こうなっては踏み込んで尋ねるしかありません。
「殿下、どうしてこのような場に平民を連れていらっしゃるのでしょうか?ひょっとして今回の件にそちらの平民が何か関わっているのですか?」
「なっ……いや、それは……この方は何も関係ない!あくまでも今回の件は私の考えだ」
「関係ないのであればどうしてお傍にいるのを許しているのですか?三文小説のように平民との真実の愛に目覚めた、というわけではないのでございましょう?」
「いや、だからこれは……」
あまりにもわかりやすい反応を前に、更に問い詰めようとしたところ、突如としてヒロインの横にいた青年の笑い声が場に響き渡りました。
「ははははは。やはり、貴族意識というのはなかなか根が深そうですね。殿下、ここまでで結構です。あとはこちらにお任せください」
「いや、しかし……」
「王家の方針は確かに見せて頂きました。茶番は長引かせるものでもないでしょう。ここでの差配は父から私に委ねられておりますので、あとはこちらにお任せください」
そう言ってその青年は前に進み出てきました。
「婚約者同士の話に横から割り込むとは無礼な。名を名乗りなさい!」
主要な貴族家の当主とその子息の顔は覚えていますが、その中にこの青年を見た記憶がありません。話に割り込まれた怒りのままに思わず問い質してしまいました。
「ははは、やはり覚えておられませんか。それでは改めまして自己紹介を。私の名はウィリアム・グラッドピットと申します。ただの平民の小倅ですよ」
その名乗りを聞いて主に遠巻きにしていた野次馬を中心にざわめきが起こりました。確かにどこかで聞いた家名ではありますが、ただの平民がどうしたと言うのでしょうか。
「それで、その平民の小倅が一体何の権利を持って貴族の会話に交ざろうと言うのです?」
「なに、ちょっと同じ平民としてメアリー様やそのお友達の方々に用事がありましてね」
「……は?」
「『同じ平民』とは何と無礼な。メアリー様はれっきとした侯爵家の御令嬢ですわよ!」
失礼な発言に呆気にとられてしまったわたしに代わってお友達の一人が抗議の声をあげて下さり、他の方々もそうだそうだと頷いて下さいました。
「やれやれ、メアリー嬢もその取り巻きの方々も何か勘違いされておられるようですが、大陸諸国ならともかく我が国で『貴族』を名乗れるのは爵位を保持している当主のみ。ですので当主ではないあなた方は貴族ではないただの平民ですよ?貴族派では一体どんな教育をしているのやら」
「「え?」」
家での教えと違うことを言われて驚いて周囲を見回すと、近くにいるお友達は呆気にとられていますが、遠巻きに見ている級友の方々はその通りと言うように頷いています。
「さて、そんな貴族派の方々にお知らせがありましてね。諸君らの親である当主一同にはクーデターを計画している疑いがかけられています。既に今朝付けで議会からは逮捕状が発行されました。それに伴って諸君も事情聴取に協力してもらいます。これは任意ではありません、決定事項です」
あまりにも唐突な一方的な通達に一瞬、場に静寂が訪れました。
「何を突然そんな言いがかりを!大体貴方に何の権限があるというのですか!」
「首相である父からの依頼によってですが?幸いにも今日は卒業パーティーということで協力をお願いする方々が一同に集ってくれましたからね。あまり歳の離れた人間がうろうろして目立ってもまずいということで、学生諸君に対しては学園OBである私が担当することになりました」
「そのような話……」
「メアリー様、メアリー様。あの方は確かにグラッドピット首相の御子息ですよ」
なおも言い募ろうとしたわたしに、そっとお友達の一人が耳打ちしてくださいました。どうやらこの青年が首相の息子というのは確かなようです。
「問答はここまでです」
そう言ってウィリアムが手を掲げると会場の扉から黒い制服を着た警官隊が雪崩れ込んできました。
「僕を誰だと思っている!」
「お父様に言いつけてやるんだから!」
あちこちから反発する声が聞こえてきますが、すべてを無視してわたしも、周囲にいたお友達も、みんな警官に拘束されてしまいました。このままではお友達ともどもどこかに連行されてしまいそうな気配です。
「これは、これは何かの間違いです!殿下、どうかお助け下さい。殿下……エドワード様!」
一縷の望みをかけて必死になってエドワード様に助けを求めましたが、エドワード様は俯くばかりで決してわたしに顔を向けようとはなさいませんでした。
「くれぐれも丁重にお連れするように」
そしてウィリアムの指示の元、わたしの周囲にいたお友達はどんどん外に連れ出されていき、やがてわたしの番もやってきてしまいました。
「どうしてこんなことに……どうして……」
一縷の望みも断たれ、悲嘆にくれることしかできずに大人しく連行されるわたしの耳にウィリアムがエドワード様に話しかける声が聞こえてきました。
「それにしても外国と通じてのクーデター計画など言語道断。計画の首謀者であるドーヴァー侯爵の令嬢に婚約者がいらっしゃればその方にもお話を伺わないといけないところでしたね。いやはや、発覚直前に婚約が破棄されているとは、運の良い方もいらっしゃるものです」
その話を聞いた瞬間、突然の婚約破棄の理由が腑に落ちました。つまりは、わたしは王家に、そしてエドワード様に累を及ぼさないために切り捨てられたのだと。
その後、わたしは警察で取り調べを受け、処分が決まるまで修道院に送られることになりました。取り調べで一番尋ねられたのは料理人のピエールについてであり、警察の話から推測するに、どうやらピエールが外国の協力者との窓口となっていたようです。そして、残念ながらお父様がクーデターを計画していたのは間違いないことのようでした。恐らく原作でメアリーの実家が没落する原因となった不祥事というのもこの計画だったのでしょう。お父様の目的は王家と貴族によって統治された王国を取り戻すことであり、王家にとっても都合が良いので黙認されていたもののメアリーが婚約者候補から外されたのを機に切り捨てられた、というのが原作の没落だったのではないでしょうか。どうやらわたしは原作を乗り越えたつもりでいて、実は大事なところで乗り越えることができていなかったようです。
修道院では改めてこの国の制度について、特に建前ではなく実態について学んだことで、これまで受けてきた教育がいかに偏ったものであったのか思い知らされました(学園の授業は古典や理系科目が中心で現代社会については家庭での学習に任されていたのです)。このブリテン王国は王国を名乗り王家がありますが王は名ばかりの代表であり、実際の国家運営は議会とその代表である首相が行っているとのことでした。しかも昔は貴族議会が中心だったのが近年は爵位を持たない地主たちを中心とした庶民議会の方が中心となっており、その現状に不満を抱いた貴族たちが貴族中心主義の『貴族派』を形成し、自分の子供にも同じような価値観の教育を行っていたようです。修道院ではかつてのお友達を見かけることもありましたが、その多くが現実を受け入れるのに苦労しているようでした。
修道院に入って季節も変わろうかという頃、裁定を告げる使者としてウィリアム様がやってきました。卒業パーティーの時はただの平民としか思えず内心では呼び捨てにしていましたが、しっかりと勉強した今ならその地位の高さがわかります。ブリテン王国を実質的に運営するグラッドピット首相、その秘蔵っ子として有力者の間では有名であり、学園を卒業後そのまま首相の秘書官の一人として働き、若い世代の代弁者として一目置かれている存在のようです。ふと思いましたがひょっとしたらゲームの隠しキャラだったのかもしれません。
「ウィリアム様。ようこそお越しくださいました。前回お目にかかった時は大変失礼な態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした」
来客との面会用の部屋で顔を合わせるとまず前回の非礼を詫びることにしました。
「なに、あの程度はお貴族様相手ではよくあることです。気にしてはいません。それよりも早速本題に入らせてもらいましょう。大まかな要件は聞いていると思いますが、ドーヴァー侯爵家への処分が決定し、それに伴う諸事のために今回私が訪問させてもらいました」
「はい、どうかよろしくお願いします」
「まず、厳重な取り調べの結果、ドーヴァー侯爵家を中心とした複数の貴族家、いわゆる貴族派によってフランク国との共謀によるクーデター計画が進められていたという事実は確定しました。よってその首謀者であるドーヴァー侯爵家当主は反逆罪として死罪となり、ドーヴァー侯爵家自体も取り潰しとなります。他の貴族家も主要な家については同様に当主の死罪と家の取り潰し、残りは関わりの深さに応じて爵位の没収や当主の交代など、様々な処置が執られることになります」
覚悟はしていたとはいえお父様についての報告は心にくるものがあり、取り潰しを告げられた貴族家の名にはお友達の家が多くあり、ただ静かに報せを聞くだけで精いっぱいでした。
「他にも本件に関係する処理は色々ありますが主だったところは以上となります」
わたしの処分についていつ触れられるのかと身構えていましたが、何も告げられないまま終わりを告げられて戸惑います。
「あの、わたくしや母については一体どうなるのでしょうか?その、連座という形で父と同罪になるのですか?」
思い切って尋ねてみたところ、ウィリアム様は呆れたような顔でこちらを見てきました。また何か勘違いしたことを言ってしまったのでしょうか。
「はぁ……。我が国は文明国ですよ?連座のような野蛮な習慣があるわけないでしょう。どのような罪であっても個人の罪は個人のものです。君や母君は計画に何も関わっていなかったのでしょう?であるならば、何も罪に問われることはありません」
どうやらわたしは連座で処刑されたりはしないようです。少し、張りつめていた気持ちが楽になりました。
「とはいえ、自分がどうなるのか気になるのは当然でしょうね。そして、その件は私がここにやってきた理由でもあります。さすがにこれはわかっていると思いますが、我が国では学園の卒業というのが成人の一つの目安となっています」
「はい、存じております」
そう、本来なら成人を迎え、結婚式を挙げていてもおかしくはない頃……何度目とも数えきれない、訪れなかった未来を想像しては、また静かに肩を落としてしまいます。
「メアリー嬢には卒業パーティーを途中で退場してもらうことにはなってしまいましたが、その卒業資格は有効なままです。つまり、貴女も成人ということになります。貴族家が取り潰しとなった場合、未成年なら親権者の元に送られますが、成人であれば好きなように生きることができます。そこで貴女がどうしたいのかを尋ねにきました」
「えっ……」
今後のことを指示されると思っていたところ、突然わたしの希望を尋ねられて驚いてしまいました。
「実家に戻ることになるであろう母君と一緒に暮らしたいならそれも良いですし、このまま修道院に入りたいのならそれでも構いません」
「それは今、この場で答えなくてはいけませんか?」
「そうですね。時間がかかればかかるほど外野の注目も集まるでしょう。今この場で大まかな方針だけでも決めて欲しいですね。確かご実家では料理のアイデアを色々出していたと聞きましたが、市井でそれを活かしたいのであればそのように手配しましょう」
「そう言われましても……うーん……」
あまりにも突然のことで戸惑ってしまいます。いくつか例を挙げていただきましたが、どれもしっくりきません。
「そもそも、どうしてここまで丁寧にしてくださるのでしょうか?」
「それについては方針に影響するといけませんから後で説明しましょう。今この場で、とは言いましたがどうかゆっくり考えてください」
そう言ってウィリアム様は出されていたお茶に手を付けはじめました。考える時間を与えてくださったのでしょう。話が始まる前にお茶を淹れてくれたのは修道院でわたしの教育係を務めてくれた修道女の方でした。貴族家の出身ながら信仰のために修道院に入ったという方で、貴女は手がかからなくて良いわね、なんて言われた覚えがあります。そのことを思い出した時、ふとやってみたい方向性が見えた気がしました。
「……確認ですが、今回の件、わが侯爵家以外にも複数の家が取り潰しとなるのですよね?」
「ええ、そう決まりました」
カップをソーサーに置いたウィリアム様は静かに話を続けるように目で促してきました。
「でしたら、そうですね。わたしと同じように『貴族』ではなくなって、夢から醒めて現実と向き合わなければならなくなった女性が何人もいらっしゃると思います。そんな女性たちが何とか社会でやっていけるような手伝いを……そうですね、一つは世の中について知ってもらうこと、もう一つは社交関係については十分以上に知識を身に付けているのですから家庭教師ですとか、何かそれまでの知識を活かせる仕事に就く手助けができればと思います」
「ふむ、なかなか興味深いアイデアですね。何かアテはあるのですか?」
「今回わたしはこの修道院に預けられて色々と教えて頂いたのですが、事情があって修道院に入れられた貴族家出身の女性の面倒を見ることはこれまでも何度もあったようですので、参考にさせて頂ければと思います。それに、そういう仕事は信仰の道に進んだ方にとっては世俗が持ち込む面倒事という扱いのようですので、喜んで任せて下さるのではないでしょうか」
わたしの簡単な構想を聞いたウィリアム様は、じっとわたしの目を見つめた後、一度瞼を閉じて考え込むと、目を開け口を開きました。
「なるほど……わかりました。確かに同じ境遇なればこそ伝わるものがあるかもしれませんね。それではとりあえずこの修道院に打診してみましょう。しかし、それで良いのですね?誰もが親と子を切り離して考えられるわけではありませんよ?」
「それは……はい、覚悟しています。でも、大変だからこそやってみたいと思います。わたしはずっと『貴族』としての教えを受け、世の中を引っ張っているのは貴族だと信じ込んできました。しかし、既に時代が移り変わっているのであれば、その中で貴族として生きた経験のある人間にしかできないことをやりたいと思いますし、それこそが『貴族』としての責務であると心得ています」
「決意は固いようですね。そうであるならば私としても手の回し甲斐があるというものです」
「ありがとうございます。それでその……」
「わかっています。先ほどの質問ですね」
ウィリアム様はそう答えると、どこまで話しをしたものか悩むように一度口を閉ざされました。
「先ほど言いましたように我が国には連座制度はありません。しかし、同時に貴女がフランク国の間諜と近しかったというのもまた事実。ですので本当に無関係だったのかどうか、放免してしまって良いのかどうか議論がありました。しかしそこでとあるやんごとなき方が貴女のことを懸命に弁護したのですよ。そしてその方が貴女の将来も気にされていまして、私がやってくることになりました。ああ、だからといってその方にお会いできるとは思わないでくださいね?今回の事件を受けて、かの方は友好国との絆を深めるために他国の姫君と婚約なさることになっていますので」
「殿下……」
ああ、エドワード様は完全にわたしを見捨てたわけではなかったのですね。嬉しさと同時に、わたしが未練がましいことをすればするほどエドワード様に迷惑をかけることになることがわかってしまい、せつなくなりました。きっと、もう二度とエドワード様にお会いできることはないのでしょう。今はただ堪えて、伝言を託すことにします。
「どうか、どうかその方にお礼をお伝えください。そして、あの星空に恥じないように生きることを誓う、と」
そうお願いすると、頭を下げ顔を隠しました。泣くのは夜、自分のベッドの中で。それでも、今は顔を見られたくはないので。
「わかりました。お伝えしておきましょう。それでは、落ち着くまでこの部屋にいられるようにしておきますので」
そう言うと、ウィリアム様は席を立ち、わたしを一人にしてくださいました。この日、転生者として推しと結ばれることを夢見ていたわたしは終わり、改めてメアリーとしてこの世界で生きていく人生がはじまりました。
貴族制度について調べたことを自分でまとめたのをうけて、イギリスの貴族制度と創作によくある貴族設定との差分の錯誤でざまあされる話、みたいなものを書こうと思ったら、なんかちょっとずれました。