俺の彼女は
俺の彼女は死刑囚 後日談
路上ですれ違ったそれを、俺は運命と呼ぶ。
最愛の人との再会を、俺は因果と呼ぶ。
この世界に偶然は無い。全ては神様のみぞ知る因果。
ああ、レコードも開けない俺は気付くのが実に遅れてしまった。全ては『七凪雫』の掌にあるという訳だ。俺と雫を巡り合わせたのは、俺に全てを譲渡する直前に仕込んだのかもしれない。それは決して偶然などではなく、娘二人の今後を案じる母親の愛と、俺に対する責任転嫁とも言える。
責任転嫁。
あまり良い言葉ではないが、文字通りに分解してみよう。
嫁が、転がってくる。
雫が家に転がってきた!
「あーあ~。もう思い残す事はない。君と何でもないこの世界で一緒になれるなんて……夢みたいだ」
「夢じゃありません。雫、これが現実です。好きです」
「私も」
「ふっはは」
「フフフ……♪」
何とも言わず、唇を重ねる。
「初めまして。好きです」
「初めまして。愛してます」
唇を重ねて、ベッドの上を転がった。かつてはこんな事をしている暇も無かった。底知れぬ死刑囚の虜になるのを恐れて、目の前の謎だけに注力していたのだ。もうそれは必要ない。俺達は思う存分に愛せるし、口づけあえる。互いが互いを愛したまま、狂って壊れてしまうだろう。
「……凄く、柔らかいです。雫」
「ん? セクハラ? でも私は許すよぉ。私以外に同じ事を言ったら許さないけど♡」
「殺しますか? 元死刑囚として」
「うん、殺す。とっくに分かってるとは思うけど、私は私のままだ。君を思い出した時に、そうならざるを得なかったと言ってもいい。だから―――」
「言わないで下さい」
殺人中毒は、完治していない。
それは、そうだ。彼女の精神的な傷を完治させたかったら、俺は恋を諦めるべきだった。何もかもすっぱり消してしまって、親友との縁を残したまま、全部全部リセットすれば良かった。それを俺は、あの記憶を夢にしたくないが為に止めた。
綺麗な彼女を愛したいなら『響』と呼べばいい。それでも『雫』と呼ぶのは俺なりの愛だ。向坂柳馬は死刑囚としての彼女と出会った。好きになってしまった。愛してしまった。ならば呼び方は変えまいと。最初から心に誓っていたのだ。
「貴方のそれが治ってないのは知ってます。そして、その上で言います。俺以外、殺さないで下さい」
「……どうして?」
「どうせ殺されるなら、好きな人に殺されたい。俺はそう思います。痛くても苦しくても構わない。死ぬ時まで俺は、貴方を愛し続けましょう」
雫に、抱きしめられた。
大きな乳房に顔を埋められ、背中を優しく撫でまわされる。この体温が、今は懐かしくて、愛おしくて……単純に興奮する。最低と言われても構わない。俺達の愛は歪だ。元から狂っていたんだ。だからこそ最後に俺は全ての罪を背負った。
全ては七凪雫の為に。
「以前にした話覚えてる? 私、感じやすいから声が大きいかもって」
「……流石に襲いませんよ。下にリンも居ますし」
「じゃあ夜のお楽しみって事でッ」
「よっしゃい!」
もう一度、唇を重ねる。
「愛してます。雫」
「愛してるよ、柳」
「…………あのー。聞いてるこちらの身にもなってもらえると、助かるんだけど」
俺と雫のイチャイチャに耐えかねたのか、部屋の中に霖子が踏み込んできた。彼女には記憶が戻っていないので、あちらから見れば『今まで一緒に育ってきた妹が初めて出会った男の人を最愛の人と呼び、知る筈のない家に転がり込んでいちゃついている』という、中々にヤバい状況だ。そこで動揺せず家にまでついてくるのは流石リンと呼ぶべきか。
「お姉ちゃん。入ってくるならノックくらいしてよ」
「アンタの家か! ねえちょっと……向坂さん? でしたっけ。雫とは……一体どういう関係ですか?」
「恋人です。将来を誓い合った仲でもあります」
「―――! もういい。下に降りてるから!」
惚気にあてられた俺達にまともな会話は望めないと判断したのか、霖子はぷんすかと怒りながら降りて行ってしまった。『凛原薬子』だった頃の異常性は鳴りを潜め、生来の苛烈さがマイルドになって出ている。人を殺した前と後とでここまで性格が違うと、俺の求めた結末は決して最善ではなかったと思う。
「私は、良かったと思ってるよ」
「心読まないで下さい。え、そういう能力がデフォで?」
「そういう顔してるから。確かに人を殺したくて仕方ない時はある。抑えも効かない。どうにか別の感情で代替しないと日常生活もままならないくらい辛いよ。でも、いいんだ。君が目の前に居てくれる。夢と忘れてお互いに真っ当な人間に更生するチャンスだったのに、一緒に罪人で居てくれた。それだけで……私は」
雫が啜り泣いたのを見て、今度は俺が彼女を抱きしめる。胸に顔を埋めさせて、身体がバラバラになりそうなくらい強く抱きしめる。
「…………私も、殺されるなら君がいい」
「じゃあ死ぬ時はお互いを殺すって事で」
俺は罪に触れすぎた。
天玖村の罪を、七凪雫の罪を、凛原薬子の罪を、櫻葉綾子の罪を、天埼鳳介の罪を、向坂柳馬の罪を。
全てを受け入れた結果、俺も少しおかしくなってしまったのか。でも構わない。死んでもおかしくなかった愛の逃避行だ。寿命を全うして大往生など望むべくもない。
「……ここでイチャイチャしててもいいけど、あんまり籠ってるとお姉ちゃんがまた抗議しにくるから。タンデムでもしない?」
「タンデム? 何ですかそれ」
「バイクの二人乗り。私とお姉ちゃんは幼馴染で同年齢って話を忘れた? 二十八歳だから、全然運転できるよ」
そういえばそうだった。雫は十年を跨いでこちらに来ただけでその事実を消せばかつての霖子同様十年を過ごした事になる。成人しているかどうかという線引きの手前にすらいない。立派な二十代だ。年齢における守備範囲の狭い奴は二十代後半はおばさんとも言うが、彼女をおばさんと呼んでしまうと世の女性はほぼそうなってしまう。
「それいいですねっ。でもその前に提出しなきゃいけない物があるので、ちょっと行かせてもらいます。」
「ん? いいけど、何処に?」
「九龍相談事務所です。これを、ちょっとね」
「やあやあ。お疲れ様。これが君の小説か」
「俺の親友の小説です。残念ながら俺に文才はありませんよ」
九龍才火。相談事務所を経営する所長であり、彼との出会いが七凪雫の謎を追うきっかけ……というよりも、深部に迫る事が出来た。完璧で健全な結末を迎えるつもりなら彼等との縁も切らなければいけなくかったが、それを選ばなかったお蔭でこうして今も関係は続いている。因みに『消えた恋人を捜索する目的』で依頼した事になっているらしい。
仰る通りで。
「うん、ありがとう。まだ読んだ事はないが、さぞ面白いんだろう」
「うーん。絶対面白いとは言いかねますね。実体験を元にはしてますけど、実体験だろうが何だろうが嘘くさいと言い出す人はいる訳で」
「実体験が面白いとも限らないよ。僕みたいにつまらない人生を送る人もいるから」
「その顔で良く言えますね」
「ははは。不審者だって? まあそうだね。では有難く読ませてもらうよ。依頼が来ない間は暇でね。君達の冒険の軌跡を辿らせてもらおう」
十一冊分。バザーで売られなかった物も含めて全部を所長へ。要らないものを捨てる訳ではない。飽くまで対等な友人として貸しているだけ。どうせ、高校を卒業したらまた冒険するつもりなのだ。過去の思い出くらい引き取ってもらっても構いはしない。
「サキサカ」
所長が一巻を手に取った所で雪奈さんが背後から袖をクイクイと引っ張ってきた。その奥では緋花さんが将棋盤を前に目を瞑っている。
「え? どうした?」
「助けて」
「いつから俺に将棋が強い風潮があったんだ。まあでも、見せてやるか! 俺の隠された腕前って奴を!」
―――五分後。
調子に乗ってたら何か負けた。
「私の勝利です」
「なんか緋花さん強くないですか? え、最近の女性は将棋が嗜みなんです?」
「いえ。一人遊びとしてうつ時間が長かっただけでございます。時に向坂様。貴方様のご活躍を記した書籍、私が読んでも宜しいでしょうか」
「よろしいも何も、そんな高尚な本じゃないですよ。でも何でそんな?」
「外の世界に、興味がございます。私はかつて、名もなき神社で生涯を強いられた身ですので」
…………もしかして。
この相談事務所は訳ありの人間だけが集ったのだろうか。護堂さんは代理らしいから違うとして、檜木さんも? 中々どうして反則染みた手を『限』の時に伝えてきたなあとは思っていたが、やはりそうなのか。となると所長も?
ダメ元で緋花さんに尋ねてみると、案の定、人差し指を立てられた。追い討ちの様に無声音で、
「知らない方が良い事もあります」
とも告げられた。それはそうだ。潔く引き下がろうとした所、「センパイの事なら教えてもいい」と雪奈さんが呟いた。緋花さんもそっちの方はと言わんばかりに頷いている。
「え、もしかしてあの人、人望ないの?」
「違う。どうせ誰も、信じない」
「私もにわかには。ですが檜木様は全く気になさっておらず『当然だな』と言うばかりで」
「―――せっかくだから聞こうかな」
「神様が見える」
…………あの出来事を経て大抵のトンデモには動じなくなった俺も、その発言は冗談かと思った。同じ反応だ、と二人が笑う。いやいやいや、それは信じられない。あり得ない。神様なんて居るものか。
「後、妖怪も見えるんだっけ」
はい冗談。
「本当にそう思いますか?」
「しれっと心を読まないで下さい。いやだって、冗談でしょ。子供でももう少しまともな嘘吐きますよ。絶対過去を詮索されるのが嫌で適当にあしらったんでしょ」
笑い処……ではないらしい。二人共、思う所があるようだ。実を言えば俺もそうだが、それとこれとは話が別だろう。
俺が気になっているのはレコードが現代から失せた事による修正の回避についてだ。俺は雫の力が残っていたから影響を受けなかったが、ここにいない先輩達も含めて檜木さんに何処かへ連れていかれて、回避した。
アカシックレコードは別名神の脳みそ。飽くまでその別名が言葉通りならという仮定だが、脳みその影響を受けるなら神そのものに頼ってしまえばいい……みたいな。流石にないか。
「―――んじゃ、そろそろ失礼します。元々本渡しに来ただけなので。あ、感想は俺じゃなくて鳳介に。喜ぶと思いますよ」
「ん。じゃあね。今度遊びに行く」
しれっと約束を取り付けられてしまった。
外に出ると、事務所の前で雫が待っていた。
「拘束衣じゃないんですね」
「何か悪い事、したっけ?」
「俺の心を盗んだ罪」
「寒いね~。じゃあこれ被って」
渾身のジョークを軽く流された事にショックを覚えつつ、ヘルメットを被る。あの引き籠り死刑囚の雫がバイクを運転するなんて新鮮な気分だ。装着している間、タンデムの注意点を幾つか聞いた。怪異よりも怖い。
「密着出来ないのが意外ですね」
「事故って二人共お陀仏ッ」
「じゃあやめときます。夜のお楽しみに」
「それは……お姉ちゃんが許すかな。まあ、夜の事は夜考えれば良い。ほら、乗って」
グローブも付けて、最低限の準備は万端だ。ステップに足をかけて彼女の腰に捕まる。
「さあ何処へ行こうか」
「何処までも付き合いますよ」
「―――こんな逃避行も、ありだったかもね」
バイクが唸りをあげる。確かに逃避行と言えばこういうイメージだ。何処までも遠くへ、何処までも高く、何処までも一緒に。
「君を信じて、良かった」