母親の思い出
母親はいつも明るく人当たりもよくいつも楽しそうでした。わざわざ車で1時間かけて孫の運動会を見に来てくれたり、遊びに行くと必ずお小遣いを用意していてくれたり、子供達も大好きなおばあちゃんでした。
母親は私が小さい頃は叔母の喫茶店の手伝いをしたり、近所のお弁当屋さんでパートをしたり、元気で明るく誰とでも仲良くなれるタイプの人。
よく私が公園で木登りをしたり、かくれんぼ、おにごっこをして遊んで家に帰ると、タオルを持った母親に外に立たされ滅多打ちにあうことがしばしば。
母曰く「汚い服で家に上がるな」まあ、ごもっともな話です。
しかし、当時は痛いし恥ずかしいしで嫌いでした。今なら軽く虐待ですけどね。いい思い出です。
高校生くらいになると体を壊しがちになって、私が高3の冬にくも膜下出血で倒れました。
処置が早かったおかげで元気に退院しましたが、その後は毎日病院に行って点滴をすることが日課になりました。
私は高校卒業後、正社員の仕事が長続きせず、一ヶ月足らずで辞めて本屋でアルバイトを始めました。
もの凄く親切な職場だったので、仕事の途中でも母親の病院の送迎をさせてもらえてとても助かりました。
私が結婚することになって、本屋を辞めるまでの約8年間そんな生活が毎日でした。
母親は3年前に誤嚥性肺炎で他界しました。まだまだ若かった、まだまだ長生きできた、どこでどう間違えてしまったのか。
私はかばんだけよく欲しくなって買います。母親もかばんが好きだったので、そんな時はこんなの好きだろうなとよく思います。
歳をとって自分でも母親に似てきたなと思うことがよくあります。
父親や兄は夢で見ることがあるそうですが、私は一度もない。
何故だろうと考えた末の結論、私は鏡の中で会っているからなのかなと。
3年前のお正月、元気な姿を見ていたのに、2月に入院、3月長男の誕生日の翌日に他界。あっという間でした。少しでも親孝行出来たのかな。