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ヒーローですが、敬語をやめるように言ってきた妻と、使用人以外には基本敬語です。転生後の家族も例外ではありません。
舞踏会が終わってから、私は彼女に手紙を認めた。
内容はもちろん、前世にしてしまった事の謝罪。それから、婚約が嫌ならば私の有責で破棄してもらって構わない、とだけ書いた。
本音を言えば、婚約を破棄するだなんて嫌だった。彼女以外を妻に迎えるなんて、考えたくもない。でも、彼女の嫌がる事をしたいわけじゃない。なら、この気持ちを押し殺してでも彼女を解放してあげたい。数十年も気づかずに、嫌っている男に縛り付けてしまって本当に申し訳なかった。
「エヴィ、ごめんね。本当にごめん。……愛してる」
認めた手紙に涙がかからないように机の端に寄せようと手を伸ばす。すると、幸せだと思っていた過去の記憶、数十回書き直した「婚約破棄」の文字を書けてしまえた時の感情が蘇り、ますます涙が止まらなくなってしまう。
「エヴィ。エヴィ。エ、ヴィ。愛、してる。愛してるんだ。…本当にごめん。ごめんよ、エヴィ」
それから数日。
私は、自室から出ようとしなかった。扉の近くに置かれる食事も、食べなければと思っても喉を通らない。
…身を切らんばかりの思いで認めた手紙への返事は、まだ届いていない。
血反吐を吐く思いで、もう一度、手紙を認めた。
だが、待てど暮らせど返事は来ない。
最後の意地で、手紙を書くことが日課になった。手紙を書く時間が一日のほとんどを占めていて、食事は喉を通らない。心は弱りきっていて、夜もよく眠れない。
子爵家に婿入りした騎士団に勤めている兄は、私の異変を両親から知らされて帰ってきてくれた。心配と迷惑をかけてしまっていることに罪悪感を感じつつも、体調は悪化の一途を辿っていた。
それでも、私は手紙を認め続けた。
普段に比べて明らかに頼りなく細った文字が、一方的なものでも、彼女とのつながりを感じていられるから手紙を書く事をやめようとしない自分が、滑稽で仕方なかった。
ある日、熱にうなされながら、うわごとのようにエヴィの名を呟き続ける私を見かねたのか、両親がリカード侯爵家に「話し合いの場を設けてくれないか」と打診したようだった。
両親からエヴィ……いや、エヴァンジェリン嬢と話せるように手配した、と聞かされた時。
私は、浅ましくも歓喜してしまった。散々エヴィを苦しめておきながら、転生した後でもエヴァンジェリン嬢を苦しめる事になるというのに。
自らの感情ばかりを優先して、相手の都合や感情を一切考えられていない。あの日から、まるで成長していない。
エヴィに嫌われていて当然だ。
本当に、私は最低な人間だ。
エヴァンジェリン嬢と会って話せる、と聞いてから、私は少しずつ食欲を取り戻した。少しずつ体調が良くなっていく私を見た母と兄は、
「恋煩いで食事が喉を通らなくなる、と聞いたことはあるけれど、体調を崩す程に食事を取らなくなるだなんて、思ってもみなかったわ。デイヴィッド、心配させないでちょうだい」
「ったく、心配かけさせやがって。男なんだから、恋煩いなんて理由で周りを困らせてんじゃねーよ」
とそれぞれ言って、兄は戯れるような強さで私の頭を小突いた。
呆れたように文句を言う彼らだったが、ふとした瞬間に表情に翳りが見られた。きっと、「婚約破棄の前に一度だけ」という条件で申し込んだ話し合いなのだろう。でも、それを知らせて再び体調を崩す私を見たくなくて、すぐにバレてしまうだろうに、必死に隠している。
…今世の家族から愛され、前世では、仮初だったようだけれど、愛する妻と幸せな生涯を送ることができた。十分な幸福を、私はこれまで享受してきた。愛する人と結ばれずに、政略結婚をした貴族は山ほどいる。何も、この状況は不幸じゃない。自業自得そのものな、当然の結果なんだ。
これからの人生を生きていく為の活力として、最後に一度だけでも、愛する人と言葉を交わすことができる。最後だと覚悟を決めて、話をすることができる。それは、とても幸せな事。
「私も、まさか自分がこんなに繊細だとは思っても見ませんでした。
ご心配おかけしまして、申し訳ありません」
だから、笑え。その幸せを噛み締めて。
ありがとうございました。