第4話 ─ 後輩と初めての外出
『ピリリリリッ!ピリリリリッ!』
日曜の朝。朝と言っても、11時前だけど。
俺の枕元で携帯のアラームが音を立てて鳴り出した。いつもならアラームなんかかけもしないで昼過ぎまで寝てるってのに、何でこの時間に起きにゃならんのだと愚痴をこぼしてみる。
「…はぁ」
珍しく、欠伸より先にため息が出た。13時の約束だったな、そろそろ動くか…
もぞもぞと布団の中でうごめいてから起き上がり、布団をたたんで洗面所へと向かう。冬子の姿が見えないが、テーブルの上に広げられた広告を見るとどうやら買い物みたいだな。
「ふわぁあ~…」
そしてようやく今日最初の欠伸。何だろう、欠伸しないと一日が始まらない気がする。
顔も洗ったところで台所に立つ。飯はまだ炊いてる最中で、冷蔵庫の中の食材はほぼ無し。それもそうか。
俺は冷蔵庫に野菜や他の食材が残るのが嫌いなので、食べきってから買い物に行くようにというのが、いつの間にか我が家の暗黙のルールになっていた。だから買い物から2、3日は同系統の献立が続いたりもするが、何を買うかはその日が当番の判断に任せているのでお互い文句無しって訳だ。
さてと、昼飯は冬子が帰ってくるまで無いから… 暇だな…
「ふわぁあ~…」
台所に立ってても何もないので、とりあえず着替えることにした。ジーンズに無地のニット地シャツ、後は適当に上着を羽織れば充分か。座椅子に腰を下ろしてテレビを見ながら冬子の帰りを待つ。
『ガチャッ』
10分後、玄関の鍵が開くと冬子がスーパーの袋を提げて帰ってきた。
「あれ?アニキもう起きてんの?具合でも悪いのか?」
開口一番、俺が起きていることにつっこんできた。具合悪いってどういう意味だ。
「悪いな、ちょっと昼から用事あって出掛ける」
「めっずらしー、雨降んねーかな?」
「俺もそんな気がする。洗濯物は早めに入れておいてくれ」
軽いけなし合いを済ませると昼食の準備を始めた冬子を手伝う。今日の昼飯はチャーハンだ。ちなみに冬子が作るチャーハンがこれまた美味い。絶妙な飯のパラパラ加減が家庭のフライパンで作れるものとは思えないぐらいで俺は気に入っている。
「で?相手は?成瀬?」
「んー…」
対面でチャーハンをレンゲですくい、口に運びながら冬子が訊いてきたので、可とも不可ともとれる言葉で返した。
「へー、女か」
「ぶぐっ!?」
思わずチャーハン噴出すところだった。間一髪、口の中に押し戻す。
「図星だろ?本当にどうしたんだよアニキ、野郎とでもほとんど遊ばないってのに女ツレるってどういう了見よ?」
「冬子、もう少し言葉を選べ。それと肘付いてご飯を食べるのはやめなさい」
片肘ついて見るからに悪態ついた様子の冬子に、俺は口の中のチャーハンを茶で流し込みながらそう言った。
すると、冬子は残りのチャーハンをかきこむように口に含んで咀嚼し、マグカップに注がれていたお茶で一気に流し込むと、『さぁ、食事は済んだから話して貰おうか』とでも言いたげな表情で俺をじっと見る。
「…見ても何も出ないぞ」
「いや、今日は晩飯いらねーかなって思って」
「いるよ、何を勝手なこと言ってんだ」
「それよりもちゃんと金持ってんのか?」
「買い物に付き合うだけなのに俺は金はいらんだ、あっ…」
その瞬間、冬子は意地悪くニヤリと笑った。くっ…、何でこんなことに関してはそんな性格になるんだ妹よ。
「せめてジュースなり何なり奢れるぐらいの金は持ってけよ、嫌われるぜ?」
「無理やりなのに奢るも何もないだろ」
「へー、アニキも振り回されるようになったのか」
「何が面白いんだ」
依然ニヤニヤしたまま、冬子は食器の後片付けを始める。
「それより時間いいの?昼飯食ってるってことは待ち合わせは昼イチとかじゃないの?」
「え?わっ、まずい」
冬子に言われて時計を見ると既に12時30分を回っていた。俺は慌てて支度をすると後を冬子に任せて家を出て自転車を走らせた。
「あー、しんど…」
何とか10分前には着いたな。駅前の駐輪場に自転車を停め、テクテクと歩いていると、ある光景が目に飛び込んできた。待ち合わせ場所に指定したロータリー、その前で二人組みの男から声を掛けられている和泉さんを。見るからに機嫌が悪そうだ。両腕組んだあの仁王立ちポーズはもうその感情なんだろうな。
あ、追い返された。まるで猛犬のような勢いで捲くし立てられた男二人組みは逃げるように和泉さんの前から去っていった。
「はぁ…」
俺は後頭部を掻くと、速度を緩めて和泉さんに近づいていく。
「やー、早いねー」
俺が悪びれる様子もなく声を掛けると、彼女はその涼やかな目をキッと俺に向ける。
「遅いわ、何時まで私を待たせるの?」
おーおー、今日も元気一杯だ、このお嬢さんは。
「ごめんって、いつから居たのさ」
「貴方が来る30分前よ。今日は特別、何しろ相手が貴方だからよ久慈川真琴」
「光栄なことで。ところで和泉さんって俺よりひとつ年下だよね?」
「だから何?」
「いやさ、せめて年上には丁寧語使えば?固いこと言うつもりもないけど、そういうのあんまり好きじゃないんだよ」
その言葉をきっかけに彼女の眉がピクッと動いたかと思えば、小さく咳払いをして再び声を出そうとする素振りを見せた。
「わ、分かりました、貴方がそう言うならそうします。これでいいですか?真琴さん」
「和泉さん、表情が怖いまんまだよ」
しかめっ面は家にいるので充分だ。それに、今からずっとしかめっ面で傍にいられても困る。
「こっ、こう…ですか…?」
和泉さんはそう言うと、しかめっ面だった表情をゆっくりと崩して不慣れそうに小さくニコッと笑った。
「………。」
俺は何かでっかい墓穴を掘った気がする。それも取り返しのつかないような。
「ま、真琴さん…?」
「えっ、あっ、あーあー。うん、それでいいんじゃない」
「そっ、そうですか。それじゃ、今日は私の買い物に付き合って貰います。いいですね?」
「はーい…」
和泉さんってこんな表情もできるんだ、まるで同一人物とは思えなかったな。
これはまた…、厄介だな…
とりあえず目線を明後日の方向へ向けながら俺は自分の頬を人差し指で掻いた。
ロータリーから大通り沿いに歩いていくと、大通りを挟むように若年層向けから中高年層まで幅広い年齢層に合わせたショッピングビルがいくつも立ち並ぶ。
日曜日の昼間とあって、行き交う人は数え切れない。その中を和泉さんと並んで歩いてる訳だが、横目で見る和泉さんは俺よりも少し背が低く、その横顔にも若干のあどけなさが残る。つい一ヶ月前まで中学生だったんだからそれも仕方の無い話だろう。
「真琴さん、休みの日はいつも家にいるんですか?」
「んー、そうだねー、基本的にはね。家出たってすることないし」
「そうですか、でも今日みたいな日もたまにはいいでしょう?」
「…かも知んないね」
季節は春。ちょっと暑いけど日差しも穏やかだし風も涼しい。
ヤバ…、昼寝したくなってきた。けど、今日は流石に遠慮しとくか。こんな所で和泉さんに固まられても困るしな。
「ねぇ、真琴さん」
「あ、ごめん和泉さん。さっきから気になってるんだけど、その『真琴さん』って何?」
「あら、貴方の名前じゃないんですか?」
「そういう意味じゃなくて…」
俺が何を言いたいのかを表情から読み取ったのか、和泉さんは小さく鼻で笑う。
「単純な話よ、『久慈川さん』より『真琴さん』の方が文字数が少なくて呼びやすいだけ。そうでしょ?真琴さん」
「あー…、そうだね…」
言われてみれば確かにそうだが、根本的にそういう問題じゃない。俺の性格をまんまと利用されている気がした。
「着きましたよ真琴さん、ここです」
そう言うと、和泉さんはファッションビルの前で止まった。
うわ、何だこのみるからな感じの建物は。他のビルに混じって分からなかったけど、どう見たって一般の人間が自由に入れる雰囲気はさらさら無いな。
「どうしたんです真琴さん、入りますよ?」
エントランスの扉の前でビルを見上げたままの俺に声をかける和泉さん。自然に入る様子からすると、初めてじゃなさそうだな。ってことは家の方もそれなりか。
あ、そっか。爺さんが学園長で、親父さんが教育委員会の役員だったな。俺は自分の中で再確認しつつ、和泉さんの後を追ってエントランスをくぐった。エレベーターで3Fに到着すると、まぁ何とも… どう言い表していいのやら。
窓があるのはエレベーター前のホールだけで、店内は黒のシックな雰囲気につつまれた落ち着いた感じだった。ブティックって言うんだっけか。え?もしかして、ワンフロア全部この店?
「いらっしゃいませ、和泉様」
「こんにちは」
すると店の入り口で上下をスーツで包んだ女の人が出てきて和泉さんに頭を下げた。常連さんでしたか、そうですか。
店員さんが和泉さんを相手してる間に俺は店内を見渡す。どうやら女性物だけじゃなくて男物の服もあるみたいだな。けどファッションなんかこれっぽっちも興味ないから全部同じ服に見える。俺はすぐ側のレールハンガーに掛かっていたシャツ手にとりながらそう思った。ちなみに値段はと…
………。
見るんじゃなかった。
「真琴さん、余所見してないで一緒に服を選んで下さい」
「え?あぁ、ごめん。あれ?俺が服選ぶの?和泉さんの?」
「今日は買い物に付き合って貰うって最初に言いませんでしたか?」
和泉さん、まさかの店員さんまで目を点にして俺を見る。
あぁ、どうやら『買い物に付き合う=買い物に付き合う』という考えは俺だけらしく、彼女達の中では『=エスコート』という意味らしい。
ってか、それはそれで困る。エスコートなんざ、生まれてこのかたやったことない。
「俺、そこまで知識ないよ?」
「いいんです、むしろそっちの方が。純粋な意見が聞きたいから」
ふぅん… 何となくだが彼女の言葉の背景が見えてきたぞ。昨日までの和泉さんの様子だと、他の男とも来たことあるけど、選ぶもの全部似合うとか言われてた感じかな。っと、これ以上の詮索はやめるか。俺には何の関係も無いし。
「ちゃんと側にいて下さいね」
「あー、うん。分かった」
こうして、和泉さんの横に俺、その後ろに店員さんというL字の形で店内を回ることに。
「これとこれとこれと…」
見て回ると言うか、和泉さんの目に付いた服が片っ端から手に取られて表向きにレールハンガーに掛けられていると言った方が正しいだろう。しかしまぁ、なんだ。結構派手なの選ぶんだな。興味無いからよく分からんが、もう少しカジュアルなのでも似合うと思うんだよな、和泉さんって。
………。
…何考えてんだ俺。一瞬浮かんだ煩悩を、頭を左右に振ってかき消す。
「真琴さん、この中だったらどれがいいですか?」
「え?んんん…、見ただけじゃ分かんないわ、試着してみたら?」
「それもそうね、分かりました。そうします」
選んだ服を腕に抱え、鼻歌交じりで試着室に向かう和泉さんを店員さんと並んで追う。
「いつもあんな感じですか?」
「いえ、今日の和泉様はとても上機嫌ですよ」
「そうですか…」
我ながらつまらないこと訊いたと思う。機嫌が良いも悪いもその日の和泉さん次第だろう、なんてことじゃない。
「私、和泉様があのような顔をされてるのは初めて見ました」
……。なんてことないぞ、うん。
「お二人は仲がいいんですね、お似合いですよ」
「あ、いや…。あー、はい…」
とんでもない誤解が生まれてたな。否定しようとした途端、急に面倒の『波』がやってきて「はい」って言っちゃったよ。
暫くすると、試着室の扉が開き、選んだ服を身に着けた和泉さんが出てきた。その度にどうかと聞かれたが、「んー」としか返せなかった。和泉さん的にそれが引っ掛かったのか、選んだ服は結局ひとつも買わないまま店を後にすることに。
別にイマイチって意味じゃなかったんだけど…
「さっ、真琴さん。この後はどうします?」
あ、声がちょっと不機嫌。まー、服買いに来て買わずに帰るのがアレなんだろうな。何がアレか知らないけど。
そう言えば…
ふとあることを思い出し、記憶の糸を辿っていく。
「和泉さん、ちょっと付いてきてくれる?」
「えっ?は、はい。いいですけど」
和泉さんに限った話じゃないけど、俺から声を掛けるとロクな返事が返ってこないなと、つくづくそう思う。
そんな和泉さんを連れて俺が足を運んだのは、さっきのビルとは道を挟んで向かい側の更に一本奥の道に面したビルの中にあるカジュアルファッションの店だ。以前、一度だけ冬子に付き合って来たことがあった。冬子も俺と同じで言うほどファッションに興味がない。『楽に着れれば、それが一番』が信条の兄妹だ、放っておいてくれ。
「真琴さん、この店は?」
「俺の知ってる服屋。着やすい感じのがあるから和泉さんに似合うのあるかと思って」
入ったことが無いんだろう、キョロキョロと周りに視線を送る和泉さん。
「ほい、和泉さん。こんなのとか着てみ」
俺はテキトーに何種類かの服を摘み上げると和泉さんに試着するよう促した。カットソーとか7分袖のシャツとかパーカーとか。和泉さんはさも着たことがなさそうな顔して試着室へと入っていった。数十秒後、試着室のカーテンが開き、戸惑いながらパーカーを試着した和泉さんが出てきた。
「何だ和泉さん、似合ってるじゃんか」
「そ、そうですか…?」
そう言いながら気恥ずかしそうに顔を下に向ける。
「値段だってそこまで高くないし」
「え?なっ!にっ、にせんよんひゃく…!?」
値札を確認すると何故か驚いて声をなくした和泉さん。もっと言うと60%の値下げシールも貼られている。原価でさっきの店のに比べたら7分の1以下だけど、手頃じゃないのか?
「こ、この値段で品質は大丈夫なんですか?」
「物持ちは着る人次第でしょ。高いもん着たって、服の値打ちなんか分かる人少ないだろ。それより、その人にその服が合ってるかどうかじゃないのか?」
和泉さんは俺の言葉に体の動きを少し止め、そして小さく笑顔を見せた。
「そんなこと言われたの、初めてです。ありがとう真琴さん、この服買ってみます」
彼女はそう言って再び試着室のカーテンを閉じた。
………。
今の笑顔はどういう意味だろうか…
その後、他にも選んでみた服を試着していき、パーカーと7分袖シャツ、細いタイプのスラックスとデニム、更にはブーツまでお買い上げ。少し嬉しそうな様子で店を出た時の和泉さんを見て、連れてきて正解だと思った。機嫌直ったみたいで何よりだ。
外に出ると、ビルの隙間から西日が差し込んで、道路や道向かいの建物がオレンジ色に染まっていた。時計を見ると短針が『5』の上に来ている。もうそんな時間か。和泉さんには悪いけど、俺はそろそろ退散させてもらうかな。家のことも気になるし、眠いし。
「和泉さん、家の用事もあるからそろそろ帰らせて貰うけど大丈夫?」
「あら、そうなんですか。仕方ないですね、元々そういう約束でしたし」
和泉さんは小さく口を尖らせながらも、俺が思っていた以上にあっさりと受け入れてくれた。
「食事は次の機会にしましょうね真琴さん」
「あー、うん。そうだね、そんな約束したかは覚えてないけどね」
「それじゃ、真琴さん。また明日、学園で会いましょうね。今日はありがとう」
和泉さんは振り返りざまに小さく笑うと人混みの中へと消えていった。見送りぐらいしたのにな。
一人残された俺は、和泉さんが居なくなった後も暫く彼女が歩いていった方向を見続けていた。
んー、何か釈然としないけどこれはこれで良かった…のか…?
「ふわぁあ~…」
今まで忘れてたかのように口から欠伸が零れる。
家に帰ってから冬子にちょっかいを掛けられた話は…また今度にしよう。
幕間:『帰宅後』
真琴「冬子、何で玄関にバスタオル置いてんだ?」
冬子「ん?雨降ってたら濡れてるだろうと思って」
真琴「何でずぶ濡れで帰ってくる前提なの?」