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「エヴィっ!!!」
ドンッ!
衝撃が右半身を襲い、いつの間にか立ち止まっていた場所から弾き飛ばされる。何の心の準備もしていなかった所為で背中を強く打ち付けてしまい、息が詰まった。目の前を星が舞い、状況が上手く飲み込めなくて動けない。
「な、にが……?」
痛む体に鞭打って上半身を起こし、私が元々立っていたはずの場所に視線を向ける。……人だかりで、何も見えない。でも、人が集まっているという事は、つまり。
石畳の道は、見えた範囲では赤くない。でも、頭を強く打っていたなら?腕が、逆に曲がってしまったら?
耳鳴りで遠くなっていた慌ただしげな喧騒が、ようやく耳に届いた。
「腕が……!」「誰か、早く医者を呼んでおくれ!」「おいっ、アイツ逃げやがった!!」「血ぃ出てんぞ!大丈夫なのかこれ!!?」「コラっ!危ないから離れて!!」
震える足で、集まっている人達にぶつかりながら、中心へ向かう。
視界にちらりと赤が見えた瞬間、涙腺が決壊した。
ーーーーー
デイヴィッドside
「ぅ……ん゛っ!」
微睡みから覚めかけ、寝返りを打とうとして悶絶する。どうしてか、右腕が異様なまでに痛い。
しかし、少し記憶を辿れば、原因はあっさり思い当たった。スピードを出した馬車に轢かれかけたエヴァンジェリン嬢を庇って、日頃の運動不足が祟った私が轢かれてしまったんだった。頭の中では華麗に2人とも無傷で済んだのに、現実では力不足で情けない結果に終わってしまった。愛する女性の危機を救うのは、前世と合わせて3度目だと言うのに、2度目の階段で見られた成長は、転生してしまった所為か一切残っていないようだった。咄嗟の対応では最適解のつもりだったが、紳士としては、女性を突き飛ばすなんて最低以外の何物でもない。
「そうだっ、エヴァンジェリン嬢は……っ!」
慌てて起き上がろうとして、痛みに悶えてベッドに逆戻り。これまた、なんとも情けない。怪我で精神まで弱ったのか、どうにも卑屈になってしまう。しかも、あれだけ慌てた原因であるエヴァンジェリン嬢は、私の眠っていたベッドに突っ伏して眠ってしまっているのが横目でも確認できた。……本当に、情けない。不幸中の幸いなのは、彼女の眠りを妨げずに済んだことだろう。
見た限りではあるが、彼女は、私の様子を見る事を許可される程度には軽傷で済んだらしい。痛々しい包帯も、歩行を補助する松葉杖も見当たらない。
「良かった」
思わず言葉が零れ、ぐっすり眠るエヴァンジェリン嬢を確認して胸を撫で下ろす。これが今世で彼女の寝顔を見る最初で最後の機会かもしれないと思うと、あと、これだけ気持ちよさそうに寝ているのを見ると、起こしてしまうのが忍びなかった。
そうしてぼんやりと彼女の寝顔を眺めている内に、わたしはもう一度眠ってしまった。
ーーーーー
「……おいデイヴィッド、いい加減元気出せよ。お前が助けたとはいえ、貴族のご令嬢が馬車に轢かれかけたんだぞ?見舞いどころじゃないくらい、心に傷負ってても仕方ないだろうよ。手紙の返事が一週間返ってこないくらい、別に気にすんなって」
「……トドメ刺さないでください」
「す、すまん」
隈がついているだろう目で睨むと、兄はお手上げポーズで部屋を出て行った。私は別に熊じゃないから、後退りされても余裕で襲いかかって……腕の骨が折れてるんだからやめよう。こんなふざけた兄の所為で怪我を悪化させるなんて、さすがに馬鹿馬鹿しい。
エヴァンジェリン嬢と出かけたあの日、道端のガラス片で頭を切ったのと右腕の骨が折れた以外に怪我は無かった。しかし、しばらく安静にするようにと医者に言われてしまったので、私はかれこれ1週間も自室に籠っている。
そしてその間、エヴァンジェリン嬢側からの接触はゼロだった。
「……はぁ」
重々しい溜息を吐いて、兄が部屋に来るまで読んでいた本を完全に閉じ、ベッドに横たわる。婚約解消までのタイムリミットはまだ残っているが、初めてのデ、デートがあの有様だと、もう一度誘うにも躊躇いが強くなる。それに、タイムリミットの間に、右腕の骨折は治らない。
「はぁ……」
もう一度、より深く溜息を吐いて、眠気に身を任せようと瞼を閉じた。
「おいっ!デイヴィッド、今すぐ起きろ!後悔するぞ!!」
「なっ何?!」
しかし、眠りに落ちる前に、兄の大声と揺さぶりで強制的に叩き起された。
私が起きたのを見るや否や、
「リカード侯爵令嬢が来てる!!身支度とか適当で良いからとっとと行け!!」
と部屋から叩き出す。
……着替えすらさせてくれないのか。寝るつもりだったから、部屋着と言うよりは寝巻きなんだが。右腕の添え木が邪魔で、それ以外着られないから仕方ないのだけれど。髪は癖がつきにくい質だから軽く手櫛で誤魔化して、……さっき、エヴァンジェリン嬢が来ているって言ってた?
「……!」
転びそうになるくらい慌てて、階段を駆け下りる。応接間までの道のりが、普段の倍以上は遠く感じる。
先触れも無しに来るなんて、何かあったんだろうか。タイムリミットを短くする、という話であれば、事前に手紙の一通でも送られてくるだろうから違う。でも、それ以外となるとすぐには思いつかない。……ひとまず、エヴァンジェリン嬢本人に聞いてみるのが確実だろう。
「お、お待たせ、しま、したっ……!」
やはり運動不足が祟って、焦って屋敷内を軽く走った程度で息が上がってしまっている。……腕が治ったら、兄にトレーニングプランでも考えてもらおう。
ありがとうございました。




