第19話 普通の高校生
「どうして?」
【リボンナイト】が足に力をなくして、その場にペタンと座り込んだ。
「【Rabbit】は、大きなダメージを負っていなかったはずだ。どうして死んだんだ!」
【RED】が【エウリュディケ】に掴みかからんばかりの勢いで尋ねる。
「『戦闘意思の著しい欠如』」
【エウリュディケ】の小さな声も、やけに響いて。胸が苦しくなってきた。
「【筐体】は、中の人間に『戦闘意思の著しい欠如』がみられると強制睡眠モードに入る。そして、……凍結される」
「は?」
声を上げることが出来たのは、【RED】だけだ。
(凍結?)
意味を理解するのに、数秒の時間がかかった。
(宇佐川の身体が、凍結されたってことか?)
「なんで教えてくれなかったの!」
【リボンナイト】が怒っている。当たり前だ。こんな可能性があるなら、事前に説明されるべきだった。
「ごめんなさい。こんなこと、伝える必要がないと思ったのよ」
【エウリュディケ】も声を荒げた。
「だって、戦うって! 協力するって言ってくれたから!」
『強制睡眠モードは、よほどのことがない限り作動しません。プレイヤーがはっきりと戦いを拒否するか、逃亡を考えない限りは』
吉澤が補足する。つまり、そういうことだ。
「【Rabbit】は……宇佐川は、耐えられなかったんだ」
俺の言葉に、【エウリュディケ】が唇を噛むのが見えた。
あの状況だ。敵を死なせずに戦うことはできなかっただろう。自分が銃を撃つ度に音を立てて消えていく大量のPC。それを見つめながら、彼女はどんな思いで引き金を引いていたのか。
「優しいから。だから、ヒーラーを選んだ」
元々、戦うことが得意な子ではなかった。それでもゲームを楽しんでいたのには理由がある。
「俺のせいだ」
ぎゅっと両手を握りしめた。
「俺、小学生の頃は友達がいなくて……。でも、宇佐川がゲームに誘ってくれたから。俺、他にもたくさん友達ができたんだ。俺のせいだ……!」
俺がいなければ、彼女は【ORPHEUS】にのめりこむことはなかったのだ。
「こんなのって!」
【リボンナイト】が叫ぶ。
「こんなの、あんまりだよ……」
【リボンナイト】が声を上げて泣き出した。【RED】がその肩を叩く。俺は泣きじゃくる彼女に駆け寄る事もできずに、ただ項垂れることしか出来ない。
「【エウリュディケ】を責めたってしょうがない。こんなの、想定できないさ。君たちテロリストにはな」
【RED】の鋭い視線が【エウリュディケ】を刺した。
「普通の高校生だ。逃げ出したくなって当たり前じゃないか」
【エウリュディケ】は何も言い返せない。
「やっぱり、【筐体】に入る前に止めるべきだったんだ。せめて、未成年の彼女だけは……!」
【RED】が、その拳で地面を殴った。
「こんな場所で、戦わせるべきじゃなかった!」
その拳が地面に叩きつけられる。何度も何度も。自分自身を殴りつけるように。
「……いや。今更何を言っても意味はないな」
【RED】が、ぐっと顔を上げた。
「解除コードを手に入れる。そうすれば、【Rabbit】も助けられる」
【RED】は自分に言い聞かせるように、ゆっくりと噛みしめるように言った。それを聞いた【リボンナイト】が、ゴシゴシと涙を拭って、頷く。
「そうだね。必ず、助けよう」
「はい」
俺も同じように頷いたが、【RED】はふいっと俺から目線を外した。
「ジョブチェンジだ」
「え?」
思わず、声が出てしまった。
「ジョブチェンジ、ですか?」
俺が改めて尋ねると、【RED】が頷いた。
「できるだろう? 『拳闘士』に戻してくれ」
『できます。ステータスもスキルも、『拳闘士』だった当時のものになりますが。よろしいですか?』
「それでいい」
「え、どういうことですか!?」
「お前はここに置いていく」
その言葉に、【リボンナイト】がハッとして顔を上げた。次いで、その唇がぎゅっと引き結ばれる。
「そうしよう」
【リボンナイト】が言うと、【エウリュディケ】も頷いた。
「どうして、ですか?」
「そんな青い顔で、何言ってんだ」
「え?」
思わず自分の頬を触ってみる。ひんやりとしていることだけがわかった。
「犠牲に誠実だとか、そんな綺麗事に惑わされるべきじゃなかった。子どもに、武器なんか持たせるべきじゃないんだよ」
「でも!」
「ここからは、大人だけでやる」
「だから『拳闘士』にジョブチェンジして前衛で戦うってことですか? 無茶ですよ!」
「無茶じゃない。俺は、半年前まではバリバリの『拳闘士』だったんだ。チームを組む時に、バランスを考えて魔術師にジョブチェンジして、そのまま上級職に転職した」
「そういうことじゃなくて!」
思わず、大きな声が出た。
「俺は、大丈夫です。だって、NPCと同じですよ」
「NPC?」
「だから斬ったって平気です。それに、解除コードを手に入れれば、みんな助けられるんだから」
「お前は!」
【RED】が怒鳴った。はじめてだ。叱られることはあっても、怒鳴られたことは一度だってなかった。
「【Rabbit】と同じだよ。お前らは優しい」
思わず、息を飲んだ。
「……お前が敵を斬る時の顔を、俺はいつも見てたよ。自覚はないだろうけどな、今と同じような表情をしてたぞ」
「え?」
「【ORPHEUS】はただのゲームだ。だが、プレイヤーにとってはあまりにもリアルだ。上手いやつほどPCと深く同化してしまう。別に死ぬわけじゃないって分かってるのに、斬った相手が消える瞬間を嫌うプレイヤーは多い。それがモンスターだろうと、な。……お前もそうだ」
(そんなことない。俺は、平気だ)
「だからNPCなんて言い出すんだ。そんなわけないって、分かってるのに無理やり納得しようとしてる。自分のしていることが何でもないことだって、思い込もうとしてるんだ」
「違います。俺は、本当に大丈夫です」
「いいや。大丈夫じゃない。お前は、ちゃんと分かってる。……お前が斬った相手がどんな顔をして死んでいったか、ちゃんと覚えてるだろ」
背筋が凍った。
銃弾を受けて痛みに歪んだ顔。
俺の刀が肩に食い込んで驚いた顔。
首を斬られて一瞬で消えていった顔。
見ないようにしていた。記憶に残さないようにしていた。それなのに。
一瞬にして、俺が殺した敵の顔が──そもそも、それが間違っている。敵なんかじゃない。本当は俺が救うべき人々だ。その顔が、一つ一つ脳裏に浮かぶ。
徴兵されて、無理やり戦わされている人たちだ。【筐体】の真実を知らないのだろう。だから、あんなにも緩く戦っていた。死んだところで、ゲームだから何度でもやり直せる。そう思ってプレイしている、そういう動きだった。だから攻撃は単調で、俺達よりも弱いのは当たり前だ。
(もう現実で人を殺したから。だから大丈夫だって思ったのに)
そんなことはなかった。俺は、俺というものを何一つ分かっていなかった。
俺は何も言えなくなって、カタカタと肩を震わせた。
「お前らが特別優しいってことじゃない。お前も【Rabbit】も、普通の高校生なんだよ。だから、こんなリアルな殺し合いに、耐えられるはずがないんだ。……そのうち、【ORPHEUS】も辞めるだろうと思ってたんだ。気付いてたのに、止めてやれなくて悪かった」
【RED】が頭を下げた。
「お前は置いていく。リーダーとしての決定だ。いいな?」
最後の問いは、【エウリュディケ】に向けられたものだ。
「いいわ」
【エウリュディケ】が即座に頷いた。
「ヒーラーは私が兼ねる。補助魔法も一通りは使えるから」
「よし」
その頃には、【リボンナイト】はポーチから取り出した弓を確認していた。
『では、ジョブチェンジします。装備はどうしますか?』
「適当に良さそうなのを着けてくれ」
『了解』
吉澤も【RED】も淡々と準備を進めている。納得できていないのは、俺だけだ。
「俺も行きます!」
思わず叫んだが、その声は震えていた。情けない声だった。
「駄目だ」
「【RED】さん!」
俺の両肩を、【RED】が痛いほどの力で掴んだ。
「ここで待ってろ。俺たちが、必ず解除コードを手に入れる」
──パシッ!
乾いた音がして振り返ると、【エウリュディケ】がすぐ後ろにいた。
「ごめんね、【蘭丸】くん」
違和感を覚えて見下ろすと、俺の足に抗束帯が巻かれていた。すぐに薄紫色に光りだして、全身が動かなくなる。どっと音を立てて、その場に倒れ込んだ。
「ごめんね」
【エウリュディケ】が繰り返した。下から見上げると、彼女の顔がよく見えた。
チョコレート色の瞳から、ぽろりと涙がこぼれた──。