第6話 ― 和泉家
『真琴さんに私のこと好きって言わせるの、私諦めてないから。覚悟して下さいね』
面と向かって彼女からそう告げられた。
はっきり言っておく、失態だ。何あれ、結局俺だけが余裕無かったあの感じ。
「はぁ…」
最近ため息増えたな…
『じゃぁ真琴さん、この間と同じ場所で待ってて下さいね』
あの後、何だかんだで彼女の本来の目的だった食事の約束を取り付けられ、俺はまたこうして駅のロータリー前に立っている。
家出る前の冬子の冷やかしがこれまた酷く、何とか巻いて出てきたのは良かったものの。ホテル代は持ったかだと、全くもって余計なお世話だ。
ところが約束の時間になっても和泉さんの姿が見えない。前回のことを別に反省したつもりは無いのでいつも通り10分前に着いたんだが、予想外の展開だ。
何かあったかな?まぁ、いいか。何かしらの事情は誰にでもあるからな。
それから30分ぐらい経ち、危うく睡魔による意識を失いかけた頃、ロータリーに黒塗りのハイヤーが勢いよく飛び込んできた。
ただでさえ珍しい車なのに、その上荒っぽい運転。注目を集める以外の何でもない。そう思ってたら、後部座席の扉が開き、中から和泉さんが降りてきた。何だそれ。
降りる勢いのまま、和泉さんは俺の前まで走ってくると深々と頭を下げる。
「真琴さんごめんなさいっ」
頭を下げたとほぼ同時に和泉さんの謝罪。別にそこまでされる程待った訳じゃないけど。
「やぁ和泉さん」
「すいませんでした、20分も待たせて」
「別に気にしてない。渋滞?」
「はい、早目に出たつもりだったんですけど…」
「ふーん…、ところで今日は何で車?この間は電車だったのに」
「あっ、今日は特別に場所を用意したんです。それで車を用意させたんですけど…」
だからってハイヤー用意することないだろ。逆にこっちが気遣うわ。
「と、とりあえず気を直してどうぞ乗って下さい真琴さん」
「まぁ、確かにこんな所で突っ立ってても何だしね」
和泉さんに誘導され、俺は車に乗り込んだ。
「お待ちしていました」
乗り込むと同時に、運転席から40歳ぐらいの少しぽっちゃりとしたおっちゃんに声を掛けられる。
「あ、どうも…」
「本日の運転を担当しています、羽島と申します」
「羽島、何をしてるの。挨拶は後でいいから車を出して」
俺に続いて車に乗り込んできた和泉さんが開口一番、羽島さんを急かす。
「はい、畏まりました」
羽島さんは苦笑を浮かべると車を発進させた。
「で?今日は何処に行くの?」
「はい、実は親戚から旬の食材が届けられたので、せっかくなので真琴さんにも一緒に食べて貰おうと思いまして」
…ん?
ってことは…
「和泉さん家?」
「はいっ」
「和泉さん…」
「はいっ」
俺のこの後のセリフを待っているのか、和泉さんはズイッとこっちに身を寄せてきた。
「それはダメ」
「……ぇ?」
途端、和泉さんの表情が一気に落胆のものに変わった。本人はその気だったかも知れないが俺からすれば予定外もいい所だ。
「何で…ですか…?」
「何でって、全てが問題だから」
そんな顔したって無駄だ。
「あのね和泉さん、確かに食事に付き合うのは聞いたけど、和泉さん家に行くのは初耳。それならそれで事前に連絡してくれ、順序ぐらい踏んでもらわないと困る。そういう訳でせっかくだけど帰る」
「そんな!真琴さんっ!」
心なしか若干涙目で訴えてくる和泉さん。こっちにもこっちの事情ってもんがあるんだ。それが何かと訊かれても困るけどな。
「まぁまぁ、久慈川さん」
そこへ羽島さんが話に入ってきた。
「久慈川さんのお気持ちも分かりますが、お嬢様の話も聞いてあげて下さい。今日の為にわざわざ食材を用意したんですから」
「用意した?」
「はっ、羽島っ!?」
隣で焦った様子を見せる和泉さんを他所に、羽島さんはニコニコと笑いながら続ける。
「ええ、今日は大事なお客さんが来るって言って数日前から大騒ぎ。今日も朝の4時に市場まで行って食材を調達するのに付き合わされたばっかりですよ」
「は、羽島っ!い、いい加減に!」
「いやー、久慈川さんを迎えに行くまでの渋滞中、何度お嬢様から怒鳴られたことか。信号無視は流石にできませんでしたがねぇ」
ハッハッハと大声で笑う羽島さん。
隣では最早手遅れと言った様子で真っ赤な顔して俯く和泉さん。
はぁ…、この人タチ悪いな、この話聞いたら断りづらくなったじゃないか。
「どうですかね?久慈川さん。ひとつ付き合っては頂けませんか?」
トドメを刺すかのような羽島さんのセリフに俺は後頭部を掻いて小さくため息をついた。
「仕方ない、そこまでしてくれたのを断るのもね…」
「えっ、それじゃぁ真琴さん…」
「次は無いよ」
「はぃっ…!」
そして和泉さんは今日初めての笑顔を見せた。
「おやおや、お嬢様の笑顔ですか。久しぶりに見た気がしますね」
「貴方は黙って前を見て運転なさいっ!」
「これはこれは、失礼しました」
ガルルと唸る和泉さんを軽くあしらう羽島さん。どっちが上なんだか。
程なくして車は大きな道から住宅街へと入っていく。気のせいかな、初めて来た風には思えないんだけど。俺は妙な感覚に包まれながら、流れる窓の外の景色を眺めていた。
「真琴さん、嫌いな食べ物ってありますか?アレルギーとか」
「へ?あぁ、特に無いけど?」
「そうですか、良かった」
すっかり気を良くしたのか、和泉さんの方から鼻歌らしき音が聞こえてくる。俺はそれを横目にしながらもう一度窓の外に目を向けた。
家と家との間隔広いな… 高級住宅街か?
どうもさっきから気になって仕方ない。物は試しにちょっと探りいれてみるか。
「ねぇ、和泉さん」
「何ですか?」
「和泉さん家の住所って何になんの?」
「住所ですか?───…」
「そっか、ありがと」
「???」
和泉さんから住所を聞き、合点がいった。道理で見たことあると思ったよ、新聞配達のエリアかよ。
俺が一人で勝手に違和感を払拭している間に、車はようやく目的地である和泉さん家に到着した。
「お疲れ様でした、到着しましたよ」
「すいません、どうも」
「さっ、真琴さん。どうぞこちらへ」
「へーへー、ちょっと待ってね」
「久慈川さん、どうぞ気をつけて下さい」
「え?は、はぁ…」
車を降りる直前、運転席からこちらに振り返った羽島さんがさっきまでの柔和な顔から一転、笑みのない深刻そうな表情でそう告げてきた。
何のことやらさっぱりで、俺はただ言葉にならない言葉をかろうじて返せただけだった。
「それじゃ羽島、後でまたお願いね」
「畏まりました」
後部座席の扉は和泉さんによって閉められ、羽島さんとのコンタクトが途切れてしまった。なんだってんだ。考える暇も与えられず、和泉さんの後をついて門をくぐる。
くぐったその先には一面の手入れされた芝生、そして玄関まで続く石畳が広がっていた。
何だこれ、うわ、玄関まで遠いな。あ、この芝生いいな。レジャーシート広げて昼寝したい。
数十mの石畳を渡り切り、玄関へと辿り着く。
和泉さん家は造りが新しい和風家屋のようだ。平屋二階建て、それでも充分すぎるぐらいデカいけどな。
「大きい家だね、誰と住んでんの?」
「両親と母方の祖父です。後はお手伝いさんが何人かいます」
「ほー」
『ガラガラッ』
「ただいま」
和泉さんが玄関の引き戸を開けて中に入り、俺もそれに続く。
「お帰りなさい、莉奈ちゃん」
すると、廊下の奥から割烹着を身に着けた年配の女の人が出迎えてくれる。
「ただいま妙さん。あ、真琴さん紹介します。この家のお手伝いをしてもらってる西村妙さんです」
「こんにちは」
「莉奈ちゃんから話は聞いてますよ。ようこそいらっしゃいました、さぁさ、どうぞ上がってください」
羽島さん同様、柔らかい笑顔で対応してくれる西村さん。その西村さんを先頭に玄関に靴を並べてから和室へと案内された。
「妙さん」
「えぇ、準備はできてますよ」
「ありがとう」
和泉さんは西村さんと何かの確認を取ると、くるりとこちらに向き返った。
「それじゃ真琴さん、早速用意するから真琴さんは少しゆっくりしてて下さいね。ちなみにお手洗いは左手奥の突き当たりの場所にありますから」
「あー、うん」
ピシャリと障子が閉められ、一人取り残される俺。何をしろってんだこの時間。
とりあえず部屋の中を見渡してみる。広さ的に…、家の部屋みっつ分って所か。広いな…
って、無意味に痛感してどうすんだ。そんなもの、最初から違うのは分かってたことだろ。
とりあえず座っておくか。俺は荷物を横に置き、腰を下ろした。
お、掘りごたつ式だ。これ足が楽なんだよなー。
「ふわぁあ~…」
ちょっと落ち着いたら眠たくなってきた、けど人の家にまできて眠る度胸はまだない。
『まだ』ないだけであって、いずれはするだろう。我ながら恐ろしい。
机の上に片肘をついて顎を乗せ、それを支点に顔を庭の方へ向ける。
塀沿いに大きな桜の木が植えられていて、根元にある小さなスポットライトによって照らされている。花は散ってしまったらしく青葉が芽吹きだしているものの、春先はここで昼夜問わず花見ができるという訳か。贅沢なものだ。
『ガラッ』
不意に障子が開けられたので顔をそっちに向けると、見知らぬ女性が怪訝そうな表情でこちらを見ていた。
「……。」
「……。」
暫く続く無言の対峙。つか、誰だこの人?
「もしかして、莉奈の言ってた今日来る大事なお客って貴方のこと?」
部屋全体を見渡し、俺しか居ないことを確認してからようやくその人は口を開いた。
あ、なんだろ。ちょっと懐かしいなこの感じ。和泉さんと初めて会った時のような…
「どうなの?違うの?違うのだったら警察呼ぶけど」
「そりゃ困りますね、大事かどうかは知りませんが彼女に連れてこられたのは確かですね」
「そう、貴方なの…。それにしても全然冴えないのね。莉奈ももう少し目を養ってくれればいいのに」
『ピシャッ』
「……。」
何なんだ一体…
まだ20年も生きてないけど、初めてだったな。初対面で悪口言われたのは。
『ガラッ』
「お待たせしました真琴さん。…真琴さん?」
再び障子が開くと、今度は本物の和泉さんが顔を覗かせた。覗かせたものの、俺の表情が強張ったままだったのか、名前をもう一度呼び直された。
「あ、あぁ、何?」
ハッと我に返り、和泉さんに目を向ける。
「料理が出来たんで早速運びたいんですけど、いいですか?」
「あー、うん。お任せします」
「わかりました、それじゃ運んできますね」
和泉さんはそう言うと再び台所(?)へと向かっていったのか、パタパタと廊下を走る音がした。
……。
莉奈って和泉さんの名前だよな、彼女をそう呼べるってことは身内か。確か一人っ子だったな、だとすれば…、母親。キツそうな人だったな。障子を閉める直前の、人を見下したようなあの目つき、気分のいいものじゃなかったのは確かだ。
『久慈川さん、どうぞ気をつけて下さい──』
ふと、車を降りる直前に羽島さんから言われた言葉が脳裏に蘇る。
この事…?まさかな、考えすぎか。
『ガラッ』
「さぁさ、お待たせしました。冷めない内に食べて下さいね」
「おまちどおさま、真琴さん」
障子が三度開けられ、料理を乗せたお盆を両手で持った西村さんと和泉さんが入ってくると、料理をお盆からテーブルの上へと移し始める。
旬の食材を使ったというだけあって、鯛めしや鰆の塩焼、筍やシシトウや菜の花の天ぷらなどの料理がずらりと並べられ、いよいよ食べる準備が整った。和泉さんも俺の向かい側に腰を下ろす。
「それじゃ、食べましょうか」
「そだね」
俺達は顔の前で手を合わせると、早速料理に箸をつけた。
おっ… これはまた…、これは……
何かが惜しい気がする。決して不味いわけではない。だが、美味かと問われれば些か返答に困る。
自分で料理をしている分、自分好みの味付けに舌が慣れてしまっているのかと思わなくもない。
「どうですか?真琴さん」
下に向けていた視線を上にあげると和泉さんがまだ料理に手をつけていないままこちらの様子を窺っていた。
更にその横、障子の前辺りで正座して座っている西村さんもいやに神妙な顔つきでこっちを見ている。なんだこの空気。
「ちょっと塩気が足りないかなと思ったけど…、何…?」
「あ、いえ。何でも無いんです。塩気が足りない…と…」
ここからはハッキリとは見えないけど、どうも机の下で何かを書いているようだ。
「うっふっふっ、ごめんなさい久慈川さん。今日の料理は莉奈ちゃんが作ったんですよ」
すると今まで横で座っていた西村さんがまるで秘密事をばらすかのように、うきうきした顔でそう告げた。
「た、妙さん!内緒にしてくれるって言ったじゃないですか!?」
「何言ってるの莉奈ちゃん、久慈川さんの目の前でメモとってれば黙ってたって一緒よ」
あー、なるほど。そういうことか。ってことは、まんまと手料理を食わされたってことか。
それにしても、羽島さんに西村さんに。ことごとく秘密をばらされてるな、和泉さん。
「あー、和泉さん?」
「は、はいっ!何でしょうか」
「さっき言ったのはあくまでも俺の好みの話だから…、気にしなくてもいいから」
「いえっ、真琴さんだからいいんです」
「…は?」
「な、何でもありませんっ!ちょ、ちょっとお手洗いにっ!」
和泉さんはバタバタと音をたてながら部屋を飛び出していった。
「ほほほ、まぁまぁ莉奈ちゃんったら、障子も開けっ放しで…」
その様子を微笑ましく見ながら西村さんは開け放たれた障子をそっと閉める。
「私もこの家でお世話になってから随分経ちますが、莉奈ちゃんがあんな表情するなんてね。驚きですよ」
「と、言いますと?」
「どちらかと言うと仏頂面の子だったもので」
仏頂面か… いつもの学園での顔だな。想像しただけ損だった。
「高校に上がって少しは変わるかなと思いましたけど、まさかこんな早くにそれがくるなんて…」
西村さんは手を口に当てて小さく笑う。まるでわが子の成長を見守っているかのようだ。
『ガラッ』
「帰りました…」
しばらくして部屋を飛び出していった和泉さんがようやく帰ってきた。が、何でそんなにもテンション低いんだ。
「恥ずかしい所をお見せしました…」
和泉さんはそそくさと元居た場所に腰を下ろすと俯き加減でボソッと呟いた。
「何が?」
「いえ、何でも…」
「早く食べないと冷めるよ、和泉さん」
ほどほどに箸をすすめていた俺とは対照的に、和泉さんの皿にはまだ料理が残っていた。せっかく作ったのに勿体無い。
「そ、そうですね。頂きます」
やっと普通の食事が再開され、その後は他愛の無い世間話で時間を潰した。
「──今日は御馳走様」
駅まで送ってくれるということで、来た時と同じ車に乗り込んで開けた窓越しに和泉さんに礼を言う。
「いえ、私も無理言って付き合ってもらってすいません」
和泉さんも最初は自分も一緒にと言ってたが、後片付けを西村さん一人に任すわけにもいかないと見送りだけ来てくれた。
「豪華なもん食わせてもらってて文句は言わないよ…」
「もう少し料理の腕はあげときますっ」
和泉さんは力強く拳を突き上げた。誰に対する宣言なんだろうか。
「……。」
「何で黙るんですか真琴さん」
「いや、まぁ頑張れと思って」
「分かってますっ。羽島、くれぐれも安全運転でね」
「畏まりましたお嬢様」
「それじゃ真琴さん、また学園で」
「あぁ。西村さんにもお礼言っといて」
「はいっ」
「それでは出発いたします」
羽島さんの一言で車が進みだし、和泉さんは結局車が角を曲がるまで門の前に立ったままだった。
「いやー、久慈川さん。すいませんでしたねぇ」
「あなたも人が悪いですね」
「はっはっは、これは手厳しいお言葉で」
羽島さんは俺の皮肉を気にも留めず豪快に笑い飛ばした。まったく、こっちの気も知らないで。
「お嬢様が呼んだ初めてのお客様でしたから私も心配でねぇ」
「さっき西村さんって人にも同じようなこと言われましたよ」
「彼女は私よりも、ずっと前からお嬢様を知ってますから、どうしてもね」
……。
あぁ、和泉さんは皆から愛されてるな。西村さんやルームミラーに映った羽島さんの顔を見て俺はそう思った。あの人も…、違う形ではあるけど、それなりの愛情表現なのかもしれない。
待て待て、これ以上の深入りは危険だろ。俺は頭を軽く掻いてさっきまでの雑念を飛ばす。
ふと外に目を向ければ、そこは再び街灯の光が尾を引いて流れていく景色。まるで夢の中にいるようだ。…いっそ夢であってほしいが。
俺は叶わない夢を諦めるかのように小さくため息をついた。