第16話 束の間の休息
「無事で良かった」
俺が言うと、【Rabbit】が何度も頷いた。
「なんで、【蘭丸】が?」
撃ちながら尋ねたのは【RED】だ。
「もちろん、助けに来たんだよ」
「来れるならもっと早く来てよ! 遅いよ!」
【リボンナイト】も銃を撃ちながら俺に文句を言う。
「すみません」
言いながらも、素早く三人に『端子』を渡す。その頃には、【Rabbit】も落ち着きを取り戻していた。涙を拭きながら、銃撃に戻る。
そして最後の一人にも。
「ありがとう」
「おう」
「……驚かないのね」
「ああ。高野に聞いた」
端子を渡すと、栄藤がほっと息を吐いた。
『【蘭丸】さん、通信回線回復しました!』
吉澤の声に、俺も息を吐く。
『いったん退いて、体制を立て直しましょう。【エウリュディケ】は後方警戒。【蘭丸】さんを先頭に走ってください。安全な場所までナビします』
「了解」
5人分の声が重なった。
5人で駆け込んだのは、緑色の光で囲まれた空間だった。
「これは?」
『セーフポイントです。こちらのハッキングで構築しました。30分は維持できます』
「ありがたい」
【RED】が、その場に座り込んだ。身体的な疲労を感じるはずはないが、かなり疲弊しているらしい。
「何があったんですか?」
「私が説明するわ。3人はとにかく休んで。身体は疲れなくても、集中力はそうもいかないでしょ」
「そうさせてもらうわ」
【リボンナイト】もその場に横になった。そうとう大変な目にあったらしい。
「【Rabbit】は休まなくてもいいのか?」
「私は大丈夫」
【Rabbit】は俺の隣で、ピタリと俺にくっついて座っている。
「でも」
「じゃあ、【蘭丸】くんが膝枕してくれたら休む」
「ぶふっ!」
【RED】と【リボンナイト】が吹き出したようだが、そっちは放置しておく。突っ込んでもいいことは何もない。間違いなく、やぶ蛇だ。
「なに言ってんだよ!」
思わず赤くなって叫んだ俺の顔を覗き込む【Rabbit】。今にも涙がこぼれそうなほど目が潤んでいる。
(くっそ。どうして【ORPHEUS】の開発者は、こういう無駄なとこをこんなにリアルに作ったんだよ!)
戻ったら文句を言おうと、俺は決意した。
「……わかったよ」
「わあ! 幼稚園以来だね」
嬉しそうに笑いながら、【Rabbit】がもぞもぞと俺の膝に頭を置いて横になった。
「嬉しい」
本当に嬉しそうだ。悪い気はしないが、周囲からの視線が痛いので、これっきりにしてもらおうと思う。
「……仲いいのね」
言ったのは【エウリュディケ】だ。
「まあ」
「そういえば、言ってたわね。二人だけの秘密があるって」
「ああ、あれは……」
「いっぱいあるもん!」
【Rabbit】が口を挟んだ。
「【蘭丸】くんは、私のブラジャーのサイズを知ってる」
「おい!」
思わず抗議の声を上げた。
(まるで、俺が変態みたいじゃないか!)
「たまたまだろ! たまたま、俺の部屋のベランダに、お前の洗濯物が入り込んだだけだろ!」
「でも、サイズ見たでしょ」
「……見てない」
「何よ、今の間は」
「……見てないってば」
ぎゅうっと顔を顰めた俺に、【Rabbit】はクスクスと笑った。俺をからかって楽しんでいるのだ。
「それに、結婚の約束もした」
「え」
心当たりが全く無い。思わず声を出したが、これは良くなかった。
「したよ!」
お怒りの声が上がる。【RED】と【リボンナイト】も非難めいた視線を寄越すものだから最悪だ。
「そうだっけ?」
「忘れちゃったの?」
寂しそうな声。だが、覚えていないものは仕方がない。
「ひどい……」
「ごめん」
「ふふふ、いいよ。子どもの頃のおままごとの延長だよ。でも、他にも二人だけの秘密が、いっぱい、ある、よ」
言いながら、【Rabbit】の声がだんだん小さくなっていった。
「【Rabbit】? おい、宇佐川?」
慌てて呼んでみるが、反応はない。
「大丈夫よ」
【エウリュディケ】が言った。
「睡眠モード。脳を休ませるための【筐体】の機能よ」
確かに、【Rabbit】はすうすうと寝息を立てながら眠っているように見える。
「あっちの二人も」
【RED】と【リボンナイト】の方をうかがってみれば、【Rabbit】と同じように寝息が聞こえてきた。
「身体は完璧にケアされても、脳の方はずっと使いっぱなしじゃね。睡眠なしでも問題はないけど、パフォーマンスが落ちるから」
「なるほど」
「15分で起こしましょう」
「わかった」
【エウリュディケ】も、俺の隣に座って息をついた。
「【エウリュディケ】は、休まなくてもいいのか?」
「私は大丈夫よ」
「そっか。……それで、何があったんだ?」
俺が尋ねると、【エウリュディケ】はシステムウィンドウを開いた。マップだ。
「ここで待ち伏せされたわ」
彼女が指差した地点には、赤色のマーカー。
「ここって、メインシステムへの接続点?」
「そうよ。数百名の兵士が待ち構えていた」
『こちらとの回線を遮断する手段も、あらかじめ準備されていたということですね?』
吉澤の問いに、【エウリュディケ】が頷く。
「通信回線を切られてしまったら、もう手も足も出ない。私達だけが接続点に着いたところで、意味がないもの」
『こちらのエンジニアと繋がっていて、はじめて意味のある作戦ですからね』
こちらでの役割は、あくまでも通り道を繋ぐことにあるということだ。それに、エンジニアと繋がっていればこうしてセーフポイントを構築してもらったりナビゲーションしてもらったりできる。それをなしで闇雲に戦うのは、たしかに無理がある。
「私達の動きは以前から警戒されていた。ハッキングして一番最初に狙うのはメインシステム。準備されて当然だったわ」
『少しばかり、敵を侮りましたね。対応できないように事を急いだんですが』
「しょうがないわ。【蘭丸】くんが来たってことは、元の作戦に戻すってことでいいのよね?」
「元の作戦?」
首をかしげる俺に、誰も何も応えてくれなかった。【エウリュディケ】も吉澤も黙ったまま。沈黙が落ちる。
『……そうです』
「問題ないわ。やりましょう」
『でも……』
「これ以上の問答は不要。覚悟ならできてる」
『わかりました』
【エウリュディケ】と吉澤だけで話が進んでいく。
(『元の作戦』ってなんだ? そんなに危険な作戦なのか?)
「なあ」
「ちゃんと説明するわよ」
「お、おう」
【エウリュディケ】が俺に向かい合った。
「改めて自己紹介するわ。私の名前は深本智美。栄藤友美は偽名なの」
「偽名? あれ、でも深本って……」
「そう。私は【ORPHEUS】運営会社の社長、つまり【オルフェウス】のボスの娘よ」
驚きにまた言葉を失った。彼女がテロリストの一員だとは聞いていたが、まさかボスの娘とは思わなかったのだ。今日は驚いてばかりだ。
「私はあなたと宇佐川さんを監視するために学校に潜入していたの」
「ああ、それは聞いた。……あのさ」
俺は、ここで一つの可能性に気付いた。
「なに?」
「つまり、俺達が今夜【筐体】でログインするってことを……」
「知ってたわ」
「知ってて、止めなかったのか?」
「その件は、すでに【リボンナイト】さんにこってり詰られたわ。勘弁してくれない?」
そう言って小首を傾げられては、これ以上は何も言えない。
「許してもらえたのか?」
「そうじゃないと思う。自分たちが生き残るために、私達の勝手に付き合ってくれてるだけよ」
少しばかり投げやりに言った【エウリュディケ】だった。否定はできない。この3人だって、解除コードを手に入れなければ【筐体】から出られないのだ。
「……卑怯だと思ってる?」
「思わない」
即座に断言した俺に、【エウリュディケ】が目を見開く。
「『だからこそ、その犠牲に対して誠実でなければならない』だろ?」
「……そうね」
【エウリュディケ】が苦笑いを浮かべた。
「それで? 作戦っていうのは?」
こんな話を延々と続けている時間的余裕はない。
(解除コードを手に入れたら帰れる。そしたら、ゆっくり話ができる)
これまでの事を話すのも、俺の気持ちを伝えるのも、それからでも遅くはない。そう思った。
【エウリュディケ】も、きゅっと表情を引き締めた。