265:ポートレート・リリール
「あれはかつて宗教儀式に使われた刺激以上の刺激が日常に溢れてしまった結果だ! そうだろう! だから、俺のせいじゃない! おかしいのは世界だ!」
階段の底から聞こえてきた、叫び声。はっきりと聞こえたのは、発音がいいからだろうか。
「おかげで私は悪役だ! まったく、トランプにしろチェスにしろどうしてこうも、女王のイメージは悪いんだ! 彼女たちだって、元は愛らしい少女じゃないか!」
次に聞こえた声は、なんだかキーキーしてた。金切り声って、こういう声なのかな?
「一時間後に迎えに来る、それまでここで撮影していなさい。ああ、檻には近づかないように。掴まれたら危険だ」
「は……はい」
左右は、誰も入っていない牢屋、牢屋、牢屋。声はずっと奥から聞こえてくる。(近づけば近づくほど、何を言っているかわからなくなる……のは、なんで?)
「あ……」
カビと汗と、もっと嫌ななにかが混ざった臭いがする長い廊下を進むと、誰かが中にいる牢屋がちらほら現れ始めた。でも、叫んでいる人はまだいない。というか……なんで進んじゃったんだろ私。じっとしてたほうが良い雰囲気すっごいのに……。わけのわからないこと叫んでる人の顔でも、見たいのかな? あ、違うか。リリールだね……。リリールを探さないといけないんだよね? 私、ここで。うう、牢屋の中、ちゃんと見ていかないと……いけないのか……。リリールが寝てたら……見落としちゃったら……いけないし。
「…………」
たまたま目についた、膝を抱えてうずくまる人。他の人はじっと私の方を見ているのに……この人だけ。そして、なぜかこの人を撮影しなければいけない気がして、私はカメラを構える。
「なに勝手に撮ってやがんだ!」
「うわっ! ご、ごめんなさいっ!」
と、飛びかかってきた! はぁ、牢屋があって良かった。鉄格子って、意味あるんだね。
「あれ?」
私が怒られたせいか、急にあたりが静かになった。そのせいで聞こえた、女の子のすすり泣く声。
「り、リリール!」
間違いない、この声は……。
「ソドム! ソドムなの! 助けて! 助けてぇ!」
応えた。やっぱり、リリールだ。
「リリール! どこ! どこにいるの!」
奥へと、奥へと。(じっと私を見ている牢屋の中の瞳達は、見ているだけなのか、睨んでいるのか。)
「リ……」
「ソドム! 助けてぇ! 私を助けて! 出してよここから!」
一番奥の突き当りの牢屋の中、リリールがいた。
「ねぇ、ソドム! 私をここから出して! ねぇ、ねぇってば!」
「ちょっと、落ち着いてリリール!」
だめだよ、そんなに鉄格子に頭をぶつけたら。ああ、隙間に顔突っ込んだらダメ! 絶対通れないから!
「あなたが同じ立場だったら落ち着いていられるの! ねぇ! 私がなにしたって言うの! ねぇ! なんであなたは自由なの! カメラなんかもっちゃって! ねぇ! 助けれるんでしょ! ねぇ!」
リリールの体……すごい傷だらけ。でもあれ、つけられた傷じゃない、全部自分からぶつけたような……うわっ、拳もぐちゃぐちゃだ……。うん、ぐちゃぐちゃだから、触ったら痛いよね? だから私は、手が届かない位置まで下がったんだよね?
「こっち来てよソドム……私達、私達、友達でしょ?」
「う、うん」
私が一瞬引きつったのが、いけなかったんだと思う。
「がああああああああ! がああああ! があああああああああああああ!」
「り、リリール……」
狂ったようにあちこち殴りだしたリリール。
「はははは!」
「はははは! あははは!」
「あはははは!」
「いひひひひひ!」
そして、背後から聞こえたたくさんの笑い声と、手拍子。
「あはははは! あははは!」
「があああああ! あああああああああ! ぐああ! うごあああおおおおおおお!」
「あはははは! あははは! うひひひひっ!」
タンタンタン、タンタンタン。きれいに整ったリズムを打っているのは……何人? うう、なにこれ……まるで悪夢だよ。
「おい、君こっちにきなさい!」
「ふえっ!」
いきなり手を掴まれて、私の体が硬直する。
「へ、兵隊さん?」
「敵襲だ、こんなところにいたら――」
「あの……」
逃げるなら、リリールも。その言葉は見事に詰まった。でも――――。
「こんなところにいたら、写真が撮れないだろう! 大物が来たんだ、さあ行きなさい! 部屋に戻って望遠レンズをとって!」
罪悪感に浸っている余裕など、全くありませんでした。




