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調査開始

 今日、長井 勉は長年勤めてきた会社を定年退職した。彼は会社を出たあと、近くのスーパーでビールとつまみ数個を購入し、ぼろアパートに帰った。ドアの鍵を開け、真っ暗な部屋に明かりを点け、昨日の弁当のパックをテーブルの隅に寄せて、買い物袋を載せた。

(これから、どうするか…。)

 長井は独身で、これから夫婦2人でゆっくり老後を過ごすというわけにはいかない。これといった趣味を持っているわけでもない。仕事が好きでもない長井は再就職しようとも思っていない。しかし、金を使うことの少ない長井には40年近く勤めて貯まった金が余っている。何の結論もでないまま、その夜はただぼんやりとテレビを眺めて飲んでいるだけで終わった。

 次の日、長井は外に出た。このままアパートにいてはそのまま部屋に同化してしまいそうだった。向かった先は本屋だったが、これも本が好きだというわけではなく、暇つぶしに最初に思いついたのが本だったというだけだ。本屋に入った長井は、適当に店内をうろついた。ミステリーのコーナーのそばを通りかかったとき、何かで聞いたことのある本が積んであったので、手に取って本の後ろに書いてあるあらすじを読んでみた。刑事が失踪した同僚を探して行く間に巨大な陰謀に巻き込まれてどうこう、という感じの内容らしかった。

(俺の人生にこういう展開があっても面白いか…。)

 長井はその本を買って帰った。久しぶりに気分が高揚していた。失踪とは違うが、ちょうどうまい具合に10年ほど前、長井の部署に来た新人、渡辺が突然いなくなり、何があったのか部署内で話題になった。声の良く通る元気の良い男で、長井も何があったのか気になっていた。渡辺がいなくなって数日後、刑事が尋ねてきたことや、上司に聞いても、はぐらかして答えてくれなかったことがさらに話題を盛り上がらせた。しかし、何の進展もないまま何ヶ月も経つとそのうち話題にならなくなっていった。しかし、長井は退職するまで彼が見つかったという話は聞いていなかった。長井はこの渡辺失踪事件を解決することを新しい目標と決めた。家に帰ってから長井は買ってきた本を読みふけりながら、自分の高揚した気分を楽しんで過ごした。

 次の日、長井は買ってきた本を参考に捜査の方針を考えていた。

(捜査はやはり聞き込みから始めるべきだろう。)

 と、思いながらも渡辺の親を探して電話するのは気が重かった。自分のこの不真面目さでは失礼だろうと考えたからだった。また、話が大事になり、捜査を打ち切りにくくなっても困ると考えていた。そこで、手短に元同僚数人に電話してみることにした。

(あっさりあの人ならどこどこに転勤したよ。なんて言われなきゃいいな。)

「渡辺さんっていう新人さんがいましたよね、突然いなくなって昔話題になった。」

 と聞いてみると、

「いましたっけ…?」

「すいません覚えていませんね。」

「ああ、いましたね。病気にでもなったんですかね…。」

といった感じで、何の手がかりも得られなかった。

(あとはあの話をはぐらかしていた上司にでも聞くか…。今日の捜査は元上司に話を聞いたら終わろう。)

「ああ…彼はね…。」

 沈んだ元上司の声に長井は気まずくなった。好奇心で捜査を始めているため、長井は悲しい話を聞いて暗い気分になりたくなかった。

「自殺してしまったんだ…。」

 その一言を話したあと上司は黙ってしまった。暗い元上司の声に、長井は早くも後悔し始めた。長い沈黙の後、長井は何とか口を開いた。

「で、でも全然そんな様子は…。」

言いかけたところで言葉は止まってしまい、元上司が話し始めた。「いや、見かけは元気そうだったがそうでもなかったらしい。入社前にずいぶん借金をしてしまっていたらしいんだ。」

「借金を…?」

「ああ、警察が言っていたんだが、学生時代から彼は金の使い方がひどかったらしい。高級外車に乗っていたようだし、住んでいた場所も学生や新入社員が暮らしていた場所とは思えない…。そんなに裕福な家の出でもなかったらしいんだが…。駄目なやつだよな。でも、我々の会社に入ってやり直そうとしていたのかと思うとな…。」

 またしばらく間が入った。長井は我慢できなくなり、早く電話を切りたくなった。

「…すいませんでした。何も考えずに…。」

「いいや、何も話さなくて…。すまなかった。何か自分が悪かったような気がしてな。話せなかったんだ。」

 電話を切った長井はしばらくその場に座っていた。後悔で頭がいっぱいだった。本の真似をして何も考えていなかったことで、渡辺、元上司に悪いことをしたという思いだった。この日の残りは点けたテレビをただなんとなく眺めているだけだった。

 次の日になった。目を覚ました布団の中で天井を眺めながら長井は昨日の上司の言葉を思い出していた。

(納得いかない…。)

 長井の覚えている渡辺は明るい男だった。ほとんど話したことはないが、元気よく営業に出て行ったりする姿を確かに覚えているのだ。

(開き直って明るかったのか?)

 長井の中にもやもやしや気分が渦巻いていた。渡辺が自殺しそうになかったことが気になっていたが、暇つぶし感覚で捜査を続けても良いのかどうか、悩んでいた。このとき、長井の中で好奇心で捜査を続ける罪悪感よりも、疑問を解決することの欲求のほうが勝った。長井は再び電話を取った。掛けた先は退社した会社の人事にいる知り合い、安田 健二だった。渡辺が住んでいた場所がそれほど高級なところなのかを調べるためだった。

「…。渡辺が住んでいた住所を教えてほしいんだけど。あの入社して2、3ヶ月でやめた新人がいたろう。」

「長井さん。そういう情報は教えられないんですよ。」

 安田は真面目な男だ。

「安田君、頼むよ。誰かに教えたり、悪いことに使わないからさ。」

「…。何で知りたいんですか?」

(う。捜査してるんだ、とは言いにくいな。)

「…。渡辺が住んでいたところがいいところだって聞いたからさ。俺が今住んでいるところ、ぼろだから参考にしようかと思ってさ。」

長井が『思って。』と言い終わるか終わらないかというところで安田は返答した。

「やめた方がいいですよ。あのアパートはかび臭くてとても住めた家じゃないですから。」

「かび臭い?」

「ええ。一度だけアパートに行ったことがあるんですが、築何十年経ってるのか、というくらいでしたよ。周りを高い建物に囲まれていて日当たりも悪かったですし。」

「え?あ?そ、そうなんだ。彼は新入社員だったし、そんなにいいところに住んでいるわけないよね。ごめん。仕事中悪かったね。」

 長井はさっさと電話を切った。頭の中は疑問で、というよりはうれしさでいっぱいだった。体はぞくぞくする好奇心でいっぱいだった。警察か、元上司か、安田かが嘘をついているということで、謎ができた。長井は自分が相当若いころに妄想したように、自分が買った本の主人公になった気分だった。

 次に長井が取った行動は図書館に行くことだった。警察に行くのは恐ろしかったし、元上司や安田を問い詰めるような気もなかった。では何ができるかと考えると、思いついたのは図書館で新聞を読むことだった。

(自殺なら新聞で少しは大きく取り上げられるはずだ。)

 そう思いながら、静かな図書館で一人がさがさと音を立てながら借りてきた新聞をめくり続けた。全国紙では載っていないかもしれないと思ったため、地方紙を借りてきていた。まずは渡辺がいなくなった前後10日間、20日間、30日間、40日間、新聞で事件の載っている場所は限られているので多くの日数を調べられた。しかし、調べても調べても記事は載っていなかった。

(変だな。載らないものなのかな。それとも、あの元上司が本当のことを隠しているとか。あの人なんて言ったっけ名前。変わった名前だったよな。ええと、北山?そうだ、そんな苗字だった。北山が隠しているのか?それとも警察?)

 図書館からの帰り道、歩きながら長井は考えていた。あたりは夕暮れに染まっていて、風は肌寒いものに変わっていた。

(と言っても、どうすればいいんだろう。また北山に話を聞く勇気がない。警察は怖いし。俺の思い違いだったらまた嫌なことを思い出させてしまう。)

 次に何をするか分からないままアパートに着いて、またぼーっと点けたテレビを眺めた。オカルト番組をやっていた。宇宙人がどうたらこうたら、幽霊がどうたらこうたら…。

(最近またブームなのかな、俺が若いころから、よくこんな番組やってるけど、田んぼにミステリーサークルがあった、先祖の霊が来た、宇宙人に連れ去られた、カメラに変なものが写った…、変わんないな。)

 テレビ鑑賞はこれといった趣味のない長井が長年続けてきた時間のつぶし方だった。

(若いころから、こうやって毎日帰ってきたらテレビを眺めてたよな。何か趣味に打ち込んだりも、友人と遊びに行ったりも、恋人を作ったりもせずに…。俺は人生、空費したのかな…60年。いまさら本の主人公を夢見ているなんてな。)

 悲しくなってきた長井はテレビを消した。部屋の中を静寂が包んだ。

(そうだよな。毎日テレビを見続けてきた俺が見過ごすわけないよな。渡辺のこと言うはずだ。やっぱり明日電話してみよう。)

 次の日。しばらく受話器を持ったまま長井は固まっていた。それから、意を決して北山に電話をかけた。

「あの…。渡辺のことなんですが…。」

 長井は恐る恐る話し始めた。

「思い出したんですが、渡辺の住んでいたところは、結構年数の経ったアパートで、高級ではなかったんです。警察が間違えたのか」

「長井君。なぜ君がそんなに渡辺のことを気にするんだ?」

 北山が途中で話をさえぎった。

「…すいません。退職してから、なぜかどうしても渡辺のことを思い出しまして。」

(本を読んで、とは言えないよな。)

「私が昔隠していたことはこの前話したんだ。私は忘れたいんだ。もう渡辺の話はしないでくれ。」

「すいません。」

 長井はそれから『すいません』しか言えなかった。

 電話を切ってしばらく長井は考えた。

(北山が忘れたいことは渡辺の悩みに気づかなかったことでなければ…。いや、妄想だなこれは。もう電話はしないことにしよう。俺は少し頭を冷やさなきゃな。でも、他に調べることも思いつかない…。)

 こうして第1回の捜査は打ち切りとなり、長井は3ヶ月ほどの間たまに本屋で推理小説を買って読んだり、ただぼーっとテレビを見たりと無為に日々を過ごした。

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