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散々醜態を恥じている間に、タウンハウスに戻って来た。……来てしまった。
ああ、恥じる暇があったら、父への言い訳のひとつでも考えるべきだった。もう、どうしてディーが絡むと、私ってばこんなにポンコツで短絡的なの!?
頭の中が散らかりすぎて、書斎に来た経緯がろくに思い出せない。目の前に座る父の、訝しげな視線が肌に刺さっているようだった。
「……勝手に外出した事を叱ろうと思ったんだが、何があったんだ?」
「お、お気に、なさらず」
「いや、それは流石に」「本当に!…気にしないでください、お父様」
私の剣幕に父は黙った。沈黙が痛い。
「……イェーガー伯爵家のタウンハウスに先触れも無しに押しかけたというのは、御者から聞いている。会いたかったのは令息だな」
淡々とした声音に、自然と背筋が伸びた。
そんな私を見て、やや呆れ気味に父は続ける。
「何か強制された訳では無い事も、相手を軽んじるつもりで礼を失した行動をした訳では無い事も、お前の様子を見れば分かる。向こうからも、咎めないでやってくれ、といった旨の連絡が入っている。だから私からは、もう何も言わない事にした。解消までの期間の撤廃も、婚約の続行も、私から願い出ておこう」
そこまで普段よりやや早口気味に言い終えた父は、ひとつ深呼吸をしてコーヒーを飲んだ。
「ありがとう、ございます…」
何もかも分かっているような父の言葉に、動揺を隠そうとして平坦な声で答える。父の眉が、微かに下がったように見えた。
「……他に、何か話しておきたい事はあるか?」
「身勝手な振る舞いで2家の間に混乱を招いてしまい、申し訳ございませんでした。今後はこのような事の無いように致します」
「そ、そういう事ではなくてだな。……いや、いい。『恋をすれば乙女は変わる』か。聞くだけ野暮だったな。堅物の私には不得手な分野だが……心配だからと言ってこれ以上詮索しては、マーガレットに叱られてしまう。ただでさえ、今回の婚約騒動で『余計な事をしてこじれさせるな』とグチグチ言われてしまっているのに……」
ひとりで落ち込む父は、いつもより小さく感じた。
普段からとても仲がいい両親の力関係は、母のマーガレットが圧倒的だ。けれど、父が母にベタ惚れなので、さして問題はなさそうでもある。ちょうど、前世の私とディーのように。
「……ふふっ。お母様のおっしゃる通りですわ、お父様。乙女の恋路を邪魔すると、馬に蹴られて死んでしまうのですって。ですからお父様は、一足先に領地に戻ったお母様を独りにしない為にも、今回はただ見守っていてくださいませ」
幼少期、散々『可愛い』と父から褒めそやされた笑みを向け、茶目っ気たっぷりに言い放った。
「ははっ、それもそうだ。でも、何かあったらいつでも相談に乗るから、無理だけはしないように。……たとえこのまま嫁いだとしても、家族だという事実に変わりは無いからな」
「はい。……ありがとうございます、お父様」
前世とは比べられないくらいの幸福に包まれて、自然と口元が緩んだ。
それから父に、疲れているだろうし、と休むことを勧められて自室に戻った。侍女を呼んでドレスを脱がせてもらい、1人になってから使い慣れたベッドに寝転ぶ。ダイブしたい気分だったけれど、ギリギリで淑女力が働いたのでそれはしなかった。
憶測でしかないが、父の言った『何か話しておきたい事』とは、私の前世の記憶についてだろう。最初に記憶が蘇った時は今世で生きた年数と同程度の量しか戻らなかった。しかし、今回一気に蘇ったのは今世の倍以上の記憶。雰囲気を始めとした節々に何らかの違和感が生じていてもおかしくない。しかも、ディーと初めて顔を合わせた日から数えて、記憶が戻りきるまでにかかった期間は半年にも満たない。思春期だから、で済ませられないような急激な変化が、そんな短期間で2度も起こった。共に暮らす家族からすれば、おかしいと思うなと言う方が無理がある。だからこそ、きっと父はそう聞いたのだ。
両親は、輪廻転生の信じられているこの国であまり信心深くない部類の人達だ。信心深くても転生を信じる人がまずいないような、そんな風潮が前世の頃に比べて強くなってきているから、仕方のない事でもあるのだろう。私もディーも、自分で体験するまで転生に否定的だった。空想上のものであると、御伽噺や神話の一環だと、心の底から信じ切っていた。
そんな世の中だからこそ、周囲に転生を告げるつもりは無い。ディーだって同じだろう。前世の妻であった私と出会わなければ、前世での縁は一切諦めていたはずだ。
だからこそこの出会いは、両手から零れそうなくらいの幸せな偶然でできている。
真綿にくるまれて周りが見えていないような、正体不明の不安すら退けるほどの幸福感。
『ありえない』なんて感想を、幸せに抱くのはこれで何度目だろう。何度抱いても、きっとディーは私を不安ごと抱きしめてくれるから、今回だってきっと大丈夫。情けない所だって多く見ているのに、この期待に彼が応え続けてくれるから、私はずっと安心していられるのだ。
色々な事を考える内に、眠気が思考を脇に寄せて瞼を下ろそうとしてくる。夕飯がまだなのに、と思いつつも、結局私は眠気に身を任せる事にした。




