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老将と落日の城

作者: 小城

 この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。

高天神 

 遠江国城東郡土方にある鶴翁山の山陵は、高天神の城である。今、この堅城は武田の掌中にある。しかし、それも、もはや、幾ばくかのことである。少なくとも、我々にとっては、それは決められた運命でしかない。けれども、時代を生きる者たちにとっては、それは、未だ定まらない未来のことでしかない。


「すまぬ。ちと、遅れたか。」

「横田殿。また、大河内の所か。」

 徳川方が作り上げた六つの砦に囲まれて、補給路を断たれた高天神の城は、四方八方を徳川の兵に監視されている形となっている。その衆人環視の山城では、今、ちょうど、今後の戦の筋立てを巡って、将たる者たちの集う軍議が執り行われようとされていた。

「いや、なに、水をな、飲みに行っておった所よ。」

 山陵の東峰に築かれた居住区画の一棟には、その将たる者らが集まっていた。その中心にいるのは、高天神の城主、岡部五郎兵衛長教、その人である。

「よもや密通ではあるまいの。」

 この場に集う者は、どれも侍大将といえる者たちであり、普段は、彼らの麾下にいる足軽大将が配下の足軽たちを従えて、曲輪の要所を守っていた。

「さて、それで、此度は如何なる軍議に候や。」

 遅れて来たのは武田軍軍監の横田甚五郎尹松であった。

「来たる新月の夜半に夜襲を掛ける。」

「それはやめた方がよい。」

 恐らくは、侍大将の誰かから上がった提案を代弁した岡部の語りは、序の口に、真っ向から、軍監の横田に否定された。

「犬死にするだけよ。」

「ならば、おぬしはどうすればよいと思う。甚五郎。」

 齢で言うと、岡部は七十に、横田は二十の半ばに差し掛かった頃である。

 かつて、信長から、桶狭間で討たれた主君、今川義元の首を取り返して駿府に凱旋した、この老将は、時、なお、ここに至っても、その気概に溢れていた。

「甲斐からの後詰めを頼むしか、手立てはござるまいよ。」

 横田が高天神の城番となり、六年余り、それは武田軍が、高天神の城を掌中に収めたのと同じ年月であった。変わって、岡部が高天神に城番となったのは、去年のことである。

 岡部の武士としての己の戦歴の上に、今、この高天神の城将たる責任を負っているとすれば、同じく、横田は在番の年月だけ、この高天神の城と、その主である武田家に対して責任を負っていた。

「後詰めは、いつ来るのか。」

 岡部は横田を詰問した。岡部は横田の眼をじっと睨みつけていた。

「もう、しばらくの辛抱にござる。」

 横田はそっぽを向いた。その後も軍議は続いたが、この岡部と横田の遣り取りの他には、目立ったこともなく終わった。


大河内政局

 高天神城の本丸脇に石牢がある。そこには、大河内源三郎政局という者が囚われていた。齢四十過ぎ。大河内は徳川の臣である。六年前、城が武田軍に降伏した時、大河内は独り、開城に反対した。その折に、この石牢に囚われてから、都合、六年間、木格子に塞がれた天然の穴蔵の中で、昼夜を過ごしていた。

「おい。」

 夜半、その大河内がいる石牢にやって来る者がいた。横田である。

「飯は食うたのか?」

 格子越しに覗く穴蔵の中は暗い。

「観自在菩薩。行深般若波羅密多時。照見五蘊皆空。」

 穴蔵の中から読経の声がした。

「何事も無ければよい。」

 暗闇の中から大河内の姿を見つけることなく、横田はその場から消えた。未だ石牢からは読経が聞こえた。頻繁に、横田が、この大河内がいる石牢に足を運んでいるのは、高天神にいる者たちにとって、周知のことであった。

 それに、横田が大河内に、何かと親切に便宜を図っていることも知られていた。例えば、月に一度くらいは、横田は大河内を穴蔵から出してやった。それは水浴びだのなんだのと言った口実によるものであるが、それが大河内の体の健康を慮っていることだとは、皆、口にしないまでも、足軽たちの誰もが心得ていたことだと思われる。

 ただ、誰もが口を出さないからと言って、横田のその行いを快く温かい目で見守っていたということではなかった。それは、高天神城主の岡部長教もそうであった。

「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経。」

 その大河内も、横田の口実で、穴蔵から出ている間も、決して逃げるような素振りは見せず、ただ黙っているか、黙祷をしているか、それとも読経をしているかという様子であった。


横田尹松

「後詰めは、まだ来ぬか。」

 足軽たちは騒いでいた。今、高天神は窮地にある。武田家が長篠で敗れてからは、武田軍の破竹たる勢いも止まっていた。天下を食む虎が、今では鼠に変わっていた。

 高天神城の周囲に築かれた徳川方の六つの砦が、武田軍の補給路を絶ち、高天神城を干上がらせていた。

「あれを見よ。」

 曲輪から崖下を眺める足軽たちの目には、本丸から、城域中央の井戸曲輪へと向かう一行の姿が見えた。それは大河内と、それを連れて行く横田らの姿であった。

「敵の肩を持ち、味方は欺く。横田の松はとんだ食わせ者じゃ。」

「いい気味だ。皆で笑って差し上げい。」

 

 わっははは。 わっははは。


 崖上から足軽たちは、崖下の横田ら一行を嘲笑った。その嘲笑は、差し詰め幽閉人である大河内を嘲笑った体をしながらも、その実体は、軍監である横田尹松を嘲笑ったものであった。

 それというのも、横田尹松という男は、岡部ら城兵らの前では、甲斐からの後詰めに期待を含ませた言動をしながらも、密かに、甲斐に書状を送り、高天神城を見捨てるように、武田家当主の勝頼に説き伏せていた。

「後詰めは無用、高天神は捨てるべし。」

 甲斐に送った横田の書状には、そう書かれていた。そのような密かな遣り取りと内情に関わる如何なる証拠がなくとも、あろうとも、馬の世話をする足軽に至ってまでも、現在の高天神城と城兵たちの追い詰められた状況を鑑みれば、甲斐にある武田家の主従たちの考えは、予想するまでもなく、その身と肌で感じ取ることができた。それ即ち、武田家は、この城と自分たちを見捨てたのであると。


岡部長教

「かの足軽共の処断は遂げられたのか。」

「これから死ぬる者に処断など入要あるまい。」

「軍律が乱れますぞ。」

「おのれが軍律を乱すような真似をしたのであろうが。」

 その翌日、本丸の一画では、岡部と横田が争論していた。その主題は、かの大河内らを嘲笑った足軽たちの処罰のことであった。

「忠義の士を持て成すのは武士の心得にござる。」

「小童めが武道を説くなど笑止。片腹痛いわ。」

 岡部はいらついていた。自分が横田のような若輩者の小男の相手をしていることも不快であった。

「早よ去ね。小童。貴殿を見ていると、斬り捨てたくなるわ。」

「後悔なさるぞ。」

「死にたいのか。」

 岡部は打刀を抜いた。その眼は血走って見えた。

「ちっ。」

 横田は舌打ちをして、地面に唾を吐きかけると、すごすごと、その場から去って行った。

「下衆が。」

 がしゃんと大きな音がした。岡部は抜いた刀を納めることができず、傍らの水甕を叩き割った。しかし、水甕に、ほとんど水は入っておらず、乾いた陶片が哀しく床に散乱しているだけであった。


岡部長教という男

 岡部五郎兵衛長教は今川家臣であった。桶狭間で義元が討たれた後も、子の氏真に仕えた。徳川と武田に、今川家が攻め滅ぼされると、岡部は武田家に仕えることにした。そして、十余年が経つ。

 武田家は、彼を優遇してくれた。先祖伝来の本貫地を承認した上に加増もしてくれた。岡部の一族共々、武田には恩ができた。それを長教は戦で返した。その結果、長篠の敗戦の後、駿府へ進軍してきた徳川軍を迎え撃ち、退けた。それらの功績から、徳川方への押さえとして、今度は高天神の城を任された。

 岡部は、義元、氏真に、そして、信玄と勝頼に、はたまた、仇敵であった信長にも、その武勇と忠功を褒め称えられたことがある。

 それ即ち、彼の人生は戦であった。そして、彼は武士であった。戦での武勇と忠功が岡部の武士としての証明であった。

 この高天神に於いても、岡部長教という男は、それを証明するつもりであった。そのために、彼は死ぬつもりであった。


横田尹松という男

 横田甚五郎尹松は武田家臣である。彼の祖父は、武田の名臣、横田備中守高松であり、武田の猛将、原美濃守虎胤であった。父の康景が長篠で戦死すると、尹松が家督を継いだ。武田の足軽大将。それが横田の身分である。

 彼の傍らには、常に人がいた。それは、横田備中であり、原美濃であり、父の十郎兵衛である。昼、起きている時も、夜、寝ている時も、横田は彼らを強烈に意識していた。意識せざるを得なかった。

 横田は、彼らの影であった。彼らこそが横田甚五郎尹松という者の価値であった。彼らという存在そのものが横田の存在そのものであった。それは血を分けた分身というよりも、横田という影を生み出す太陽のそれであった。

 彼は太陽に恥じぬように己を律した。己という存在を作り上げた。名臣という影を作り上げた。それ故、彼は忠義を重んじ、それを重んずる者をも重んじた。


大河内政局という男

 大河内源三郎政局は徳川家臣である。彼の生国は三河であった。徳川の当主、家康とは幼少からの顔見知りであった。それ故、彼は軍監として、高天神城に派遣された。今より八年前の出来事である。そして、その年、高天神の城は武田軍に包囲され、降伏した。

 当時の城主、小笠原長忠が武田に降伏の使者を送る間際も、大河内は独り、開城に反対した。あと、もう少しで、援軍が来ることを彼は信じていた。それ故、例え、殺されることになろうとも、降伏を受け容れることはできなかった。

 大河内にとって、それは徳川家に対する忠義ではなかった。役目であった。彼は軍監として高天神に来た。目付役である。高天神城の城主が小笠原であっても、大河内の主は家康であり徳川家であった。それ故に、彼は降伏を受け容れることはできなかった。容認することができなかった。それができるほど大河内は柔軟性に富んではいなかった。だからこそ、邪魔な彼は降伏の前に石牢に幽閉された。


横田と大河内

「今宵も読経か。」

 横田は石牢の前にいた。今しがた、岡部と一悶着をしてきた所であった。

「貴殿は何を考えておられるのか。」

 曇が出ていた。曇が月を隠して辺りは真っ暗闇であった。石牢の奥からは微かに声が聞こえて来ているだけであった。

「おれは何をすればよいのか。」

 横田は軍監である。軍監の役目として、この高天神の城に来ていた。それは、かつての大河内と同じであった。

「ここで死ぬのか。」

 それは横田の自問自答である。

「死ぬべきなのか。」

 現状の武田家にとって、高天神城を救う余力はない。それは、横田は身に染みて分かっている。援兵の余力がないまでもなく、もし、勝頼が兵を率いて、高天神にやって来ても、徳川軍、さらにはその援軍に来る織田の軍勢を相手にして、勝つことは不可能であった。

 今の武田家には、高天神城を守る力はなかった。遅かれ早かれ、城は落ち、徳川の手に渡るであろう。分からないのは、それが、いつかということである。今日かも知れず、明日かも知れぬ。一月、二月先かも知れぬ。

 それまでの間に、横田に何ができるのかということである。何をするかということである。その答えを求めて、横田甚五郎尹松は、この石牢に来ていた。


岡部と横田

「降伏なされるのが宜しいかと存ずる。」

 冬が始まった頃である。再三再四行われた軍議の席上で、軍監の横田が提案した。

「それはどういう心積もりか。」

 その場の誰もが、ざわめき合う音が聞こえた。そして、それを留めるように、城主の岡部が声を出した。

「そういう岡部殿は、その他に、何か手立てをお持ちなのか?」

 鼻で人を笑うかのような横田の返答は、岡部を立腹させるかと思われたが、意外にも、岡部は冷静であった。あの晩の騒ぎ以降、岡部と横田の心の距離は離れていた。

「それでよいのか?」

 間の抜けたように岡部は尋ねてしまった。端から見たら、それは武勇を経た老将ではなく、一人の老人が発した一声のようであった。

「某に異論はござらぬ。」

 岡部は首を捻った。もちろん、それは比喩ではある。実際は、横田の目をじっと睨み付けている。一方の横田も、腕を組みながら、また、岡部を睨み付けていた。

「ふむ。」

 岡部が鼻から息を吐いた。そして、静かに考えた。岡部は、これまで、幾度と合戦を経てきたが、主家から派遣された軍監が降伏を促すことは初めての経験であった。

 齢七十になり、そのような目にあった彼は、その時、一人の老人としての己に出会った。もちろん、何故、横田がそのような考えに至ったのかに思いを馳せない訳ではない。武田家からの命令なのか、それとも自分を試して発言していることなのか、そのようなことを邪推しない訳でもなかった。


 ここに来て、徳川の兵たちの監視は厳しくなっていた。時折は、この城の辺りまで来ては狼藉を働くこともある。隠し田にある稲の収穫に、牛を連れた農民の装いに城兵を偽装させて城外に出させた所、斥候に出ていた徳川の兵に、牛ごと刈り取った稲を分捕られたこともあった。それだけ、徳川軍は、頻繁に高天神の城近くに出没し、強気に出ていた。

 高天神の城は、確実に追い詰められていた。かといって、岡部が追い詰められていた訳ではなかった。ただ、岡部は、自分以外の他の者のことを考えていた。それは、岡部の弱さ故なのかは分からなかった。


 ただ、これまでは、合戦の度、将も兵も一体であるかのように岡部は感じていたし、それが当然のことであると思っていた。しかし、今回の籠城戦に際しては、いつからか、どこか、自分の一部分が切り離されたような、接着しようとしても、くっつかないような、気持ちの悪さに囚われていた。

「一晩、思案してみよう。」

 なんともはっきりしない答えであると、岡部は思った。しかし、彼の内心も、その時は、真正直に、その答えの通りに、はっきりとしておらず、曖昧としていた。


岡部と大河内

「(この男は迷っておるな……。)」

 高天神の石牢で、大河内は感じた。真っ暗闇が広がる夜半に、いつものように大河内は座禅を組んでいた時であった。

「(べらべらとよくしゃべる奴だ……。)」

 相手が何をしゃべっているかは分からなかった。その相手は、木格子に閉ざされた入り口の外から、独りで、大河内に語りかけている。それまで、そのような者たちは、幾人かいたが、それらの誰人が話す言葉も、大河内にとっては、犬か猫の鳴き声の如くに聞こえた。

 言葉を語りかけてきても、大河内に、その内容は伝わらず、彼が感じるのは声音のみである。そのような中でも、そのような中だからこそ、大河内は、語り手の話の内容や意図よりも、心の状態を、より先鋭に感じ取ることができた。

「おい、聞いているのか。」

 外から声が聞こえた。それを機会に、大河内は読経を始めた。

「観自在菩薩。行深般若波羅密多時。照見五蘊皆空。」

「ちっ。」

 舌打ちが聞こえた。しかし、それは、実際に大河内に聞こえた訳ではなく、大河内の心象によるものである。

「やつを誑し込んだ訳ではあるまいな。」

 大河内は読経を続けている。相手と会話をしようにも、その相手が何を言っているのか理解できない。それは、大河内の理解力が、もとよりそうであった訳ではなく、おそらく、長い牢獄生活が、大河内の理解力を衰えさせたのであろう。

 かと言って、必ずしも、それだけではなく、語り手の語彙力のせいでもあったのかもしれないが、実のところは、囚われでない自由人と牢獄者という、隔絶された体験の相違によるところが大きかった。

「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経。」

 大河内は読経を終えて、再び座禅を組んだ。その後も、外の相手は、何事かを語っていたが、大河内がそれに耳をくれることはなかった。

 ただ、その声を聞いて、大河内が思ったことは、相手の男は、ひどく怯えているようであるということであった。


家康と信長

「耄碌したか岡部丹波。」

 高天神を守る岡部丹波守から降伏の矢文が届いたのは年が明けた頃のことであった。その矢文が前線から総大将の徳川家康のもとへ送られた。そして、それを読んだ家康から安土にいる信長のもとへ書状が送られた。その書状を見た時、信長は怒りを感じた。

「上様。」

「筆を持て、お乱。」

 腹の底から煮えたぎるような怒りを抑えながら、信長は傍らにいる小姓の森乱に命じた。

「其に付いて、城中、一段と迷惑し候体、矢文を以て懇望候間、近々候歟。」

 岡部丹波守と言えば、今を遡ること二十年前、桶狭間合戦の折、鳴海の城を盾に籠もり、今川義元の御首級を取り帰さんとしてきた豪胆の武者であった。聞いた話では、その帰途も、戦功がないまま駿府に帰投するのを良しとせず、刈谷の城を攻め取り、城主の水野十郎左衛門を討ち取ったという。

「これを送れ。」

「承知。」

 信長がしたためた、書状の下書を持って、乱は退出して行った。それから、しばらくも、信長は腹立ちが治まらなかった。


「織田殿は降伏をお許しなさらぬとのこと。」

 信長からの書状が家康のもとに届いた。それを見た家康には何の感傷もなかった。

 信長の答えはこうであった。降伏を認めず、高天神城が落ちたとあらば、援軍を送らず、城兵を救援できなかった武田家中の評判は地に落ちるであろう。そうすれば、後々の武田攻めの際にも楽であると。

 信長の、この答えの見た家康は、そこに道理を感じた。

「その旨をしたためて、城中に矢文を飛ばせ。」

 家康の命を受けた武者が走って行った。この時、家康が感じていたのは不可解さであった。それは、高天神城主の岡部丹波守長教に対してである。

「岡部丹波は、齢いくつになるか?」

「おそらくは七十に近いかと存ずる。」

 答えたのは、家康の傍らにいた、遠江二俣城主の大久保忠世であった。

「岡部の武者振りは聞いておるな。」

「義元公の御首級のこと、刈谷の水野信近殿を討ち取ったこと。然り。」

 忠世は、家康よりも齢が十、上である。それだけ、家康よりも昔のことはよく覚えている。

「近世にても、設楽原合戦の後、小山の城での一戦も、敵ながら天晴れな働きよ。」

「それが如何なされた?」

 忠世には、家康の言いたいことは分かっていた。それは、つまり、そのような武勇伝を持つ猛将が、何故、此度のような矢文を送ってきたのかということである。それは、即ち、そのような男が、何故、このような最期を遂げるのかと言うことであった。

 家康には老将を好む癖がある。岡部丹波守然り、武田信玄然り。その理由は、彼らに秘められた戦巧者な経験と古風な武者振り故である。それを忠世も存じていた。


 此度の岡部の矢文には、高天神の他に滝境と小山の城も明け渡すという旨が書いてあった。その代わりに城兵の命は助けてほしいという。

 滝堺と小山は遠江から駿河を目指す家康にとっては避けては通れない城である。

 しかし、そのような城であったとしても、武田家が援軍を寄越すことのできない以上、わざわざ明け渡されなくても、攻め落とすのは容易であると、信長は踏んでいた。また、もし、武田家が援軍を寄越したとしても、それ、もろともに打ち砕く自身が、信長にはあった。そして、それを家康に伝えたのである。

 信長は、完膚なきまでに武田家を潰すことを考えていた。その為には、道中の端城よりも、ここで武田家中の評判を貶め、崩壊させることを欲した。

「織田殿の御思慮が丹波の武勇よりも深く、それに勝ったのでござろう。」

「左様か。」

 家康は、なんとも、つまらなさそうに言った。信長という虎の前では、豪勇なる老将、岡部丹波守は羽虫の如く、踏み潰されていくだけなのだろうかと思った。それはなんと、つまらないことなのであろうか。そのような気持ちが齢四十を過ぎた家康の胸中に去来した。


老将

 徳川軍から矢文の返答を得た岡部は、これまでに感じたことがないほどの怒りを感じていた。それは己に対する怒りであった。

「残っている酒と糧食を、すべて持って来させよ。」

 傍らにいた兵は岡部に命じられるままに立ち去った。その兵の脚は既にふらついていた。

「明朝、動ける者共は、すべて、敵陣に向かい、打って出る。今宵は、最期の盃よ。悔いの無いよう、思う存分にせよ。明日の夜は、皆、三途の川を渡っておるはずだからな。」


 わっははは


 わっははは


 城兵たちは、もとより少ない糧食を分け合い、食らった。それは、見るにも粗末な酒宴であった。しかし、昨日まで、多くの城兵たちは、木の根や草を食らっていた。

「某、一足先に三途の川の露払いをして参る。」

 突然、将の一人が短刀で腹を割って果てた。この将は先の小競り合いで足をやられて歩けなくなっていた。それが明日の合戦の足手まといになるとでも、思ったのであろうか。

「お供仕る。」

 その後も、二、三人、同じような者が後に続いた。中には、短刀で腹を刺す力も出ず、他の者に介錯を頼む者もいた。

「岡部殿。横田の姿が見えませぬが。」

「捨ておけ。」

「は。」

「もはや、奴に構うこともないのだからな。」

 床几に腰掛ける岡部のもとへ、そのことを告げるためだけにやって来た兵に、岡部は盃を渡し、酒を注いでやった。

「頂戴仕る。」

 ぐっと、その兵は盃を飲み干した。その後も、高天神城の本丸の庭に置いた床几に腰掛けながら、岡部は、将兵たちの最期の姿を見ていた。

 夜空に黒雲が出ていたが、案外、外は明るかった。岡部の心中には、未だ、怒りがあったが、それも、将兵たちの姿を見ているうちに、和らぎつつあった。そして、岡部の心中は、何かから解放されたようでもあった。


 先日、岡部は軍議の席で、横田から降伏という言葉を聞いた時、何故、それに同調したのか分からなかった。もとより、高天神に入った折から、討ち死にを覚悟していた。しかし、それは案外、形式的なものであったのかもしれない。

 軍議の席で、横田の降伏という言葉を聞いた後、しばらく、岡部は考えた。そして、彼は大河内のもとへ行った。

「奴を誑し込んだ訳ではあるまいな。」

 大河内が横田に何かを吹き込んだのかと、岡部は思った。しかし、それは邪推であった。石牢に囚われている大河内に向かって、語りかけても、まったく相手は反応を示さなかった。まるで、くうに話しかけているようであった。

 それでも、石牢に向かって、要らぬことまで話しかけている己を、岡部は見た。そして、話し終えると、憑き物が落ちたように楽になった。

「(小童の気も分からぬではないか……。)」

 大河内に、やたらと、横田が親切にする理由を理解したように、岡部は思った。しかし、実際は、岡部が感じたのは、幾分かは真実ではあったが、それほど真実ではなかった。

 大河内に横田が懐く理由は、彼らが同じ軍監という役目を負って、この城に来たからであった。その役目に伴う共通の体験があったからこそ、横田は大河内を手厚く持て成したのである。少なくとも、横田はそう感じていたし、あとは、横田という男の信条と性格とが要因としてあった。

「思い過ごしか。」

 ある程度、大河内に向かって、話し終えると、岡部は寝所へ戻って行った。そして、翌朝、兵に矢文を打たせた。


落日

「者共、死ねい!!」


 おお!!


 各所で鬨の声が上がった。高天神城の各曲輪の門が開けられて、それぞれ、中から武田の兵たちが躍り出てきた。

「迎え討てい。」

「おお!」

 大手口や二の丸辺りで戦闘が起こった。

「者共、死ねい!!死ねい!!」

 馬上の岡部は、先頭を切って、敵陣に向かい、馬が倒れると、歩行で、敵の中に踊り入った。

 出撃した兵は、千人に満たない。それぞれが歩くのもままならないはずであった。徳川の陣地は壕に守られていた。それでも、何も構うこともなく、武田の兵たちは壕の中に入って、徳川の鉄砲に撃たれて死んでいった。

「西の峰より、敵一団、囲いを突破いたし、甲斐に向かうようす!」

「討手を出せい!!」

 前線にいた大久保忠世の陣は慌ただしくなっていた。

「囲いを崩すな、押し囲め!!一人も逃がすでないぞ!」

 陣に寄せて来る武田の兵共は、死にに押し寄せて来るかの如くであった。それは、どこか不気味であった。


「死ねい!!死ねい!!死ねい!!」

 二の丸の林で、岡部は戦っていた。この雑木林辺りでは、鉄砲も使えず、徳川の兵が坂を登って、やって来ていた。

 岡部が降伏の矢文を打たせた時、彼の頭には、それが拒絶されるなどという考えはなかった。全く抜け落ちていた。というよりも、始めから存在していなかった。

「者共、死ねい!!死ねい!!」

 後ほど省みても、どうしてそうなったのか、岡部にはとんと見当がつかなかった。その分だけ、徳川軍から矢文の返事が届き、その内容を見た時、岡部は怒った。己を恥じた。

 元来、死ぬつもりであった自分が、呑気に生き長らえるつもりになっていたのを恥じた。矢文を打たせたことを後悔し、そのような己を嫌悪した。

「(どうして、こうなったのであろうか……。)」

 悲嘆の情が湧いた。年齢や空腹と疲労のせいだと思いたくはなかった。横田の顔がちらつきはしたが、そのようなことよりも、心底、岡部は己を恥じ入った。そして、最期に討って出ることを決めた。


解放

「おったぞ。源三郎殿よ。生きておるわ。」

 高天神の城は落ちた。決死の突撃を敢行した武田軍は、ほとんどが討ち死にして果てた。

「八年も、よう生きておったことよ。」

 高天神落城後、落ち武者狩りをしていた徳川の兵に、大河内政局は助け出された。

「源三郎。役目大義なり。存分に休息いたせ。」

「武田の者共は……。」

「皆、立派な討ち死にを遂げた。敵ながら天晴れであったわ。」

「侍共は……?」

 家康のもとに、大河内は両脇を抱えられて運ばれて来ていた。なんとか、目は見えるようであったが、発する言葉は、どこか、たどたどしかった。

「わずかな者共が城を抜けて、甲斐に走ったようだ。それと、おぬし、牢の入口は開いていたようだな。」

「面目ござらぬ。」

 大河内との会話は、どこか、ちぐはぐであると、家康も感じていた。しかし、八年もの間、囚われていた相手のことであり、その辺りのことは家康も理解していた。

「木格子を止める縄は切られていたという。どこぞの士が慮ってのことであろうよ。八年もの間、おぬしが生き長らえたのも、その者のおかげであろう。」

「……。」

 それ以上、大河内はしゃべることができなかった。そして、木格子の縄が切られていたことも、今、知った。それを、武田軍の誰が命じたのかは、とんと見当がつかなかった。

「そういえば、城主の岡部丹波のことだ。彼は彦左衛門の所の者が討ち取った。名乗りこそせず、まさか岡部丹波だとは思わなかったらしい。然れど、彼の者、岡部丹波。名にし負う豪傑よな。最期に死んでいった者たちを見れば分かる。兵卒に慕われていたのだろう。死なすには、惜しい武士であったわ。」

 家康は饒舌であった。それが彼の上機嫌を表していた。

「まあ、降伏いたす旨の矢文を受けたのだがな、織田殿の御意向もあり、死なすことにはなった。然れど、おぬしが無事で何よりだ。いやあ、すまぬ、引き留めてしもうたな。」

「彼の者は、兵卒の心配をしておった。」

 腹の底から力を振り絞り、今度は大河内が告げた。

「……兵卒の心配。なるほど、それで矢文をな。なるほど。合点がいったぞ。腑に落ちた。」

 今度こそ、大河内は何もしゃべることができなかった。そして、彼は、兵たちに両脇を抱えられながら、家康の前を退いていった。


後日

 高天神落城の後のこと。あの日、落城に先立って、岡部らの討ち入りのことを知った横田は、密かに供の者に命じ、高天神城の本丸に保管されていた徳川軍の旗指物を取って来させた。

「明朝、城の者共が討って出るのと、同じくして、我らは西峰より甲斐へ走る。」

 そう告げると、事前に馬を準備させた。

「振り向くな!走れ、走れ、一人のみでも甲斐へ帰り、御館様に伝えるのだ!!」

 そうして城を出た横田の一団は、徳川軍の囲みを抜けて、無事、甲斐に帰り着いた。その数、十数人であった。決死の覚悟の割には、道中、難無く、横田らは甲斐の武田館まで行くことができた。それも、おそらくは、岡部らの決死の突撃の功による所が大きかった。

 甲斐へ無事に帰った横田を、武田家当主の勝頼は、賞賛し、褒美を与えようとした。しかし、横田はそれを辞退したという。

「原美濃も横田備中も、横田十郎左衛門も、勝って褒美を貰ったことはあれども、負けて褒美を貰ったことはござらぬ。」

 渋る勝頼に横田はそう告げた。そのような時も、横田は、祖父や父の影であった。それでも、その時の横田の心象には、微かに岡部の姿が映っていたようすであった。


 高天神城の石牢から救出された後、大河内政局は剃髪し、皆空と号した。しかし、その三年後に、小牧、長久手で合戦が起きると、それに参じ、討ち死にした。

 長い入牢生活により、彼は半身が動かず、歩行も困難になっていた。太陽の下に、肉体が耐えられなかったのか、やがて、目も見えなくなった。

 それでも、大河内は参陣し、討ち死にすることを決めた。高天神落城が近づく時、囚われの大河内に向かって、あの長々しい話しをしていた男が何者なのかは分からなかった。しかし、おそらく、それは城主の岡部であったのだろうと、大河内は感じていた。

 そして、その男が、長い語りの中で、城兵のために、という言葉を、何度も発していたのも覚えていたし、その男のその言葉が、自分の本心を偽る虚飾の言葉であることも知っていた。

 然れど、大河内は、落城の間際に、彼が囚われていた石牢の入口にある木格子の縄を切るように命じたのは、何かと面倒を見てくれた、あの親切な若い男ではなく、一度だけ遭遇した、あの夜の愚痴の多い老人であったのだということを明らかに確信するに至ったのである。

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