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グータレ・ヌーボー  作者: 地輿
9/10

第8話 ― 彼女と密室と本性と

「…で、あるからして、高さ10mから3kgの物体を落としてみると、mgh(質量・重力加速度・高さ)=3,000×9.8×10=294ジュールになる訳で」


 眠い。非常に。昼前だというのに。学校卒業してどの場で力学的エネルギーの内容を使うと言うんだ一体。こんなことを授業でするぐらいならヒヤシンスをペットボトルで水栽培した方が100倍はマシだな。癒し効果も考えて。


「ふわぁあ~…」


 どうにも治まる気配のない眠気に俺は身を委ねることにしよう。


「久慈川ー、久慈川ー?」


 昼飯を食べ終えて、快適な昼寝ライフを送っている最中、どこの誰とも知らない奴に名前を呼ばれ、その声で俺は重い頭を持ち上げた。


「んー…?」


 眠りを邪魔され、開ききっていない目で声の主を捜す。


 ん、あいつか。教室の入り口で俺を見ながら手を振る男子を発見した。クラスメイトらしいが未だに名前は知らない。

 俺は耳を差し出し、そこに手を当てて要件を言えという素振りを見せた。


「久慈川ー!」


 …どうも聞こえていないと捉えられたらしい。無言で相手に伝わると思ったのが間違いだったか。ってか、そっちに顔を向けた時点で聞こえてること分かるだろ。ため息と同時に小さく唸りながら俺は机を支えにしながら椅子から立ち上がる。


「あ、悪い。用件言い忘れてた、和泉嬢だぞー」


 俺はそのままゆっくり、かつスムーズに腰を下ろして腕の中に顔をうずめた。


「おい、久慈川ー」


 俺の名前を連呼するんじゃない。一度呼ばれりゃ分かる。


「ちょっと待ってね和泉嬢、あっ!ちょ、ちょっとちょっと!」


 すると、急にクラスメイトの焦った声とズカズカと教室内を突き進んでくる足音。それは俺の机の前でくるとピタリと止んだ。代わりに聞こえてくるのは教室内の一層大きくなった雑音だ。


「真琴さんっ」


 えらく近い場所から聞こえてきたもんだ。誰とは言わないが。

 俺がゆっくりと顔を起こすと、俺の机の端に掛けた指先の上に顎を乗せた和泉さんが頬を膨らませながらこっちを見ていた。予想以上に近いな、おい。


「やぁ…」

「酷いです、我慢して廊下で待ってるっていうのに」


 あぁ、学年関係なくどの教室にも上がりこみそうだもんな、この子の場合。ここまで来られたら仕方ない。俺は体を起こして小さく体を伸ばした。それに伴い、腰を下ろしていた和泉さんも立ち上がる。


「今日はどうしたの…?」

「元気がないですね、真琴さん低血圧?」

「…そんなこと訊きにわざわざ来たのか?」

「まさか、訊いてみただけ」


 和泉さんはそう言うと俺の机の上に飛び乗り、その上で足を組むとスカートとニーハイソックスの間から僅かに見える彼女の生足が眼前に広がった。何だこれ。

 一般の男子であれば見られるであろう反応を表すかのように、周囲にいた男連中の「おおっ!」という声がそこかしこで湧き上がる。煩悩丸出しか。その声に和泉さんが周りをキッと睨みつけると、男連中は慌てる様に顔を次々と背けだした。


「和泉さん、分かっててやってる?」

「何がです?」


 無意識だそうだ、タチの悪い。俺は小さく欠伸をしてから目に溜まった涙を拭うと椅子に浅めに座り直し、背凭れに枝垂れかかりながら改めて和泉さんに用件を訊いた。


「で、今日は何さ」

「特に用はありません。真琴さんの顔が見たかっただけ」

「不本意だけど生徒証のコピーやるよ、そうすりゃわざわざここ来る必要なくなるでしょ」


 そんな理由の為だけに昼寝の時間を邪魔されてはたまったもんじゃない。生徒証のコピーで済むなら被害としては最小限の方だろう。


「同じ学園にいるんだからそんなことしなくても」


 最大級の譲歩案に対し、小さくプクッと膨れた和泉さんに俺は返す。


「それを言うなら、同じ学園にいるんだからそんなことしなくてもいいでしょが」

「理屈の話じゃないんですっ」

「そうか、なら俺には難しい話だな」

「もう、本当は解ってるくせに」


 和泉さんは呆れたような、それでいて可笑しそうに小さく笑う。


「それはともかく、真琴さんの生徒証のコピー貰っていいんですか?」

「いい訳ないだろ」


 やってたまるか、拒否しておきながら。


「く、久慈川ー…」


 すると、横から恐る恐るとクラスメイトが声を掛けてきた。正確には和泉さんの顔色を窺いながら、か。

 そして当の和泉さんはというと、さほど不機嫌という訳でもなさそうだ。話が一旦落ち着いたからだろう。


「何だ?」

「ほ、ほらこの後の授業、移動教室だけど久慈川も当番だろ?それで…」


 チラチラと和泉さんの顔色を窺うクラスメイト。怯えすぎだろ、仮にも後輩だぞ。それはそうと思い出した。今日の5限の授業に必要な道具を資料室に取りに行くんだった。クラスメイトは今回の当番に俺と一緒に当たった奴らしい。眠いが、それを理由に他の奴に迷惑を掛けるつもりはない、動くか。


「そっか、そうだったな。場所どこだっけ」

「3階の突き当たりの部屋」

「んー、そろそろ動くか。和泉さん、お喋りの時間はここまでで──」



「貴方、私と代わりなさい」

「えっ?」

「聞こえなかった?私が貴方の代わりに行ってあげるって言ってるの」


 あぁ、何だ。何を言いだすのかと思えば…


 ………。


 何を言いだすんだ!?


「えっ、でも…」


 急にそんなことを言われて困惑しているのか、クラスメイトは和泉さんと俺の顔に交互に目を移す。そりゃそうだろ、そもそも和泉さん1年生だから。俺のクラスの次の授業には何の関係も無いから。


「いいから、鍵を出して」


 そんなこと気にもしていない様子の和泉さんは返事させる暇すら与えず片手を差し出し、指をクイクイと曲げて鍵を催促する。どうやら冗談とか、からかってるという訳ではなく本気みたいだ。


「え、じゃ、じゃぁ…」


 完全に和泉さんの気迫に負けたクラスメイトはおずおずとポケットから資料室の鍵を取り出すと和泉さんの掌の上に置き、俺に一言よろしくと言い残すと脇に抱えていたノート類を持ち直して教室から出て行った。


「さっ、真琴さん。行きましょ」


「………。」


 今の世の中、行動力がある人間が重宝されるというのはよく聞く話だ。だが、和泉さんに関してはそのベクトルが完全に別の方向へと突き進んでいる。俺にどう納得しろというんだ一体。急に頭が痛くなってきた。


「ほら、真琴さん。早くして下さい、遅刻しますよ」

「ちょっと待ってくれる…」


 頭から手を離して顔をあげると、クラスメイトが続々と移動教室のために部屋から出て行こうとしていた。


「無駄みたい…」

「何がですか?」

「何でも…」


 この状況を何とかしたかったが、どうも俺の味方になってくれそうなのはいないようだ。それもそうだな、俺だって名前知らないし。こういう時に限って辰巳は来ないんだな、あの役立たずめ。辰巳への八つ当たりが済んだところで、これ以上足掻いても無駄なのを再確認した俺は机の中からノート類を取り出して立ち上がった。


「行こうか」

「はいっ」


 和泉さんが隣に並んだ状態で廊下を歩く。

 彼女の人気は学園全体の雰囲気が一段落した中でも衰えていない様子で、男女問わずにすれ違う生徒が和泉さんを目で追う。正直なところ、学園内で彼女と並んで歩くというのは自殺行為に等しい。俺みたいにひっそりと水面下で生きているような人間にすれば。


「ところで、何の授業に必要なんですか?その資料って」

「んー?あぁ、理科。地球の地殻変動の様子をビジュアルで見るんだと。物がどんなのかは俺も知らないけど」


 今日は新要素の部分のため昼一の授業だというのに眠れない。だから昼休みに不充分な休息をとろうと思った矢先の和泉さんと言う訳だ。まったくもって迷惑な話だ。


「真琴さんって授業中でも寝ているの?」

「心外だね、そういう風に見える?」

「いえ、そういう訳じゃ…、ごめんな──」


「ま、当たってるけど」


 和泉さんが謝ろうとしたのを俺は顔を彼女から逸らしながら遮った。


「………。」

「俺は別に何も言ってないし」


 ジト目で和泉さんに睨まれているだろう、そんな視線を感じながら俺はボソッと呟く。


「真琴さん、性格悪い」

「何を今更…、あいたっ」


 自嘲気味に笑うと、横から飛んできた和泉さんの肘が俺のわき腹に突き刺さる。顔を向ければ何故か和泉さんが不機嫌そうな顔をしていた。


「そういうことは自分で言うものじゃないです」

「そりゃ失礼…」


 わき腹をさすりながら俺は前に向き返った。階段を上がった先の廊下を左に曲がった突き当たり、そこが資料室だ。この階はこの資料室をはじめ、予備教室等の副教室が並び、人通りも基本的に少ない。だから何だという訳じゃないけど、今日に限っては首を傾げたくなるぐらい誰もいない。


『ガチャッ』


 開錠の音が廊下に小さく響く。廊下へ向けていた顔を元に戻すと、和泉さんが資料室の鍵を開けて既に部屋の中に入るところだった。俺もそれに続いて部屋に入る。

 教室の約3分の1程度、理科室や家庭科室の準備室とほぼ同じ大きさの部屋。左右に隙間無く設置された棚には見たこともない道具に図鑑や辞書の書物類。地図だろうか、ポスターのように丸められたアート紙が縦長のダンボールに刺さったりしている。ところどころ目視できるぐらいホコリかぶってるあたり、大して掃除はされてないようだ。それはともかく、さっきからスイッチ何回押しても電気つかないんだけど、どういうこと?


「真琴さん、カチカチうるさいです」


 俺も何をやってんだか、一回試せば分かることなのに。


「別に電気がつかなくてもいいでしょ、そこまで暗い訳じゃないのに」

「それもそうか」


 さっさと物だけ取れば和泉さんも帰るんだった、よく考えてみればそうだ。そうと分かれば早くことを済ませるか。

 俺は奥へと進みながら資料を探す。すると右側の棚の一番上、油性マジックで『理科 地殻模型』と書かれた小さなダンボールを見つけた。早速、棚に沿うように部屋を縦断する金属製のレールに掛けられた梯子を使って一段ずつ上っていく。5段ぐらい上ったところでダンボールに手が届く高さになったので、落ちないようにダンボールを掌に平行移動させ、バランスを保ちながらはしごから降りた。

 薄く積もったホコリを払い、ダンボールの中を確認すると、半球の更に断面図で作られた模型が入っていた。


「これか…」


 さて、カバンの中も机の中も探したけれど見つからなかった探し物があっさりと見つかったところで早々と立ち去るとしよう。




『ガチャッ』


 そうそう、鍵も忘れないように…掛けて…?

 まだ出てないのに?


 音のした扉の方へと顔をやると、和泉さんが部屋の内鍵に両手を当てているように、扉に背を向けた状態でこちらをじっと見ながら立っていた。


「何してんの…?」


 俺がそう訊ねると、彼女は口の端をニヤリと吊り上げ──


「やっと二人きりになれた」


 15歳の少女とは思えないぐらいの艶かしい声で、そう呟いた。


「…俺の記憶が正しけりゃ、君と二人になったことがあるのは初めてじゃない筈だけどね」

「よく思い出して真琴さん。ちゃんとした二人きりは初めてでしょ?」

「あぁそう。で?何をやってんの?」


 質問に対しての答えが得られていなかったので俺は皮肉も込めつつ改めて訊き直した。


「野暮なことは訊かないで、この状況が理解できない訳じゃないでしょう?」


 明らかな俺に対する挑発だった。まいったなぁと思いつつ、指で頭を掻く。


「もうすぐ授業始まるけど?」

「授業と真琴さんとの二人きりの時間、今の私にはどちらが大事かなんて訊かなくても判るでしょ?」

「あぁ、そう…」


 俺は不敵な笑みを浮かべてこっちへと近づこうとしている和泉さんを見据えながら立ち上がった。


「そうくる訳だ」

「え?」

「じきに授業で誰もいなくなるこの階、内側から鍵を掛けられてここは密室、おまけに防音設備がされてるそうだ」


 立ち上がった状態で、俺はネクタイに人差し指を通し、荒っぽく外した。


「これでも一応、男でね。そういう感情が無いってのは言い切れないんだ」


 外したネクタイを雑に投げ捨て、そのままブレザーにも手を掛けて脱ぎ捨てた。


「えっ、あのっ…」


 俺の突然の行動に面食らっているのか、彼女は戸惑ったような声を漏らす。

 だが、もう遅い──


「今まで表には出さないようにしてたんだけど。いいよ和泉さん、せっかく君の方から誘ってくれたんだ。ちゃんと付き合ってやるよ、最後まで、ね…」

「ま、真琴さん…?」


 俺が一歩近づけば和泉さんも何かに怯えるかのように一歩下がる。

 ただ、それも時間の問題だった。



『ドンッ』


「あっ…」


 和泉さんと扉との距離は1mにも満たなかったのだから。


「どうしたの、何で和泉さんが逃げるのさ」

「いやっ…」


 胸の前で手をキュッと握る和泉さんに俺は更に近づき、とうとう手の届く距離まで詰め寄った。


「真琴さん、私そんなつもりじゃ──」

「諦めろよ、もう逃げれやしねえよ」


 俺は彼女の声を自分の声で被せて遮り、迫るようにそう告げた。信じられないものを見るような表情、声を出せないのかパクパクと動く口。あぁ、こんな彼女を見るのは初めてだな。実に愉快だ。

 ゆっくりと腕を上げ、彼女へと手を伸ばした。





『ガチャッ』


『ガララッ』


『グルッ、ドンッ』


 彼女がギュッと目を瞑っていた間に、部屋の鍵を開けて扉をスライドさせると彼女の肩を持って体を半回転させ、部屋から押し出した。

 まったく、自分でやってて実に阿呆らしい。和泉さんを部屋から追い出すと、脱ぎ捨てたブレザーとネクタイを拾い上げた。軽く叩いてホコリを落としてから再び羽織り、床に置いたままだった模型と部屋の鍵を手にして俺も部屋から出て施錠する。

 当の和泉さんはというと、何が起こったのか分からない様子で立ちすくんでいた。


「和泉さん?」

「はっ、え、えっ!?」


 ようやく我に返ったか。


「冗談でもあんなことはしない方がいい。あんまり男を舐めてかかると痛い目に遭うよ、誰に限った話じゃないけどな」


 俺はダンボールの上にノート類を置いて、それを両手で持ち直した。


「もうすぐチャイムも鳴るし、和泉さんも早く教室に帰りなよ。そんじゃね」

「あっ、真琴さんっ!」

「ん?」


 和泉さんに呼び止められ、上半身だけ振り返る。すると和泉さんは、考えがまとまっていないのか、あの… その…と言葉を濁す。それを見て俺も体ごと向き返った。

 しばらく下を向いていた和泉さんがようやく顔を上にあげ、そして──


「つ、次は頑張りますから」


 顔を少し赤くしたまま胸の前で小さく両腕でガッツポーズをとった。


「………。」


 彼女のこのずれきった前向きな考えがどこから出てくるのか、俺には全くと言っていいほど理解できない。ただ…


「さっさと教室に帰れ」


 率直に思ったことと、一旦頭の中で考えたことが合致したのは初めての出来事だった。



幕間:『自殺行為の代償』


男子生徒A「(和泉嬢と並んで歩いてるだと?!久慈川滅びろ!)」

男子生徒B「(階段踏み外して頭から落ちろ…!)」

男子生徒C「(クソ!藁人形の効果ねーじゃねーか…!)」

真琴「(何か居心地悪いんだよな…)」

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