第7話 ― 久慈川家+αの団欒
穏やかな天気が続く、ここ数日。今日も全域が高気圧の通過中によって快晴の日曜日。
にも関わらず、俺は今なぜか追い詰められていた。
「さて、ここ数週間のアニキの動きを聞かせてもらおうか」
二週連続で和泉さんの相手をした結果、必然的に冬子がほったらかしになってたのでこうして詰め寄られている訳だが…
「黙秘権は…」
「あるとでも思ってんの?」
「ですよねー」
果たしてこの状況を乗り切れるのだろうか。その自信は皆無に等しいが。
「茶化すなよ。アニキが女と、しかも二週連続でつるんでるなんてどう考えたってあり得ないだろ」
えらく嫌われたものだ、妹は一体どんな目で兄を見ているのか。
ただ、冬子の言うことにも多少は頷ける。今の今まで冬子以外の誰かと外出なんかしたことがないからな。
が、腑に落ちないのは言葉とは裏腹に冬子の顔がニヤけていることだ。問い詰めて怒るつもりは毛頭無い、という意味か。
「妹、そんな顔して一体何を望む」
「やっとアニキにも春が来たかと思って。もう4月終わりだけど」
「冬子にしては酷い勘違いだな」
「ほー、カンに障る言い方するな。何が違うのかじっくり聞きてーな」
やれやれ、我が妹ながら面倒くさい性格に育ってくれたものだ。昔は違ったぞ、もっとこう、やんわりとしてた気がしたけど。
「誰にだって付き合いというものがあってだな」
「その付き合いが今までになかったから訊いてんだろ」
「ぐうの音も出ません」
どうも分が悪い。早々と白旗を振った方が賢明のようだ。
「さっさと吐けよ、カツ丼頼んでやろうか?」
「カツ丼か、いいな。冬子、今日のお昼ご飯カツ丼にしないか?」
「さらっと無駄話に変えてんじゃねぇよ、逃がさないからな」
おぉう…、胃が痛い…
キリキリと締め付ける音が聞こえてもおかしくない精神状態に陥りそうだ。
そんな様子の俺を見て、これ以上は話さないと見切りを付けたのか、冬子はやれやれといった様子で息をついた。
「あからさまな顔すんなよ。まぁいいや、いずれゆっくり聞かせろよ。そん時は絞り出してやる」
おー怖い怖い。雑巾のように捻られそうだ。
いずれ妹に拷問まがいの取調べを受けた時を想像して震えたところで、俺は財布を手にした。
「それじゃ買い物行くか」
「もうそんな時間?」
時間も11時過ぎ、こんなことしてなくても昼飯の準備を始める時間だ。
今日は久々に二人での買い物なんだけど… 献立より、どうやってはぐらかすかの方に頭を悩ます羽目になりそうだ。
ありのままに言ったところで、冬子は納得しないまま『もっと何かあるだろ』ってな感じの勢いで迫ってくるんだから堪ったもんじゃない。無いものは無いんだ、分かってほしいね。
「それじゃ行くぞー」
「あぁ」
自転車の荷台に横乗りで座った冬子を乗せて、俺はペダルを漕ぎ出した。
スーパーまでは数分、道自体も上がり下がりのない平坦な道だから特に問題はない。
「なぁ、アニキ」
「んー?」
「最近楽しそうだな」
「…そう見えるか?」
「少なくともアタシにはな」
「…冬子が言うなら、そうかもな」
「素直じゃねーの…」
ほんの僅かに腰に回された冬子の腕に力が入った。
…やっぱり俺には無理だな。
「冬子、5月の連休はどっか行くか」
「無理すんなよ、こうやって一緒に買い物行くだけでも充分だよ」
「そうか、なら仕方ないな」
「うん、仕方ない」
その後、ポツポツと会話を交わしたところでスーパーに到着したので、自転車を停めて店内に入る。
今朝の広告で安くなっていた卵と豚肉、トイレットペーパーが今回の目当てだ。
「おーおー、ギリギリセーフ」
卵コーナーに辿り着いたとき、卵は残り5パックしか残っていなかった。2つ手にしてカゴに入れ、残りの豚肉とトイレットペーパーも手に入れたところで立往生。
「アニキ、後何か買う?」
「ちょっと待てよ…」
店内にぶら下がっている広告を眺めながら、他に何を買うかを選ぶ。
豚肉と卵…、ニラ玉炒め。メニューは一つ決まった。他には…、おっ、鶏肉も安いな。
…親子丼。昼はこっちだな。サイドで野菜も欲しいな、テキトーに何か作るか。
「鶏肉も安いから買おうか、玉ねぎとたくあんとひじき。醤油も確か少なかったら、それも」
「親子丼?」
「そのつもり」
「ん、分かった」
冬子はカートを、さっき言った食材が陳列されているコーナーへと転がす。一通り買い物を終えた所で会計を済ませ、荷物を自転車の前カゴに乗せたその時だった。
「あれ?真琴、冬子ちゃん」
冬子と二人、揃って振り返るとそこに辰巳が制服姿で立っていた。
「成瀬じゃん、何してんだよ」
「部活か?」
「そうそう、今日は午前中までだったから」
辰巳は俺たちによく見えるようにシューズケースを持ち上げた。
「それよりも昼飯の買い物か?」
「「見りゃ分かるだろ」」
「声揃えなくてもさ…」
いたたまれない表情で声をすぼめる辰巳。悪気は無いから恨むなよ。
「それより、お前はこんなとこで何してるんだ。家は反対方向だろ」
ここでようやく俺は全うな疑問を投げかけた。まさかスーパーで買い物って訳でもなさそうだしな。本当だったら笑うけど。
「真琴ん家に寄ろうと思ってたんだよ」
「うちに?何の用で?」
「先週オープンしたばっかりのレストランがあってさ、雑誌にも載ってたから一緒に行かないかって思って」
この男、そういった情報に関しては非常にマメなのである。雑誌やテレビ、口コミから最新のトレンドを収集する。そんな奴は彼女でも作って勝手に雰囲気作りしてればいいんだ。
それにしても、この間可愛い後輩を見に行ったまでは良かったが、その後の話を聞いていないな。どうなったんだ。
「へー、何?奢ってくれんの?」
「真っ先にそう言うとこは相変わらずだな、冬子ちゃん」
本日二度目の苦笑を浮かべ、頬をかく辰巳。
「しょうがない、言いだしっぺだしな。それぐらいさせて貰うよ」
それから諦めたかのように小さく息をついた。
「アニキ、とりあえずそれは晩飯に回そ」
「そうだな、一旦荷物置きに帰るから辰巳も付いてこいよ」
「あぁ、そうする」
行きと同じように荷台に冬子を乗せて自転車を走らせる。今度は辰巳付きだけど。
『──ガチャリ』
「よし…、それじゃ行くか」
「あぁ」
家に戻ってすぐに冷蔵庫に食材を入れ、玄関の鍵を施錠する。
今度は立場が一転、俺達が辰巳の後を付いていくようになった。
「どこら辺だ、その店って」
「駅の南側にあるんだ、大通り沿いの」
「へー、あんなトコにな」
辰巳と並走しつつ、今から行く場所の話を聞く。駅近くになってくると、やっぱり休日ならではの光景か。この人の多さは。
こうなってくると自転車の二人乗りも危険だから、冬子を降ろして俺らも自転車を押して歩くことにした。雑踏を縫うようにして歩くのは非常に億劫だ。この街も地下歩道とか作れば、幾分かの混雑は免れるだろうと思うんだけどな。
「ところで成瀬はもうすぐ大会?」
「いや、その逆。大会はもう終わってる」
「あれ?そうだったのか?」
「まぁな、準々決勝までいって負けてんだ」
辰巳は自嘲気味に笑いながら言った。
「準々決勝って言うと…」
「ベスト8?」
「そう言うと聞こえはいいけど、4ブロックあった中のブロックトーナメントでの話だからな」
「ダメじゃねーか」
「そうなんだよ」
冬子のつっこみを受けると、辰巳は再び苦笑を浮かべる。
「今のチームの状態じゃダメなのはよく分かってるし、なんとかしなきゃなって思ってるよ」
その時の辰巳の顔は、今回の結果から気持ちを切り替えた前向きなものに変わっていた。
ま、コイツなら大丈夫だろう。チーム引っ張っていけるリーダーシップもあるし、何より人望が厚い。しっかり下からも支えてくれてそうだ。今年の夏以降が楽しみだ。ま、俺は来週には忘れてそうだが。
「あ、見えてきた見えてきた。あれだよ、その店」
辰巳が指差した方に目を向けると道向かいのちょうど角、道路に面した部分が上から下までガラス張りの洒落た店が見えてきた。
とは言え、腰の高さまでは植木で隠されているので丸見えというわけでもない。俺達は店の前に設置されていた僅かな駐輪スペースに自転車を停めると、店の前に置かれたイーゼルにかかったメニューボードに目を落とす。こういうのも洒落ていて良い。
上から下まで一通り目を通すと、辰巳の後を追って店の中へと足を進めた。
「な、結構雰囲気はいいだろ?」
「そうだな」
奥の席を案内され、オーダーを通して一息ついてから辰巳が口を開いた。
白を基調にした内装は、確かに落ち着いた感じの雰囲気だ。少し高めの天井では室内灯とその周りをプロペラが一定の速度で回り続けている。
「意外に空いてんだな、雑誌にも取り上げられてるとか言うから混んでると思ってたんだけど」
隣に座る冬子が水の入ったグラスを片手に店内を軽く見回しながら言った。それについては俺もそう思う。
「あぁ、雑誌に載ってたのはここのディナーの方だから、客が多くなるのは晩になってからだよ。でも、聞いた話だとランチでもいい飯食わせてくれるそうだ」
オープンしてからたった一週間で、よくもそこまで情報の収集ができたものだ。
「ディナーが美味い店なら、当然ランチも一緒だろ?」
「いやいや、ディナーよりランチの方がいい理由が他にもあるんだよ。ま、それは料理が来てからのお楽しみだな」
妙なしたり顔で辰巳は背もたれに体を預ける。どっちが美味いかなんて興味は無いが、辰巳がしたり顔であることが個人的に許せない。なので、蹴りを一発いれておこうと思う。とりゃっ。
「いたっ!何で蹴るんだよ真琴」
「何でばれた」
一瞬、苦痛に顔を歪めた辰巳は、正面に座る俺を睨んだ。
「蹴っといてとぼけるのはやめろよな」
「お待たせしましたー」
ちょうどそこへ店員が両手に多数の皿を手に料理を持ってきた。
「今日の日替わりはポークハンバーグになっています、こちらの特製ネギ塩ソースをつけてお召し上がり下さい。ランチセットのライス、サラダ、スープでございます」
今まで水の入ったグラスしかなかったテーブルの上が、瞬間皿だらけに変わった。店に入る直前に目を通したボードに書かれていたランチセットの金額で、この量は割りに合わないな。もちろん褒め言葉としての意味だ。
料理に落としていた目をふと上げれば、どうだと言わんばかりの辰巳のしたり顔が待っていた。
「何だよその顔」
「言ったろ、ランチの方がいいって」
「初めて来た人間に何を言ってるんだお前は」
辰巳の自慢話を聞くつもりは毛頭ないのでさっさと食べることにしよう。俺はナイフとフォークを取り出して早速ハンバーグに切れ目を入れた。
「ありがとうございましたー」
レジの前で精算を待つ辰巳を店内に残したまま俺と冬子は先に店から出ていた。
「成瀬にしちゃ上出来だったな」
「タダ飯食ってる人間のセリフじゃないぞ」
それはさておいて、料理の味は確かに良かった。絶妙ともとれる塩加減、是非ともソースともどもレシピを教えてもらって家で作ってみたい一品だったな。ちなみにこの店が俺のお気に入りになるのはもう少し後になってからだ。
ふと空を見上げてみる。朝から一度も変えない真っ青な色は衰えを見せようとはしない。
だが残念なことに、俺の心はこの天気のようにはいかない。
和泉さんなぁ…、どうしようかなぁ…
先日、不覚にも和泉さんを意識し始めている自分に気付き、それ以来どうしたものかと時々思うようになった。
はっきり言えば俺は彼女に近づくべきじゃないし、彼女にも近づいて欲しくない。全てにおける環境が違いすぎる。まぁ、他にも理由はあるけど。
結果、思いつく最良の方法というのが今より悪くしないというのだから、スッキリしない上に何とも情けない。こうなってくれば、あの日のあの声に反応なんてするんじゃなかったと今更ながら後悔する。本当に今更だけど。
「空見上げてどうしたんだ真琴、昼寝したいとか言うんじゃないだろうな」
そうこうしている内に、会計を済ませた辰巳が店から出てきた。
「ご馳走さん」
「どーいたしまして」
「成瀬この後どうすんの」
「ん?特に考えてない。帰っても課題ぐらいしかやることないし」
「あ…」
辰巳のセリフで週末に数学の課題が出ていたのを思い出した。そしてそれが明日提出だったのも。
「何だ、真琴もあったのか?課題」
「今思い出した、やってない」
俺はバツが悪い感じに頭を掻いた。
「もしかして高松(数学担当)の課題?」
「よく分かったな、辰巳も同じか」
「あぁ、何って授業しない割には課題だけ多いからな、あの先生」
辰巳は苦笑を浮かべながらそう言った。
確かにあの先生はひたすらに問題を解かすからな。解答だって過程じゃなく結論のみを重視するあの姿勢は、非常に勝手だが良くも悪くも数学教師なんだと思う。
「とりあえず駅まで送る」
「そうか?悪いな」
来た時と同じように自転車を押しながら辰巳を見送る為に駅まで歩く。おっと、忘れてた…
「ところで辰巳」
「ん?」
「お前に付き合わされて見に行った新入生とやらに、可愛い子は見つかったのか」
「何だよ、急に古い話持ち出すなって」
「は?何だそれ」
初耳であろう冬子が怪訝そうな表情を浮かべたので、あの日の出来事を和泉さんと会ったのは伏せて説明した。
「成瀬、さいってー」
「いや、健全な高校生ならそれぐらいするって、って何その顔!?」
何か汚いものを見るかのような冬子の目に辰巳は慌てた表情を浮かべた。
「それじゃ何か、俺が健全じゃないとでも言いたいのか?」
「もう高2だぞ?彼女どころか、女友達すら作ろうとしない真琴が健全だって言い切る方が難しいわ」
「それもそうかな」
「げっ」
余計な口を挟んでしまったらしい、一転して冬子の矛先が俺に変わった。
「第一、俺は別にいいんだよ。あれは真琴にって思って見に行ったんだから」
「余計なお世話だ」
「あぁ、俺が手を出す必要もなかったみたいだしな」
「……何が言いたい」
「さぁね」
このやろう…
辰巳はその顔を反対方向に逸らしながら小さく笑う。
「だから、それに関しては何もねーよ」
「つか、成瀬は?女の一人や二人ぐらい、成瀬なら居たって不思議じゃねーよな?」
「俺?俺は今は別に欲しいと思ってないし…」
冬子の質問に一度顔を戻した辰巳だったが、再び別の方向に顔を背け、ついでに言葉も濁した。
「その理由、ずっと言ってるな」
辰巳は入学以来、何度か同級生や学年上の先輩から告白を受けていたが、あろうことか全部断ってきた。その理由を訊くと、いつもその言葉を口にしている。一体何のつもりなんだか。
そうこうしている内に駅前の駐輪場に辿り着き、俺たちは足を止めた。
「二人ともここまででいいよ」
「そうか、気をつけて帰れよ」
「あぁ。それと真琴、課題同じなら分からない場所あったら電話するかもしれないけど」
「分かった、着信拒否に設定しておく」
「つくづく嫌なヤツだよ、お前は」
辰巳はため息交じりの暴言だけ吐くと片手を上げながら駐輪場へと入っていった。
「さてと、俺らも帰るか。おっと!」
「わっ!」
自転車を翻したそのときだった。前から走ってきた5歳ぐらいの少年が俺の膝にぶつかった。俺は特に何もなかったが、ぶつかった相手の男の子は俺たちの眼前で尻餅をついていた。
「大丈夫?ボク」
すかさず冬子が腰を下ろし、倒れた男の子の脇に手を差し込んで立たせると、男の子の手に付いた砂を掃ってやる。
「痛くない?」
「うんっ」
冬子の問いかけに男の子は力強く答えた。
「ボクひとり?お母さんかお父さんは?」
「えっとねー」
「智也っ」
すると、前方から男の子の名前だろうか、そう呼びながら一人の女性が息を切らしながら走ってきた。
「ダメじゃない、勝手に離れちゃ!どうもすいません」
そして改めて俺達に頭を下げる。
「あ、いえ…」
「ほら、智也もお礼は?」
「ありがとうお姉ちゃん!」
そう言いながら、彼は小さな頭を目一杯に下げた。
「それじゃ失礼します、行こ智也」
「うんっ」
智也くんは母親の差し出した手を力強く握ると、元来た道を戻っていく。その先には女の子を抱いた男性が片手を上げて待っていた。多分父親だろう。
ふと視線を下ろして冬子の様子を窺うと、案の定、冬子は立つことも忘れて智也くん達を目で追い続けていた。
………。
「冬子」
「…んー?」
「帰るぞ」
「…うん」
そう声を掛け、冬子はようやく腰を上げた。俺がサドルに跨ると、冬子もゆっくりと荷台に横座りで乗る。
「行くぞ?」
「うん…」
冬子の腕が腰に回ったのを確認してから俺は足に力を入れてペダルを漕ぎ出した。
「冬子」
「んー…?」
「我慢すんなよ」
「…うん」
『ギュッ』
強く締められた腰、そして背中には恐らく頭だろう、当てられている感触が伝わる。
さて…
俺は自転車を漕ぎながら空を見上げる。まだまだ陽は落ちそうにないな。
課題もしなきゃならないけど… 少し遠回りして帰るとするか。
幕間:『物は試しに』
『prrr… prrr… ガチャッ』
辰巳「もしもし、まこt──」
『お呼びしましたが、現在電波の届かない場所か──』
辰巳「電源切ってやがる!」