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北山と話す

 長井はいつものように朝早く目が覚めた。仕事に行くことがないせいで、外を歩くことが少なく、体を動かさないためか夜深く眠ることがない。目が覚めたといっても、意識は半ば眠っているようなものだ。3ヶ月前に北山に電話してから、捜査は一切行っていなかった。何をしてよいか分からず、ただぼんやりと毎日を送っていた。

(このまま一生が終わっていくのも悪くないのかもしれないな。普通の人生なんて、途中が俺より充実しているだけで、最後はこんな風に終わるのかもしれない。)

 長井がそんなことを考えながら買ってきた弁当をもそもそと食べていると、電話が鳴り、けだるそうに電話に出た。久しぶりの間違い電話以外の電話は北山からのものだった。

「……北山さん?」

「長井君…実は渡辺のことで黙っていたことがあるんだ。」

 北山の声は、かなり暗く、覚悟がこもったような、そういうただならない雰囲気を持っていた。

(ひょっとしたら、北山が渡辺を…?)

 長井はそう考え、額に冷や汗を浮かべながら、北山の話集中した。

「一度、会って話さないか?」

 そう言われ、長井は口封じに自分を消そうとしているのではないかと思い、ぞっとした。

(俺は生きているから何かができるわけではない。でも死にたくはない。)

 長井は必死に北山と会わない言い訳を探した。

「す、すいません。私はもう、渡辺のことを気にするのをやめました。定年になって急に昔を思い出したもので、電話をしてしまったんです。すいませんでした。」

(自分から言い出しておいて、なんて無責任なんだ。)

 北山がどう反応するかを恐ろしく思った。しかし北山は拍子抜けしたような、何か残念そうな感じで、ともかく口調が戻った。

「??ああ…そうか。…それがいい。私の他にこのことで話した人はいるか?」

「いいえ。」

 長井は数人に渡辺のことを聞いているが、言わないほうが彼らが安全だろうと思った。

「長井君、私もな、この歳になると若いころの友人のことを思い出すよ。」

 北山の口調はほぼ元通りになった。電話を切った後、長井はまたもそもそと弁当を食べ始めた。北山が何を話したかったのか、深く考えないようにした。

(もともと深い考えもなく始めたんだ。危ない目に遭うのはごめんだ。このくらいが引き際だろう。……。これから趣味でも探すか……。)

 1週間が経った。長井の生活は相変わらずだ。またしてもぼんやりテレビを眺めていた長井はある昼のニュースに驚いた。

「…………市で火事があり、家屋が全焼し、この家に住んでいる北山 則之さん(72歳)が遺体で発見され……。」

(そんな…。)

 長井は部屋の中をうろうろし始めた。

(北山はあの電話で僕に何かを伝えようとしていたのかも知れない…。渡辺に関することだろう。)

 長井は久しぶりに外に出て、バスに乗って北山の家に向かった。家に渡辺についての何か手がかりがあるかもしれないと考えていた。長井の記憶では白かった北山の家は地面に真っ黒い固まりがあり、その中には材木だったのか尖ったものがいくつかあり、そこからもとは柱だったのか、黒いものがそびえ立っていた。近所の人が焼け残った家を見ており、周囲には敷地中に入れないようテープが張ってあった。

(これじゃ家の中にあったものはものはもう燃えてるな。帰ろうか…。)

 そう考えて長井は歩き始めた。

(危ない目に遭いたくないからもう調べるのはやめようかと考えていたのに、さらに危なそうになったのに…。気になってしょうがなくなってきた。)

「!あ、すいません。」

「いえ…。」

下をむいて考えていたために、人とぶつかりそうになった。すれ違ってから振り返ってみると、かなり身長の高い、大柄な、背広を着た男だった。長井はバスに乗り込み、椅子に座った。すると、バスの床にポケットから折りたたまれた紙が落ちた。

(なんだ?レシートでも入ってたか?)

 紙を開いてみると、レシートではなく、ボールペンか何かで文字が書いてあった。

『7月20日21時30分、〇〇橋で』

(さっきの男?)

 2日後、長井は指定された橋から離れた道路上で双眼鏡を使って橋を眺めていた。

(…北山?)

 人気のない暗い橋の隅に1人立っているその姿は幽霊のようで、、長井は恐る恐る、一歩一歩橋に近づいた。

「やあ、長井君。直接会うのは何年ぶりかな。」

 北山は穏やかな表情だった。

(もう、『現世に未練はない』って感じの顔…。)

 そんな表情を悟ったのか、北山は笑顔を作った。

「ははははは、いやいや、私は幽霊ではないよ。それよりも、君は渡辺君のことを知りたいのかい?知りたくないのかい?」

「…知るために、危険を伴いますか?」

 危険なら、知りたくなく、危険でないなら、知りたい。長井の正直な気持ちだった。

「危険だよ。当然。だから…君を騙そうともしたし、ついこの間は家も焼いて、死んだふりをしなければならなくなった。」

 『危険だ』と言われて、長井の出す答えはひとつだった。

「知ろうとするのは、もうやめます。」

「そうか、それがいい。誓ってくれないか?もう渡辺のことは絶対に調べないこと。私とここで会ったことは誰にも言わないこと、私を探そうとしないこと。いいか?絶対だ。」

「…はい。」

(もう何も気にしないというのは無理だ。でも、危ない目にも遭いたくない。)

「じゃあここで別れよう。もう会うことはないだろう。さようなら、長井君。」

「…はい。中途半端な好奇心で、すいませんでした。」

「体に気をつけてな。」

そう言って北山は去って行った。長井は、本当に捜査をやめようと考えていた。そして、またぼんやりとした日常に戻るはずだった。長井は、北山の背中を見つめていた。その背中を見つめながら、最近の出来事のすっきりしないが、自分の中で区切りをつけた余韻を味わっていた。その余韻を味わっている間が、そのほんの2、3分の間が、今まで引き返せる場所にいた長井を、引き返せない場所に連れて行っていた。北山の背中は音もなく崩れ落ち、慌てて長井は駆け寄った。

「北山さん!大丈夫ですか!!」

 何度呼びかけても体をゆすっても、目を閉じたまま、何の反応も無かった。代わりに、北山の体から、コロンと小さな円柱の形をした耳栓のようなものが落ちてきた。

(これは…。)

 耳栓には小さな針のようなものがついていた。

(いや、それよりも救急車を呼ばないと…。ん?)

 気がつくと長井の場所から反対側に数人の人影が見えた。

(逃げよう!)

 長井は直感で、その数人の影が自分の味方にはならず、ただの通行人でもないこと、それどころかとにかく避けなければならないものであることが分かり、急いで影と反対側に走り出した。

(体力が落ちてる。)

 日ごろ体を動かさないため、走り出してから1分と経たずに息が切れ、足が動かなくなり転びそうになった。2、3分で限界になり、建物の裏からそっと後ろを振り返った。

(よかった。誰もいない…。なんでこんなに怖かったんだ…?。なんでこんなに走ったんだ?)

 痛い足を引きずり、気分が悪くなりながら、ふらふらとアパートに入り、床に座り込むと、握っていた手から針のついた耳栓が転がり落ちた。

(これはなんなんだ?分解するか?)

 恐る恐るはさみで耳栓を縦に切ってみたが、断面は針が耳栓に刺さっているそのままだった。

(この針が危ないのか…。でもこれ以上、俺では分からない…。いや、考えるのはよそう。このことは忘れて、今までの、ぼーっとした日常に戻ったほうがいいんだ…。)

 次の日、テレビをつけてみたが、北山のことは何も言っていなかった。当然のことながら、もう火事のことさえやっていなかった。

(さて、また何もすることが無くなったな…。)

 ピンポローン

(なんだ?新聞の勧誘か?)

 ボロアパートにはインターホンもない。

「はい…。どちらさんですか?」

 ドアを開けると、人の良さそうな男が立っていた。

「私、〇×署の佐間という者ですが、先日亡くなった北山さんのことでお話を伺いたいと思いまして…。」

「はあ…。」

「実はあの火事に放火の疑いがでて来ました。北山さんは会社を退職してから人と接することがほとんどなくて、電話の通話記録を調べたところ、あなたの家にかかっていたということでして…。失礼ですが、7月17日の午前7時ごろどちらにいらっしゃいましたか?」

「ずっと家にいました。」

「誰か証明できる人はいますか?」

「誰もいません。私も人と接することがないもので。」

「そうですか…。最後に話したとき、北山さんとはどんなお話を?」

(正直に言うと面倒なことになりそうだけど、言わなければ後でもっと面倒なことになるかもしれないしな。)

「昔の同僚のことで…昔話をしてました。」

(まあ、嘘はついてないしな、これでいいだろ。)

「北山さん、そのとき何か変わった様子はありませんでしたか?」

「…いいえ。」

「そうですか。…私は〇×署の佐間と言います。何か思い出したことなどがあったらご連絡ください。ご協力ありがとうございました。」

 佐間はそう言いながら自分の携帯電話の番号を書いたメモを長井に渡し、一礼して去っていった。

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