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デイヴィッドside
1週間振りにエヴァと会えた翌日。
私は、一晩明けた今もなおニヤつきながら、ベッドの上で恋愛小説を読んでいた。
エヴァと婚約を結ぶ前に、嗜好が少女な母から勧められて本棚の奥に眠っていた本だ。記憶が戻っていなかった、本を貰った時の私はちょうどスレ始めた時期にあって、幸せそうなカップルが描かれたこの本を蛇蝎のごとく嫌っていた。嫉妬も多分していた。しかし、エヴァと両想いを確認した直後の私に嫉妬なんて無い。むしろ、『お前達の愛とやらはその程度か』なんて悪役のようなセリフだって言えるくらい、心に余裕を持って楽しめている。
「デイヴィッド!デイヴ!!大変、大変なのよ!」
珍しく、母が慌てたように私の部屋へ駆け込んで来た。そして、挨拶らしい挨拶をする暇もくれずに、息を切らせながら数枚の便箋差し出した。
差出人はリカード侯爵。つまりエヴァの父親で、エヴァとの婚約が破棄されずに無事結婚できたなら私の義理の父になる、この婚約を一方的に破棄できるだけの権力を持った人。
余談だが、私の両親は細い。そして、筋力も体力もつきにくい。どちらの親族も全く同じような感じで、良く言えばスレンダー、悪く言えば肉付きが悪い、完全文官特化型の血筋だ。何代か前に武官として名を馳せた人物を婿に入れた事があったらしく、騎士を務める兄はその人の血を強く引いたのだろう。なけなしの武官の血を、一身に宿したのだ。
……私にもその血を分けてくれたなら、先週事故に遭いかけたエヴァだって、軽々と抱き寄せるようにして救えたはずだ。昨日応接間で会った彼女の前で、家の中で走った程度で息を切らすような醜態を晒さずに済んだはずだ。
そう考えると、兄が羨ましく思えて仕方ない。だからと言って、兄に何かをするわけでも、この嫉妬をこの瞬間以降も引きずるわけでもない。そもそもが、この手紙を読む緊張から逃げたくて始めた中身も意味も無い思考なのだし、私には今、エヴァ以外に時間を割く気力というものがほとんどないから。まあ、なんとも憎めない兄だから、例えエヴァが居なかろうが兄自体に何もしないのは確実だ。
余計なことを考えていると、文字の上を目が滑って仕方ない。
緊張から逃れるのは諦めて、大人しく目の前の手紙に集中する事にする。
「……」
手が震えてきただとか、今度は嬉し涙で上手く文字が拾えないだとか、そういった前座は全て無視して簡潔に手紙の内容を述べると、
『婚約解消は撤回させてほしい。何があったのかは聞かないが、次に娘を悲しませるような事をしたら許さない。今回の事を踏まえて、婚約期間は当初のものより半年ほど延ばしたい』
という事だった。
私の様子から手紙を読み終えたのを確認した母が、
「良かったわね、デイヴィッド」
と、涙ぐみながら私の肩を叩いた。
「ええ、本当に」
からかわれるのも母に涙を見せるのも嫌で、唇を噛みしめて涙を堪えながら俯いて言う。まあ、私は母の子供なので、あっさりと強がりは見抜かれてしまうわけだけど。
「泣いたっていいのよ。私はもう部屋から出ていくから。お兄ちゃんも部屋に入って来ないように、ちゃんと使用人に言っておくわ」
夕食、いつもより豪華にしてくれるようにお願いしておくわね、とだけ言い残して、母は部屋から出て行った。
嵐の後のように、私の心に春が訪れた。昨日の雪解けから、あっという間に春になった。
もう一度手紙を読み直して、今度は私に堰き止められなかった涙が、次々にシーツを色濃く染める。きっと、この涙はしょっぱくない。
今、私の心は喜びで満ちている。
そしてその喜びは、2つから成っている。
1つ目は、エヴァとの婚約が解消されるまでの期限が、正式に撤廃された事。つまり、順当にいけばエヴァと結婚できるという事。
もう1つは、1つ目の喜びをくれたこの手紙の文面が、エヴァの父親によって考えられたという事。
この手紙は、エヴァへ向けられた家族愛で溢れていた。エヴァに不幸な結婚をして欲しくないという、エヴァの父親の愛が綴られていた。前世でエヴィが与える事はあっても、エヴィに与えられる事は無かったものが。私では与えられなかったものが。
この婚約解消の期限が設けられた事を考えれば、エヴァへの家族愛は、たった今私だけに見えるようになったものでは無い。エヴァが生まれてから今日を迎えるまで、きっと、ずっと彼女のすぐ側にあった。
それが、たまらなく嬉しい。
愛する人が幸せな生涯を歩めている事を、煩わしく思うような人間は居ないだろう。
隣が自分でないならその限りでは無い、なんて言うやつが抱えているのは、きっと愛より執着だ。元は愛であったかもしれないだけの、くすんだ執着だ。
…私の中にある彼女への愛の1部も、きっと。
私の中で強いのは、エヴァへの愛か、エヴィへの愛か。今はまだ分からない。
前世の記憶があったから芽生えた想いは、果たして愛と呼んで良いのだろうか。




