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演劇を一緒に見ないか、と提案した翌日、速達でエヴァンジェリン嬢から手紙が届いた。
「『父から許可をいただきました。候補日を教えてください』か……。ふふっ」
「ニヤつく暇があんなら、とっとと返事書きやがれ」
バシッと鋭い音がして、後頭部が鈍く痛む。
「……兄さん」
振り返ると、あと半月は滞在予定らしい兄がいた。
「使用人達が気味悪がってんぞ。『手紙が届いてから1時間で36回も読み返してて、一向に返事を書く様子がない。定期的に笑い声をあげるから恐ろしく感じる』って苦情が入ってる。
……好きな人からの手紙が嬉しいのは、恋愛結婚の俺からしてもよく分かる。だが、そこまでだと病的で気色悪いからやめてくれ。それに、返事は早く書いておくべきだそ思うぞ。向こうの親父さんとお前の婚約者の気が変わる前にな。じゃ、俺は愛しの奥さんに手紙書くから」
手紙を読んでいた私がノックに気づかなかっただけかもしれないが、無断で私の自室に入ってきた兄は、言いたい事だけ言って早々に立ち去ってしまった。
兄はああ見えて筆まめで、義姉の返事を待たずに手紙を出すこともある。義姉も手紙を書くことは人並みに得意だと言っていたが、流石に兄には敵わないらしい。しかし、送り合う手紙の頻度も文量も違えど、2人はとても仲が良い。正に、私の理想とすべき夫婦だ。その片割れである兄の助言であれば、従うべきだろう。
1人残された部屋で、改めて書き物机に向き合う。
『婚約破棄』の文字を書かざるを得なかった時のトラウマが一瞬脳裏を過ぎったが、白紙の便箋の脇に添えたエヴァンジェリン嬢からの手紙を見れば、荒くなりかけた呼吸も落ち着きを見せる。
結局読まれることは無かったらしい幾つもの手紙を書いたあの日々は、私の心に深く焦げ付いていた。彼女の前世を思えば、私の感じた心痛も風のそよぎ程度でしかないのだろうけれど。
「……さて、書き出しはどうしようか。急がないといけないのに、1文書き終えるにも相当な吟味が必要になりそうだ」
少し無理をして明るい声でそう言って、利き手と逆の手で皺にならないように気をつけながら届いた手紙の端を握る。少しでも、勇気が貰いたかった。
兄の言葉に急かされるようにして書き始めた返信は、エヴァンジェリン嬢の手紙が届けられた瞬間を見守っていた太陽がその仕事を終える頃になって、ようやく満足いくできになった。引かれないことを最重要事項として、便箋2枚以内に抑えようと頑張った。
ここから、清書用の便箋に内容を写して、封筒を選んで、シーリングスタンプで封をする作業が残っている。
「今日中に送るのは、やはり無理だったか」
ぼやきながら凝り固まった体を解し、清書用に分けてある便箋を持って来るように使用人に指示を出す。夕食はどうするか聞かれたので、部屋に持ってきてくれるように頼んだ。選び始めたら、机から離れるのが億劫になるのが目に見えている。
結局、礼儀と返答だけで構成された短い手紙が完成したのは、返事を書き始めてからちょうど1日後だった。
気心の知れた乳兄弟にボーナスも握らせて頼んだから、遅くてもアフタヌーンティーには間に合うだろう。
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エヴァンジェリンside
「エヴァンジェリン嬢、御手を」
「ありがとうございます」
馬車から降りる時のエスコートで、デイヴィッド様の手に触れる。初めてでは無いこともあってか、想像以上に私の手は強ばりも震えもしない。
2人分の手袋越しでもそのことに気付いたのか、彼は安心したような微笑みを浮かべている。……どうしてか、その微笑みを見つめていられなくて視線を逸らしてしまう。
ジェーンさんの家から帰る時、デイヴィッド様と2人きりで馬車に乗ってから……いいや、ジェーンさんの話を聞き終えた時から、私は何かおかしい。嬉しくもない再会の直後には嫌悪感しか無かった彼の微笑みに、何故か負の感情が浮かんでこない。手を取るのも嫌じゃない。見つめられるの……は、『嫌』より『恥ずかしい』が勝っている。本当に、意味が分からない。忘れているらしい、前世の何かを思い出せた訳でも無いのに。
「……嬢?ェ……リン嬢?気もそぞろのようですが、どうかしましたか?」
「あっ!い、いえ……すみません。少々、馬車移動で疲れてしまったようです。もう大丈夫ですから、どうかお気になさらず」
考え事をしながら、右に見える影に合わせて歩いていると、唐突にデイヴィッド様が立ち止まり、私と視線を合わせながら聞いてきた。どうやら、話しかけてくださっているのに無視してしまったようだった。
「そう、でしたか」
「ええ」
慌てて謝罪すると、柔らかな微笑みが翳った。あまりにも切なそうで、彼の頬へと伸ばしかけた腕を慌てて抑える。
……今、どうして?しかも、利き手ではない左手で。
心に靄がかかったように、考えても理由に辿り着けない。無性に焦ってしまって、尚更注意が散漫になっていく。
……私、もしかして。
「エヴィっ!!」
ありがとうございました。




