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 花嫁修行が始まってから3週間ほど過ぎて、ようやく使用人の顔と名前が一致するようになった。

 それから、お義母様のおかげでディーをあしらうのが少しだけ上手くなった。まだ照れるのは隠せないから、なるべく顔を見せないようにする必要があるのに変わりはないが。


 そして、上手くなった以上に、ディーが私から距離を置くようになった。確信を持って言える程に、私にべったりだった彼が、私を遠くから見るようになった。

 別に、嫌われた訳では無いと思う。見つめる距離が変わっただけで、瞳の中の熱は変わっていなかったから。熱以外に別の色、恐れのようなものも混ざっている気がする。

 言及されるだけで崩れるような、危うさも感じる色だ。




「……ディー、いつまでそんな所にいるの?風邪ひいちゃうから、中に入ったらいいのに」


 すっかりお気に入りの場所になったコンサバトリーの扉から顔を覗かせて、庭の垣根に隠れたつもりらしい彼を呼ぶ。アフタヌーンティーはきっと2人の方が美味しいし、そろそろこのすれ違いもどきにも辟易させられているので。


 3週間にも満たないすれ違いだったけれど、前世からディーの溺愛を享受してきた私には、こんな短期間すら寂しくて仕方なかった。飛び降りてから死ぬまで、そして生まれ変わって思い出しから、ずっと変わらず受け取っていたものだったから。

 ディーの前ではすました顔でいたいと、好きな子に意地悪な事をしてしまう子供のような見栄があって、どうしても素直に甘えるのに抵抗があった。けれど、返さなければ枯れてしまうのが愛なのだと、知識として知っている。返す量が釣り合わないと、翳ってしまうも。



「……ねぇ、私、何か貴方の気に触るようなことをしてしまったのかしら」


 2人きりのコンサバトリーで、沈黙を破ったのは私だった。

 緊張で渇いた喉を潤すために、紅茶を一口飲み込む。正直、味はよく分からなかった。


「確かに、引越しはディーの反対を押し切るように決めてしまったわ。でも、引越し自体は悪い事では無いはずよ。

 ……月に1回のデートでは物足りないのは、私だけ?前世みたいに毎日ディーと顔を合わせたいって思うのは、いけない事だった?

 もう、……もう、私を好きじゃなくなった?」


 狡い問いかけをしてしまった。全部否定して安心させて欲しいから、絶対に肯定されない問いを最後に混ぜた。 ……悲劇のヒロインは飛び降りた瞬間に捨てたと思ったのに、生まれ変わった時にまた拾ってしまったのかも。


「そんな事ないっ!!ずっと!ずっと、……こんなに好きなのに、愛してるのに、それが無くなるなんて有り得ない。月に1回じゃ物足りないのは私も一緒だ。何度手紙に『会いたい』と書こうとして、呆れられたらと思って諦めたか、数え切れないくらいなのに」


 そう言って、ディーは俯いた。影の落ちた瞳には、縋るよりも消沈が強く浮かんでいる。

 その瞳を見た私の胸を苛んだのは、罪悪感だ。


「呆れたりなんてしないわ。好きな人に会いたいって言われて呆れるなんて、それこそ私がディーを嫌うのと同じくらい有り得ない事よ。

 ……ごめんなさい。私が話したいのはこの事じゃなかったのに、いざ話してもっと距離を置かれたらって考えると、怖かったんだと思うの」


 そこで1度切って、ちゃんと彼と目を合わせる。今から言うのは、後ろめたい事なんかじゃないから。


「貴方の、ディーの愛を疑った事なんてないわ。さっきあんな事を言った手前、信用ならないでしょうけど、本当にそう思ってるのよ。

 でも、だからこそ怖かったの。愛されているのに避けられるなんて、何をしてしまったらそうなるのか、全く分からなかったから」


 私の言葉を受け止めたディーは、それこそ後ろめたそうに私から視線を逸らした。逸らされた瞳に浮かぶ感情を確かめたくなくて、私も手元に視線を落とす。


「私に落ち度があったなら、どこがいけなかったのか教えて欲しいの。そして、もし貴方個人の悩み事が理由なら、私にも背負わせて欲しい。

 ……前世では散々甘えさせてもらったし、散々背負わせちゃったから、今度は私の番でしょう?」


 今ばかりは、コンサバトリーのテーブルが、どんなに腕を伸ばしても反対側に触れないくらい大きい事を恨めしく思う。もう一回りでも小さかったなら、指先が白くなるほど握りしめられた彼の手を握れるのに。


「ディー、私、今更貴方と離れるなんて無理よ。絶対に無理。それくらい大好きなの。……だから、どうして最近よそよそしくなっちゃったのか、教えて欲しいの」


 テーブルを挟んで、改めて乞う。

 キリキリと締め付けるような痛みに耐えながら、彼の言葉をただ待った。



「……今回の事でエヴァに悪い所なんて、一個もないよ。ただ私が、どうしようもないくらい弱かっただけだ」


 誤魔化すように笑って目を逸らしたディーに、胸の痛みが増した。大好きな人にそんな顔をさせたくない。


「ディー……」


 懇願するように、ひたすらにディーを見つめる。

 1度逸らされた視線は、赦しを乞うようにゆっくりと戻ってきた。


「…………呆れないで、聞いてくれる?」


 か細い声に頷いてみせる。ディーから贈られたドレスが汚れないようにディーの傍らに立って、より白くなった握りしめられた手に自分の手を添えた。




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